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    聖書に対する洞察,第1巻
    • 律法契約の条項では,どんな国民的背景を持つ人でも,エホバに対する真の崇拝を受け入れて割礼を受けることによってイスラエルの会衆の成員になることが許されていましたが,例外や制限もありました。エジプト人とエドム人は3代目まで,つまりイスラエルの地に住んで3代目になるまで会衆に入れませんでした。(申 23:7,8)庶出の子らやその子孫は「十代目に至るまで」会衆に入ることを拒否されました。(申 23:2)アンモン人とモアブ人は「十代目に至るまで,定めのない時に至るまでも」禁じられ,『イスラエル人は,命の日の限り,定めのない時に至るまで,彼らの平和と繁栄のために働いてはなりません』でした。(申 23:3-6)こうした制限はすべてそれらの国民の男子に適用されました。また,性器を切り取った男子も決して会衆の成員にはなれませんでした。―申 23:1。

      割礼を受けた崇拝者となった外人居留者は,イスラエル人と共に同一の律法に拘束されました。つまり,律法契約のすべての条項に従わなければなりませんでした。(レビ 24:22)例えば次のような点があります。その人は,安息日を守ることが要求され(出 20:10; 23:12),過ぎ越し(民 9:14; 出 12:48,49),無酵母パンの祭り(出 12:19),七週の祭り(申 16:10,11),仮小屋の祭り(申 16:13,14)を祝い,贖罪の日(レビ 16:29,30)も守る必要がありました。その人は犠牲をささげることができ(民 15:14),生来のイスラエル人のために規定されていたのと同じ方法でそれをしなければなりませんでした。(民 15:15,16)ささげるものはきずのないものでなければならず(レビ 22:18-20),生来のイスラエル人が行なったのと同じようにして,それを会見の天幕の入口に携えて来なければなりませんでした。(レビ 17:8,9)偽りの崇拝には一切従事できませんでした。(レビ 20:2; エゼ 14:7)その人は狩猟で殺した獲物の血を流し出すことが要求され,流し出さずにそれを食べるなら,民の中から『断たれる』ことになりました。(レビ 17:10-14)種々の罪に対する連帯責任に関しては,生来のイスラエル人と共に許しを受けることができました。(民 15:26,29)また,例えば人間の死体に触れて汚れた場合など,浄めの手続きを取らなければなりませんでした。(民 19:10,11)ひとりでに死んだ動物の死体は外人居留者に与えることもできましたが,その場合の外人居留者とは,十分にエホバの崇拝者となっていなかった人のことであると思われます。―申 14:21。

  • 改宗者
    聖書に対する洞察,第1巻
    • 活発に改宗者を得る バビロンへの流刑の結果としてユダヤ教は各地に広まりました。離散したユダヤ人は多くの国の異教徒たちと接触するようになりました。会堂が設置され,ヘブライ語聖書がギリシャ語で入手できるようになったため,ローマ領内の至るところで人々はユダヤ人の宗教について容易に学べるようになりました。ホラティウスやセネカなどの古代の著述家は,様々な土地で多くの人々がユダヤ人の仲間となって改宗者になったことを証言しています。ヨセフスはシリアのアンティオキアのユダヤ人が,「自分たちの宗教的な儀式にいつも大勢のギリシャ人を引き寄せ,それらの人々をある程度自分たちの一部としていた」と伝えています。(ユダヤ戦記,VII,45,[iii,3])「注釈者の聖書辞典」は,「ローマのユダヤ人は改宗活動に非常に積極果敢な精神を示したため,自分たちの宗教熱でローマ人を冒そうとしているとの非難を受けた。政府は西暦前139年に主立った宣伝者たちを市から追放した」と指摘しています。(G・バトリク編,1962年,第3巻,925ページ)もちろん,この非難は恐らく政治的な動機から出た,または何らかの人種的もしくは宗教的な偏見に起因する根拠のないもの,あるいは誇張されたものであったかもしれません。それでも,イエスは偽善的な書士とパリサイ人に関して,「あなた方は一人の改宗者を作るために海と陸を行き巡り,それができると,これを,自分に倍してゲヘナに行くべき者とする」と言われました。―マタ 23:15。

  • 改宗者
    聖書に対する洞察,第1巻
    • 強制的な改宗 ユダヤ教の改宗者はすべて平和的な手段で得られたわけではありませんでした。歴史家ヨセフスによれば,西暦前125年ごろのこと,ヨハネ・ヒルカノス1世はイドマヤ人を征服した際,人々に対し,割礼を受けない限りその地にはとどまれないと告げて彼らを強制的に改宗者にならせました。(ユダヤ古代誌,XIII,257,258 [ix,1])ヨハネ・ヒルカノスの息子アリストブロスもイツリア人に対して同じことをしました。(XIII,318 [xi,3])後に,アレクサンドロス・ヤンナイオスに率いられたユダヤ人は,住民が改宗者になるのを拒んだとの理由でペラを壊滅させました。(XIII,397 [xv,4])布教に対する熱心さよりも政治的な思惑がそのような行為の根底を成していたことは疑えません。

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