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  • ベタニヤのシモンの家で
    これまでに生存した最も偉大な人
    • 大勢の人々が,過ぎ越しを祝うためにもうエルサレムに着いています。この人々は儀式上の清めをするために早く来たのです。おそらく死体に触るか何かをして汚れた状態にあったのでしょう。それで彼らは,受け入れられる状態で過ぎ越しを祝うため,手順に従って自分を清めるのです。早くから来ているそれらの人たちが神殿に集まると,大勢の人々は,イエスが過ぎ越しにやって来るかどうかについていろいろと予想しています。

      エルサレムは,イエスについての論争が起こりやすいところです。宗教指導者がイエスを捕まえて殺そうとしていることは,みんなが知っています。事実,イエスの居所を知っている者は,宗教指導者たちに通報せよという命令が出されているのです。指導者たちは,ここ数か月の間に3回もイエスを殺そうとしました。幕屋の祭りと献納の祭りの時,それからラザロを復活させた後です。それで人々は,イエスがもう一度人中に姿を現わすようなことをするだろうかといぶかっています。人々は「あなた方の意見はどうだ」と互いに話し合っています。

  • エルサレムへ勝利の入城をするキリスト
    これまでに生存した最も偉大な人
    • エルサレムへ勝利の入城をするキリスト

      次の朝,ニサン9日の日曜日に,イエスは弟子たちと共にベタニヤを出発し,オリーブ山を越えてエルサレムへと向かわれます。ほどなくして一行は,オリーブ山にあるベテパゲに近づきました。イエスは二人の弟子に次のような指示をお与えになります。

      「行って,向こうに見えるあの村に入りなさい。そうすれば,あなた方はすぐに,一頭のろばがつながれ,それと一緒に子ろばがいるのを見つけるでしょう。それらをほどいてわたしのところに連れて来なさい。そして,だれかが何か言うなら,『主がこれらをご入り用なのです』と言わねばなりません。そうすれば,彼はすぐにそれをよこすでしょう」。

      初めのうち弟子たちは,これらの指示が聖書の預言の成就と関係があることを認識できませんでしたが,後でそのことに気づきました。預言者ゼカリヤは,神の約束された王が,ろばに,「しかも成熟した,雌ろばの子に乗って」エルサレムに入ることを予告していました。同じようにソロモン王も,ろばの子に乗って,自分が油そそぎを受ける場所へ行きました。

      弟子たちがベテパゲに入り,子ろばと雌ろばを連れて行こうとすると,そこにいた人の幾人かが「何をしているのか」と言います。しかし,弟子たちが,その動物は主のために用いられますと言うと,その人たちはろばをイエスの所へ連れて行くのを許してくれます。弟子たちは,自分たちの外衣を雌ろばと子ろばの上に置きますが,イエスは子ろばのほうに乗られます。

      イエスがエルサレムへ向かって乗り進むにつれ,群衆は増えていきます。ほとんどの人が自分の外衣を道路に敷きます。木の枝を切り落としてそれを敷く人々もいます。「エホバのみ名によって王として来るのは祝福された者! 天に平和,至高の所に栄光あれ!」と,群衆は叫びます。

      その群衆の中にいたパリサイ人たちは,こうした言葉を聞いて憤慨し,「師よ,あなたの弟子たちを叱ってください」とイエスに訴えます。しかし,イエスはこうお答えになります。「あなた方に言いますが,もしこれらの者が黙っているなら,石が叫ぶでしょう」。

      エルサレムに近づくとイエスはその都市を眺め,エルサレムのために涙を流してこう言われます。「もしあなたが,そうですあなたが,この日に,平和にかかわる事を見分けていたなら ― しかし今,それはあなたの目から隠されているのです」。エルサレムはかたくなに不従順な態度を示したので,必ずその代償を払うことになります。それをイエスは次のように予告されます。

      「あなたの敵[ティツス将軍指揮下のローマ軍]が,先のとがった杭でまわりに城塞を築き,取り巻いて四方からあなたを攻めたてる……彼らは,あなたとあなたの中にいるあなたの子らを地面にたたきつけ,あなたの中で石を石の上に残したままにはしておかないでしょう」。イエスが予告されたエルサレムのこの滅びは,その37年後の西暦70年に実際に起きました。

      群衆の中の多くの人は,わずか数週間前にイエスがラザロを復活させるのを見ていましたから,他の人たちにその奇跡について盛んに話しています。そのためイエスがエルサレム市内に入られると,市全体が騒ぎ立ちます。「これはだれなのか」,人々は知りたがっています。それで群衆は,「これは預言者イエス,ガリラヤのナザレから来た方だ!」と言いつづけます。起きている事柄を見てパリサイ人たちは,何一つうまくいかないのを嘆きます。彼らが言うとおり,「世は彼に付いて行ってしまった」からです。

      イエスはエルサレムを訪れる時の習慣どおり,人々を教えるために神殿へ行かれます。そこへ盲人や足なえの人がやって来ると,その人たちをお治しになります。祭司長と書士たちは,イエスの行なっている驚くべき事柄を見,また神殿の中で少年たちが「救いたまえ,ダビデの子を!」と叫んでいるのを聞いて怒りだします。祭司長たちは「これらの者たちの言っていることが聞こえるか」と抗議します。

