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恥ずかしがり屋の私ですが,この生き方が大好きですエホバの証人のライフ・ストーリー
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私たちを初めて訪問してくれた巡回監督は,ピエロ・ガッティ兄弟aでした。兄弟から,開拓奉仕をすることだけでなく,王国伝道者がもっと必要な所に移って奉仕することを勧められました。それは考えてもみなかったことでした。私が住んでいた所では,女性は結婚するまで家にいるのが普通だったからです。それで1952年3月,親元にいながら開拓奉仕を始めました。そこから人生が大きく変わることになるとは予想もしていませんでした。
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恥ずかしがり屋の私ですが,この生き方が大好きですエホバの証人のライフ・ストーリー
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1961年にアントニオは巡回監督として奉仕することになりました。まず,会衆の僕,つまり監督たちのための1カ月の学校に行かなければいけません。1カ月間,私は1人で過ごすということです。夜,1人でいるととてもさみしくなりましたが,アントニオの頑張りをエホバが喜んでいると思うとうれしくなりました。私も奉仕に打ち込むようにすると,1カ月はすぐに過ぎていきました。
巡回奉仕は移動の連続でした。北のベネトから南のシチリアにまで行きました。最初は車がなかったので,公共の乗り物を使いました。ある時,シチリアの田舎のでこぼこ道をバスで揺られた後,私たちの荷物を運ぶために,ロバを連れた兄弟たちがバス停に来てくれました。アントニオはスーツにネクタイ姿で,私も集会用のきれいな服を着ていました。私たちが農家の人たちと一緒に,スーツケースやタイプライターを乗せたロバを連れて歩いているのは,なんともおかしな光景だったと思います。
兄弟たちはたとえ持っている物が少なくても,なんでも惜しまずに提供してくれました。バスルームがない家や水が出ない家もありました。何年も使っていない家に泊めてもらったこともあります。その夜,私が何度も寝返りを打っていたのでアントニオに起こされました。シーツを剥がしてみると,なんとマットレスには虫がうじゃうじゃいました。真夜中にできることは限られていたので,とりあえず,できるだけ虫を払って,再び眠りました。
アントニオと。1960年代に巡回奉仕をしていた頃。
でも,私が一番苦労したのは,そういう生活の不便さではありません。私自身の性格です。恥ずかしがり屋で引っ込み思案なため,初めて行った会衆で友達をつくるのが大変でした。それでも,姉妹たちの助けになりたいと思っていたので頑張りました。エホバが助けてくれたので,週の終わりごろには打ち解けることができました。たくさんの兄弟姉妹と働けたことに感謝しています。惜しまずに与えること,忠実に奉仕すること,エホバを心から愛することの大切さを学びました。
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