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  • 『彼の時はまだ来ていなかった』
    ものみの塔 2000 | 9月15日
    • 『彼の時はまだ来ていなかった』

      「彼に手をかけた者はいなかった。彼の時がまだ来ていなかったからである」。―ヨハネ 7:30。

      1 どんな二つの要素がイエスの行動を左右しましたか。

      「人の子(は),仕えてもらうためではなく,むしろ仕え,自分の魂を,多くの人と引き換える贖いとして与えるために来たの(です)」。イエス・キリストは,使徒たちにそのように語りました。(マタイ 20:28)ローマ総督ポンテオ・ピラトには,「真理について証しすること,このためにわたしは生まれ,このためにわたしは世に来ました」と言いました。(ヨハネ 18:37)イエスは,自分が死ぬべき理由,また死ぬ前にどんな業を行なうべきかを正確に知っていました。さらに,自分の使命を果たすための時間がどれほどあるかも知っていました。メシアとしての地上における宣教期間は,わずか3年半と定まっていました。それが始まったのは,ヨルダン川で水のバプテスマを受けた時(西暦29年),すなわち予告されていた象徴的な70週目の初めであり,終わったのは,その週の半ば,苦しみの杭の上で死を遂げた時です(西暦33年)。(ダニエル 9:24-27。マタイ 3:16,17; 20:17-19)ですから,地上でのイエスの全行動は,基本的に二つの要素に左右されていました。つまり,イエスの到来した目的,そして,時に関する鋭敏な感覚です。

      2 福音書の中でイエス・キリストはどのように描かれていますか。イエスは,自分の使命を意識していることをどのように示しましたか。

      2 福音書の記述は,イエス・キリストを行動の人として描いています。パレスチナの地のほうぼうを旅し,神の王国の良いたよりを宣明し,強力な業を数多く行ないました。イエスの活動的な宣教の早い時期には,イエスに関して,「彼の時がまだ来ていなかった」と述べられています。イエス自身も,「わたしの定めの時はまだ満ちていない」と語ったことがあります。宣教が終わろうとしていたころには,「時が来ました」という言い方をしました。(ヨハネ 7:8,30; 12:23)イエスは,犠牲の死を含め,割り当てられた業のための時またはころあいを意識しており,そのことがイエスの語ったことや行なった事柄に影響を与えていたに違いありません。この点を理解するなら,イエスの人となり,および思考のパターンを洞察することができ,なおいっそう『イエスの歩みに付いてゆく』ための助けにもなります。―ペテロ第一 2:21。

      神のご意志を行なう決意

      3,4 (イ)カナにおける婚宴でどんなことが起きますか。(ロ)ぶどう酒が足りないので何とかするようにというマリアの提案に,神のみ子が異議を述べるのはなぜですか。このことから何を学べますか。

      3 それは西暦29年のことです。イエスが最初の弟子たちを自ら選び出してから,まだ幾日もたっていません。その弟子たちは皆,ある婚宴に出席するため,ガリラヤ地域のカナという村に来ています。イエスの母,マリアもそこにいます。ぶどう酒が足りなくなります。マリアは,何とかするようにと促し,「彼らにはぶどう酒がありません」と息子に言います。しかしイエスは,「婦人よ,わたしはあなたとどんなかかわりがあるのでしょうか。わたしの時はまだ来ていません」と答えます。―ヨハネ 1:35-51; 2:1-4。

      4 「婦人よ,わたしはあなたとどんなかかわりがあるのでしょうか」というイエスの返答は,示唆または提案された事柄に対する異議を表明する,古代の質問の形式です。マリアの言葉にイエスが異議を述べたのはなぜでしょうか。イエスは,すでに30歳になっています。ほんの数週間前,イエスはバプテスマを受け,聖霊で油そそがれ,バプテスマを施す人ヨハネから,「世の罪を取り去る,神の子羊」として紹介されました。(ヨハネ 1:29-34。ルカ 3:21-23)今やイエスに対する指示は,イエスを遣わした至上の権威者から来るのが当然でした。(コリント第一 11:3)だれも,たとえ近親の家族であっても,イエスが地に来て行なおうとしていた業を妨げてよいはずはありません。マリアに対するイエスの答えには,み父のご意志を行なおうとすることに対する確固とした決意が表わされています。わたしたちも,神に対する「務めのすべて」を果たす点で,同様の決意を抱けますように。―伝道の書 12:13。

      5 イエス・キリストは,カナでどんな奇跡を行ないますか。それは他の人々にどんな影響を与えますか。

      5 マリアは,息子の言葉の要点をつかみ,すぐに身を引きます。そして給仕たちに,「彼があなた方に言うことは,何でもしてください」と伝えます。次いでイエスは,その場の問題を解決します。かめに水を満たすよう給仕たちに求めます。そして,その水を極上のぶどう酒に変えます。このことは,奇跡を起こすイエスの力を初めて示すものとして行なわれ,神の霊がイエスに注がれているしるしとなります。弟子になって間もなかった人たちは,この奇跡を見て,信仰が強められます。―ヨハネ 2:5-11。