      それに対しイエスは,「はい。あなた方は,『みどりごや乳飲み子の口から,あなたは賛美を備えられた』とあるのを読んだことがないのですか」とお答えになります。

      イエスは教え続け,神殿内のすべての物を見て回られます。すでに時刻は遅くなっています。イエスは12人と共にそこを去り,ベタニヤまで3㌔ほどの道を戻られます。ベタニヤでは,おそらく友人ラザロの家で,日曜日の晩を過ごされます。 マタイ 21:1-11,14-17。マルコ 11:1-11。ルカ 19:29-44。ヨハネ 12:12-19。ゼカリヤ 9:9。

  • 再び神殿を訪れる
    これまでに生存した最も偉大な人
    • イエスと弟子たちはさらに旅を続け,やがてエルサレムに到着します。イエスは前日の午後検分された神殿に行かれます。しかし今日は3年前の西暦30年の過ぎ越しに来られた時のように,行動を起こされます。イエスは神殿で売り買いしている者たちを追い出し,両替屋の台と,はとを売っている者たちの腰掛けを倒されます。イエスは神殿の中を通って器物を運ぶことさえ,だれにも許されません。

      神殿の中で両替をしたり,動物を売ったりしていた者たちをとがめて,イエスはこう言われます。「『わたしの家はあらゆる国民のための祈りの家と呼ばれるであろう』と書いてあるではありませんか。それなのに,あなた方はそれを強盗の洞くつとしました」。これらの者は,犠牲にする動物を彼らから買うしか方法のない人々に,法外な値段で売りつけていたので,強盗です。それでイエスはこのような商行為を,一種のゆすり,または強盗とみなしておられるのです。

      祭司長と書士たち,また民の主立った者たちはイエスのしたことを聞くと,再びイエスを殺させる方法を探るようになります。こうして彼らは自分たちが矯正しようのない者であることを示します。しかし,イエスの語ることを聞こうとして民がみなずっと付きまとっていたので,イエスをどのようにして殺すか決めかねています。

      生来のユダヤ人のほかに,異邦人も過ぎ越しに来ています。これら異邦人は,改宗者,つまりユダヤ人の宗教に改宗した人々です。改宗者と思われるあるギリシャ人たちがフィリポに近づき,イエスに会わせてくださいと頼みます。そのような会見がふさわしいかどうかを尋ねるためなのでしょう,フィリポはアンデレのところへ行きます。イエスはまだ神殿におられるようです。その場所ではそれらのギリシャ人もイエスを見ることができます。

      イエスは残された命があと数日しかないのを知っておられますから,ご自分の状況を適切な例えで語られます。「人の子が栄光を受けるべき時が来ました。きわめて真実にあなた方に言いますが,一粒の小麦は地面に落ちて死なないかぎり,それはただ一粒のままです。しかし,死ぬならば,そのときには多くの実を結びます」。

      一粒の小麦にはわずかな価値しかありません。しかし土の中にまかれて「死ぬ」,つまり種としての命を終えるならどうでしょうか。それはやがて芽を出し,時たつうちに茎となり,非常に多くの穀粒を生みだします。同じように,イエスもただ一人の完全な人間ですが,神への忠実を保って死ぬなら,イエスは,ご自分と同じ自己犠牲の精神を持つ忠実な人々に永遠の命を与える手段となるのです。それでイエスはこう言われます。「自分の魂を慈しむ者はそれを滅ぼしますが,この世において自分の魂を憎む者は,それを永遠の命のために保護することになります」。

      イエスがご自分のことだけを考えておられるのでないことは明らかです。というのはイエスは次にこう説明されるからです。「だれでもわたしに仕えようとするなら,その人はわたしの後に従いなさい。そうすれば,わたしのいる所,そこに,わたしに仕える者もいることになります。だれでもわたしに仕えようとするなら,父はその人を尊ばれます」。イエスに従い,仕える者には何とすばらしい報いがあるのでしょう。それは王国でキリストと共にいるという栄誉を父から与えられるという報いなのです。

      非常な苦しみと苦痛を伴う死が待っていることを考えながら,イエスは言葉を続けられます。「今わたしの魂は騒ぎます。何と言えばよいのでしょう。父よ,わたしをこの時から救い出してください」。イエスを待っているものを避けることができさえすれば,どんなに良いでしょう。しかし,それはできません。イエスは「わたしはこのゆえにこの時に至ったのです」と述べておられます。イエスはご自身が犠牲としての死を遂げることを含め,神の取り決めすべてに同意しておられるのです。

  • 神の声を聞く ― 三度目
    これまでに生存した最も偉大な人
    • 神の声を聞く ― 三度目

      イエスは神殿におられ,間もなく死に直面しなければならないことを考えて苦しんでおられます。イエスが一番気にかけておられるのは,み父の評判がどうなるかということです。それでイエスは,「父よ,み名の栄光をお示しください」と祈られます。

      その時,天から力強い声が響き,「わたしはすでにその栄光を示し,さらにまたその栄光を示す」と宣言します。

      周りに立っていた群衆は驚きます。「み使いが彼に話しかけたのだ」と言い出す人もいれば,雷が鳴ったのだと言う人もいます。しかし,実際にはエホバ神が話されたのです。とはいっても,イエスに関連して神からの声が聞こえたのは,これが初めてではありません。

