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ヨナ聖書に対する洞察,第2巻
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批評家の中には,ヨナの宣べ伝えた事柄に王をはじめとするニネベの人々がこたえ応じたのを信じられないと考える人もいます。(ヨナ 3:5-9)この点に関し,注解者C・F・カイルの次の所見は興味深いものです。「ヨナの宣べ伝えた事柄にニネベの人々は強烈な印象を受け,全市民が粗布をまとい,灰をかぶって悔い改めたが,これは十分理解できることである。つまり,東洋人が非常に感情に動かされやすい人々であること,アジアの異教にはみな至高者への独特の畏敬の念が見られること,アッシリアではごく初期の時代から予言や神託が非常に重んじられていたことなどを心に留めさえすれば理解できる。……また,一人の異国人が何ら個人的な利益を受けるわけでもなく極めて大胆不敵な態度でこの大王都の不信心を暴露し,神から遣わされた預言者たちのあの顕著な特徴である確信をもって,この都市がごく短期間のうちに滅びると告げ知らせたその様子は人々の思いに強烈な印象を与えずにはおかなかったこと,それもイスラエルの預言者たちの奇跡的な業に関するうわさがニネベに広まっていたとしたらなおさら強烈な印象だったであろうことも考慮すれば,十分理解できる」―「旧約聖書注解」,1973年,第10巻,ヨナ 3:9,407,408ページ。
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ヨナ書聖書に対する洞察,第2巻
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信ぴょう性 ヨナ書は,その中で述べられている出来事の多くが超自然的な性質のものであるゆえに,しばしば聖書批評家たちから攻撃されてきました。大暴風が生じたこととそれが急に収まったこと,魚が預言者ヨナを呑み込んで3日後にその預言者を無傷のまま吐き出したこと,ひょうたんが突然に生長し突然に枯れたことなどはみな,今日そのようなことは起きないという理由で,史実ではないというレッテルを貼られてきました。もしヨナ書の中で当時はそういうことが普通の出来事であったとされているとしたら,その主張も根拠があるかもしれません。しかし,そのようなことは述べられていません。ヨナ書は,神から特別な任務を与えられた人の生涯中の出来事を物語っています。ですから,そうした事が起きたはずはないと言う人たちは,神の存在を否定するか,神がご自分の目的のために特別の方法で種々の自然力に,また植物や動物や人間の命に影響を及ぼす能力を持っておられることを否定しなければなりません。―マタ 19:26を参照。
ヨナを呑み込んだ海の生き物とはどのような生物と考えられますか
かつて論争の際によく指摘されたのは,人を呑み込めるような海の生き物はいないという点でした。しかし,その論議は有効なものではありません。マッコウクジラは頭部が体長の約3分の1を占める巨大な長方形で,人をそっくり呑み込むことも十分にできます。(ウォーカーの「世界の哺乳動物」,R・ノワクおよびJ・パーラーディーゾウ改訂,1983年,第2巻,901ページ)興味深いことに,古代の海港ヨッパは捕鯨船の拠点であった証拠があります。他方,ヨナを呑み込んだ魚はホオジロザメであった可能性もあります。1939年に捕獲された1匹のホオジロザメの胃の中には,体長2㍍のサメが丸ごと2匹 ― どちらも人間ぐらいの大きさのもの ― 入っていました。しかも,ホオジロザメは,地中海を含めあらゆる海域を泳ぎ回っています。(「オーストラリアの動物学便覧」,『オーストラリアの魚類』,G・P・ウィトリー著,シドニー,1940年,第1部 ―『サメ』,125ページ; 「サメの博物誌」,R・H・バッカスおよびT・H・リニアウィーバー3世共著,1970年,111,113ページ)しかし聖書は,「エホバは大魚に任じてヨナを呑み込ませた」と述べているにすぎず,魚の種類を明記していないことに注目すべきです。(ヨナ 1:17)ですから,一体どんな「魚」が関係していたのかについては確定できません。実際,様々な海域や海洋にすんでいる生き物についての人間の知識はまだ不完全です。サイエンティフィック・アメリカン誌(1969年9月号,162ページ)は次の点に注目しています。「これまでにもそうであったように,今後も深海の探査が進んでゆけば,とうの昔に絶滅したと考えられている種の生物を含め,まだどの本にも紹介されていない種々の生き物が明らかにされることは間違いない」。
