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「聴いて,その意味を悟りなさい」ものみの塔 2014 | 12月15日
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「聴いて,その意味を悟りなさい」
「あなた方はみな,わたしが話すことを聴いて,その意味を悟りなさい」。―マル 7:14。
1,2. イエスの話を聞いた多くの人が,その言葉の意味を理解できなかったのはなぜですか。
だれかから話しかけられたとしましょう。声は聞こえます。声のトーンさえ分かるかもしれません。しかし,話されている言葉の意味が分からないとしたら,その話にどんな価値があるでしょうか。(コリ一 14:9)イエスの話を聞いた人は幾千人もいました。しかもイエスは,人々が理解できる言語で話しました。しかし,聞いた人のすべてがイエスの言葉の意味を悟ったわけではありません。そのためイエスは聴衆に対して,「あなた方はみな,わたしが話すことを聴いて,その意味を悟りなさい」と言われました。―マル 7:14。
2 多くの人が,イエスの言葉の意味を理解できなかったのはなぜですか。先入観や悪い動機を持つ人たちもいました。イエスはそのような人たちに,「あなた方は自分たちの伝統を保とうとして,巧妙にも神のおきてを押しのけています」と述べておられます。(マル 7:9)彼らはイエスの言葉の意味を本当に知ろうとはしませんでした。自分のやり方や考え方を変えたいとは思わなかったのです。その耳は開かれていたかもしれませんが,心は固く閉ざされていました。(マタイ 13:13-15を読む。)わたしたちはどうですか。イエスの教えから益が得られるよう,どうすれば自分の心を開いておけるでしょうか。
イエスの教えから益を得るために
3. イエスの言葉を弟子たちが理解できたのはなぜですか。
3 イエスの謙遜な弟子たちの手本に倣う必要があります。イエスは彼らについて,「あなた方の目は見るゆえに,またあなた方の耳は聞くゆえに幸いです」と言われました。(マタ 13:16)ほかの人たちとは違い,それらの弟子たちがイエスの言葉を理解できたのはなぜですか。第一に,進んでイエスに質問し,イエスの言葉の背後にある本当の意味を知ろうとしたからです。(マタ 13:36。マル 7:17)第二に,新しく学んだ事柄を,すでに知っている事柄の上に積み重ねてゆく姿勢があったからです。(マタイ 13:11,12を読む。)第三に,聞いて理解した事柄を,自分個人の生活に生かし,他の人を助けるために活用しようとする気持ちがあったからです。―マタ 13:51,52。
4. イエスの例えを理解するために,どんな3つのステップに従う必要がありますか。
4 イエスの例えを理解したいなら,忠実な弟子たちの手本に倣い,次の3つのステップに従う必要があります。第一に,進んで時間を取って,イエスの言葉について研究と黙想を行ない,必要な調査をし,適切な質問をします。そのようにすると,知識が得られます。(箴 2:4,5)第二に,その知識が,すでに知っている事柄とどのように結び付くかを把握し,自分にとってどのように有益かを識別します。そうするなら,理解が得られます。(箴 2:2,3)第三に,学んだ事柄を活用し,生活に適用します。それは,知恵を示すことです。―箴 2:6,7。
5. 知識,理解,知恵がどのように違うのか,例えで説明してください。
5 知識,理解,知恵は,どのように違うのでしょうか。次の例えで説明できるでしょう。道の真ん中に立っていると,バスがこちらにやって来ます。あなたは第一に,それがバスであることを認識します。これが知識です。第二に,そのまま立っていたらバスにひかれてしまうことを察知します。これが理解です。それでバスにぶつからないよう急いで逃げます。これが知恵です。「実際的な知恵……を守れ」と聖書が命じているのは,もっともなことです。それはわたしたちの命を意味しているからです。―箴 3:21,22。テモ一 4:16。
6. イエスの7つの例えを調べながら,どんな4つの質問について考えますか。(この記事の囲みを参照。)
6 この記事と次の記事では,イエスが用いた7つの例えを調べてゆきますが,その際,次のような質問について考えましょう。この例えにはどんな意味があるか(知識)。イエスがこの例えを述べたのはなぜか(理解)。自分自身と他の人のために,この情報をどのように活用できるか(知恵)。この例えは,エホバとイエスについて何を教えているか。
からしの種粒
7. からしの種粒の例えには,どんな意味がありますか。