      3年半ほど前にイエスがバプテスマを受けた時,バプテスマを施す人ヨハネは神がイエスについて,「これはわたしの子,わたしの愛する者である。この者をわたしは是認した」と言われるのを聞きました。次いで,前回の過ぎ越しのしばらく後に,ヤコブとヨハネとペテロは,自分たちの前でイエスが変ぼうされた時,神が,「これはわたしの子,わたしの愛する者である。わたしはこの者を是認した。この者に聴き従いなさい」と宣言されるのを聞きました。そして今度は,イエスが死なれる四日前のニサン10日に,三度目になる神の声を人々は聞きました。今回は,エホバは大勢の人に聞こえるように話されます。

      イエスは,「この声は,わたしのためではなく,あなた方のために生じたのです」と説明されます。この声は,イエスが確かに神の子であり,約束のメシアである証拠となりました。イエスは言葉を続けて,「今,この世の裁きがなされています。今やこの世の支配者は追い出されるのです」と言われます。イエスが忠実な生涯を送られたという事実は,この世の支配者である悪魔サタンが「追い出される」,つまり処刑されるのは当然だということをはっきり示すものとなります。

      イエスは間もなく死ぬことにはなるものの,その結果として生じる事柄に注意を促し,「しかしわたしは,自分が地から挙げられたなら,あらゆる人をわたしのもとに引き寄せます」と言われます。イエスの死は決して敗北ではありません。イエスはご自分の死によって,ほかの人々を引き寄せ,その人々が永遠の命を享受できるようにされるからです。

      しかし群衆は,異議を唱えます。「わたしたちは律法から,キリストが永久にとどまることを聞きました。それなのに,人の子は挙げられねばならないとあなたが言うのはどうしてですか。この人の子とはだれのことなのですか」。

      大部分の人々は,神ご自身の声を聞いたことをも含め,証拠はそろっているにもかかわらず,イエスが正真正銘の人の子,すなわち約束のメシアであることを信じていません。しかし,イエスは半年前の幕屋の祭りの時にしたように,再びご自身のことを「光」として語り,聞いている人たちに対し,「光のあるうちに光に信仰を働かせなさい。光の子らとなるためです」と言われます。これらの事柄を話し終えるとイエスは去って行き,身を隠されます。きっと,命が危険にさらされていたからでしょう。

      イエスに対するユダヤ人の信仰の欠如は,『彼らの目は盲目になり,彼らの心はかたくなになった。彼らが立ち返っていやされることがないためである』というイザヤの言葉の成就となります。イザヤは幻の中で,エホバの天の法廷を見ました。エホバのそばには栄光に輝く,人間となられる前のイエスもおられます。それでもユダヤ人たちは,この方が約束の救出者であることを示す証拠をかたくなにも無視し,イザヤの書いた事柄が成就しました。

      一方,支配者たちの中に(ユダヤ人の最高法廷であるサンヘドリンの成員と思われる)さえ,イエスに実際に信仰を持つ人が少なくありません。そのうちの二人が,ニコデモとアリマタヤのヨセフです。しかしこれらの支配者たちは,少なくとも当座は自分の信仰を告白しようとしません。会堂における自分の地位から追放されることを恐れているのです。またとない機会を見送るとは,なんと残念なことでしょう。

      イエスは続けてこう言われます。「わたしに信仰を持つ者は,わたしだけでなく,わたしを遣わした方にも信仰を持つのです。また,わたしを見る者は,わたしを遣わした方をも見るのです。……しかし,わたしのことばを聞いてそれを守らない人がいても,わたしはその人を裁きません。わたしが来たのは,世を裁くためではなく,世を救うためだからです。……わたしの話した言葉が,終わりの日にその人を裁くのです」。

      エホバは,人類の世に対する愛に動かされてイエスを遣わし,イエスに信仰を働かせる者が救われるようにされました。人々が救われるかどうかは,エホバの指示によってイエスが話された事柄に人々が従うかどうかによって決まります。裁きは「終わりの日に」,つまりキリストの千年統治の期間中に行なわれます。

      イエスは話の結びにこう述べられます。「わたしは自分の衝動で話したのではなく,わたしを遣わした父ご自身が,何を告げ何を話すべきかについて,わたしにおきてをお与えになったからです。またわたしは,父のおきてが永遠の命を意味していることを知っています。それゆえ,わたしの話すこと,それは,父がわたしにお告げになったとおりに話している事柄なのです」。

  • 重要な一日の始まり
    これまでに生存した最も偉大な人
    • イエスは月曜日の夕方にエルサレムをたち,オリーブ山の東斜面にあるベタニヤへ戻られます。エルサレムにおけるイエスの最後の宣教はすでに二日終わりました。

  • 重要な一日の始まり
    これまでに生存した最も偉大な人
    • そのすぐ後,イエスと弟子たちはエルサレムへ入り,習慣どおり神殿へ行き,イエスはそこで教えはじめられます。祭司長と民の年長者たちは,前の日にイエスが両替屋たちに対して行なったことを覚えていたのでしょう,「どんな権威でこうしたことをするのか。そして,だれがあなたにこの権威を与えたのか」とイエスに挑みます。

