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偉大な陶器師とそのみ業ものみの塔 1999 | 2月1日
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偉大な陶器師とそのみ業
「誉れある目的のための器,……あらゆる良い業のために備えのできたものと[なりなさい]」― テモテ第二 2:21。
1,2 (イ)神による人間男女の創造はどのような点で際立った業でしたか。(ロ)偉大な陶器師はどんな目的でアダムとエバを生み出されましたか。
エホバは偉大な陶器師です。その創造の傑作の一つは,わたしたちの最初の親であるアダムでした。聖書はこう述べています。「エホバ神は地面の塵で人を形造り,その鼻孔に命の息を吹き入れられた。すると人は生きた魂になった」。つまり,「呼吸する生き物」になったのです。(創世記 2:7,脚注)その最初の人は,まさに神の像に造られた完全な人間でした。神の知恵,また真の義と公正に対する神の愛の証拠でした。
2 神はまた,アダムのあばら骨を原材料として,男子を補い,助ける者である女子を形作りました。エバの無垢の麗しさは,今日の最も器量の良い女性の麗しさをしのぐものでした。(創世記 2:21-23)しかも,最初の人間夫婦は,この地を楽園にするという割り当ての大事業を成し遂げるべく完ぺきに設計された身体と機能を与えられていました。また,創世記 1章28節で述べられている神の命令,すなわち,「子を生んで多くなり,地に満ちて,それを従わせよ。そして,海の魚と天の飛ぶ生き物と地の上を動くあらゆる生き物を服従させよ」という命令を遂行する力も付与されていました。最終的に,この全地球的な園には,喜びにあふれた幾十億の人々が「結合の完全なきずな」である愛に結ばれて住むことになっていました。―コロサイ 3:14。
3 わたしたちの最初の両親はどのように不名誉の器となりましたか。どんな結果をもたらしましたか。
3 残念なことに,わたしたちの最初の両親は,主権者なる創造者,すなわち偉大な陶器師の権威に意識的に逆らう道を選びました。その歩みは,イザヤ 29章15,16節で描写されているとおりになりました。「計り事をエホバから覆い隠すことに非常に深く入って行く者たち,自分の行ないを暗い所でしておいて,『だれが我々を見ていよう。だれが我々のことを知っていよう』と言う者たちは災いだ。……陶器師が粘土のようにみなされるべきだろうか。いったい,造られた物が自分の造り主について,『彼はわたしを造らなかった』と言うべきだろうか。また,形造られた物が自分を形造ってくれた者について,『彼は理解を示さなかった』と実際に言うだろうか」。二人は気ままに行動して災いを招きました。とこしえの死の宣告を受けたのです。その上,二人から生まれ出た人類全体が罪と死を受け継ぎました。(ローマ 5:12,18)偉大な陶器師の創造物の美しさはひどく傷つけられました。
4 わたしたちはどんな誉れある目的にかなうことができますか。
4 しかし,罪人アダムの子孫であるわたしたちは,今のところ不完全な状態にあるにしても,次の詩編 139編14節の言葉でエホバを賛美することができます。「わたしはあなたをたたえます。なぜなら,わたしは畏怖の念を起こさせるまでにくすしく造られているからです。わたしの魂がよく知っているように,あなたのみ業はくすしいのです」。それにしても,偉大な陶器師の当初のみ手の業がひどく損なわれてしまったのは何と悲しむべきことなのでしょう。
陶器師は業をさらに行なう
5 偉大な陶器師の手腕はどのように発揮されることになっていましたか。
5 幸い,陶器師としての創造者の手腕は,人間というご自分の初期の創造物を形作るだけでなく,その後もさらに発揮されることになっていました。使徒パウロはこう述べています。「人よ,神に言い逆らうとは,いったいあなたは何者なのですか。形作られたものが,それを形作った者に向かって,『なぜわたしをこのように作ったのか』と言うでしょうか。どうでしょう。陶器師は,粘土に対して,同じ固まりから,一つの器を誉れある用途のために,別のものを誉れのない用途のために作る権限を持っていないでしょうか」― ローマ 9:20,21。
6,7 (イ)今日の多くの人はどのように不名誉のために形作られる道を選んでいますか。(ロ)義なる者たちはどのように誉れある用途のために形作られていますか。
