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み使いがマリアに現われるわたしの聖書物語の本
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第84話
み使いがマリアに現われる
このきれいな女の人はマリアです。マリアはイスラエル人で,ナザレという町に住んでいます。神は,マリアがとてもりっぱな人であることをよくご存じです。だから,み使いガブリエルをつかわして,話をおさせになったのです。ガブリエルはマリアに何を言いに来たのでしょうか。ではそれを調べてみましょう。
「大いに恵まれた者よ。エホバはあなたとともにいます」と,ガブリエルは言います。マリアはこの人を一度も見たことがなく,またなぜそう言うのかわからないので心配になります。でも,ガブリエルは,マリアの心配をすぐに静めてくれます。
『こわがることはありません,マリア。エホバはあなたのことをとても喜んでおられます。だから,あなたのためにすばらしい事をなさるのです。あなたはまもなく子供を産み,その子供をイエスと呼びます』と,ガブリエルは言います。
そして説明を続けます。『この子供は偉大な者となり,至高の神の子,と呼ばれます。エホバはその子を,ダビデが王であったように,王となさいます。でも,イエスは永遠の王になります。そして,その王国は終わることがありません!』
そこでマリアはたずねます。『どうしてそんなことがあるのでしょうか。わたくしは結こんさえしていませんのに。男の人とくらしたことがないのに,どうして子供を持てるのでしょうか』。
『神の力があなたに臨むのです。ですからその子は神の子と呼ばれます』と,ガブリエルは答え,つぎにこう言います。『あなたの親族エリサベツのことを思い出してください。年を取りすぎているから子供は産まれない,と人々は言っていました。でも,もうすぐ子を産みます。神にできないことは一つもないのです』。
マリアはすぐに言います。『わたくしはエホバのどれい女です。おっしゃったとおりのことが,わたくしの身に起きますように』。するとみ使いは去ります。
マリアは急いでエリサベツのところに行きます。エリサベツがマリアの声を聞くと,エリサベツのおなかの中の子は,喜んでおどります。エリサベツは神の霊に満たされ,マリアに言います。『あなたは女のうちで,特別に祝福された人です』。マリアは三月ほどエリサベツとともに過ごし,それからナザレの家にもどります。
マリアは,ヨセフという人とまもなく結こんするところです。でもヨセフは,マリアに子供が産まれると知って,自分はマリアと結こんすべきではない,と考えます。そこで神のみ使いはヨセフに言います。『マリアを妻にすることをおそれてはなりません。マリアに子をさずけたのは神です』。そこでマリアとヨセフは結こんし,イエスが生まれるのを待ちます。
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イエスは家畜小屋で生まれるわたしの聖書物語の本
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第85話
イエスは家畜小屋で生まれる
このかわいい赤ちゃんはだれでしょう。そうです,イエスです。家畜小屋で生まれたのです。家畜小屋というのは,動物を入れておくところです。マリアは今イエスをかい葉おけにねかせようとしています。かい葉おけは,ろばやほかの動物のえさを入れるものです。でも,なぜマリアとヨセフは動物といっしょにここにいるのでしょう。ここは,赤ちゃんが生まれるような場所ではありませんね。
そうです。でも,ふたりは次のようなわけがあって,ここにいるのです。ローマの支配者カエサル・アウグスッスは,一つの法律をつくりました。それは,みんな自分の生まれた町へもどって,名前を帳ぼに書きこんでもらわねばならない,という法律でした。ヨセフはここベツレヘムで生まれました。しかし,ヨセフとマリアが町に着いたときには,ふたりがとまれるところはなかったので,動物のいるこの場所へ来なければならなかったのです。そして,ちょうどその日に,マリアはイエスを産んだのです! でも,このとおりイエスは無事です。
羊かいたちがイエスを見にやって来ます。かれらは夜,野原で羊の世話をしていました。すると,明るい光がまわりを照らしました。それはみ使いでした。羊かいたちはとてもおそれましたが,み使いは言いました。『おそれることはありません。わたしは良いたよりを知らせに来たのです。きょうベツレヘムで,主キリストがお生まれになった。キリストは民を救われるのです! あなたがたは,キリストが布にくるまって,かい葉おけの中でねておられるのを見ます』。すると,とつぜん多くのみ使いが現われて,神を賛美しはじめました。そこで羊かいたちはすぐに,大急ぎで,イエスをさがしに行き,今さがしあてたのです。
イエスはなぜ特別な方なのでしょう。ほんとうはどんな方ですか。第1話で,神の長子のお話をしましたね。その方は,天や地やその他すべてのものを作るときに,エホバとともに働かれました。その方がこのイエスなのです!
エホバはみ子の命を天からマリアのおなかに移されました。マリアのおなかの中ですぐに赤ちゃんが成長しはじめました。ほかの赤ちゃんがお母さんのおなかの中で大きくなるのと同じでした。しかし,この赤ちゃんは神のみ子でした。ついにイエスは,ベツレヘムのある家畜小屋で生まれました。そのことを人々に知らせることができて,み使いたちが喜んだわけが,これでわかりましたね。
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星に導かれて来た人たちわたしの聖書物語の本
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第86話
星に導かれて来た人たち
ひとりの人が指差している明るい星が見えますか。かれらがエルサレムを去ると,その星が現われました。この人々は,東の地方から来た,星を調べる人々です。この新しい星は,自分たちをある重要な人のところへ導いている,と考えています。
エルサレムに来たときにこの人々は,『ユダヤ人の王となるみ子はどこにおられますか』と,たずねました。「ユダヤ人」というのは,イスラエル人の別の名です。『わたくしたちは東方にいたとき,初めてそのみ子の星を見たので,その方を拝みにまいりました』と,その人たちは言いました。
エルサレムにいた王ヘロデはこれを聞いて,心がおだやかでなくなりました。ほかの王に,自分の地位を取られたくなかったのです。そこで,ヘロデは祭司長たちを呼んで,『約束の王はどこでお生まれになるのか』と,たずねました。『聖書によりますと,ベツレヘムです』と,祭司長たちは答えました。
そこでヘロデは,東方から来た人々を呼び寄せ,『行って幼子をさがし,見つかったなら,わたしに知らせてください。わたしも行って拝みたいから』と言いました。しかし,実際には,ヘロデはその子供を見つけ出して殺そうと思っていたのです。
それから例の星がかれらの先にたって進み,幼子のいる所の上まで来て止まりました。その人々が家の中にはいると,そこにはマリアと幼いイエスがいました。かれらは贈り物を出してイエスにささげました。ところが,のちほどエホバは,かれらに夢の中で,ヘロデのところへもどるな,とおっしゃいました。それでかれらは別の道を通って,自分の国へ帰って行きました。
東方から来た者たちが帰って行ったと知ると,ヘロデはたいへん腹を立てました。そして,ベツレヘムに住む二歳以下の男の子をみな殺せ,という命令を出しました。しかし,エホバは前もってヨセフに夢で警告をおあたえになったので,ヨセフは家族を連れてエジプトに立ちのきます。のちほど,ヨセフはヘロデが死んだことを知り,マリアとイエスを連れてナザレにもどります。このナザレでイエスは成長されるのです。