      イエスは答えてこう言われます。「わたしも,あなた方に一つのことを尋ねます。あなた方がわたしにそれを言うなら,わたしもあなた方に,どんな権威でわたしがこれらのことを行なうかを言いましょう。ヨハネによるバプテスマ,それはどこから出たものでしたか。天からでしたか,それとも人からでしたか」。

      祭司と年長者たちは,どのように答えるべきかを相談しはじめます。「我々が,『天から』と言えば,彼は,『では,なぜ彼を信じなかったのか』と言うだろう。だが,『人から』と言えば,我々にとっては群衆が怖い。彼らは皆ヨハネを預言者と見ているからだ」。

      宗教指導者たちは何と答えればよいか分かりません。それで彼らはイエスに,「わたしたちは知らない」と答えます。

      そこでイエスは「わたしも,どんな権威で自分がこれらのことを行なうかを,あなた方には言いません」と返答されます。

  • ぶどう園の例えによって正体をあばく
    これまでに生存した最も偉大な人
    • ぶどう園の例えによって正体をあばく

      イエスは神殿におられます。だれの権威で物事を行なうのかを言うようにと迫った宗教指導者たちをろうばいさせたところです。イエスは,宗教指導者たちがどぎまぎしている間に,「あなた方はどう考えますか」とお尋ねになります。それから例えによって,彼らが実際にはどんな人間かを示されます。

      イエスはこう語られます。「ある人に二人の子供がいました。彼は一番目の者のところに行って,『子供よ,今日,ぶどう園に行って働きなさい』と言いました。この者は答えて,『行きます,父上』と言いましたが,出かけて行きませんでした。二番目の者に近づいて,彼は同じことを言いました。この者は答えて,『行きません』と言いました。後ほど彼は後悔して出かけて行きました」。「この二人のうち,どちらが父の意志を行ないましたか」と,イエスはお尋ねになります。

      「後の者です」と反対者たちは答えます。

      そこでイエスは,「あなた方に真実に言いますが,収税人や娼婦たちがあなた方より先に神の王国に入りつつあるのです」と説明されます。収税人や娼婦たちは,初めのうちは神に仕えることを事実上拒んでいました。しかし,二番目の子供のように後悔して,実際神に仕えました。一方,宗教指導者たちは,一番目の子供のように,神に仕えると公言していましたが,イエスは彼らについてこう言われます。『[バプテスマを施す人]ヨハネが義の道をもってあなた方のところに来たのに,あなた方は彼を信じませんでした。ところが,収税人や娼婦たちは彼を信じました。あなた方は,それを見ながら,あとから後悔して彼を信ずるようにはなりませんでした』。

      イエスは次に,これら宗教指導者の失敗が,単に神への奉仕を怠っているという点だけにあるのではないことを示されます。彼らは実際に邪悪でよこしまな者たちなのです。イエスはこう語られます。「ある人,つまり家あるじがいました。その人はぶどう園を設け,その周りに柵を巡らし,その中にぶどうの搾り場を掘り,塔を立て,それを耕作人たちに貸し出して,外国へ旅行に出ました。実りの季節が巡って来たとき,彼は自分の実りを得ようとして耕作人のもとに奴隷たちを派遣しました。ところが,耕作人たちは彼の奴隷たちを捕まえ,ひとりを打ちたたき,もうひとりを殺し,もうひとりを石打ちにしました。彼は再びほかの奴隷を最初より大ぜい派遣しました。しかし彼らはこれらにも同じことをしたのです」。

      「奴隷たち」とは,「家あるじ」であるエホバ神がご自分の「ぶどう園」の「耕作人たち」のもとにお遣わしになった預言者たちのことでした。耕作人とは,イスラエル国民を代表する,主立った人たちのことで,聖書は,イスラエル国民が神の「ぶどう園」であることを明らかにしています。

      イエスはこう説明されます。「耕作人たち」が「奴隷たち」を虐待して殺してしまったので,「最後に彼[ぶどう園の持ち主]は,『わたしの息子なら尊敬するだろう』と言って,自分の息子を彼らのもとに派遣しました。その息子を見ると,耕作人たちは互いに言いました,『これは相続人だ。さあ,こいつを殺してその相続財産を手に入れよう!』そうして彼を捕まえ,ぶどう園から追い出して殺してしまったのです」。

      ここでイエスは宗教指導者たちに,「それで,ぶどう園の持ち主が来るとき,これらの耕作人をどうするでしょうか」とお尋ねになります。

      宗教指導者たちは,「その者たちは悪らつですから,惨めな滅びをもたらし,そのぶどう園をほかの耕作人たち,納めるべき時に実りを納める者たちに貸し出すでしょう」と答えます。