7 マタイ 13:31,32を読む。からしの種粒に関するイエスの例えにはどんな意味があるか。からしの種粒は王国の音信と,その音信を宣べ伝えることから生じるもの,つまりクリスチャン会衆を表わします。「あらゆる種の中で一番小さなもの」である,からしの種粒のように,クリスチャン会衆は西暦33年に始まった時,小さなものでした。しかし,それから数十年もしないうちに,クリスチャン会衆は急速に成長し,予想を超えた拡大を遂げます。(コロ 1:23)この成長は益をもたらしました。イエスが述べたように,「天の鳥たち」は「その枝の間に宿り場を見つけ(る)」ことができたからです。その鳥たちは,クリスチャン会衆内に霊的な食物と陰と避難所を見いだす,心の正しい人たちを表わします。―エゼキエル 17:23と比較。
8. イエスがからしの種粒の例えを用いたのはなぜですか。
8 イエスがこの例えを用いたのはなぜか。イエスは,からしの種粒が目覚ましく成長する様子を用いて,神の王国の取り決めには,拡大し,保護し,あらゆる障害を克服する力があることを示しました。1914年以来,神の組織の目に見える部分は驚異的な成長を遂げてきました。(イザ 60:22)組織と交わる人たちは,素晴らしい霊的保護を享受してきました。(箴 2:7。イザ 32:1,2)さらに,王国の業は拡大を続け,何ものもそれをとどめることができませんでした。あらゆる反対を克服してきたのです。―イザ 54:17。
9. (イ)からしの種粒の例えから,どんな教訓を学べますか。(ロ)この例えは,エホバとイエスについて何を教えていますか。
9 からしの種粒の例えから何を学べるか。区域によっては,エホバの証人が少なかったり,伝道の際立った成果がすぐに表われなかったりする所もあるでしょう。それでも,王国の取り決めにはあらゆる障害を克服する力がある,ということを銘記するなら,耐え忍ぶよう強められます。例えば,エドウィン・スキナー兄弟がインドに着いた1926年当時,その国のエホバの証人はごくわずかでした。当初は増加がほとんど見られず,業は「難航」している,と言われました。しかし,兄弟は伝道を続け,王国の音信が大きな障害を克服するのを目にしました。現在インドには3万7,000人以上の活発な証人がおり,2013年の記念式に10万8,000人余りが出席しました。もう1つ,王国の取り決めの素晴らしい拡大を示す例を見てみましょう。スキナー兄弟がインドに来たその年,ザンビアでの業は始まったばかりでした。それが今では,17万人余りの伝道者を数えるまでになり,2013年の記念式には76万3,915人が出席しました。人口の18人に1人の割合です。何と目覚ましい成長でしょう。
パン種
10. パン種の例えにはどんな意味がありますか。
10 マタイ 13:33を読む。パン種の例えにはどんな意味があるか。この例えも,王国の音信と,それが生み出す事柄を扱っています。麦粉の「塊全体」は,あらゆる国の人々を表わし,発酵の過程は,王国の音信が伝道活動によって広まることを表わしています。からしの種粒が成長する様子ははっきり見えますが,パン種が広がる様子は,最初は目に見えません。幾らか時間がたたないと,結果は明らかになりません。
11. イエスがパン種の例えを用いたのはなぜですか。
11 イエスがこの例えを用いたのはなぜか。イエスは,王国の音信には,全体に広がってゆく力と,変化を生じさせる力があることを示されました。王国の音信は「地の最も遠い所にまで」伝わっています。(使徒 1:8)しかし,音信が生じさせる変化は,必ずしも識別できるわけではありません。最初は気づかれることさえないかもしれません。しかし変化は確かに生じています。人数が増加するという変化だけではありません。この強力な音信を受け入れた人たちの人格に変化が生じるのです。―ロマ 12:2。エフェ 4:22,23。
12,13. パン種の例えにあるように,王国を宣べ伝える業が広がっていることを示す例を挙げてください。
12 宣べ伝える業の成果は,何年もたってから表われることが少なくありません。例えば,ベテル奉仕者のフランツと妻のマルギットは,ブラジル支部で奉仕していた1982年に,小さな田舎町で証言したことがあります。その町で,ある母親と4人の子どもの聖書研究を司会することになりました。当時12歳だった長男は,研究が始まる前に隠れようとするほど内気な少年でした。この夫婦は割り当てが変わり,その研究を続けることができませんでしたが,25年後にその町を訪れる機会がありました。その会衆には,13人の正規開拓者を含む69人の奉仕者がおり,新しい王国会館に集まっていました。例の内気な少年はどうなっていましたか。何と,長老団の調整者として奉仕していたのです。イエスの例えのパン種のように,王国の音信は広がり,多くの人の生活に変化を生じさせていました。この夫婦は大きな喜びに包まれました。