      エホバの家に対して熱心

      6 エルサレムの神殿で目にした事柄にイエスが憤然とするのはなぜですか。イエスはどんな行動を取りますか。

      6 やがて西暦30年の春になります。イエスとその一行は,過ぎ越しを守り行なうためエルサレムに向かっています。そこに着いてからでしたが,弟子たちは,自分たちの指導者が,おそらくそれまでは見せたことのなかったような仕方で行動するのを見ます。ユダヤ人の貪欲な商人たちは,犠牲用の動物や鳥を,神殿のただ中で売っています。しかも,ユダヤ人の忠実な崇拝者たちに,法外な値段を吹きかけています。イエスは,義憤に駆られて行動に出ます。縄でむちを作り,売り手たちを追い出します。両替屋の硬貨をまき散らし,その台を倒します。そして,はとを売っている者たちに,「これらの物をここから持って行きなさい!」と命じます。イエスがそのような熱情をもって行動するのを見た弟子たちは,「あなたの家に対する熱心がわたしを食い尽くすであろう」という,神のみ子に関する預言を思い出します。(ヨハネ 2:13-17。詩編 69:9)わたしたちも,自分たちの崇拝が世の傾向に汚されないよう用心する点で熱心さを示さなければなりません。

      7 (イ)何がきっかけでニコデモはメシアを訪ねますか。(ロ)イエスがサマリア人の女性に証言したことから何を学べますか。

      7 イエスは,エルサレムにいる間に驚くべきしるしを行ない,多くの人がイエスに信仰を置きます。サンヘドリン,つまりユダヤ人の高等法廷の成員であるニコデモも,イエスに感銘を受け,もっと多くのことを知ろうと,夜間にイエスを訪ねます。次いで,イエスとその弟子たちは,約8か月のあいだ「ユダヤ地方」にとどまり,宣べ伝え,人々を弟子とします。しかし,バプテスマを施す人ヨハネが投獄されると,ユダヤを離れてガリラヤに向かいます。一行がサマリア地域を通る際,イエスは機会をとらえて,ひとりのサマリア人の女性に徹底的な証言をします。これによって,多くのサマリア人が信者になる道が開かれます。わたしたちも,神の王国について話す機会に目ざとくありましょう。―ヨハネ 2:23; 3:1-22; 4:1-42。マルコ 1:14。

      ガリラヤで大々的に教える

      8 イエスはガリラヤでどんな業を開始されますか。

      8 イエスには,自分の死の「時」の前に,天の父への奉仕において行なうべきことがたくさんあります。イエスはガリラヤで,ユダヤとエルサレムにおけるよりも大々的な宣教を開始します。イエスは,「ガリラヤの全土をあまねく巡り,諸会堂で教え,王国の良いたよりを宣べ伝え,民の中のあらゆる疾患とあらゆる病を治され」ます。(マタイ 4:23)「あなた方は悔い改めなさい。天の王国は近づいたからです」という,行動を促す言葉がその地域全体に響き渡ります。(マタイ 4:17)その何か月かのち,バプテスマを施す人ヨハネの弟子のうち二人が,イエスについてじかに情報を得るために訪ねて来た時,イエスはその二人にこう語ります。「行って,あなた方が見聞きしたことをヨハネに報告しなさい。盲人は見えるようになり,足なえの人は歩き,らい病の人は清められ,耳の聞こえなかった人は聞き,死人はよみがえらされ,貧しい人々には良いたよりが告げられています。それで,わたしにつまずかなかった人は幸いです」。―ルカ 7:22,23。

      9 群衆がキリスト・イエスのもとに集まるのはなぜですか。このことからどんな教訓が得られますか。

      9 『イエスの評判は周囲の全地方にあまねく広まり』,大群衆が,ガリラヤ,デカポリス,エルサレム,ユダヤ,またヨルダン川の向こう側からイエスのもとに集まります。(ルカ 4:14,15。マタイ 4:24,25)人々がイエスのもとに来るのは,奇跡的ないやしのためだけでなく,驚嘆すべき教えのためでもあります。イエスが携える音信は,人に訴えるものがあり,励みを与えるものでした。(マタイ 5:1–7:27)イエスの言葉は,人を引きつける,喜ばしいものです。(ルカ 4:22)群衆は,「その教え方に驚き入(り)」ます。権威をもって,聖書から話すからです。(マタイ 7:28,29。ルカ 4:32)そのような人には,だれもが引き寄せられるのではないでしょうか。心の正直な人々が真理に引き寄せられるよう,わたしたちも教える技術を向上させることができますように。