      こうして宗教指導者たちは,それとは知らずに自分自身に裁きを宣告します。彼らも,エホバが所有しておられたイスラエル国民という「ぶどう園」で働く,イスラエル人の「耕作人たち」の一部だからです。エホバはそのような耕作人たちに,真のメシアであるみ子への信仰という実りを納めるよう期待しておられます。彼らはそのような実を実らせていないので,イエスはこう警告されます。「あなた方は聖書[詩編 118編22節と23節]の中で読んだことがないのですか。『建築者たちの退けたその石が主要な隅石となった。これはエホバから生じたのであり,わたしたちの目には驚嘆すべきものである』とあるのです。このゆえにあなた方に言いますが,神の王国はあなた方から取られ,その実を生み出す国民に与えられるのです。また,この石の上に落ちる人は粉々になるでしょう。これがその上に落ちる人は,みじんに砕かれるでしょう」。

      書士や祭司長たちは,自分たちのことが言われているのに気づき,義にかなった「相続人」であるイエスを殺そうとします。そのため,神の王国の支配者となる特権は,一国民としてのイスラエル人から取られ,『ぶどう園の耕作人』となる新しい国民,ふさわしい実を生み出す国民が形成されます。

      宗教指導者たちは,イエスを預言者だとみなしていた群衆を恐れ,この時にはイエスを殺そうとしません。 マタイ 21:28-46。マルコ 12:1-12。ルカ 20:9-19。イザヤ 5:1-7。

  • 婚宴の例え
    これまでに生存した最も偉大な人
    • 婚宴の例え

      イエスは二つの例えによって,書士や祭司長たちの正体を暴露されました。そのため,彼らはイエスを殺してやりたいと思います。しかし,イエスは糾弾をやめるどころかさらに別の例えを話し,こう言われます。

      「天の王国は,自分の息子のために婚宴を設けた人,つまりそのような王のようになりました。彼は,婚宴に招いておいた者たちを呼ぶため,自分の奴隷たちを遣わしましたが,その者たちは来たがりませんでした」。

      エホバ神は,み子イエス・キリストのために婚宴を準備された王でした。最後には,油そそがれた14万4,000人の追随者たちから成る花嫁が,天でイエスと結ばれることになります。王の臣民とはイスラエルの人々で,その国民は西暦前1513年に律法契約に導き入れられたとき,「祭司の王国」となる機会を与えられました。それで,婚宴への招待は,その時イスラエル人に最初に差し伸べられました。

      とはいえ,招かれていた者たちへの最初の呼びかけは,西暦29年の秋にイエスと弟子たち(王の奴隷たち)が王国を宣べ伝える活動を始めるまでなされていませんでした。生来のイスラエル人たちは,西暦29年から33年にかけて奴隷たちが行なったこの呼びかけを聞きましたが,行こうとしませんでした。そこで神は,招かれた者たちから成る国民に,もう一度機会を与えました。イエスはこのように話されます。

      「再びほかの奴隷たちを遣わそうとして言いました,『招いてある者たちにこう言いなさい。「ご覧なさい,わたしは正さんを整えました。わたしの雄牛と肥えた動物はほふられ,すべての用意ができました。婚宴に来てください」』」。招いておいた者たちに対するこの二度目の,そして最後の呼びかけは,西暦33年のペンテコステの日に聖霊がイエスの追随者たちの上に注ぎ出された時に始まりました。今回の呼びかけは西暦36年まで続きました。

      しかし,イスラエル人の大多数は,この招待をはねつけました。イエスはこう語られます。「ところが,彼らは無関心で,ある者は自分の畑に,別の者は自分の商売に出かけて行きました。しかし,ほかの者は,その奴隷たちを捕まえて不遜に扱い,それを殺してしまいました」。イエスは続けて,「そこで王は憤り,自分の軍隊を送ってそれら殺人者たちを滅ぼし,彼らの都市を焼きました」と言われます。このことは西暦70年に生じました。その年にエルサレムはローマ軍に敗れて破壊され,それら殺人者たちは殺されてしまいました。

      さらにイエスは,その間に起きたことを説明されます。「それから[王]は自分の奴隷たちに言いました,『婚宴はたしかに用意ができているのだが,招いておいた者たちはそれに値しなかった。それゆえ,市外に通ずる道路に行き,だれなりとあなた方の見つける者を婚宴に招きなさい』」。奴隷たちはそのとおりにしたので,「婚礼の部屋は食卓について横になる者たちでいっぱいになりました」。

      招いておいた者たちが住んでいた市の外の道路から客を集める業は,西暦36年に始まりました。ローマ軍の士官コルネリオとその家族は,割礼を受けていない非ユダヤ人の中から集められた最初の人たちでした。最初の招きを断わった人々の代わりとして,このような非ユダヤ人を集めることは,20世紀に至るまで続けられてきました。

      婚宴の部屋がいっぱいになったのは,20世紀になってからのことです。イエスはその後起こることについて,こう述べておられます。「王が客を見回るために入って来たとき,結婚式の衣をまとっていない人をそこに見つけました。それでその人に言いました,『君,結婚式の衣を着けずにどうしてここに入って来たのか』。その人は何も言えなくなりました。そこで王は僕たちに言いました,『その手足を縛って彼を外の闇に投げ出しなさい。そこで彼は泣き悲しんだり歯ぎしりしたりするであろう』」。

      結婚式の衣をまとっていない人は,キリスト教世界の偽のクリスチャンを表わしています。神はこれらの人々が,霊的なイスラエル人としてそれにふさわしい身分証明を持っているとご覧になったことはありませんでした。聖霊により,王国の相続人として彼らに油をそそがれたこともありませんでした。それで,偽クリスチャンたちは外の闇に投げ出され,そこで滅ぼされます。