13 人々を変化させる王国の音信の見えない力は,王国の業が法的に制限されている国々でとりわけ明らかになっています。そうした国々で音信がどれほど広まっているか,実情を把握するのは簡単ではなく,成果を知って驚かされることもしばしばです。例としてキューバを取り上げましょう。王国の音信がキューバに伝えられたのは1910年で,ラッセル兄弟がその地を訪れたのは1913年のことです。しかし,当初はなかなか増加が見られませんでした。今はどうですか。9万6,000人余りの伝道者が良いたよりを宣べ伝えており,2013年の記念式には22万9,726人が出席しました。この島国の人口の48人に1人の割合です。禁令が課されていない国々でも王国の音信は,伝道がほとんどなされていないと見られている地域に伝わっているようです。a ―伝 8:7; 11:5。
14,15. (イ)あなたは,パン種の例えから,どんな教訓を得ることができますか。(ロ)この例えは,エホバとイエスについて何を教えていますか。
14 パン種の例えでイエスが教えた事柄から,どんな益が得られるか。イエスの例えの意味を黙想するなら,次のことが分かります。王国の音信が,まだそれを聞いていない多くの人々にどのように伝えられるか,過度に心配する必要はありません。エホバはすべてをコントロールしておられます。では,わたしたちはどうすべきですか。聖書はこう答えています。「朝に種をまき,夕方になるまで手を休めるな。あなたは,これがどこで成功するか,ここでかそこでか,あるいはそれが両方とも共によくなるか知らないからである」。(伝 11:6)それと同時に,宣べ伝える業の成功,とりわけ業が制限されている国での成功を祈り求めることも,決して忘れるべきではありません。―エフェ 6:18-20。
15 さらに,業の成果がすぐに表われないとしても,気落ちしないようにしましょう。「小さな事の日」を侮るべきではありません。(ゼカ 4:10)予想をはるかに上回る素晴らしい結果になることもあるのです。―詩 40:5。ゼカ 4:7。
旅商人と隠された宝
16. 旅商人の例えと隠された宝の例えには,どんな意味がありますか。
16 マタイ 13:44-46を読む。旅商人の例えと隠された宝の例えには,どんな意味があるか。イエスの時代,ある商人たちは,最高品質の真珠を得るためにインド洋まで旅をしました。この例えに出てくる商人は,霊的な必要を満たすために大きな努力を払う,心の正しい人たちを表わしています。「価の高い真珠」は,王国の貴重な真理を表わします。その真珠の価値を認めた商人は,真珠を買うため,持っていたすべてのものを「即座に」売りました。イエスは別の例えとして,畑で働いている時に「隠された」宝を見つけた人の話をします。その人は旅商人とは違い,宝を探していたわけではありませんが,旅商人と同じように,宝を得るために喜んで「すべてのもの」を売りました。
17. イエスが,旅商人の例えと隠された宝の例えを話されたのは,なぜですか。
17 イエスがこの2つの例えを話されたのはなぜか。真理の見つけ方は人によって違う,ということを示すためです。真理を探し求め,そのために大きな努力を払った人もいれば,探し求めていたのではなく,だれかからたまたま聞くといった方法で,見つけた人もいます。どちらの人も,見つけた事柄の価値を認め,それを自分のものとするために喜んで多大の犠牲を払いました。
18. (イ)この2つの例えからどんな益が得られますか。(ロ)これらの例えは,エホバとイエスについて何を教えていると思いますか。
18 この2つの例えからどんな益が得られるか。(マタ 6:19-21)こう自問してみましょう。「わたしは真理に対して,例えに出てくる人たちのような考え方をしているだろうか。彼らのように真理を大切にしているだろうか。真理を自分のものとするために喜んで犠牲を払うだろうか。それとも,日々の生活上の事柄などによって,真理から気持ちがそらされてしまうだろうか」。(マタ 6:22-24,33。ルカ 5:27,28。フィリ 3:8)真理を見つけた喜びが深ければ深いほど,真理を生活の中で第一にしようとする決意は強くなります。
19. 次の記事ではどんなことを取り上げますか。
19 では,王国に関する例えを聴いてその意味を本当に悟っていることを示しましょう。そのためには,例えの意味を知るだけではなく,学んだ教訓を適用することが必要です。次の記事では,さらに3つの例えを取り上げ,そこから学べる教訓について考えましょう。