6 そうです,偉大な陶器師の作品には,誉れある用途のためのものもあれば,誉れのない用途のために形作られるものもあるのです。世が不敬虔の泥沼にいよいよ深く沈んでゆく今,その世に同調する道を選ぶ人は,滅びるものとしての特徴が出るように形作られます。そのような誉れのない器には,栄光の王キリスト・イエスが裁きのために来られる時の,かたくなでやぎのような人たちもすべて含まれ,その人々は,マタイ 25章46節が述べるように,「去って永遠の切断に入(る)」ことになります。一方,羊のような「義なる者たち」,つまり「誉れある」用途のために形作られた人たちは,「永遠の命」を受け継ぐことになります。
7 それら義なる人たちは,神の形作るみ手に謙遜に服してきた人々でしょう。それらの人は,神の命の道に入っています。テモテ第一 6章17節から19節の,「不確かな富にではなく,わたしたちの楽しみのためにすべてのものを豊かに与えてくださる神に希望を託すように」という助言を受け入れています。「善を行ない,りっぱな業に富み,惜しみなく施し,進んで分け合い,自分のため,将来に対するりっぱな土台を安全に蓄え,こうして真の命をしっかりとらえる」ことに専念してきました。それらの人は神の真理によって形作られ,キリスト・イエスを通して設けられたエホバの備えに揺るぎない信仰を働かせています。イエスは,アダムの罪ゆえに失われたすべてのものを回復するために「対応する贖いとしてご自身を与えてくださった」のです。(テモテ第一 2:6)ですからわたしたちは,「新しい人格を身に着けなさい。それは,正確な知識により,またそれを創造した方の像にしたがって新たにされて[形作られて]ゆくのです」というパウロの助言に心から進んで従うべきではないでしょうか。―コロサイ 3:10。
あなたはどんな器になりますか
8 (イ)人がどんな器になるかは,何によって決まりますか。(ロ)人がどう成形されるかは,どんな二つの要因によって決まりますか。
8 人がどんな器になるかは,何によって決まるのでしょうか。それは,当人の態度と行ないによってです。これらはまず,心の願望と傾向によって成形されます。賢王ソロモンは,「地の人の心が自分の道を考え出すことがあっても,エホバがその歩みを導かれる」と述べました。(箴言 16:9)次に,見聞きする事柄,また交わりや経験などによっても成形されます。ですから,「賢い者たちと共に歩んでいる者は賢くなり,愚鈍な者たちと交渉を持つ者は苦しい目に遭う」という助言に留意することは本当に重要です。(箴言 13:20)ペテロ第二 1章16節が警告しているとおり,「巧みに考え出された作り話」,つまりノックスのローマ・カトリック訳の言う,「人の考案した寓話」に従わないようにしなければなりません。背教したキリスト教世界の教えや祝祭には,それに含まれるものが多いでしょう。
9 わたしたちは,偉大な陶器師に形作られるとき,どのように素直に応じることができますか。
9 ですから神は,わたしたちの反応にしたがって形作ることがおできになります。わたしたちは,エホバのみ前に謙遜な態度で,ダビデのこの祈りを復唱することができます。「神よ,わたしをくまなく探り,わたしの心を知ってください。わたしを調べて,不安の念を起こさせるわたしの考えを知ってください。わたしのうちに苦痛の道があるかどうかを見て,わたしを定めのない時に至る道に導き入れてください」。(詩編 139:23,24)エホバは王国の音信を宣べ伝えさせておられます。わたしたちの心は感謝を抱いて,その良いたよりに,また神からのその後の指導にこたえ応じてきました。神は,ご自分の組織を通して,良いたよりを宣べ伝えることに関連した様々な特権を差し伸べておられます。わたしたちは,それらの特権をとらえ,それを大切にしましょう。―フィリピ 1:9-11。
10 わたしたちは霊的プログラムに従う点でどのように精力的に励むべきですか。
10 聖書通読を計画どおり毎日行ない,聖書やエホバへの奉仕を家族や友人同士の討議の基礎にして,絶えず神の言葉に注意を払うことはとても重要です。エホバの証人のどこのベテル家族や宣教者の群れでも,朝食のテーブルで朝の崇拝のプログラムが行なわれており,それには普通,1週間交替で聖書か最新の「年鑑」の幾らかの朗読が含まれます。あなたのご家族でも同じような取り決めを設けることができますか。わたしたちは皆,クリスチャン会衆での交わりを通し,つまり集まり合うことにより,とりわけ毎週の「ものみの塔」研究に参加することによっても,実にすばらしい益を受けているのではないでしょうか。