      10 ナザレの町の人々がイエスを殺そうとするのはなぜですか。それを達成できないのはなぜですか。

      10 とはいえ,イエスの話を聞く人がみな快く応じるわけではありません。イエスが宣教を始めて間もないころにも,郷里ナザレの会堂で教えていた時,その殺害が企てられます。その町の人々は,イエスの「人を引きつける言葉」に驚嘆しながらも,奇跡を見たがります。イエスは,その場所で多くの強力な業を行なったりはせず,むしろその人々の利己的な態度と信仰の欠如を暴きます。会堂にいた人たちは怒りでいっぱいになり,立ち上がってイエスを捕らえ,山腹へとせき立てます。がけからさかさに投げ落とそうとしてです。しかし,イエスはその人たちの手を逃れ,何事もなく抜け出て行きます。死の「時」は,まだ来ていなかったのです。―ルカ 4:16-30。

      11 (イ)一部の宗教指導者たちは,何のためにイエスの話を聞きに来ますか。(ロ)安息日を破っているとしてイエスが非難されるのはなぜですか。

      11 宗教指導者,すなわち書士,パリサイ人,サドカイ人,その他の人々も,イエスが宣べ伝える場にしばしば居合わせます。その多くは,聴いて学ぶためではなく,あら探しをしてイエスをわなにかけるためにその場にいます。(マタイ 12:38; 16:1。ルカ 5:17; 6:1,2)例えば,西暦31年の過ぎ越しのためにエルサレムを訪れていたイエスは,38年のあいだ病気だった人を治します。ユダヤ人の宗教指導者たちは,イエスが安息日を破っていると非難します。イエスはこう答えます。「わたしの父はずっと今まで働いてこられました。ですからわたしも働きつづけるのです」。するとユダヤ人は,イエスに冒とくの責めを負わせます。神を父と呼んで,自分を神の子と称した,というのです。ユダヤ人はイエスを殺そうとしますが,イエスと弟子たちはエルサレムを離れてガリラヤに向かいます。同様に,わたしたちの場合も,反対者と不必要に対決したりせず,王国を宣べ伝え,弟子を作る業に精力を注ぐのが賢明です。―ヨハネ 5:1-18; 6:1。

      12 イエスは,ガリラヤの区域をどれほど大規模に網羅しますか。

      12 その後の1年半ほど,イエスはおもにガリラヤで宣教活動に携わります。エルサレムを訪ねるのは,ユダヤ人の年ごとの三つの祭りに出る時だけです。イエスは全部で3回,ガリラヤで伝道旅行をしています。1回目は,4人の新しい弟子たちと,2回目は十二使徒たちとです。そして,訓練を受けた使徒たちの派遣も行なわれた,より大掛かりな伝道旅行があります。ガリラヤで,真理に関して何と大々的な証しがなされたのでしょう。―マタイ 4:18-25。ルカ 8:1-3; 9:1-6。

      ユダヤとペレアで勇気をもって証言する

      13,14 (イ)ユダヤ人たちは,どんな折にイエスを捕まえようとしますか。(ロ)下役たちがイエスを捕縛できないのはなぜですか。

      13 西暦32年の秋になります。イエスの「時」は,まだ先です。幕屋の祭りが近づいています。そのためイエスの異父兄弟たちは,「ここから進んで行ってユダヤに入りなさい」と勧めます。奇跡を起こす力を,祭りのためエルサレムに集まる人々すべてに示してほしいと思っているのです。しかし,イエスは危険に気づいています。それで兄弟たちに,「わたしはまだこの祭りには上って行きません。わたしの定めの時はまだ満ちていないからです」と言われます。―ヨハネ 7:1-8。

      14 イエスは,ガリラヤにしばらくとどまってから,「表だってではなく,忍ぶようにして」エルサレムに上って行きます。実際ユダヤ人たちは,祭りの際にイエスを捜し,「あの人はどこにいるのか」と言います。祭りが半ばを過ぎた時,イエスは神殿に入って行き,勇気ある態度で教えはじめます。人々はイエスを捕まえようとします。多分,獄に入れるか,殺すかしようとしてのことでしょう。しかし,うまくゆきません。「彼の時がまだ来ていな(い)」からです。今や大勢の人がイエスに信仰を持ちます。イエスを捕まえるためにパリサイ人たちが遣わした下役たちでさえ,むなし手で戻り,「あのように話した人はいまだかつてありません」と言います。―ヨハネ 7:9-14,30-46。

      15 ユダヤ人たちが,石を拾ってイエスに投げつけようとするのはなぜですか。イエスは次にどんな伝道活動を開始しますか。

      15 その祭りのとき,イエスが神殿でみ父について教える間も,イエスとユダヤ人の反対者たちとの衝突は続きます。祭りの最終日,ユダヤ人たちは,人間になる以前から存在していたというイエスの言葉に激怒し,石を拾ってイエスに投げつけようとします。しかし,イエスは身を隠し,害を被らずにその場を逃れます。(ヨハネ 8:12-59)イエスは,エルサレムの外にとどまって,ユダヤにおける集中的な証言活動を始めます。70人の弟子を選び出し,指示を与えてから,二人ずつ組にして区域での活動に遣わします。弟子たちは,イエスが使徒を伴って赴こうとしていたすべての都市や場所に,先立って出かけてゆきます。―ルカ 10:1-24。