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あなたは「意味をつか」んでいますかものみの塔 2014 | 12月15日
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あなたは「意味をつか」んでいますか
「聖書の意味をつかむよう彼らの思いを十分に開い(た)」。―ルカ 24:45。
1,2. イエスは復活した日,どのように弟子たちを強めましたか。
イエスが復活した日のことです。2人の弟子たちがエルサレムから10㌔ほど離れた村に向かって歩いていました。イエスが亡くなったために,またイエスが復活したことも知らなかったために,2人の心は沈んでいました。そこへ突然イエスが現われ,彼らと一緒に歩き始めます。イエスは2人を慰めることができました。どのようにでしょうか。「モーセとすべての預言者たちから始めて,聖書全巻にある,ご自分に関連した事柄を彼らに解き明かされた」のです。(ルカ 24:13-15,27)それを聞いて弟子たちの心は燃え始めました。イエスが聖書を「すっかり解いて」くださった,つまりはっきり説明してくださったからです。―ルカ 24:32。
2 その日の夕方,2人の弟子たちはエルサレムに戻り,使徒たちを見つけて自分たちの経験を話します。そうしているとイエスが現われますが,使徒たちはおびえます。彼らの心に疑いが起きます。イエスはどのように彼らを強めたでしょうか。「聖書の意味をつかむよう彼らの思いを十分に開い」たのです。―ルカ 24:45。
3. わたしたちはどんな問題に直面するかもしれませんか。どうすれば宣教について平衡の取れた見方ができますか。
3 わたしたちもそれらの弟子たちのように,心が沈んでしまうことがあるかもしれません。主の業に忙しく携わっていても成果が見えないので,気落ちすることがあります。(コリ一 15:58)研究生がほとんど進歩していないように思えるかもしれません。中には,エホバに背を向けてしまう研究生もいるでしょう。では,どうすれば宣教について平衡の取れた見方ができるでしょうか。聖書中のイエスの例えの意味を十分につかむことです。この記事では,そうした例えのうち3つに注目し,どんな教訓を学べるかを調べましょう。
眠る種まき人
4. 眠る種まき人に関するイエスの例えには,どんな意味がありますか。
4 マルコ 4:26-29を読む。眠る種まき人に関するイエスの例えにはどんな意味があるか。この種まき人は,個々の王国宣明者を表わします。種は,心の正直な人に宣べ伝えられる王国の音信を指します。種まき人は「夜に眠り,昼は起きています」。つまり,普通に生活しています。成長はある期間にわたって,つまり最初の種まきから最後の収穫に至る期間に生じます。その期間に「種は芽ばえて,丈が高くなります」。この成長は「おのずから」,徐々に,そして段階的に生じます。同様に霊的成長も,徐々に,そして段階的に生じます。ぜひ神に仕えたいと思う段階まで進歩する人は,エホバに献身してバプテスマを受けることにより,実を結びます。
5. イエスが眠る種まき人に関する例えを述べたのはなぜですか。
5 イエスがこの例えを述べたのはなぜか。「正しく整えられた」者たちの心に真理を成長させるのはエホバである,ということを理解させるためです。(使徒 13:48。コリ一 3:7)わたしたちは植えて水を注ぎますが,成長をコントロールすることはできません。成長を強制したり速めたりすることはできません。例えに出てくる種まき人と同じで,成長がどのように生じているかは分かりません。普通に生活していると,成長に気づかないこともしばしばです。しかし,時たつうちに王国の種が実を結ぶこともあります。新しい弟子は収穫の業に加わり,わたしたちはその援助から益を受けます。―ヨハ 4:36-38。
6. 霊的成長に関して,どんなことを認めるべきですか。
6 この例えから何が学べるか。まず第一に,わたしたちは研究生の霊的成長をコントロールできない,ということを認める必要があります。慎みがあれば,バプテスマを受けるよう研究生に圧力をかけたり強制したりせずにすみます。わたしたちは研究生を援助するために最善を尽くしますが,献身するかどうかを最終的に決定するのは研究生自身であることを,謙虚に認めます。献身は,神への愛を動機とし,心から進んで行なうべきものです。エホバに受け入れていただけるのは,そのような献身だけです。―詩 51:12; 54:6; 110:3。