試練に対処するよう形作られる
11,12 (イ)日々の生活での試練に関するヤコブの助言をどのように適用できますか。(ロ)ヨブの経験は,忠誠を保つうえでどのように励みとなりますか。
11 日々の生活の中では,神の許しによって種々の状況が生じ,それが難しく思える場合もあります。その状況をどう見るべきでしょうか。ヤコブ 4章8節で助言されているように,決して苦々しく思ってはなりません。むしろ,神に近づきましょう。『神に近づけば,神はわたしたちに近づいてくださる』ことを確信し,心を尽くして神に頼りましょう。確かに,苦難や試練を耐え忍ばなければならないでしょう。しかし,そうしたものは,わたしたちを形作る一助として許されるのであり,結果は喜ばしいものになるのです。ヤコブ 1章2,3節では,「わたしの兄弟たち,さまざまな試練に遭うとき,それをすべて喜びとしなさい。あなた方が知っているように,こうして試されるあなた方の信仰の質は忍耐を生み出すからです」と保証されています。
12 ヤコブはさらにこう述べています。「試練に遭うとき,だれも,『わたしは神から試練を受けている』と言ってはなりません。悪い事柄で神が試練に遭うということはありえませんし,そのようにしてご自身がだれかに試練を与えることもないからです。むしろ,おのおの自分の欲望に引き出されて誘われることにより試練を受けるのです」。(ヤコブ 1:13,14)試練は多く,その種類も様々かもしれませんが,ヨブの場合と同じように,そのすべてはわたしたちを形作るのに一役担っています。聖書は,ヤコブ 5章11節で次のまさに心強い保証を与えています。「ご覧なさい,忍耐した人たちは幸福である,とわたしたちは言います。あなた方はヨブの忍耐について聞き,エホバがお与えになった結末を見ました。エホバは優しい愛情に富まれ,憐れみ深い方なのです」。わたしたちは偉大な陶器師のみ手にある器として,結末に対しヨブのような確信を抱き,常に忠誠を保ってゆけますように。―ヨブ 2:3,9,10; 27:5; 31:1-6; 42:12-15。
子供たちを形作る
13,14 (イ)親は子供を形作ることをいつから始めるべきですか。どんな最終結果を目指してそうしますか。(ロ)喜びある結果となったどんな例を挙げることができますか。
13 親は,自分の子供をまさに幼い時から形作ることに加われます。そして若者たちは,実に立派な,忠誠の人になれるのです。(テモテ第二 3:14,15)極度に厳しい試練の中でさえ,それは真実でした。何年か前,アフリカのある国で迫害が非常に厳しかった時,信頼できる一家族が「ものみの塔」誌を秘密裏に印刷する仕事を納屋で行なっていました。ある日,兵士たちが市街にやって来て,若い男子を軍隊に徴用するために家から家へと捜索していました。この家族の年若い二人の男の子が身を隠すための時間はまだありましたが,兵士たちに捜索されれば印刷機が見つかってしまうことは必至でした。そうなれば,拷問を加えられるかもしれず,家族全員が殺される可能性もあります。どうすればよいでしょうか。二人の少年ははっきり意見を述べ,大胆にも,「友のために自分の魂をなげうつこと,これより大きな愛を持つ者はいません」というヨハネ 15章13節を引き合いに出しました。そして,自分たちは居間にとどまると主張しました。兵士たちが自分たちを見つけ,徴兵に応じないことで残酷な拷問に遭わせるか,殺すに違いない。でもそうすれば,兵士たちはそれ以上捜索しないから,印刷機と家族の他の者たちは助かる,と言うのです。ところが,事は意外な展開を見せました。兵士たちは,なぜかこの家だけを飛ばし,他の家へと向かったのです。誉れある用途のために形作られたそれら人間の器は,印刷機ともども難を免れ,その後も時宜にかなった霊的食物を発行し続けることができました。その二人の少年のうちの一人とその姉は現在,ベテルで奉仕しており,彼は今でもその古い機械を操作しています。
14 子供にも,祈り方を教えることができます。神は子供の祈りにもお答えになります。その例として際立っているのは,ルワンダで集団虐殺が起きていた時の出来事です。反逆者たちが6歳の女の子とその両親を手榴弾でまさに処刑しようとした時,その子が大きな声で熱烈に,これからもエホバにお仕えしてゆきたいので皆の命を助けてください,と祈りました。殺すつもりでいた者たちは心を動かされてその親子を放免し,「この子がいるからお前たちを殺せない」と言いました。―ペテロ第一 3:12。
15 パウロはどんな腐敗的影響力について警告しましたか。