      イエスは,「招かれる者は多いが,選ばれる者は少ないのです」と述べて,例えを締めくくられます。キリストの花嫁の成員になるため,イスラエル国民から多くの者たちが招かれましたが,生来のイスラエル人で選ばれた人はほんのわずかでした。天で報いを受ける14万4,000人の客たちは,ほとんど非イスラエル人です。 マタイ 22:1-14。出エジプト記 19:1-6。啓示 14:1-3。

  • イエスをわなにかけ損なう
    これまでに生存した最も偉大な人
    • イエスをわなにかけ損なう

      イエスは神殿でずっと教え続けておられ,宗教上の敵たちの邪悪さを暴く三つの例えを語られたところです。それでパリサイ人たちは憤り,イエスをわなにかけて,イエスを捕まえる口実となるようなことを何か言わせようと相談します。パリサイ人たちは悪だくみを考え出し,自分たちの弟子をヘロデの党派的追随者と共に遣わして,イエスのあげ足を取ろうとします。

      その男たちはこう言います。「師よ,わたしどもは,あなたが真実な方で,神の道を真実をもってお教えになることを知っております。そしてあなたはだれをも気にされません。人の外見をご覧にならないからです。それで,どうお考えになるか,わたしどもにお話しください。カエサルに人頭税を払うことはよろしいでしょうか,よろしくないでしょうか」。

      イエスはこのようなお世辞にだまされたりはなさいません。イエスはもし自分が『それはよくない。この税金を払うのは,よいことでも正しいことでもない』と答えれば,ローマに対する扇動罪になるのをご存じです。しかし,もし『この税金は払うべきです』と言えば,ローマの支配下に置かれていることを快く思っていないユダヤ人たちはイエスを憎むでしょう。それでイエスは,「なぜあなた方はわたしを試すのですか,偽善者たちよ。人頭税の硬貨をわたしに見せなさい」とお答えになります。

      彼らが一枚の硬貨を持って来ると,イエスは「これはだれの像と銘刻ですか」とお尋ねになります。

      「カエサルのです」と彼らは答えます。

      「それでは,カエサルのものはカエサルに,しかし神のものは神に返しなさい」。これらの男たちは,イエスの見事な答えを聞いて驚嘆します。そしてイエスを残して去って行きます。

      パリサイ人がイエスに言いがかりをつけようとして失敗したのを見ると,復活などはないと言うサドカイ人たちがイエスに近づき,こう質問します。「師よ,モーセは,『人が子供を持たずに死ぬならば,その兄弟が彼の妻をめとって,自分の兄弟のために子孫を起こさねばならない』と言いました。さて,わたしたちのところに七人兄弟がいました。そして一番目の者は結婚して死亡し,子孫がなかったので,妻を自分の兄弟に残しました。二番目,三番目の者も,ついには七人全部が同じようになりました。みんなの最後にその女も死にました。そうすると,復活の際,彼女はその七人のうちだれの妻なのでしょうか。みんなが彼女を得たのですから」。

      イエスは答えてこう言われます。「あなた方が聖書も神の力も知らないこと,これがあなた方の間違っている理由ではありませんか。死人の中からよみがえるとき,男はめとらず,女も嫁ぎません。天にいるみ使いたちのようになるのです。しかし,死んだ者たち,すなわち彼らがよみがえらされることに関しては,モーセの書の中,いばらの茂みに関する記述の中で,神が彼にどのように言われたかを,あなた方は読まなかったのですか。『わたしはアブラハムの神,イサクの神,ヤコブの神である』と言われたのです。この方は,死んだ者の神ではなく,生きている者の神なのです。あなた方は大いに間違っています」。

      群衆は再びイエスの答えに驚き入ります。幾人かの書士でさえも,「師よ,よくぞ言われました」と言います。

      イエスがサドカイ人を沈黙させたのを見たパリサイ人たちは,一団となってイエスのところにやって来ます。そのうちの一人の書士はイエスをさらに試そうとして,「師よ,律法の中で最大のおきてはどれですか」と尋ねます。

      イエスはこう答えられます。「第一は,『聞け,イスラエルよ,わたしたちの神エホバはただひとりのエホバであり,あなたは,心をこめ,魂をこめ,思いをこめ,力をこめてあなたの神エホバを愛さねばならない』。第二はこうです。『あなたは隣人を自分自身のように愛さねばならない』。これらより大きなおきてはほかにありません」。事実,イエスはこう付け加えられます。「律法全体はこの二つのおきてにかかっており,預言者たちもまたそうです」。

      その書士はイエスと同感であることをこのように言い表わします。「師よ,『神はただひとりであり,そのほかにはいない』と,真理に即してよくぞ言われました。そして,この,心をこめ,理解力をこめ,力をこめて神を愛すること,また,隣人を自分自身のように愛するこのことは,全焼燔の捧げ物と犠牲全部よりはるかに価値があります」。