7,8. (イ)眠る種まき人に関するイエスの例えから,さらにどんな教訓を学べますか。例を挙げてください。(ロ)この例えは,エホバとイエスについて何を教えていますか。
7 第二に,この例えの教訓を理解するなら,業の成果がすぐに表われないとしても,落胆せずにすみます。わたしたちは辛抱する必要があるのです。(ヤコ 5:7,8)種が実を結ばないとしても,研究生を援助するために最善を尽くしたのであれば,わたしたちの教え方に問題があったということにはなりません。エホバは,謙遜な心にのみ,つまり喜んで変化したいと思う心にのみ,真理の種が成長するようにしておられます。(マタ 13:23)ですから,結果だけで宣教の効果性を判断すべきではありません。エホバは,宣教が成功したかどうかは研究生の反応によって決まる,とは考えておられません。むしろ,結果がどうであれ,忠実な努力を高く評価されるのです。―ルカ 10:17-20; コリント第一 3:8を読む。
8 第三に,人の内面で生じている変化は,わたしたちには必ずしも分かりません。一例を挙げましょう。ある宣教者は研究生の夫婦から,伝道者になりたい,と言われました。宣教者が,「資格を得るには,たばこをやめなければなりませんね」と言うと,驚いたことにその夫婦は,たばこは数か月前にやめた,と答えました。なぜやめたのでしょうか。こっそりたばこを吸ってもエホバは見ておられること,そしてエホバは偽善を憎まれることを理解したのです。それで2人は,宣教者の前でもたばこを吸うか,たばこを全くやめるかの決定を迫られました。エホバを愛するようになっていた2人は,正しい決定を下すことができました。宣教者は研究生の内面で生じていた変化に気づきませんでしたが,その夫婦は霊的に成長していたのです。
引き網
9. 引き網の例えには,どんな意味がありますか。
9 マタイ 13:47-50を読む。引き網に関するイエスの例えにはどんな意味があるか。イエスは,全人類に王国の音信を宣べ伝える業を,大きな引き網を海に下ろすことに例えています。そのような網が「あらゆる種類の魚」を区別せず多量に捕らえるのと同じように,宣べ伝える業は,あらゆる種類の幾百万という人々を引き寄せます。(イザ 60:5)大会や記念式に毎年多くの人が出席しているのは,まさにその証拠です。それら象徴的な魚の中には「良いもの」がいて,クリスチャン会衆の中に集め入れられます。しかし,「ふさわしくないもの」もいます。集め入れられた者すべてが,必ずしもエホバに受け入れられる者とはなっていないのです。
マタイ 13章47-50節を読んでから,現代にどのように当てはまるかを考えてください
真理に引き寄せられる人たちの中には,エホバの側に立つ人もいる(9-12節を参照)
10. イエスが引き網の例えを述べたのはなぜですか。
10 イエスがこの例えを述べたのはなぜか。このように魚を分けることは,大患難における最終的な裁きを指しているのではありません。この邪悪な体制の終わりの日に生じる事柄を述べているのです。イエスは,真理に引き寄せられる人すべてがエホバの側に立つわけではないことを示されました。集会に来たり聖書を研究したりしていても,エホバに献身しようとしない人は少なくありません。(王一 18:21)クリスチャン会衆と交わらなくなった人もいます。クリスチャンの親に育てられても,エホバの規準を愛するところまでいっていない若者もいます。状況はどうであれ,イエスが強調されたのは,一人一人が決定を下す必要があるということです。正しい決定を下す人たちは「あらゆる国民のうちの望ましいもの」,つまり「貴重なもの」とみなされます。―ハガ 2:7; 脚注。
11,12. (イ)引き網の例えから,どんな益が得られますか。(ロ)この例えは,エホバとイエスについて何を教えていますか。
11 引き網の例えからどんな益が得られるか。この例えの教訓を理解するなら,研究生や子どもが真理を自分自身のものとしなくても,ひどく動揺したり落胆したりせずにすみます。そうしたことは,わたしたちが最善を尽くしても生じ得るのです。聖書研究に応じたから,あるいは真理のうちに育てられたからといって,エホバとの強い個人的な関係が自動的に培われるわけではありません。エホバの支配に従いたくないと思う人たちは,結局は神の民から分けられてしまいます。
12 では,真理から離れた人たちが会衆に戻ることは決して許されない,ということですか。エホバに献身しない人は,変化する可能性のない「ふさわしくないもの」として分類される,ということですか。そうではありません。大患難が勃発するまでは,機会が開かれています。エホバはいわば,「わたしのもとに帰れ。そうすれば,わたしもあなた方のもとに帰ろう」と呼びかけておられるのです。(マラ 3:7)このことは,イエスが述べた放とう息子の例えで強調されています。―ルカ 15:11-32を読む。