      16 イエスは献納の祭りの際にどんな危険から逃れますか。それから再びどんな業に励みますか。

      16 西暦32年の冬,イエスの「時」はさらに近づいています。イエスは,献納の祭りのためエルサレムに来ます。ユダヤ人たちは,依然イエスを殺そうとしています。イエスが神殿の柱廊を歩いていると,ユダヤ人たちはイエスを取り囲みます。このたびも冒とくの責めを負わせ,石を拾ってイエスを殺そうとします。しかし,それまでと同じように,イエスはその場を逃れます。ほどなくしてイエスは旅路につき,今回は,ユダヤからヨルダン川を渡った側のペレア地域で,都市から都市,村から村へと教えてゆきます。そして,多くの人がイエスに信仰を持ちます。しかし,イエスは愛する友ラザロについての急ぎの知らせを受けて,ユダヤに戻ります。―ルカ 13:33。ヨハネ 10:20-42。

      17 (イ)イエスはペレアで伝道していた時,どんな緊急な知らせを受けますか。(ロ)自分が取るべき行動の目的と,物事の適切な時をイエスが意識していたことは,どんなことから分かりますか。

      17 その緊急な知らせは,ユダヤのベタニヤに住む,ラザロの姉妹マルタとマリアからのものです。「主よ,ご覧ください,あなたが愛情を抱いてくださる者が病気です」と,使いの者は言います。イエスは,「この病気は死のためのものではなく,神の栄光のため,神の子がそれによって栄光を受けるためのものです」と答えます。その目的を達成するため,イエスはあえてその場所になお二日とどまります。それから,「もう一度ユダヤへ行きましょう」と弟子たちに言われます。弟子たちは,いぶかるように,「ラビ,つい最近ユダ人たちはあなたを石打ちにしようとしたばかりですのに,またそこへおいでになるのですか」と応じます。しかしイエスは,『日中の時間』,つまり地上での宣教のために神から配分された時間が残り少ないことを意識しています。自分が何をしなければならないかを,またその理由を正確に知っているのです。―ヨハネ 11:1-10。

      だれも無視できない奇跡

      18 イエスがベタニヤに来ると,そこではどんな状況が見られますか。イエスが来てからどんなことが起きますか。

      18 ベタニヤで,イエスを最初に出迎えるのはマルタです。「主よ,もしここにいてくださったなら,わたしの兄弟は死ななかったことでしょう」と言います。マリアと,その家に来ていた人たちがそのあとに出て来ます。だれもが泣き悲しんでいます。「あなた方は彼をどこに横たえたのですか」とイエスは尋ねます。人々は,「主よ,おいでになって,ご覧ください」と答えます。一同が記念の墓 ― 洞くつで,開口部に石が立てかけられていた ― に来ると,イエスは,「石を取りのけなさい」と言われます。マルタは,イエスが何をするつもりなのかが分からず,言い返すようにして,「主よ,もう臭くなっているに違いありません。四日になりますから」と述べます。しかし,イエスは,「信じるなら神の栄光を見るでしょうと,わたしは言いませんでしたか」と問い返します。―ヨハネ 11:17-40。

      19 ラザロを復活させる前にイエスが人前で祈るのはなぜですか。

      19 ラザロの墓の入口をふさいでいる石が取りのけられると,イエスは声を出して祈ります。自分が行なおうとしている事柄が神の力によって成し遂げられる,ということを人々が知るためです。それから大声で,「ラザロよ,さあ,出て来なさい!」と叫びます。ラザロが出て来ます。両手と両足は埋葬用の巻き布を巻かれたままで,顔も布で覆われています。「彼を解いて,行かせなさい」と,イエスは言われます。―ヨハネ 11:41-44。

      20 イエスがラザロを復活させるのを見た人々は,どのように反応しますか。

      20 この奇跡を見て,マルタとマリアを慰めに来ていたユダヤ人の多くがイエスに信仰を持ちます。起きた事柄をパリサイ人に知らせに行く者たちもいます。どんな反応を示すでしょうか。パリサイ人と祭司長たちは直ちに,サンヘドリンの緊急会議を招集します。彼らは慌てふためき,こう嘆きます。「この人が多くのしるしを行なうのだが,我々はどうすべきだろうか。彼をこのままほっておけば,みんなが彼に信仰を持つだろう。そして,ローマ人たちがやって来て,我々の場所も国民も奪い去ってしまうだろう」。しかし,大祭司カヤファはこう言います。「あなた方は……一人の人が民のために死んで国民全体の滅ぼされないほうがあなた方の益になる,ということをよく考えていないのだ」。こうして,彼らはその日以来,イエスを殺そうとして相談します。―ヨハネ 11:45-53。