      イエスはこの書士がそう明な答えを出したことを認め,「あなたは神の王国から遠くありません」と言われます。

      イエスはすでに三日間 ― 日曜日,月曜日,そして火曜日 ― 神殿で教えておられます。人々は喜んでイエスの話に耳を傾けますが,いらだった宗教指導者たちはイエスを殺そうとします。しかし今までのところでは,彼らの試みは失敗に終わっています。 マタイ 22:15-40。マルコ 12:13-34。ルカ 20:20-40。

  • イエスは反対者たちを公然と非難する
    これまでに生存した最も偉大な人
    • イエスは反対者たちを公然と非難する

      イエスが宗教上の反対者たちを徹底的に論破したので,彼らは恐れを感じそれ以上は何も質問しません。そこでイエスはご自分のほうから,彼らが無知であることを暴かれます。「あなた方はキリストについてどう考えますか。彼はだれの子ですか」とお尋ねになります。

      「ダビデの子です」とパリサイ人は答えます。

      イエスは,キリストつまりメシアの肉の祖先がダビデであることは否定されませんが,こう質問されます。「では,どうしてダビデは,霊感によって[詩編 110編で]彼を『主』と呼び,『エホバはわたしの主に,「わたしがあなたの敵たちをあなたの足の下に置くまで,わたしの右に座っていなさい」と言われた』と言っているのですか。それで,ダビデが彼を『主』と呼んでいるのであれば,どうして彼の子でしょうか」。

      パリサイ人たちは,キリスト,つまり油そそがれた者が実際にはどんな人であるかを知らないので黙っています。パリサイ人はメシアを単なるダビデの人間の子孫と考えていたようですが,そうではなく,メシアは以前から天で存在しておられ,ダビデより上位の方,すなわち主でした。

      イエスはここで群衆と弟子たちのほうを向き,書士やパリサイ人について警告されます。イエスは,これらの者たちが神の律法を教え,「モーセの座に座って」いるゆえに,「彼らがあなた方に告げることはみな行ない,また守りなさい」と勧められます。しかしイエスはさらに,「その行ないに倣ってはなりません。彼らは言いはしますが,実行しないからです」と言われます。

      彼らは偽善者です。ですからイエスは,何か月か前にあるパリサイ人の家で食事をしていた時に話されたような口調で,彼らを公然と非難されます。イエスは,「すべてその行なう業は人に見せようとしてするのです」と言われ,幾つかの例を挙げられます。

      『彼らは,お守りとして身に着ける聖句入れの幅を広げます』。聖句入れは比較的小さな箱で,額か腕に付けます。その中には律法の四つの部分,すなわち出エジプト記 13章1節から10節と11節から16節,申命記 6章4節から9節と11章13節から21節が入っています。しかしパリサイ人たちは,自分たちが律法に対して熱心であることを印象づけるために,この箱を大きくしています。

      イエスは続けて,彼らは「衣の房べりを大きくしている」と言われます。民数記 15章38節から40節で,イスラエル人たちは衣に房べりを付けるように命じられていますが,パリサイ人たちはほかのだれよりも大きな房べりを付けていました。何もかも人に見せるためなのです。『彼らは最も目立つ場所を好みます』とイエスははっきり言われます。

      残念なことにイエスの弟子たちも,目立ちたいというこの欲望の影響を受けています。そこでイエスはこう諭されます。「しかしあなた方は,ラビと呼ばれてはなりません。あなた方の教師はただ一人であり,あなた方はみな兄弟だからです。また,地上のだれをも父と呼んではなりません。あなた方の父はただ一人,天におられる方だからです。また,『指導者』と呼ばれてもなりません。あなた方の指導者はキリスト一人だからです」。弟子たちは一番でありたいという欲望を捨てなければならないのです。イエスはこう訓戒されます。「あなた方の間で一番偉い者は,あなた方の奉仕者でなければなりません」。

      次にイエスは書士やパリサイ人に対して,一連の災いを宣告され,彼らを繰り返し偽善者と呼ばれます。イエスは彼らが,『人の前で天の王国を閉ざし』,「やもめたちの家を食い荒らし,見せかけのために長い祈りをする者たち」であると言われます。

      イエスは,「盲目の案内人よ,あなた方は災いです」と言われます。そしてパリサイ人が霊的価値観に欠けている点を非とされます。彼らが自分勝手な区別を設けているということはそのことを示す証拠です。例えばパリサイ人は,「神殿にかけて誓っても,それは何のことはない。しかし,神殿の金にかけて誓うなら,その者には務めがある」と言います。彼らはその崇拝の場所の霊的な価値よりも神殿の金に重きを置いて,自分たちが道徳的に盲目であることを示しているのです。

      それからイエスは,以前にされたと同じように,パリサイ人がさほど重要でない植物の什一,または十分の一を支払うことに非常に注意深くありながら,「律法のより重大な事柄,すなわち公正と憐れみと忠実」を無視していると非難されます。

      イエスはパリサイ人を,「盲目の案内人,ぶよは濾し取りながら,らくだを呑み込む者たち」と呼ばれます。パリサイ人たちがぶどう酒からぶよを濾し取るのは,それが虫だからというだけではなく,ぶよが儀式上汚れたものであるからです。しかし,彼らが律法のより重大な事柄を無視するのは,やはり儀式上汚れた動物であるらくだを呑み込むのに似ています。 マタイ 22:41-23:24。マルコ 12:35-40。ルカ 20:41-47。レビ記 11:4,21-24。