15 子供たちのほとんどは,ここで述べたほど難しい状況に対処する必要はないとしても,学校や今日の腐敗した社会で直面する試練は少なくありません。悪い言葉遣い,ポルノ,堕落した娯楽,間違った習わしに携わらせようとする仲間の圧力などが多くの場所にはびこっています。使徒パウロは,そうした影響力に屈しないよう繰り返し警告しました。―コリント第一 5:6; 15:33,34。エフェソス 5:3-7。
16 人はどうすれば誉れある用途の器になれますか。
16 パウロは,器のうち「あるものは誉れある目的のため,あるものは誉れのない目的のために」取っておかれることに言及した後,「そこで,これらあとのものから離れているなら,その人は誉れある目的のための器,神聖にされたもの,持ち主に有用なもの,あらゆる良い業のために備えのできたものとなります」と述べています。ですから,交わりに気をつけるよう若い人を励ましましょう。若い人は「若さに伴いがちな欲望から逃れ,清い心で主を呼び求める人々と共に,義と信仰と愛と平和を追い求め(て)」ください。(テモテ第二 2:20-22)若い人を形作る点では,家族の「互いに築き上げる」プログラムが非常に重要です。(テサロニケ第一 5:11。箴言 22:6)聖書を毎日読むことや適切な協会の出版物を用いて聖書研究をすることは,優れた助けになるでしょう。
だれもが形作られる
17 わたしたちは懲らしめによってどのように形作られますか。どんな喜ばしい結果になりますか。
17 エホバは,わたしたちを形作るために,み言葉から,またご自分の組織を通して助言をお与えになります。神からのそのような助言をはねつけてはなりません。賢くこたえ応じ,エホバの誉れある用途のために成形されるようにしてください。箴言 3章11,12節はこう勧めています。「我が子よ,エホバの懲らしめを退けてはならない。その戒めを憎悪してはならない。エホバは,父がその楽しみとする子を戒めるように,ご自分の愛する者を戒められるからである」。さらに,父親によるような助言がヘブライ 12章6節から11節にあります。そこには,「エホバは自分の愛する者を懲らしめられ(ます)。……確かに,どんな懲らしめも当座は喜ばしいものに思えず,かえってつらいことに思えます。しかし後には,それによって訓練された人に,平和な実,すなわち義を生み出すのです」と述べられています。そのような懲らしめの主要な手段は,霊感のもとに書かれた神の言葉であるはずです。―テモテ第二 3:16,17。
18 悔い改めに関して,ルカ 15章からどんなことを学べますか。
18 エホバはまた,憐れみに富んでおられます。(出エジプト記 34:6)きわめて重大な罪であっても心からの悔い改めが見られるなら,許しを差し伸べてくださいます。現代の“放とう息子たち”でさえ,誉れある用途の器として形作られることは可能です。(ルカ 15:22-24,32)わたしたちの罪は,放とう息子の場合ほど重大ではないかもしれません。聖書に基づく助言に謙遜にこたえ応じるなら,必ず誉れある用途の器になるよう形作られてゆきます。
19 どうすれば今後もエホバのみ手にある誉れある器として仕えてゆけますか。
19 わたしたちは,初めて真理を学んだころ,自分がエホバに成形されることを進んで受け入れました。世のやり方をやめ,新しい人格を身に着けるようになり,献身してバプテスマを受けたクリスチャンになりました。そして,エフェソス 4章20節から24節の,『以前の生き方にかなった古い人格を,その欺きの欲望と共に捨て去り,神のご意志にそいつつ真の義と忠節のうちに創造された新しい人格を着ける』という助言に従いました。わたしたち一人一人は,今後も偉大な陶器師エホバのみ手の中にあって柔らかなものとなり,常に誉れある用途の器として仕えてゆけますように。
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土の器にあるわたしたちの宝ものみの塔 1999 | 2月1日
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土の器にあるわたしたちの宝
「わたしたちはこの宝を土の器に持っています。それは,普通を超えたその力が神のものとなり,わたしたち自身から出たものとはならないためです」― コリント第二 4:7。
1 イエスの模範はわたしたちにとってどのように励みとなるはずですか。
