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「わたしの民を慰めよ」イザヤの預言 ― 全人類のための光 I
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神は羊飼いのようにご自分の群れを牧される。そのみ腕で子羊を集め,それをその懐に抱いて携えて行かれる。乳を飲ませるものたちを注意深く導かれる」。―イザヤ 40:9-11。
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「わたしの民を慰めよ」イザヤの預言 ― 全人類のための光 I
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14 (イ)イザヤは例えを用いて,エホバがご自分の民を優しく導かれることをどのように示していますか。(ロ)羊飼いが羊を優しく世話することを示す,どんな実例がありますか。(405ページの囲み記事をご覧ください。)
14 とはいえ,この強い神には穏やかな一面があります。イザヤは,エホバがどのように民を故国へ導き戻されるかを,ほのぼのとした表現で描写しています。エホバは,子羊を集めて「懐」に抱いて携えて行く,愛ある羊飼いに似ています。この「懐」という語は衣の上ひだを指しているようです。羊飼いは,群れに付いていけない生まれたばかりの子羊を,そこに入れて運ぶことがあります。(サムエル第二 12:3)牧畜生活に基づくそうした心温まる情景は,流刑に処されたエホバの民に神の愛ある気遣いを保証するものであるに違いありません。確かに,そのような強くて優しい神は民に対する約束を果たしてくださると信頼できます!
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「わたしの民を慰めよ」イザヤの預言 ― 全人類のための光 I
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[404,405ページの囲み記事/図版]
エホバ,愛ある羊飼い
イザヤはエホバを,子羊を懐に抱いて世話する愛ある羊飼いに例えています。(イザヤ 40:10,11)このほのぼのとしたイザヤの例えは,羊飼いの実生活の習慣に基づいているようです。現代でも,中東のヘルモン山の斜面で羊飼いたちを観察したある人はこう述べています。「羊飼いたちは,それぞれ自分の羊の群れに変わりはないか注意深く見守っていた。生まれたばかりの子羊を見つけると,自分の厚手の外とうのひだに入れた。子羊はかよわく,母親の後について歩けないからである。懐がいっぱいになると,足をつかんで肩に載せたり,ろばの背の袋やかごに入れたりした。子羊たちが母親の後について歩けるようになるまでそうするのである」。ご自分の民をそのように優しく気遣う神に仕えているということを知ると,慰められるのではないでしょうか。
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「わたしの民を慰めよ」イザヤの預言 ― 全人類のための光 I
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16 エホバは今日のご自分の民をどのように導いておられますか。それはどんな模範となっていますか。
16 今日のわたしたちにとって,イザヤ 40章10節と11節の言葉には,別の実際的な価値もあります。エホバがご自分の民を優しく導かれることに注目すると,慰められます。羊飼いが,他の羊に付いていけない小さな子羊を含め,1頭1頭の羊に必要なものを理解しているのと同様,エホバもご自分の忠実な僕それぞれの限界を理解しておられます。加えて,優しい羊飼いであるエホバは,クリスチャンの牧者たちの模範となっておられます。長老たちは,エホバご自身が示される愛ある気遣いに倣い,群れを優しく扱わなければなりません。エホバが「ご自身のみ子の血をもって買い取られた」群れの一人一人についてどう感じておられるかを,常に思いに留める必要があるのです。―使徒 20:28。
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