例の新しい星を輝かせたのはだれだと思いますか。あの人々が,星を見たあとまずエルサレムに行ったのを思い出してください。悪魔サタンは神のみ子を殺そうとしていました。そしてまた,エルサレムのヘロデ王も神のみ子を殺そうとすることを知っていました。ですから,あの星を輝かせたのは,サタンにちがいありません。
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神殿の中の少年イエスわたしの聖書物語の本
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第87話
神殿の中の少年イエス
この年長者たちに話をしている少年をごらんなさい。年長者たちは,エルサレムの神殿にいる教師たちです。そして,少年はイエスです。かなり大きくなっておられますね。今12歳です。
イエスが,神のことや聖書に書かれている事柄をよく知っているので,教師たちはたいへんおどろいています。それにしても,ヨセフとマリアがここにいないのは,どういうわけでしょう。ふたりはどこにいるのでしょうか。さがしてみましょう。
過ぎ越しという特別の祝いをするために,ヨセフは毎年,家族をエルサレムに連れて行きます。ナザレからエルサレムまでは長い旅です。自動車を持っている人などひとりもなく,汽車もありません。当時,そのようなものはなかったのです。ほとんどの人が歩きます。ですからエルサレムまで行くには三日ほどかかります。
今では,ヨセフの家族も大勢で,イエスの下に,まだ手のかかる弟や妹たちがいます。さて,ことしもヨセフとマリアは子供たちを連れて,ナザレまでの遠い道を帰って行きます。イエスは連れの中にいるものと,ふたりは思っています。しかし,一日が終わって足を止めたとき,イエスの姿が見えません。親族や知人の中をさがしましたがいません。それでまたエルサレムまで,イエスをさがしにもどります。
そしてついに,教師たちといっしょにここにいるイエスを見つけます。イエスは教師たちの話を聞いたり,質問をしたりしています。人々はイエスのかしこさにおどろいています。でもマリアは,『まあ,あなたはどうしてこんなことをしてくれたのです。お父さまもわたしも,心配してさがしていたのですよ』と言います。
『なぜわたしをさがさなければならなかったのですか。わたしが自分の父の家にいるはずであるのを知らなかったのですか』と,イエスはお答えになりました。
イエスは神のことを学べる所にいるのが好きなのです。わたしたちも,そのように考えるべきではないでしょうか。ナザレではイエスは毎週,崇拝のための集会に行かれるのです。いつもよく注意を払って聞かれるので,聖書からたくさんのことを学ばれました。わたしたちもイエスのようにし,イエスを模範にしましょう。
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ヨハネはイエスにバプテスマをほどこすわたしの聖書物語の本
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第88話
ヨハネはイエスにバプテスマをほどこす
この男の人の頭の上に,はとがまい降りていますね。この人はイエスです。今30歳くらいです。イエスのそばにいるのはヨハネです。ヨハネのことはもういくらか学びました。マリアが親族のエリサベツを訪ねたとき,エリサベツのおなかの中の赤ちゃんが,喜んでおどりましたね。まだ生まれていなかったその赤ちゃんが,ヨハネだったのです。ところで,ヨハネとイエスは今何をしているのでしょう。
ヨハネは今イエスを,ヨルダン川の水にひたしたところです。人はこのようにしてバプテスマを受けるのです。まず水中に入れられ,それから引き上げられるのです。ヨハネは人々にバプテスマをほどこすので,バプテストのヨハネ,と呼ばれています。しかし,なぜヨハネはイエスにバプテスマをほどこしたのでしょうか。
それはイエスがヨハネのところに来て,バプテスマを受けさせてほしい,と言われたからです。ヨハネは,悪いことをしたのをこうかいしていることを表わしたいと思っている人々に,バプテスマをほどこします。でもイエスは,こうかいするような悪いことを一度でもなさったことがあるでしょうか。いいえ,イエスは天から来られた,神ご自身のみ子ですから,そういうことは決してありませんでした。ですからイエスは,別の理由があって,ご自分にバプテスマをほどこすことを,ヨハネにおたのみになったのです。では,その理由が何であったか,調べてみましょう。
ヨハネのところに来る前,イエスは大工でした。大工というのは,材木で,机やいすやベンチなどを作る人のことです。マリアの夫ヨセフは大工なので,イエスも大工になれるように,仕事を教えました。しかし,エホバはみ子を大工にするために地上につかわしたのではありません。エホバはイエスに特別の仕事をおさせになるのです。そして,イエスがそれをお始めになる時は来ました。それでイエスは,今ご自分が父のご意志を行なうために来たことを示す目的で,ご自分にバプテスマをほどこすよう,ヨハネに求められます。このことを神は喜んでおられるでしょうか。
たしかに喜んでおられます。なぜかというと,イエスが水から上がられたとき,『これはわたしの子,わたしの喜ぶ者です』と言う声が,天から聞こえてきたからです。また,天が開けて,このはとがイエスの上に下って来たようです。でもそれは,ほんとうのはとではありません。はとのように見えるだけで,実は神の聖霊なのです。
今イエスには考えることがたくさんあります。それでイエスは,さびしい場所へ行って,40日のあいだそこにおられます。そのイエスのところへサタンがやって来ます。サタンは三度も,神の律法に反することを,イエスにさせようとします。でもイエスはそれを行なおうとはされません。
そのあと,イエスはもどって来られますが,そのときに会ったある人たちは,イエスの最初の追随者,つまり弟子になります。その中に,アンデレ,ペテロ(シモンとも呼ばれる),フィリポ,ナタナエル(バルトロマイとも呼ばれる)といった人たちがいます。イエスとこの新しい弟子たちは,ガリラヤ地方に向かって出発します。ガリラヤで一行は,ナタナエルの生まれ故郷カナにたい在します。ここでイエスは盛大なこんえんに行かれ,最初の奇跡を行なわれます。イエスは水をぶどう酒に変えられるのです。
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イエスは神殿を清めるわたしの聖書物語の本
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第89話
イエスは神殿を清める
ここではイエスは,ほんとうにおこっていらっしゃるようですね。なぜこんなにおこっていらっしゃるのかわかりますか。それは,神殿にいるこの人たちが,とても欲深いからです。この人たちは,神を崇拝するためにここに来た人々から,お金をたくさんもうけようとしているのです。
若い雄牛や羊やはとなどがいるのが見えますか。男たちは,これらの動物を,場所もあろうにこの神殿で売っているのです。なぜそんなことをするのでしょうか。それは,イスラエル人が,神に犠牲としてささげる動物や鳥を必要としているからです。
神の律法によると,イスラエル人はまちがいをしたとき,神にささげ物をしなければなりませんでした。また,イスラエル人がささげ物をしなければならない時がほかにもありました。しかし,イスラエル人は,神にささげる鳥や動物を,どこで手に入れることができたでしょうか。
あるイスラエル人は,鳥や動物をかっていましたから,それをささげることができました。けれども,多くのイスラエル人は,自分では動物も鳥もかっていませんでした。また,エルサレムから遠く離れた所に住んでいた人々は,自分のかっている動物の中から一ぴきを取って,神殿まで連れてくるわけにはいきませんでした。それで人々はここへ来て,自分に必要な動物や鳥を買いました。ところがこの男たちは,人々に高い値段をふっかけていました。人々をだましていました。そればかりではありません。かれらは,神殿内のこの場所で,ものを売ることなどすべきではないのです。