イエスは,この地上でエホバに形作られていた間,人間のもろさをじかに体験されました。忠誠を保ったイエスの模範は,わたしたちにとって大きな励みとなるはずです。使徒はこう述べています。「事実,あなた方はこうした道に召されたのです。キリストでさえあなた方のために苦しみを受け,あなた方がその歩みにしっかり付いて来るよう手本を残されたからです」。(ペテロ第一 2:21)イエスは,そのように形作られることに服し,世に対して勝利を収めました。また,征服者となるよう使徒たちを勇気づけることもされました。(使徒 4:13,31; 9:27,28; 14:3; 19:8)そして,使徒たちに対する最後の話の結びで何と大きな励ましを与えたのでしょう。こう言明されました。「あなた方がわたしによって平安を得るために,わたしはこれらのことを言いました。世にあってあなた方には患難がありますが,勇気を出しなさい! わたしは世を征服したのです」― ヨハネ 16:33。
2 世の盲目とは対照的に,わたしたちにはどんな光明がありますか。
2 また使徒パウロは,「この事物の体制の神」がもたらしている盲目を「栄光ある良いたよりの光明」と対照させたあと,わたしたちの貴重な宣教奉仕についてこう述べました。「わたしたちはこの宝を土の器に持っています。それは,普通を超えたその力が神のものとなり,わたしたち自身から出たものとはならないためです。わたしたちは,あらゆる面で圧迫されながらも,動きが取れないほど締めつけられているわけではなく,困惑させられながらも,逃れ道が全くないわけではなく,迫害されながらも,見捨てられているわけではなく,倒されながらも,滅ぼされているわけではありません」。(コリント第二 4:4,7-9)わたしたちはもろい「土の器」ですが,神はご自分の霊によってわたしたちを,サタンの世に対して全く勝利を収めることができるように形作ってこられました。―ローマ 8:35-39。コリント第一 15:57。
昔のイスラエルも形作られた
3 イザヤは,ユダヤ国民が形作られたことをどのように描写しましたか。
3 エホバは個人だけでなく国民全体をも形作られます。例えば,古代イスラエルは,エホバの形作るみ手に服していた時には繁栄しました。しかし最後には,かたくなになって不従順の道に入ってしまいました。その結果,イスラエルを形造る方はこれに「災い」をもたらしました。(イザヤ 45:9)西暦前8世紀,イザヤはエホバに,イスラエルの甚だしい罪深さについて述べ,こう言いました。「エホバよ,あなたはわたしたちの父です。わたしたちは粘土で,あなたはわたしたちの陶器師です。わたしたちは皆,あなたのみ手の業なのです。……わたしたちの望ましいものはどれも荒れ廃れました」。(イザヤ 64:8-11)イスラエルは,滅びにしか適さない器へと形作られてしまったのです。
4 エレミヤはどんな例えを実演で示しましたか。
4 それから1世紀たって,清算の日が近づいた時,エホバはエレミヤに,土製の瓶を取り,エルサレムの年長者を幾人か連れてヒンノムの谷へ行くように告げ,この指示を与えました。「あなたはあなたと共に行く者たちの目の前でその瓶を砕かなければならない。そして彼らに言わなければならない,『万軍のエホバはこのように言われた。「だれかが陶器師の器を砕くと,それはもはや修理することができなくなる。それと同じように,わたしもこの民とこの都市を砕くであろう」』」― エレミヤ 19:10,11。
5 イスラエルに対するエホバの裁きはどれほど大規模なものでしたか。
5 西暦前607年,ネブカドネザルはエルサレムをその神殿もろとも荒廃させ,生き残ったユダヤ人を連れ去ってバビロンに捕囚としました。しかし,70年間の流刑の後,悔い改めたユダヤ人は,帰還してエルサレムとその神殿を再建することができました。(エレミヤ 25:11)ところが,西暦1世紀までに,その国民はまたも偉大な陶器師を捨て,ついには神ご自身の子を殺害するという究極の犯罪を犯すほど身を持ち崩しました。西暦70年,神はローマ世界強国を刑執行者として用い,エルサレムとその神殿を粉砕してユダヤ人の事物の体制をぬぐい去りました。二度と再びイスラエル国民がエホバの手で「神聖さと美」を備えたものとして形作られることはありません。a
霊的な国民を形作る
6,7 (イ)霊的イスラエルが形作られることをパウロはどのように描写していますか。(ロ)「憐れみの器」の数は全部で幾つですか。それはどのような構成になっていましたか。