放とう息子
13. 放とう息子に関するイエスの例えにはどんな意味がありますか。
13 放とう息子に関するイエスの例えにはどんな意味があるか。この例えの同情心に富む父親は,愛のある天の父エホバを表わしています。父親に相続財産を要求してそれを乱費した息子は,会衆から迷い出た人たちを表わします。その人たちが会衆を離れるのは,エホバから疎外されたサタンの世という「遠い土地」に旅行に出るようなものです。(エフェ 4:18。コロ 1:21)しかし中には,後に本心に立ち返り,大きな努力を払ってエホバの組織に戻る人もいます。それら悔い改めた謙遜な人たちは,快く許す父エホバに温かく迎え入れられます。―イザ 44:22。ペテ一 2:25。
14. イエスが放とう息子の例えを述べたのはなぜですか。
14 イエスがこの例えを述べたのはなぜか。イエスは心に訴えるこの例えを用いて,エホバが,迷い出た人たちにぜひ帰って来てほしいと願っておられることを示しました。例えに出てくる父親は,息子が帰って来るという望みを決して捨てず,息子の姿を見ると,「彼がまだ遠くにいる間に」すぐさま迎えに出ました。真理から離れた人たちの心を動かし,エホバのもとにすぐに戻りたいと感じさせる例えです。そのような人たちは霊的に疲れ切っているかもしれません。戻るのはきまりの悪いこと,難しいことに思えるかもしれません。しかし,戻る努力をする価値はあります。戻って来るとき,天には大きな喜びが生じるのです。―ルカ 15:7。
15,16. (イ)放とう息子に関するイエスの例えから,どんな教訓が得られますか。例を挙げてください。(ロ)この例えは,エホバとイエスについて何を教えていますか。
15 放とう息子の例えからどんな益が得られるか。わたしたちはエホバの手本に倣うべきです。罪を犯した人が悔い改めて戻って来たとき,「義に過ぎ」て迎え入れようとしない,ということが決してあってはなりません。それは霊的な「荒廃」を身に招くだけです。(伝 7:16)この例えから学べる教訓はほかにもあります。会衆を離れた人のことを,戻る見込みのない人と見るのではなく,「失われた羊」と見るべきです。(詩 119:176)もし,会衆から迷い出た人に会ったならどうしますか。エホバのもとに戻れるよう優しく実際的な助けを差し伸べますか。長老たちにすぐ知らせて,長老たちが適切な助けを与えることができるようにしますか。このイエスの例えの教訓を当てはめる人は,そうするでしょう。
16 現代版の放とう息子と言える人たちは,エホバの憐れみと,会衆の愛や支えに対する感謝をどのように言い表わしていますか。25年間排斥されていた一兄弟は,こう述べています。「復帰して,エホバからの『さわやかにする時期』を経験しました。それ以降,わたしの喜びは深まるばかりです。(使徒 3:19)皆さんからの強力な支えと愛があります。今わたしには,かけがえのない霊的家族がいます」。エホバから離れ,5年間迷い出ていた若い姉妹は,こう言います。「イエスが述べておられた愛が,はっきりわたしに示されているのが分かって,感動しました。エホバの組織の中にいられるのは素晴らしいことです」。
17,18. (イ)この記事で取り上げた3つの例えから,どんな実際的な教訓が得られましたか。(ロ)わたしたちは,これからも何を行なう必要がありますか。
17 この記事で取り上げた3つの例えから,どんな実際的な教訓が得られましたか。第一に,わたしたちは霊的成長をコントロールできない,ということを認める必要があります。成長させてくださるのはエホバです。第二に,わたしたちと交わっている人たちや研究生のすべてが真理の側に立つことを期待するのは,現実的ではありません。第三に,真理から離れ,エホバに背を向ける人がいるとしても,その人が戻って来るという希望を捨てるべきではありません。戻って来たなら,エホバの見方に倣って,その人を迎え入れましょう。
18 これからも,知識と理解と知恵を求め続けましょう。イエスの例えを読む時には,この例えにはどんな意味があるか,それが聖書に記されているのはなぜか,教訓をどのように当てはめることができるか,エホバとイエスについて何を学べるか,といったことを考えましょう。そうするなら,実際にイエスの言葉の意味をつかんでいることを示せるのです。
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