イエスはそのことをおこっておられるのです。それでイエスは,お金を持っている人たちの机をたおし,硬貨をまき散らされます。またなわでむちを作り,動物を全部,神殿から追い出されます。そして,はとを売っている者たちに,『そのはとを連れてここから出て行きなさい! わたしの父の家を金もうけの場所にしてはいけない』とお命じになります。
イエスの弟子がいく人か,イエスといっしょに,エルサレムの神殿にいます。かれらはイエスがなさることを見ておどろいています。そして,神のみ子について,『神の家に対する愛が,かれのうちで火のようにもえる』と,聖書に書かれているのを思い出します。
イエスは,ここエルサレムにいて過ぎ越しの祭りに出席しておられるあいだに,多くの奇跡を行なわれます。そのあと,イエスはユダを去り,ガリラヤにもどって行かれます。しかし,その途中,イエスはサマリアの地方を通られます。そこではどんなことが起きるでしょうか。
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井戸のそばで女の人にわたしの聖書物語の本
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第90話
井戸のそばで女の人に
イエスは,サマリアのある井戸のそばで足を止めて,休んでおられます。弟子たちは食物を買いに,町へ出かけています。イエスが話しかけている女は,ここに水をくみに来ました。イエスは女に,『水を飲ませてください』とおっしゃいました。
これを聞いて女は非常におどろきました。なぜでしょうか。イエスはユダヤ人で,女はサマリア人だからです。ほとんどのユダヤ人は,サマリア人がきらいです。ユダヤ人はサマリア人に話しかけようとさえしません。しかし,イエスはあらゆる種類の人を愛しておられます。そこでこう言われます。『水を飲ませてください,とあなたにたのんでいる者がだれであるかを,もしあなたが知っていたなら,あなたはその人に求めたでしょう。そしてその人はあなたに命をあたえる水をあたえたことでしょう』。
『でも,だんな様,この井戸は深いのです。それにあなたは手おけさえ持っていらっしゃいません。どこでその命をあたえる水を,手にお入れになるのですか』と,女は言います。
『この井戸の水を飲めば,あなたはまたのどがかわくでしょう。しかし,わたしがあたえる水は,人を永遠に生かすのです』と,イエスは説明されます。
『だんな様,その水をわたくしにください。そうすれば,わたくしはもうかわくことはありません。そして,もうここまで水をくみに来なくてもすみます』と,女は言います。
女は,イエスがほんとうの水のことを言っておられるのだ,と考えています。しかし,イエスは神とその王国に関する真理について話しておられるのです。この真理は,命をあたえる水のようです。人に永遠の命をあたえることができます。
さて,イエスは女に言われます。『行って,あなたの夫を呼んできなさい』。
『わたくしには夫はありません』と,女は答えます。
『あなたの答えは正しい。あなたには夫が五人あったが,今あなたがいっしょに住んでいる男は,あなたの夫ではないからです』と,イエスは言われます。
女はおどろきます。それは全部ほんとうのことだからです。なぜイエスはこうしたことをご存じなのでしょう。なぜなら,イエスは神がおつかわしになった約束の方であり,神がこういう情報をおあたえになるからです。このとき,弟子たちがもどって来ます。そして,イエスがサマリアの女と話しておられるので,おどろきます。
以上のことから,わたしたちは何を学ぶでしょうか。イエスは,あらゆる人種の人々に親切であることがわかります。ですからわたしたちも,そうでなければなりません。ある人々のことを,特定の人種であるというだけの理由で,あの人たちは悪い,と考えるべきではありません。イエスは,すべての人が,永遠の命に導く真理を知ることを願っておられます。ですからわたしたちも,人々が真理を学ぶのを助けたいと思わなければなりません。
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山の上で教えるイエスわたしの聖書物語の本
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第91話
山の上で教えるイエス
イエスは,ここで,腰をおろしていらっしゃいますね。ガリラヤのある山の上で,この大勢の人々に教えを説いておられるところです。イエスのすぐ近くにすわっているのは弟子たちです。イエスは12人の弟子を選んで,使徒とされました。十二使徒は,イエスの特別の弟子です。あなたは十二使徒の名前を知っていますか。
シモン・ペテロとその兄弟アンデレがいます。それからヤコブとヨハネ,このふたりも兄弟です。ヤコブという名前の使徒はもうひとりいます。そしてシモンと呼ばれる使徒ももうひとりいます。また,ユダという名前の使徒がふたりいます。ひとりはユダ・イスカリオテで,もうひとりのユダはタダイとも呼ばれます。それからフィリポとナタナエル(バルトロマイとも呼ばれる),そしてマタイとトマスです。
サマリアからもどられたあと,イエスは,『天の王国は近づいた』と言って,伝道を開始されました。その王国とは何でしょうか。それは,神の実際の政府のことです。イエスはその王国の王です。イエスは天から治めて,地に平和をもたらされます。神の王国は,地球全体を美しい楽園に変えるのです。
イエスはここで,その王国について教えておられます。『あなたがたはこのように祈らねばなりません。「天にいますわたしたちの父よ,あなたのお名前が,あがめられますように。あなたの王国が来ますように。あなたのご意志が天で行なわれるように,地上でも行なわれますように」』。多くの人はこれを『主の祈り』と呼びます。『主とう文』と呼ぶ人たちもいます。あなたはこの祈りを全部言えますか。
イエスはまた,人はおたがいにどのように接しなければならないかを,教えておられます。『自分にしてほしいと思うことを,ほかの人にもしなさい』と,イエスは言われます。人に親切にされるとうれしいですね。ですから,わたしたちはほかの人々に親切な態度で接しなければならない,とイエスはおっしゃっているのです。みんながそうするようになる地上の楽園は,ほんとうにすばらしいでしょうね。
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イエスは死者を生き返らせるわたしの聖書物語の本
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第92話
イエスは死者を生き返らせる
この少女は12歳です。イエスは少女の手をお持ちになり,母親と父親はそばに立っています。どうしてみんなうれしそうな顔をしているのでしょう。では調べてみましょう。
少女の父親はヤイロといって,高い地位にある人です。ある日,この人のむすめは病気になり,床につきます。しかし,すこしもよくなりません。病気は重くなるばかりです。かわいいむすめが死にそうな様子なので,ヤイロとその妻はひどく心配します。少女はひとりむすめなのです。ヤイロはイエスをさがしに行きます。イエスが奇跡を行なっておられることを聞いたからです。
ヤイロがイエスを見つけたとき,イエスのまわりには大勢の群衆がいました。それでもヤイロは群衆の中を通り抜け,イエスの足下にひれふします。『わたくしのむすめがひどく病んでおります。どうか,おいでくださって,むすめを治してやってください』と,ヤイロは熱心にたのみます。イエスは,行きましょう,とおっしゃいます。
ふたりが歩いて行くと,群衆が絶えずおしせまって来ます。イエスは急に立ち止まり,『わたしにさわったのはだれですか』と言われます。ご自分から力が出て行くのをお感じになったので,だれかがさわったことをご存じなのです。しかし,だれでしょう。それは,12年間ひどい病気に苦しんでいたある女の人でした。その人がイエスに近寄って,イエスの着物にさわりました。すると病気がいやされたのです!