6 イエスを受け入れたユダヤ人は,新しい国民すなわち霊的な「神のイスラエル」の基礎的成員として形作られました。(ガラテア 6:16)ですから,パウロのこの言葉は適切です。「どうでしょう。陶器師は,粘土に対して,同じ固まりから,一つの器を誉れある用途のために,別のものを誉れのない用途のために作る権限を持っていないでしょうか。……神(は),ご自分の憤りを表明し,かつご自分の力を知らせようとの意志を持ちながらも,滅びのために整えられた憤りの器を,多大の辛抱強さをもって忍び,それによって憐れみの器に対するご自分の栄光の富を知らせようとされ(ました)。その憐れみの器とは神が栄光のためにあらかじめ備えられたもの(なのです)」― ローマ 9:21-23。
7 復活したイエスは後に,それら「憐れみの器」の数が14万4,000になることを知らせました。(啓示 7:4; 14:1)生来のイスラエルからだけではその数がそろわなかったため,エホバは諸国の民にも憐れみを差し伸べました。(ローマ 11:25,26)クリスチャン会衆は巣立ちしたばかりでしたが,急速に拡大しました。30年もしないうちに,良いたよりは「天下の全創造物の中で宣べ伝えられ(て)」いました。(コロサイ 1:23)そのため,各地に設立された非常に多くの会衆をふさわしい監督のもとに置くことが必要になりました。
8 最初に統治体を構成していたのはだれですか。この統治体はどのように伸展しましたか。
8 イエスはすでに12使徒を最初の統治体となるように整え,それら使徒たちならびに他の弟子たちを宣教奉仕のために訓練しておられました。(ルカ 8:1; 9:1,2; 10:1,2)クリスチャン会衆は西暦33年のペンテコステの時に設立され,やがてその統治体は増員されて「エルサレムにいる使徒や年長者たち」を含むようになりました。イエスの異父兄弟ヤコブは,使徒ではありませんでしたが,長期にわたって司会者を務めたようです。(使徒 12:17; 15:2,6,13; 21:18)歴史家エウセビオスによれば,使徒たちは迫害の特別な標的とされ,他の区域へ散らされました。その結果,統治体の構成は調整されました。
9 イエスはどんな悲しむべき事態が進展することを予告されましたか。
9 1世紀の終わりごろ,『敵である悪魔』が,「天の王国」の小麦のような相続者たちの間に『雑草をまき』はじめました。イエスは,そうした悲しむべき事態の進展が「事物の体制の終結」における収穫の時まで許されることを預言しておられました。その時には再び,『義人たちがその父の王国で太陽のように明るく輝き』ます。(マタイ 13:24,25,37-43)それはいつなのでしょうか。
今日の神のイスラエルを形作る
10,11 (イ)現代において神のイスラエルを形作ることはどのように行なわれましたか。(ロ)キリスト教世界と真しな聖書研究者たちの間には,どんな対照的な教えが見られることになりましたか。
10 1870年,チャールズ・テイズ・ラッセルは,米国ペンシルバニア州ピッツバーグに聖書研究のグループを作りました。1879年には,「ものみの塔」誌として今日知られている雑誌を毎月1回発行しはじめました。それらの人々は聖書研究者と呼ばれるようになり,キリスト教世界が魂の不滅,地獄の火,煉獄,三位一体の神,幼児洗礼などの非聖書的な異教の教えを取り入れていたことにすぐに気づきました。
11 しかし,さらに重要な点として,それら聖書の真理を愛する人たちは,イエスの贖いの犠牲による請け戻しや,神の王国の支配下の平和な楽園の地での永遠の命への復活など,聖書の基本的な教えを回復しました。とりわけ,エホバ神が宇宙の主権者なる主として立証される時の差し迫っていることに強調が置かれました。聖書研究者たちは,「天におられるわたしたちの父よ,あなたのお名前が神聖なものとされますように。あなたの王国が来ますように。あなたのご意志が天におけると同じように,地上においてもなされますように」という主の祈りの答えが今や与えられる,と信じました。(マタイ 6:9,10)それらの人々は,平和を愛するクリスチャンの世界的な社会となるよう神の聖霊によって形作られていたのです。
12 聖書研究者たちはどのようにして重要な年を悟るようになりましたか。
12 聖書研究者たちは,ダニエル 4章や他の預言を綿密に研究した結果,メシアなる王としてのイエスの臨在が間もなく始まると確信しました。そして,「諸国民の定められた時」が終わる年は1914年であることを悟りました。(ルカ 21:24。エゼキエル 21:26,27)聖書研究者たちは活動を速やかに拡張し,米国中に“バイブル・クラス”(後に会衆と呼ばれた)を設立してゆきました。世紀の変わり目までに,聖書教育の業はヨーロッパやオーストラリアとその周辺域に拡大していました。良い組織が必要になりました。