      21 ラザロの復活の奇跡は,何を示すものですか。

      21 ですからイエスは,ベタニヤへの到着を遅らせることによって,だれも無視できない奇跡を行なうことができました。イエスは,神からの力によって,4日間死んでいた人を復活させます。威信を誇るサンヘドリンでさえ,奇跡を行なうこの人を見過ごすことができず,ついに死刑を宣告したのです。こうしてこの奇跡は,イエスの宣教活動が重要な変わり目に来ていることを示すものとなりました。「彼の時がまだ来ていなかった」という期間から,「時が来ました」という時期への移行です。

  • 「時刻が来ました!」
    ものみの塔 2000 | 9月15日
    • 「時刻が来ました!」

      「自分がこの世を出て父のもとに行くべき時が来た」。―ヨハネ 13:1。

      1 西暦33年の過ぎ越しが近づくにつれ,エルサレムはどんな憶測で持ち切りになりますか。それはなぜですか。

      イエスは,西暦29年にバプテスマを受けたとき,自分の死と復活と栄光の「時」に至る道に乗り出しました。今は,西暦33年の春です。ユダヤ人の高等法廷サンヘドリンがイエスを殺そうとして相談したのは,ほんの数週間前のことです。イエスは,そうした計画があることを,サンヘドリンの一員で,友好的なニコデモから知らされたのでしょう。エルサレムを離れて,すでにヨルダン川の向こうの田舎に移っています。過ぎ越しの祭りが近くなると,多くの人が地方からエルサレムに向かいます。その都では,イエスについての憶測が飛び交っていました。人々は互いに,「あなた方の意見はどうだ。彼は祭りには全く来ないと思うか」と尋ね合っています。祭司長とパリサイ人が,イエスを見かけた者はその居場所を通報せよとの命令を発したこともあり,人々は興味津々です。―ヨハネ 11:47-57。

      2 マリアのどんな行為が論争を引き起こしますか。イエスがマリアを弁護して述べた事柄から,『ご自分の時』についてどんな意識を持っていたことが読み取れますか。

      2 過ぎ越しの6日前に当たるニサン8日,イエスはエルサレムの近辺に戻っています。イエスはベタニヤに来ます。愛する友人,マルタ,マリア,ラザロの住む町であり,エルサレムの外れ約3㌔のところです。今は金曜日の晩で,イエスはそこで安息日を過ごします。次の晩,マリアが高価な香油を用いてイエスに仕えていると,弟子たちはそれに異議を唱えます。イエスはこう答えます。「彼女をそのままにしておきなさい。わたしの埋葬の日を見越して彼女がこの習わしを守れるようにするためです。あなた方にとって,貧しい人たちは常にいますが,わたしは常にはいないからです」。(ヨハネ 12:1-8。マタイ 26:6-13)イエスは,「自分がこの世を出て父のもとに行くべき時が来たこと」を知っています。(ヨハネ 13:1)あと5日で,「自分の魂を,多くの人と引き換える贖いとして与える」ことになるのです。(マルコ 10:45)それ以降,ある種の緊迫感が,イエスの行ない,教えるすべてのことに反映されます。この事物の体制の終わりを切に待ち望むわたしたちにとって,何と優れた手本でしょう。イエスについて,その翌日に起きた事柄を考えてみましょう。

      イエスの勝利の入城の日

      3 (イ)ニサン9日,日曜日,イエスはどのようにしてエルサレムに入りますか。イエスの周りのほとんどの人は,どのように反応しますか。(ロ)群衆について苦情を述べたパリサイ人に,イエスはどのように答えますか。

      3 ニサン9日,日曜日,イエスは勝利を得た者のようにしてエルサレムに来ます。ゼカリヤ 9章9節の成就として,子ろばに乗って都に近づくと,イエスの周りに集まって来たほとんどの人が,自分の外衣を道路に敷きます。木の枝を切り落としてそれを敷く人たちもいます。「エホバのみ名によって王として来るのは祝福された者!」と,群衆は叫びます。群衆の中にいた幾人かのパリサイ人たちは,イエスに弟子たちを叱ってほしいと思います。しかし,イエスはこう答えます。「あなた方に言いますが,もしこれらの者が黙っているなら,石が叫ぶでしょう」。―ルカ 19:38-40。マタイ 21:6-9。

      4 イエスがエルサレムに入ると市が騒ぎ立つのはなぜですか。

      4 群衆の中には,ほんの数週間前にイエスがラザロを復活させるのを見ていた人もいます。それで,その奇跡について他の人たちに告げてゆきます。そのため,イエスがエルサレムに入ると,市全体が騒ぎ立ちます。「これはだれなのか」と人々は尋ねます。群衆は,「これは預言者イエス,ガリラヤのナザレから来た方だ!」と語ってゆきます。起きている事柄を見て,パリサイ人たちは,「世は彼に付いて行ってしまった」と嘆きます。―マタイ 21:10,11。ヨハネ 12:17-19。