このことがあって,ヤイロはすこし気持ちが楽になりました。イエスが人の病気をどんなにたやすく治されるかが,わかったからです。しかし,そのとき使いの者がやって来て,『もうイエスをわずらわすことはありません。あなたのむすめさんはなくなりました』と,ヤイロに伝えました。これを耳にされてイエスは,『心配することはありません。むすめはよくなります』と,ヤイロに言われます。
かれらがようやくヤイロの家についたとき,人々は悲しみに打ちひしがれて,泣いていました。でもイエスは,『泣かないでください。子供は死んだのではありません。眠っているだけです』と言われます。しかし人々は,むすめが死んだことを知っているので,笑ってイエスをからかいます。
するとイエスは,少女の父親と母親,それにご自分の三人の使徒を連れて,子供がねかされている部屋におはいりになりました。そして,少女の手を取り,『起きなさい』と言われました。すると少女は,この絵にあるように,生き返ります。そして立ち上がって歩きまわるではありませんか。それで母親と父親はたいへん喜んでいるのです。
イエスが生き返らせたのは,この少女が最初ではありません。聖書に書かれているその最初の人は,ナインの町に住むあるやもめの息子です。のちほどイエスは,マリアとマルタの兄弟ラザロもよみがえらされます。イエスが神の王国の王として治めるときには,死んでいる人々をたくさん生き返らされるのです。それはとてもうれしいことではありませんか。
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イエスは多くの人に食物をあたえるわたしの聖書物語の本
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第93話
イエスは多くの人に食物をあたえる
ひどいことが起きました。ちょうど今,バプテストのヨハネが殺されたのです。王の妻ヘロデアは,バプテストのヨハネをきらっていました。ヘロデアは,王にヨハネの首を切らせることができたのです。
イエスはそのことを聞いて,たいそう悲しまれ,ひとりでさびしい所へ行かれます。でも人々はついて来ます。イエスは群衆をごらんになって,かわいそうに思い,神の王国のことを話して聞かせ,また,かれらの中の病人をいやされます。
夕方になって,弟子たちはイエスのところへ来て言います。『時刻もだいぶおそいですし,ここはさびしい所です。人々を解散させて,近くの村でそれぞれ自分の食べる物を買うようにさせてください』。
『かれらが行く必要はありません。あなたがたがこの人たちに何か食べる物をあたえなさい』と,イエスは言われます。イエスはフィリポのほうを向いて,『これだけの人々に食べさせる食物を,わたしたちはどこで買いましょうか』と,問われます。
『みんなにほんのすこしずつゆきわたるだけの量を買うにも,それはそれはたくさんのお金がいるでしょう』と,フィリポは答えます。するとアンデレが言います。『この少年は,わたしたちの食物を運んでいる者で,五つのパンと二ひきの魚を持っています。でも,こんなに大勢ではとても足りません』。
『人々を草の上にすわらせなさい』と,イエスは言われます。それから神に感謝をささげ,食物をさきはじめられます。つぎに,弟子たちがパンと魚を全部の人に配ります。5,000人の男と,それにまだ女や子供が何千人もいます。みんな,満腹するまで食べ,弟子たちが残ったものを集めると,12のかごがいっぱいになりました。
さて,弟子たちはイエスに言われて舟に乗りこみます。ガリラヤの海をわたるためです。すると夜のあいだに大あらしが起こり,舟は波で大ゆれにゆれます。弟子たちはひどくおそれます。ところが,真夜中になって弟子たちは,だれかが水の上を歩いて自分たちのほうへやってくるのを見ます。それが何だかわからないので,弟子たちはおそろしくなってさけび声を上げます。
『こわがることはありません。わたしです!』と,イエスは言われます。それでも弟子たちは信じられません。そこでペテロが言います。『主よ,もしほんとうにあなたでしたら,水をわたってここまで来い,とおっしゃってください』。イエスはそれに答えて,『来なさい』と言われます。そこでペテロは舟から出て水の上を歩きます。しかし,こわくなり,しずみかけたので,イエスはペテロを救われます。
のちほど,イエスはまた何千人もの人々に食物をおあたえになります。こんどは七つのパンと何びきかの小魚でこれをなさいます。こんどもやはり,みんなのために十分ありました。イエスが人々の世話をなさる方法は,すばらしいではありませんか。イエスが神の王として治められるとき,わたしたちが心配しなければならないことは,全くなくなってしまうのです!