13 聖書研究者たちはどんな法的立場を得ましたか。協会の初代会長はどんな際立った奉仕を行ないましたか。
13 聖書研究者が法的立場を持てるよう,1884年に米国で,シオンのものみの塔冊子協会が法人化されました。それはペンシルバニア州ピッツバーグに本部を置いていました。この協会の理事たちが中心となる統治体の役を果たし,神の王国を全地に宣べ伝える業を監督しました。協会の初代会長チャールズ・T・ラッセルは,6巻から成る「聖書研究」(英語)を著わし,また広範な伝道旅行を行ないました。自分が聖書研究を始める前に蓄えた財産を世界的な王国の業のために寄付することもしました。そして1916年,ヨーロッパで大戦がたけなわだった時,力を使い尽くしたラッセル兄弟は,伝道旅行の途上で亡くなりました。自分のすべてを,神の王国についての証しの拡大のためにささげたのです。
14 J・F・ラザフォードはどのように「戦いをりっぱに戦い」ましたか。(テモテ第二 4:7)
14 次に会長になったのは,ミズーリ州で一時期,判事を務めたこともあるジョセフ・F・ラザフォードでした。恐れることなく聖書の真理を唱道した結果,キリスト教世界の僧職者は政治家と力を合わせ,「布告によって難儀を仕組み」ました。1918年6月21日,ラザフォード兄弟と他の7人の指導的な聖書研究者は,10年ないし20年の複数同時執行の刑を宣告されて投獄されました。聖書研究者は応戦しました。(詩編 94:20。フィリピ 1:7)上訴した彼らは,1919年3月26日に釈放され,扇動罪という偽りの告訴は後に完全に晴らされました。b 聖書研究者たちはこの経験によっても陶冶され,真理を唱道する面で不屈な者となるよう形作られました。エホバの助けを得て,霊的な戦いに勝ち抜くためにあらゆる手段を尽くしたのです。それは,大いなるバビロンの反対にめげず良いたよりをふれ告げるためであり,その戦いは1999年の今日までずっと続けられています。―マタイ 23章; ヨハネ 8:38-47と比較してください。
15 1931年が歴史上重要な年になったのはなぜですか。
15 1920年代から1930年代にも,神の油そそがれたイスラエルは偉大な陶器師の指導のもとに形作られてゆきました。聖書預言の光が輝き,エホバに誉れが帰され,イエスのメシア王国に注意が集中されました。1931年,聖書研究者たちは,エホバの証人という新しい名称を受け入れ,歓びを深くしました。―イザヤ 43:10-12。マタイ 6:9,10; 24:14。
16,および囲み(19ページ) 14万4,000人という数がすべて満たされたのはいつですか。それについてはどんな証拠がありますか。
16 1930年代には,「召され,選ばれた忠実な者たち」の14万4,000人の数がすべて満たされているように思われました。(啓示 17:14。19ページの囲みをご覧ください。)1世紀に,またキリスト教世界の大背教という暗黒の世紀の「雑草」の中から,どれほどの数の油そそがれた者が集められたのか,わたしたちは知りません。しかし1935年には,全世界で最高5万6,153人の奉仕者のうち,記念式の表象物にあずかって天的な希望を表明した人の数は,5万2,465人でした。では,その後に集められる大勢の人にはどんな定めがあるのでしょうか。
「ご覧なさい,大群衆です」
17 1935年にはどんな歴史的進展が見られましたか。
17 1935年5月30日から6月3日まで米国のワシントン特別区で開かれた大会で,ラザフォード兄弟は,「大いなる群衆」c という題の画期的な話をしました。「だれも数えつくすことのできない」その群衆は,霊的イスラエルの14万4,000人に証印を押すことが終わるころ現われることになっていました。その群衆も,「子羊[イエス]の血」の贖う力に信仰を働かせ,崇拝のためのエホバの神殿の取り決めの中で神聖な奉仕をささげるのです。そして,一つのグループとして,生きながら「大患難から出て来」て,『もはや死はない』地上のパラダイスを受け継ぎます。その大会に先立つ数年間,このグループはヨナダブ級と呼ばれていました。―啓示 7:9-17; 21:4。エレミヤ 35:10。
18 1938年はどんな点で極めて重要な年でしたか。