      5 イエスが神殿に行くと,どんなことが起きますか。

      5 偉大な教え手であるイエスは,エルサレムを訪ねる時のいつもの習慣どおり,神殿に行って人々を教えます。そこへ盲人や足のなえた人がやって来ると,その人たちを治します。祭司長と書士たちは,これを見,また神殿の中で少年たちが,「救いたまえ,ダビデの子を!」と叫んでいるのを聞いて怒りだします。「これらの者たちの言っていることが聞こえるか」と抗議します。イエスは,「はい。あなた方は,『みどりごや乳飲み子の口から,あなたは賛美を備えられた』とあるのを読んだことがないのですか」と答えます。イエスは教え続け,神殿内で行なわれている事柄を念入りに見てゆきます。―マタイ 21:15,16。マルコ 11:11。

      6 イエスの今回の対応は,以前とどのように異なっていますか。それはなぜですか。

      6 イエスの今回の対応は,6か月前と何と大きく異なっているのでしょう。幕屋の祭りのためエルサレムに入った時には,「表だってではなく,忍ぶようにして」そうしました。(ヨハネ 7:10)そして,命が危険にさらされた時にはいつでも安全に逃げられるようにしていました。ですが今,自分を捕らえるようにという命令の発せられている都市に表だって入ってゆくのです。さらに,自分をメシアとして宣伝することはイエスがそれまでしてきたことではありませんでした。(イザヤ 42:2。マルコ 1:40-44)自分のことが騒々しく宣伝されることや,ゆがんだうわさが口伝えに広まるのを望んでいませんでした。群衆はいま,イエスが王であり,救い主,メシアである,と言い広めています。しかもイエスは,群衆を黙らせるようにという宗教指導者たちの求めをきっぱり退けます。なぜ変わったのでしょうか。その翌日にイエスが述べたとおり,「人の子が栄光を受けるべき時が来(た)」からです。―ヨハネ 12:23。

      大胆な行動 ― そして,命の救いにかかわる教え

      7,8 西暦33年ニサン10日のイエスの行動は,西暦30年の過ぎ越しの時に神殿の中で行なった事柄とどのように対比できますか。

      7 ニサン10日,月曜日,イエスは,神殿に到着するとすぐ,前日の午後に目にした事柄にしたがって行動されます。『神殿で売り買いしていた者たちを追い出し始め,両替屋の台と,はとを売っている者たちの腰掛けを倒されます。そして,神殿の中を通って器物を運ぶことをだれにも許そうとしません』。イエスはそれら悪行者たちを罪に定め,きっぱりこう言います。「『わたしの家はあらゆる国民のための祈りの家と呼ばれるであろう』と書いてあるではありませんか。それなのに,あなた方はそれを強盗の洞くつとしました」。―マルコ 11:15-17。

      8 イエスの行動は,3年前,西暦30年の過ぎ越しの際に神殿を訪れた時に行なった事柄を想起させます。しかし,このたびの糾弾はさらに痛烈です。神殿の中にいた商人たちは今回,「強盗」と呼ばれています。(ルカ 19:45,46。ヨハネ 2:13-16)それは,犠牲のための動物を買わなければならない人々に法外な値を要求しているからです。祭司長,書士たち,民の主立った人々は,イエスの行なっている事柄について聞くと,イエスを死に至らせる方法を改めて探るようになります。それでも,どのようにしてイエスを除き去るかを決めかねます。民がみなイエスの教えに驚き入り,その語ることを聞こうとして,ずっと付きまとっているからです。―マルコ 11:18。ルカ 19:47,48。

      9 イエスはどんな教訓を与えますか。神殿で話を聴く人たちにどんな招きを差し伸べますか。

      9 イエスは神殿で教え続け,「人の子が栄光を受けるべき時が来ました」と,はっきり言われます。人間として生きるのは,あと数日だけであることを知っているのです。イエスは,一粒の小麦が実を結ぶには死ななければならないこと,すなわち,自分自身が死んで他の人々に永遠の命を与える手だてになることについて述べてから,聴いている人たちに次の招きを差し伸べます。「だれでもわたしに仕えようとするなら,その人はわたしの後に従いなさい。そうすれば,わたしのいる所,そこに,わたしに仕える者もいることになります。だれでもわたしに仕えようとするなら,父はその人を尊ばれます」。―ヨハネ 12:23-26。

      10 イエスは,前途にある苦痛の死をどのように受け止めますか。

      10 わずか4日後に控えた苦痛の死のことを考えて,イエスは言葉を続けます。「今わたしの魂は騒ぎます。何と言えばよいのでしょう。父よ,わたしをこの時から救い出してください」。しかし,イエスの前途にあるものを避けることはできません。「しかしやはり,わたしはこのゆえにこの時に至ったのです」とイエスは言います。実際イエスは,神の取り決めすべてに同意しています。犠牲の死を遂げるまで,神の意志によって自分の行動を律することを思い定めているのです。(ヨハネ 12:27)神の意志に全面的に服するという点で,何とりっぱな手本なのでしょう。