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幼子たちを愛したイエスわたしの聖書物語の本
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第94話
幼子たちを愛したイエス
ここではイエスは小さな男の子をうでにだいておられますね。イエスが,子供たちのことをほんとうに心にかけておられることが,よくわかるでしょう。じっと見ているのはイエスの使徒たちです。イエスは使徒たちに何を言っておられるのでしょうか。では調べてみましょう。
イエスと使徒たちは,長い旅からもどったばかりのところです。使徒たちは帰る道々,何か言い合っていました。それで旅が終わってから,イエスはかれらにお聞きになります。『あなたがたは途中で,何を言い合っていたのですか』。ほんとうは何について言い合っていたか,イエスは,ご存じなのです。しかし,使徒たちがそれをイエスに告げるかどうかを見るために,イエスは質問しておられるのです。
使徒たちは答えません。自分たちの中でだれがいちばんえらいかについて,議論していたからです。ある使徒は,ほかの使徒よりも上になりたい,と考えているのです。そういう考えは正しくないことを,イエスはどのように話されるでしょうか。
イエスは小さな男の子を弟子たちの前に立たせ,こうおっしゃいます。『このことをあなたがたにしっかりと知ってもらいたい。あなたがたは心を変えて,幼子のようにならなければ,神の王国にはいれません。王国の中でいちばんえらいのは,この子供のようになる人です』。イエスはなぜそのように言われたのでしょう。
小さな子供は,ほかの人よりえらくなるとか,上になることなど考えません。ですから,使徒たちもこの点で子供のようになることを学び,えらいとか,上であるとかいうことについて,口論などすべきではないのです。
イエスはほかの時にも,小さな子供たちのことをどれだけ深く心にかけているかを,いく度か示されます。何か月かたって,ある人々が子供たちをイエスのところへ連れてきます。使徒たちは子供たちを近づかせまいとしますが,イエスは,『子供たちをわたしのところへ来させなさい。止めてはいけません。天の王国は,このような者たちのものなのです』と言われます。それから子供たちをだき寄せて祝福されます。イエスが小さな子供たちを愛してくださるということを知るのは,うれしいことではありませんか。
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イエスの教え方わたしの聖書物語の本
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第95話
イエスの教え方
ある日のこと,イエスは,ひとりの男に,あなたの隣人を愛さなければならない,と言われます。『わたしの隣人とはだれのことですか』と,その人はたずねます。イエスは,この人が何を考えているかご存じです。この人は,自分と同じ人種と宗教の人々だけが,自分の隣人である,と考えているのです。ではイエスはこの人に何と言われるか,見てみましょう。
イエスは時々,物語をして人々を教えます。ここでもそれをなさいます。ひとりのユダヤ人とひとりのサマリア人についての物語です。ほとんどのユダヤ人がサマリア人をきらっていることは,すでに学びましたね。さて,イエスはこういうお話をされます。
ある日,エリコへ向かって山道を下るひとりのユダヤ人がいました。ところが,強盗どもがその人をおそい,お金を取り上げ,打ちのめして,半殺しにしました。
しばらくして,ユダヤ人の祭司がひとり,その道をやって来ました。そしてその打ちのめされた人を見ました。その祭司はどうしたと思いますか。なんと,道の反対側にわたって,通りすぎて行きました。つぎにまたひとり,とても信心深い人がやってきました。その人はレビ人でした。この人は足を止めたでしょうか。いいえ,この人も,足を止めてその打ちのめされた人を助けようとはしませんでした。その祭司とレビ人が道を下って行くところが,遠くに見えますね。
しかし,この打ちのめされた人のそばにいるのはだれでしょうか。この人はサマリア人です。しかもこのユダヤ人を助けています。傷に薬をぬっています。この人はあとでこのユダヤ人を,休んで元気になれる場所まで連れて行きます。
話し終えるとイエスは,ご自分に質問した男におたずねになります。「この三人の中でだれが,この打ちのめされた人の隣人のような行ないをしたと思いますか。祭司ですか。レビ人ですか。それともサマリア人ですか』。
その男はこう答えます。『サマリア人の男です。その人は打ちのめされた人に親切でした』。
『そのとおりです。ですから,あなたも行って,他の人々に対し,サマリア人と同じようにしなさい』と,イエスは言われます。
イエスの教え方はとてもいいと思いませんか。イエスが聖書の中で言われていることをよく聞くなら,大切なことがとてもたくさん学べますね。
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イエスは病人を治すわたしの聖書物語の本
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第96話
イエスは病人を治す
イエスは国中をまわりながら,病人を治されます。この奇跡のうわさは,いたるところの村々,町々に伝わっています。ですから人々は,手足の不自由な人,盲人,耳の聞こえない人など,多くの病人をイエスのところに連れて来ます。そして,イエスはそういう人々を全部治されます。
ヨハネがイエスにバプテスマをほどこしてから,三年以上たちました。イエスは,まもなくご自分がエルサレムに上り,そこで殺され,それから復活することを,使徒たちにお話しになります。それまで,イエスは引き続き病人を治されます。
あるときイエスは,安息日に教えを説いておられました。安息日というのはユダヤ人の休日です。ここにいる女の人はひどい病気にかかっていました。18年ものあいだ,腰が曲がったままで,まっすぐに立つことができませんでした。それでイエスはその人に手を置かれます。するとその人は立ちはじめます。病気が治ったのです!