18 1938年は,これら二つの級をはっきり見分ける点で極めて重要な年でした。「ものみの塔」誌,1938年3月15日号と4月1日号は,「主の羊の群れ」と題する2部構成の研究資料を提供し,油そそがれた残りの者とその仲間の大群衆との相対的な立場を明確にしました。次いで,6月1日号と6月15日号には,イザヤ 60章17節に基づく,「組織」に関する研究記事が掲載されました。すべての会衆は,地元の僕たちの任命を統治体に要請し,改善された,神の制定した神権的な取り決めを導入するよう呼びかけられました。諸会衆はまさにそのとおりに行ないました。
19,および脚注 「ほかの羊」を集める全体的な呼びかけがこれまで60年余り行なわれてきたことは,どんな事実によって確証されますか。
19 「1939 エホバの証人の年鑑」(英語)の報告はこう述べていました。「キリスト・イエスの今地上にいる油そそがれた追随者は少数であり,その数は決して増えないであろう。それらの人は聖書の中で,神の組織シオンの子孫の『残りの者』として表わされている。(啓 12:17)主は今や,『大いなる群衆』を形成する『ほかの羊』をご自分のもとに集めておられる。(ヨハ 10:16)これら今集められている人々は,残りの者の友であり,残りの者と共に働いている。今後,『ほかの羊』を構成する人々は数が増えてゆき,ついには『大いなる群衆』が集められることだろう」。油そそがれた残りの者は,大群衆の取り入れを行なってゆけるよう形作られていました。今では大群衆も形作られているに違いありません。d
20 1942年以来,どんな組織上の変革が見られてきましたか。
20 第二次世界大戦たけなわの1942年1月,ジョセフ・ラザフォードは亡くなり,ネイサン・ノアが後任の会長となりました。協会の3代目の会長は,諸会衆での神権学校と宣教者を養成するギレアデ学校を設立したことで,懐かしく記憶されています。同会長は,1944年の協会の年次総会の時,協会の会員が物質的寄付ではなく霊性に基づいて選ばれるよう定款が改訂されることを発表しました。その後の30年間に,野外の働き人の数は全世界で15万6,299人から217万9,256人へと増大しました。1971年から1975年までの間にさらに組織上の変革が必要になりました。もはや,会長を務める一人の人が全地の王国の業を徹底して監督することはできません。統治体は増員されて18人の油そそがれた成員で構成されるようになりました。それぞれが順番にその司会者を務めます。当時の成員のほぼ半数は,すでに地上での歩みを終えました。
21 小さな群れは何によって,王国に入る資格を身に着けましたか。
21 小さな群れの成員のうち残っている人たちは,幾十年にわたる試練によって形作られてきました。明確な『霊の証し』を受けて,気力に満ちています。イエスはそれらの人にこう告げておられます。「あなた方はわたしの試練の間わたしに堅く付き従ってきた者たちです。それでわたしは,ちょうどわたしの父がわたしと契約を結ばれたように,あなた方と王国のための契約を結び,あなた方がわたしの王国でわたしの食卓について食べたり飲んだりし,また座に着いてイスラエルの十二部族を裁くようにします」。―ローマ 8:16,17。ルカ 12:32; 22:28-30。
22,23 小さな群れとほかの羊はどのように形作られていますか。
22 地上にいる,霊によって油そそがれた残りの者の数が減少するにつれ,大群衆のうちの円熟した兄弟たちが世界中のほとんどすべての会衆に対する霊的な監督をゆだねられてきました。ですから,年老いた油そそがれた証人の最後の人たちが地上での歩みを終える時,ほかの羊のうちのサーリームである君たちは,地上で長級としての管理の務めを遂行するのに十分な訓練を受けていることでしょう。―エゼキエル 44:3。イザヤ 32:1。
23 小さな群れもほかの羊も共に,引き続き誉れある用途の器へと形作られています。(ヨハネ 10:14-16)わたしたちは,自分の希望が「新しい天」にあろうと「新しい地」にあろうと,エホバのこの招き,すなわち「あなた方はわたしが創造しているものに永久に歓喜し,それを喜べ。いまわたしは,エルサレムを喜びのいわれ,その民を歓喜のいわれとして創造しているからである」という招きに心からこたえ応じてゆけますように。(イザヤ 65:17,18)わたしたちもろい人間は常に謙遜に仕え,『普通を超えた力』である神の聖霊の力によって形作られてゆきますように。―コリント第二 4:7。ヨハネ 16:13。
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