      11 天からの声を聞いたばかりの群衆に,イエスはどんな教えを与えますか。

      11 イエスは,自分の死によって,み父の名声がどうなるかを深く気にかけています。それで,「父よ,み名の栄光をお示しください」と祈ります。すると,天からの声が,「わたしはすでにその栄光を示し,さらにまたその栄光を示す」という宣言を発し,神殿に集まっていた群衆は驚きます。偉大な教え手は,この機会を活用して,その声が聞こえたのはなぜか,自分の死によって何がなされるか,信仰を働かせるべきなのはなぜかを,群衆に話して聞かせます。(ヨハネ 12:28-36)この二日間は,イエスにとってまさに行動に満ちていました。しかし,きわめて重要な一日は,まだ先です。

      糾弾の日

      12 ニサン11日,火曜日,宗教指導者たちはどのようにしてイエスをわなにかけようとしますか。どんな結果になりますか。

      12 ニサン11日,火曜日,イエスは再び神殿に入って行って教えます。敵対的な聴衆が待ち構えています。祭司長と民の年長者たちは,前日にイエスが取った行動についてこのように尋ねます。「どんな権威でこうしたことをするのか。そして,だれがあなたにこの権威を与えたのか」。優れた教師の答えに,彼らはたじたじとなります。次いでイエスは,反対者たちの邪悪さを暴く,生き生きとした三つの例えを話します。二つはぶどう園について,一つは婚宴についての例えです。宗教指導者たちは,聞いた事柄に怒り,イエスを捕らえようとします。しかし,イエスを預言者とみなしている群衆を恐れます。それで,イエスを陥れて,捕縛させる口実となることを何か言わせようとします。しかし,イエスの答えはどれも,その者たちを沈黙させます。―マタイ 21:23–22:46。

      13 イエスは,書士やパリサイ人に関連して,聴き手にどんな忠告をしますか。

      13 書士やパリサイ人は,神の律法を教えていると唱えます。そのためイエスは,自分の言葉を聴いている人たちに,このように促します。「彼らがあなた方に告げることはみな行ない,また守りなさい。しかし,その行ないに倣ってはなりません。彼らは言いはしますが,実行しないからです」。(マタイ 23:1-3)公然となされた,何と強力な糾弾でしょう。しかし,イエスはそれをもって終わりとするわけではありません。今日は,神殿に来る最後の日であり,イエスはその人々を暴く言葉を大胆に語ってゆきます。次々と,さながら響き渡る雷鳴のようにです。

      14,15 イエスは書士とパリサイ人に対して,容赦ないどんな糾弾の言葉を語りますか。

      14 「偽善者なる書士とパリサイ人たち,あなた方は災いです!」と,イエスは6回言明します。それは,イエスが述べるとおり,人の前で天の王国を閉ざし,入る途中の者が入ることも許さないからです。これら偽善者は,一人の改宗者を作るために海と陸を行き巡りますが,結局は,その人をとこしえの滅びを被る人とするのです。また,「律法のより重大な事柄,すなわち公正と憐れみと忠実」を無視していながら,什一の支払いのほうは大いに重んじます。言ってみれば,「杯と皿の外側は清めますが,その内側は強奪と節度のなさとに満ちて」います。表向きは信心深げですが,内面の腐れや腐敗が覆い隠されているのです。さらに,この人たちはいそいそと預言者たちの墓を建て,それを飾りつけて,自分の慈善の行為に注意を引きます。その実,自らは「預言者たちを殺害した者たちの子」なのです。―マタイ 23:13-15,23-31。

      15 イエスは,反対者たちが霊的価値観に欠けていることをとがめ,「盲目の案内人よ,あなた方は災いです」と言われます。道徳的に盲目であるというのは,神殿の金を,その崇拝の場所の霊的な価値よりも重んじているからです。イエスは言葉を続けて,極めて強烈な糾弾を行ない,「蛇よ,まむしらの子孫よ,どうしてあなた方はゲヘナの裁きを逃れられるでしょうか」と言われます。邪悪な歩みを続けているために,その人々が永遠の滅びを被る,ということをイエスは述べているのです。(マタイ 23:16-22,33)偽りの宗教を暴くことが関係しているとしても,わたしたちも勇気を示して王国の音信をふれ告げることができますように。

      16 オリーブ山の上で座っていたとき,イエスは弟子たちにどんな重要な預言を語りますか。

      16 イエスは,これで神殿をあとにします。午後の日が傾く中,イエスと使徒たちはオリーブ山に登ります。その山の上で座っていたとき,イエスは,神殿の滅びに関する預言をし,ご自分の臨在および事物の体制の終結に関するしるしを与えます。この預言の言葉の意味する事柄は,わたしたちの時代にまで及びます。その晩,イエスは弟子たちにこのようにも言われます。「あなた方の知っているとおり,今から二日後には過ぎ越しが行なわれます。そして,人の子は杭につけられるために引き渡されるのです」。―マタイ 24:1-14; 26:1,2。

      イエスは『ご自分の者たちを最後まで愛される』

      17 (イ)ニサン14日の過ぎ越しの間に,イエスは12人にどんな教訓を与えますか。(ロ)ユダ・イスカリオテを去らせた後,イエスは記念のためのどんなものを制定しますか。