それで宗教指導者たちはおこり,『働く日は六日ある。治してもらうのはそれらの日にするがよい。安息日にはだめだ』と,ひとりが群衆に向かってさけびます。
でもイエスは,『悪い人たち。あなたがたはみな,安息日にろばを解いて,水を飲ませに連れて出るではありませんか。それなら,18年間病気だったこの気の毒な女を,安息日に治してやるべきでしょう』と言われます。悪い人たちは恥じ入ります。
のちほど,イエスと使徒たちは,エルサレムへ向けて旅をします。かれらがエリコの町を出たばかりのとき,盲目のこじきがふたり,イエスが近くを通っておられると聞き,『イエス様,わたしたちをお助けください!』とさけびます。
イエスはその盲人たちを呼んで,『わたしに何がしてほしいのですか』と,言われます。『主よ,目をあけていただきたいのです』と,かれらは言います。イエスがかれらの目にさわると,かれらはすぐに見えるようになります。イエスはなぜこうしたすばらしい奇跡をたくさん行なわれるのでしょうか。それは,イエスが人々を愛しておられ,人々がイエスを信じることを願っておられるからです。ですからわたしたちは,イエスが王として治めるとき,地上には,病気の人がひとりもいなくなる,ということを確信できるのです。
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イエスは王として来るわたしの聖書物語の本
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第97話
イエスは王として来る
ふたりの盲目のこじきの目を治してからすこしたって,イエスはベタニヤの小さな村に来られます。そしてふたりの弟子におっしゃいます。『村にはいっていきなさい。そうすると子ろばが見つかります。それをほどいて,わたしのところへ連れて来なさい。
ろばが連れて来られると,イエスはそれにお乗りになります。そして,そこからあまり遠くないエルサレムへ向かわれます。町の近くまで来られると,大勢の人がイエスをむかえに出ます。ほとんどの人が自分たちの上着をぬいで道にしきます。やしの枝を切り取る人たちもいます。人々はそれらも道にしいて,『エホバの名によって来られる王に,神のお恵みがありますように!』とさけびます。
ずっとむかし,イスラエルでは,新しい王は子ろばに乗ってエルサレムにはいり,自分を人々に見せたものです。イエスが今しておられるのはそのことです。そして,この人々は,イエスが自分たちの王であってほしい,という気持ちを示しているのです。しかし,全部の人がイエスを望んでいるわけではありません。そのことは,イエスが神殿に行かれるときに起きる事からわかります。
神殿でイエスは,盲人や足の不自由な人たちを治されます。子供たちはこれを見て,大きな声でイエスをほめたたえます。しかし,祭司たちはこれに腹を立て,イエスに向かって,『子供たちの言っていることが聞こえるか』と言います。
『はい,聞こえます。あなたがたは,「神は小さな子供たちの口から賛美をもたらされる」と聖書にあるのを,読んだことがないのですか』と,イエスは言われます。それで子供たちは,神の王をたたえつづけます。
わたしたちも,この子供たちのようでありたいですね。ある人々は,神の王国のことを話すのをやめさせようとするかもしれません。しかし,わたしたちはイエスが人々のために行なわれるすばらしい事柄について,他の人々に語りつづけます。
イエスが王として支配をお始めになるのは,地上におられたときではありませんでした。その時はいつでしょうか。イエスの弟子はそれを知りたいと思っています。このことについては,次のお話を読みましょう。
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オリーブ山の上でわたしの聖書物語の本
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第98話
オリーブ山の上で
これはオリーブ山の上におられるイエスです。イエスといっしょにいる四人の男の人は,イエスの使徒たちです。兄弟のアンデレとペテロ,そしてやはり兄弟のヤコブとヨハネです。遠くの方に見えるのは,エルサレムにある神殿です。
イエスが子ろばに乗ってエルサレムにはいられてから二日たちました。火曜日です。朝のうち,イエスは神殿におられました。祭司たちは,イエスをとらえて殺すつもりでそこにいました。しかし,人々がイエスを好ましく思っているので,祭司たちはそうすることをおそれました。
『へびよ,まむしの子らよ!』と,イエスは宗教指導者たちを呼ばれ,あなたがたが行なったすべての悪事のゆえに,神はあなたがたにばつを加えられる,とイエスは言われました。そのあと,イエスはオリーブ山に登られますがそのとき,この四人の使徒が質問しはじめました。かれらはイエスに何をたずねているのでしょうか。
使徒たちは将来のことについてたずねているのです。かれらは,イエスが地上の悪をすべてなくされることを知っています。でもそれがいつなされるかを知りたいと思っています。イエスは,王として治めるためにいつまた来られるのでしょうか。
イエスがもう一度来られるとき,地上の弟子たちはイエスを見ることができないということを,イエスはご存じです。なぜできないかというと,イエスは天にいらっしゃるからです。ですから,弟子たちはそこにいらっしゃるイエスを見ることはできないのです。そこでイエスは,ご自分が天で治めているときに地上で起きる事柄をいくつか,使徒たちに話されます。それはどんなことでしょうか。
イエスが言われるには,いくつもの大きな戦争があります。多くの人が病気になったり,うえたりします。犯罪がひどくなります。また大きな地震があるでしょう。イエスはまた,地球上のあらゆる場所で,神の王国についての良いたよりが宣べ伝えられるでしょう,ともおっしゃいます。わたしたちは,このような事がわたしたちの時代に起きるのを見てきたでしょうか。そうです,見てきたのです! ですから,イエスが今天で治めておられるという確信が持てるのです。イエスはまもなく地上の悪をすべてなくされるでしょう。
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二階の部屋でわたしの聖書物語の本
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第99話
二階の部屋で
二日後の木曜日の夜です。イエスと十二使徒は,過ぎ越しの食事をするために,この二階の大広間に来ています。部屋を出て行くのはユダ・イスカリオテです。ユダは,イエスをとらえる方法を,祭司たちに教えるつもりです。
前の日にユダは祭司たちのところへ行って,『イエスをとらえるのを手伝ったら,何をくれますか』とたずねました。祭司たちは,『銀貨30枚』と答えました。それでユダは,祭司たちを手引きするために行くところです。ひどいことをしますね。
過ぎ越しの食事は終わります。しかし,イエスはつぎにもう一つ特別の食事をお始めになります。イエスはパンを使徒たちにわたして,『これを食べなさい。これは,あなたがたのためにあたえるわたしのからだを意味するからです』と言われます。つぎにぶどう酒のはいったさかずきをわたし,『これを飲みなさい。これはあなたがたのために注ぎ出すわたしの血を意味するからです』と言われます。聖書はこれを,『主の夕食』または『主の晩さん』と呼んでいます。
イスラエル人は,エジプトで神の使いが自分たちの家を『過ぎ越し』て,エジプト人の家の初子を殺したときのことを思い出すために,過ぎ越しの食事をしました。しかし今イエスは,弟子たちがご自分のことを,そしてかれらのためにご自分が命をあたえたことを,おぼえているように望んでおられます。それで,この特別の食事を毎年祝うように,弟子たちにおっしゃいます。