  • 神殿での宣教を終える
    これまでに生存した最も偉大な人
    • 神殿での宣教を終える

      イエスが神殿に姿を現わされるのは,これが最後です。事実イエスは,三日後の裁判と処刑の際の出来事は別として,地上での公の宣教をこれで終えようとしておられます。イエスは書士やパリサイ人たちを引き続きけん責されます。

      イエスは大きな声でさらに3回,「偽善者なる書士とパリサイ人たち,あなた方は災いです!」と言われます。イエスはまず最初に,彼らが「杯と皿の外側は清めますが,その内側は強奪と節度のなさとに満ちている」という理由で彼らに災いを宣言されます。それで,「杯と皿の内側をまず清め,それによって外側も清くなるようにしなさい」と訓戒されます。

      次にイエスは,書士やパリサイ人たちが,敬虔そうに見せかけて内側の堕落や腐敗を隠そうとしているため,彼らは災いだと言われます。「あなた方は白く塗った墓に似ているからです。それは,外面はなるほど美しく見えますが,内側は死人の骨とあらゆる汚れに満ちているのです」。

      最後の点として,書士やパリサイ人たちの偽善は,彼らが自ら進んで預言者たちの墓を建て,それを飾りつけて自分自身の慈善行為に人々の注意を引こうとしているのを見れば明らかです。しかし彼らは,イエスが暴露されたように,「預言者たちを殺害した者たちの子」なのです。事実,彼らの偽善をあえて暴こうとする人はだれでも,身を危険にさらすことになります。

      イエスは続けて,最も強烈な言葉で非難されます。「蛇よ,まむしらの子孫よ,どうしてあなた方はゲヘナの裁きを逃れられるでしょうか」。ゲヘナとはエルサレムのごみ捨て場として使われていた谷でした。ですからイエスは,書士やパリサイ人たちが邪悪な道を追い求めているために永遠の滅びに至ることを述べておられるのです。

      イエスの代理として遣わされる者についてはこう言われます。「あなた方はそのうちのある者を殺して杭につけ,ある者を会堂でむち打ち,都市から都市へと迫害するでしょう。こうして,義なるアベルの血から,あなた方が聖なる所と祭壇の間で殺害した,バラキヤ[歴代誌第二ではエホヤダと呼ばれている]の子ゼカリヤの血に至るまで,地上で流された義の血すべてがあなた方に臨むのです。あなた方に真実に言いますが,これらのことすべてはこの世代に臨むでしょう」。

      ゼカリヤはイスラエルの指導者たちを激しく責めたので,「人々は彼に対して陰謀を企て,エホバの家の中庭で王の命令により彼を石撃ちに」しました。しかしイエスが予告されたとおり,イスラエルは流された義なる者の血すべてに対してその代価を支払うことになるでしょう。37年後の西暦70年にローマ軍がエルサレムと100万人以上のユダヤ人を滅ぼすとき,彼らはその代価を支払うことになります。

      イエスはこの恐ろしい状況を考えて嘆かれ,再びはっきりとこう言われます。「エルサレム,エルサレム,……わたしは幾たびあなたの子供たちを集めたいと思ったことでしょう。めんどりがそのひなを翼の下に集めるかのように。しかし,あなた方はそれを望みませんでした。見よ,あなた方の家はあなた方のもとに見捨てられています」。

      イエスはさらに,「『エホバのみ名によって来るのは祝福された者!』と言うときまで,あなた方は今後決してわたしを見ないでしょう」と言われます。それはキリストの臨在の日であり,その時イエスは天の王国を受け,人々は信仰の目でイエスを見るのです。

      さて,イエスは神殿の宝物庫の箱と,群衆がそこにお金を入れる様子が見える場所に移動されます。富んだ人はたくさんの硬貨を入れています。しかしそこにひとりの貧しいやもめがやって来て,価のごくわずかな小さな硬貨二つを入れます。

      イエスは弟子たちを呼び,「あなた方に真実に言いますが,この貧しいやもめは,宝物庫の箱にお金を入れているあの人たち全部よりたくさん入れたのです」と言われます。弟子たちは,どうしてそうなのか疑問に思ったに違いありません。それでイエスはこう説明されます。「彼らはみな自分の余っている中から入れましたが,彼女は,その乏しい中から,自分の持つもの全部,その暮らしのもとをそっくり入れたからです」。イエスはこれらのことを話されてから,これを最後に神殿を後にされます。

      イエスの弟子の一人は神殿の大きさや美しさに驚嘆し,「師よ,ご覧ください,何という石,それに何という建物なのでしょう」と叫びます。実にその石の長さは10㍍以上,幅は4㍍以上,高さは3㍍以上もあるということです。

      イエスは答えて,「あなたはこれらの大きな建物に見入っているのですか。石がこのまま石の上に残されて崩されないでいることは決してないでしょう」と言われます。

      これらの話を終えてから,イエスと弟子たちはキデロンの谷を渡り,オリーブ山に登ります。ここからは,壮麗な神殿を見下ろすことができます。 マタイ 23:25-24:3。マルコ 12:41-13:3。ルカ 21:1-6。歴代第二 24:20-22。

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