      17 続く二日間 ― ニサン12日と13日 ― イエスは神殿で人前に出ることはされません。宗教指導者たちがイエスを殺そうとしており,イエスは,使徒たちと一緒に過ぎ越しを祝うことをどんなものにも妨げられたくないのです。木曜日に日が沈むと共に,ニサン14日が始まります。イエスが人間として地上で過ごす最後の日です。その晩,イエスと使徒たちは,エルサレムのある家に一緒にいます。そこでは,過ぎ越しを祝うための準備が整っています。過ぎ越しの食事を共にしていた時,イエスはそれら12人の足を洗って,謙遜さに関する印象的な教訓を与えます。ユダ・イスカリオテを去らせた後,イエスは,ご自分の死の記念の式を新たなものとして始めます。ユダは,自分の主人を銀30枚で裏切って渡すことにすでに同意しており,モーセの律法によれば,それは奴隷一人の価にすぎません。―出エジプト記 21:32。マタイ 26:14,15,26-29。ヨハネ 13:2-30。

      18 イエスは愛のうちに,11人の忠実な使徒たちに,さらにどんな教えを授けますか。自分がいまや去って行くことに対して,残される使徒たちに,どのように備えをさせますか。

      18 記念式が創始された後に,使徒たちは,自分たちのうちでだれが一番偉いかをめぐって激しい口論を始めます。イエスは,使徒たちを叱りつけるのではなく,他の人に仕えることの価値を辛抱強く教えます。そして,自分の試練のあいだ使徒たちが堅く付き従ってきたことを認め,それらの人と王国のための個人的な契約を結びます。(ルカ 22:24-30)イエスはまた,自分が使徒たちを愛したとおりに互いに愛し合うように命じます。(ヨハネ 13:34)イエスは,なおその部屋にとどまっている間に,自分がいまや去って行くことに対して,残される使徒たちに,愛のうちに備えをさせます。使徒たちを友とみなしていることを確信させ,信仰を働かせるよう励まし,聖霊による助けを約束します。(ヨハネ 14:1-17; 15:15)その家を出る前に,イエスはみ父にこう請願します。「時は来ました。あなたの子の栄光を表わしてください。子があなたの栄光を表わすためです」。確かにイエスは,自分が去って行くことに対して使徒たちに備えをさせ,まさしく『ご自分の者たちを最後まで愛され』ます。―ヨハネ 13:1; 17:1。

      19 イエスがゲッセマネの園で苦悶するのはなぜですか。

      19 イエスと11人の忠実な使徒たちがゲッセマネの園に着いたのは,真夜中をかなり過ぎたころであったでしょう。イエスは,使徒たちとよくそこに行っていました。(ヨハネ 18:1,2)あと何時間かで,イエスは,卑しむべき犯罪者であるかのようにして死ぬことになります。そのような事態が予想され,それがみ父の恥辱になるかもしれないことを考えて,イエスは祈りながら大いに苦悶し,汗が血の滴りのようになって地面に落ちます。(ルカ 22:41-44)イエスは使徒たちに言います。「時刻が来ました!……見よ,わたしを裏切る者が近づいて来ました」。イエスがまだ話しているうちに,ユダ・イスカリオテが近づいて来ます。たいまつやともしびや武器を手にした大勢の群衆が一緒です。イエスを捕縛しに来たのです。イエスは抵抗しません。「そのようにしたなら,必ずこうなると述べる聖書はどうして成就するでしょうか」と説明します。―マルコ 14:41-43。マタイ 26:48-54。

      人の子は栄光を受ける!

      20 (イ)イエスは捕縛後,どんな残虐な扱いを受けますか。(ロ)イエスが死を遂げる直前に,「成し遂げられた!」と叫ぶのはなぜですか。

      20 イエスは捕縛された後,偽証をする者たちに訴えられ,偏見を持つ裁き人たちによって有罪とされ,ポンテオ・ピラトによって刑を宣告され,祭司たちや民衆の嘲笑を受け,兵士たちによってあざけられ,痛めつけられました。(マルコ 14:53-65; 15:1,15。ヨハネ 19:1-3)金曜日の正午ごろには,イエスは苦しみの杭にくぎづけにされます。くぎの刺し通された手足が体の重みで裂け,痛みは激しくなります。(ヨハネ 19:17,18)午後3時ごろ,イエスは「成し遂げられた!」と叫びます。そうです,イエスは,地上に来て行なうべき事柄をすべてなし終えたのです。そして,ご自分の霊を神に託し,頭を垂れて亡くなります。(ヨハネ 19:28,30。マタイ 27:45,46。ルカ 23:46)それから3日目に,エホバはみ子を復活させます。(マルコ 16:1-6)復活から40日後,イエスは天に昇り,栄光を与えられます。―ヨハネ 17:5。使徒 1:3,9-12。フィリピ 2:8-11。

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