主の夕食のあと,イエスは使徒たちに,勇気を出し,強い信仰を持ちなさい,と言われます。最後にかれらは賛美の歌をうたい,出かけます。時刻はおそく,たぶん真夜中を過ぎています。どこへ行くのでしょう。
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園の中のイエスわたしの聖書物語の本
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第100話
園の中のイエス
二階の部屋を出てから,イエスと使徒たちはゲッセマネの園に行きます。かれらは以前ここに何度も来たことがありました。さて,イエスは使徒たちに,目をさまして祈っていなさい,と言われます。そしてご自分はすこしはなれたところへ行き,地にひれふして祈られます。
すこしたって,イエスは使徒たちのところにもどられます。使徒たちは何をしているでしょうか。ねむっています! 目をさましていなさい,とイエスは三度もおっしゃいますが,もどられるたびに,かれらはねむっています。それで最後におもどりになったときに,イエスはおっしゃいます。『このような時に,あなたがたはどうしてねむれるのですか。わたしが敵の手にわたされる時が来たのです』。
ちょうどそのとき,群衆のざわめきが聞こえてきます。ほら,見てごらんなさい! 男たちが,つるぎや棒を手にしてこちらへやって来ます。かれらは道を照らすたいまつをかかげています。群衆が近くまで来ると,その中からある男が進み出て,まっすぐにイエスのところへ来ます。そして絵にあるように,イエスに口づけします。その男はユダ・イスカリオテです。ユダはなぜイエスに口づけするのでしょう。
『ユダよ,あなたは口づけをしてわたしを裏切るのか』と,イエスは言われます。そうです,口づけは合図なのです。ユダが連れて来た者たちは,その口づけでどれが自分たちのねらっているイエスであるかを知り,ふみこんでイエスをとらえます。しかしペテロは,イエスをむざむざと敵の手にわたすつもりはありません。持って来たつるぎを抜いて,近くにいた男にうってかかります。つるぎは頭をはずれて右の耳を切り落しますが,イエスは手をその男の耳にあてていやされます。
イエスはペテロにおっしゃいます。『つるぎをもとに納めなさい。わたしを救う何千ものみ使いをつかわしてくださるよう,わたしが父にお願いできないとでも思っているのですか』。たしかにイエスはそうなさることができます。しかし,敵にとらえられる時が来たことをご存じなので,それをなさいません。敵に引かれるままになっておられます。こんどはどんなことがイエスの身に起こるのでしょうか,見てみましょう。
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イエスは殺されるわたしの聖書物語の本
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第101話
イエスは殺される
ごらんなさい,このひどいことを! イエスは殺されようとしています。敵はイエスをくいにかけたのです。イエスの手と足はくぎづけにされています。なぜイエスをこのような目にあわせるのでしょう。
ある者たちが,イエスをにくんでいるからです。それはだれでしょうか。ひとりは,悪い使い,悪魔サタンです。アダムとエバをエホバにそむかせたのは,このサタンです。イエスの敵にこのひどい罪を犯させたのもサタンです。
イエスがくいにくぎづけされる前にも,敵はイエスに意地の悪いことをします。かれらがどのようにしてゲッセマネの園に来て,イエスを連れ去ったか,おぼえていますか。その敵はだれだったでしょうか。そうです,宗教指導者でした。さて,つぎにどんなことが起こるでしょうか。
イエスが宗教指導者たちに連れていかれるとき,使徒たちはにげてしまいます。おそろしくなって,イエスをひとり敵のところに置き去りにします。でも使徒のペテロとヨハネは,あまり遠くへは行きません。イエスがどうなるか見ようとして,うしろからついていきます。
祭司たちは,イエスを,以前の大祭司でアンナスという老人のところに連れていきます。群衆はここにはそれほど長くいません。かれらはつぎにイエスをカヤファの家に引いていきます。カヤファは今の大祭司です。カヤファの家には,多くの宗教指導者が集まっています。
かれらはこのカヤファの家で裁判を行ないます。イエスについてうそを言う人々が連れて来られます。宗教指導者たちは口をそろえて,『イエスは死刑にすべきだ』と言い,イエスの顔につばをはきかけたり,こぶしでなぐったりします。
こうしたことが行なわれているあいだ,ペテロは外の中庭にいます。寒い夜なので,人々は火をおこします。そして火のまわりでからだを暖めているときに,ひとりの下女が,ペテロの方を見て,『この人もイエスといっしょにいました』と言います。
『いや,ちがいます!』と,ペテロは答えます。
人々はペテロに三度も,あなたはイエスといっしょにいた,と言います。でもペテロはそのたびに,いや,それはちがう,と言います。ペテロが三度めにそれを言ったとき,イエスはふり向いてペテロをごらんになります。ペテロは,そのようにうそを言ったことをとてもこうかいし,そこから出て行ってはげしく泣きます。
金曜日の朝,ぼつぼつ太陽が昇りかけるころ,祭司たちはイエスをかれらの大きな集会所,サンヘドリン広間に連れていきます。ここで祭司たちは,イエスをどうするかについて相談します。そして,ユダヤ地区の支配者ポンテオ・ピラトのところに連れて行きます。
『この男は悪い男です。殺すべきです』と,祭司たちはピラトに告げます。ピラトはイエスをじん問したあと,『この人は,悪いことは何ひとつしていない』と言います。そして,イエスをヘロデ・アンテパスのもとに送ります。ヘロデはガリラヤの支配者ですが,エルサレムに来ています。しかしヘロデも,イエスに罪を見つけることができません。そこでイエスをピラトのところへ送り返します。
ピラトはイエスを釈放したいと思います。しかしイエスの敵は,イエスではなくて別の囚人が釈放されることを望みます。それはバラバという強盗です。ピラトがイエスを外に引き出したのは正午ごろです。ピラトは人々に向かって,『見なさい! あなたがたの王だ!』と言います。しかし祭司長たちは,『連れて行け! 殺せ! 殺せ!』とさけびます。それでピラトはバラバを自由にします。そして祭司長たちは,イエスを殺すために連れ去ります。
金曜日の午後はやく,イエスはくいにくぎづけされます。絵にはありませんが,イエスの両側には犯罪者がいて,そのふたりもくいの上で殺されようとしています。イエスが死なれるすこし前に,片方の犯罪者が,『あなたがご自分の王国におはいりになるときに,わたしを思い出してください』と言います。イエスは,『約束します。あなたはわたしとともにパラダイスにいるでしょう』とお答えになります。
それはすばらしい約束ではありませんか。あなたは,イエスがどのパラダイスのことを言っておられるか,わかりますか。いちばん初めに神がお作りになったパラダイスは,どこにあったでしょうか。そうです,地上にありました。ですからイエスは,天で王として治めるとき,この人をよみがえらせて,地上の新しいパラダイスを楽しませるのです。それはほんとうにうれしいことではありませんか。
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イエスは生きているわたしの聖書物語の本
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第102話
イエスは生きている
この女の人とふたりの男の人はだれでしょう。女の人はマリア・マグダレネで,イエスの友だちです。白い衣を着ているのはみ使いです。マリアが中をのぞいているせまい部屋は,イエスの遺体が置かれていた所,つまり墓です。でも今その遺体はありません。だれが持ち去ったのでしょう。では調べてみましょう。
イエスの死後,祭司たちはピラトに言います。『イエスは生きていたとき,三日めによみがえる,と言っておりました。それで墓を見張るようお命じください。そうすれば,弟子たちがイエスのからだを盗み出して,イエスはよみがえった,とは言えません』。ピラトは,墓に番兵を送りなさい,と祭司たちに言います。
しかし,イエスの死から三日めの朝早く,エホバの使いがとつぜんやって来て,墓の石をわきへころがします。番兵たちはおそろしくて動けず,ようやく墓をのぞいたときには,イエスのからだはありません! 番兵は町へ行って,そのことを祭司たちに告げます。祭司たちはどんな悪いことをするでしょうか。番兵にお金をあたえてうそを言わせるのです。『夜,わたしたちがねているあいだに,弟子たちが来てイエスのからだを盗んだ,と言いなさい』と,祭司たちは言いつけます。
いっぽう,イエスの友だちだったいく人かの婦人も墓に行き,墓がからになっているのを見て,たいへんおどろきます。そのときとつぜん,光りかがやく衣を着たふたりのみ使いが現われ,『あなたがたはなぜここでイエスをさがしているのですか。イエスはよみがえらされました。急いで行って,弟子たちに知らせなさい』と言います。婦人たちの走り方の速いことといったらありません! でも途中で,ある人に呼び止められます。それはだれでしょうか。イエスです! 『行って,わたしの弟子たちに知らせなさい』と,イエスはおっしゃいます。
弟子たちは,婦人たちから,イエスは生きておられ,わたしたちはイエスにお会いした,と言われても信じられません。ペテロとヨハネは,自分で見てこようと思って墓に走って行きますが,墓はからです。ふたりは去り,マリア・マグダレネはあとに残ります。マリアが墓をのぞいて,ふたりのみ使いを見るのは,そのときです。
イエスのからだはどうなったのでしょう。神は,それが消えてなくなるようにされたのです。神はイエスを,死なれたときのような肉体を持つ者によみがえらせたのではありません。神はイエスに,天のみ使いたちが持っているような新しい霊のからだをおあたえになったのです。でもイエスは,ご自分が生きていることを弟子たちに示すために,人々の目に見えるからだをつけることができるのです。そのことは,またあとで学びます。
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かぎのかかった部屋の中へわたしの聖書物語の本
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第103話
かぎのかかった部屋の中へ
ペテロとヨハネが,イエスの遺体の置かれていた墓を去ると,マリアはひとりになり,泣きだします。そして,前の絵にあるように,かがんで墓の中をのぞき,ふたりのみ使いを見ます。『なぜ泣いていますか』と,み使いは聞きます。
マリアは,『だれかがわたしの主を取っていきました。どこに置いたかわからないのです』と答えます。そして,ふり返ると,ひとりの男の人が目にとまります。『だれをさがしているのですか』と,その人はたずねます。
マリアは,その人が園丁で,イエスのからだを取り去ったのかもしれないと考え,『もしあなたが主を取り去ったのでしたら,どこに置いたか教えてください』と言います。しかし,実はこの人がイエスで,マリアがイエスと気づかないからだをつけているのです。でも,イエスがマリアの名前をお呼びになると,マリアはそれがイエスとわかり,走って行って,『主を見ました!』と,弟子たちに告げます。
その日の午後,ふたりの弟子がエマオという村に向かって歩いていると,ひとりの人が来てかれらといっしょに歩き出します。その弟子たちは,イエスが殺されたので,ひどく悲しんでいます。しかしその人は,道を歩きながら,弟子たちの気持ちを明るくする,聖書にある事柄を,たくさん説明してくれます。そして,食事をするために足を止めたときに,弟子たちは,この人がイエスであることについに気づきます。するとイエスは見えなくなります。そこでそのふたりの弟子は,イエスのことを使徒たちに知らせるために,エルサレムまでわざわざ引き返します。
そのあいだに,イエスはペテロにも姿を現わされます。他の人々はそのことを聞いて興奮します。そのときこのふたりの弟子がエルサレムに行き,使徒たちを見つけます。そして,イエスが自分たちにも,路上で姿を現わされたことを話します。ちょうどかれらがそのことを話しているときに,おどろくべきことが起こるのですが,それはどんなことでしょう。
この絵を見てください。戸にかんぬきがしてあるのに,イエスは部屋の中におられます。弟子たちは喜んでいますね。なんと感動に満ちた日でしょう。今までに,イエスが弟子たちに何度姿を現わされたか,数えられますか。それは五回ですね。
イエスが姿を現わされたときに使徒のトマスはいなかったので,弟子たちはトマスに,『わたしたちは主を見た!』と言います。しかしトマスは,イエスを見なければ信じられない,と言います。それから八日後,弟子たちはまた,かぎのかかった部屋に集まります。こんどはトマスもいます。すると,とつぜんイエスが姿を現わされます。それでトマスは信じます。
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イエスは天にもどるわたしの聖書物語の本
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第104話
イエスは天にもどる
日がたつにつれ,イエスは弟子たちにいく度も姿を現わされます。あるときなど,500人の弟子がイエスを見ました。弟子たちに姿を現わされるとき,イエスはどんなことを弟子たちにお話しになるのでしょう。それは神の王国です。神の王国について教えるよう,エホバはイエスを地におつかわしになったのです。イエスは,死人の中からよみがえらされたあとも,そのことを続けて行なわれます。
神の王国とは何か,おぼえていますか。そうです,その王国は,天にある神のほんとうの政府です。そして,神が王としてお選びになるのがイエスです。今まで学んできたように,イエスは,おなかのすいている人々に食べ物をあたえ,病人を治し,死んでいる人まで生き返らせて,ご自分がどんなにすばらしい王になるかを示されました。
イエスが天で1,000年間王として支配されるとき,この地上はどのようになるのでしょうか。地球は全体が,美しい楽園に変えられるのです。戦争も,犯罪も,病気も,死さえもなくなります。わたしたちはほんとうにそうなることを知っています。なぜなら,神はこの地球を,人々が楽しめる楽園にするために,お作りになったからです。神が最初にエデンの園を作られたのは,そのためです。そしてイエスは,神ののぞんでおられることが最後にはなしとげられるようにされるのです。
今やイエスが天にもどられる時が来ました。40日のあいだ,イエスはご自分を弟子たちに示してこられました。ですから弟子たちは,イエスがまた生きておられることを確信しています。しかし,イエスは去る前に,『聖霊を受けるまで,エルサレムにとどまりなさい』と,弟子たちに言われます。聖霊とは,吹いている風のような,神の活動力のことで,神のご意志を行なうように,弟子たちを助けるのです。最後にイエスは,『あなたがたは,地の最も遠い所にまで,わたしのことを宣べ伝えなければなりません』とおっしゃいます。
イエスがそうおっしゃったあと,おどろくべきことが起こります。イエスは,この絵にあるように,天に昇りはじめられるのです。それから雲がイエスをかくして見えなくなります。それで弟子たちは二度とイエスを見ることはありません。イエスは天に行かれ,天から地上の弟子たちを支配なさるようになるのです。
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