中には,この預言者の活動を裏付けるものがアッシリアの記録に一つもないという理由でヨナ書の信ぴょう性を疑問視する人もいます。しかし,実のところ,そのような情報がないとしても驚くには当たりません。古代の諸国民は慣例として,自国の失敗や恥辱ではなく成功を賞揚し,また自国に都合の悪い事柄は抹消しました。それに,古代の記録類がすべて保存されてきた,あるいは発見されているわけではありませんから,だれもヨナの時代に起きた事柄に関する記述は一つもなかったとは確言できません。
ある種の詳細な事柄(例えば,時のアッシリアの王の名前や,ヨナが陸に吐き出された際の正確な地点)が述べられていないことも,ヨナ書が真の歴史書ではない証拠として指摘されてきました。しかし,こうした反対意見は,歴史物語というものはすべて要約された記述であり,歴史家は自分の目的達成のために重要もしくは必要と考える情報しか記録しないという点を無視しています。注解者C・F・カイルは適切にもこう述べています。「古代の歴史家で,その著作にこれほどの完全さが見られる者は一人もいない。聖書の歴史家が,自分の書く物語のおもな目的や,事実そのものの宗教的意義と直接に関係のない事柄を伝えようと意図するはずもない」―「旧約聖書注解」,1973年,第10巻,『ヨナ書序説』,381ページ。
考古学上の証拠は古代ニネベを囲む城壁の円周が13㌔ほどにすぎなかったと解釈されてきたため,ニネベを歩いて回ると3日かかる都市と述べているヨナ書はその都市の大きさを誇張していると言われます。(ヨナ 3:3)しかし,これは聖書の述べている事柄に異議を唱えるもっともな理由とはなりません。都市の名は,聖書時代の用法でも現代の用法でも,市の郊外を含む場合があります。事実,創世記 10章11,12節は,ニネベ,レホボト・イル,カラハ,およびレセンが「大きな都市」であったことを示しています。
ヨナが一人称で書かなかったことも,この書の信用を落とすのに用いられてきました。しかしこの論議は,聖書筆者たちが自分自身を三人称で述べることも珍しくなかったという点を考慮に入れていません。(出 24:1-18; イザ 7:3; 20:2; 37:2,5,6,21; エレ 20:1,2; 26:7,8,12; 37:2-6,12-21; ダニ 1:6-13; アモ 7:12-14; ハガ 1:1,3,12,13; 2:1,10-14,20; ヨハ 21:20)クセノフォンやツキディデスをはじめ,古代の一般の歴史家たちでさえそうしています。それでも彼らの記述の真正性がそのような根拠で疑問視されたことは一度もありません。この点は注目に値します。
ヨナ書は,「エホバの言葉が……臨むようになって」という冒頭の言葉により,神に由来する書であることを明らかにしています。(ヨナ 1:1)ユダヤ人はごく初期の時代からこの預言書や他の同様の前置きの言葉で始まる預言書を(エレ 1:1,2; ホセ 1:1; ミカ 1:1; ゼパ 1:1; ハガ 1:1; ゼカ 1:1; マラ 1:1)真正なものとして受け入れてきました。このこと自体その信ぴょう性を十分に弁護するものとなっています。その点についてはこう述べられています。「ユダヤ人の権威者たちがそのような書を真正性や信ぴょう性の確たる証拠もないまま聖書正典の中に受け入れたとは,……実際のところ想像もできない」― インペリアル聖書辞典,P・フェアベアン編,ロンドン,1874年,第1巻,945ページ。
しかも,この書は聖書中のほかの書と完全に調和しています。救いをエホバに帰しており(ヨナ 2:9。詩 3:8; イザ 12:2; 啓 7:10と比較),その物語は,罪深い人間を扱う際のエホバの憐れみ,辛抱強さ,辛抱,過分の親切などを例証しています。―ヨナ 3:10; 4:2,11。申 4:29-31; エレ 18:6-10; ロマ 9:21-23; エフェ 2:4-7; ペテ二 3:9と比較。
聖書のこの書の信ぴょう性を証しするもう一つの証拠は,その率直さです。ヨナが自分の任務に対して,またニネベの人々を容赦された神の行動に関して取ったふさわしくない態度は覆い隠されていません。
しかし,最も決定的な証拠は,神のみ子自身が提出しておられる証拠です。み子はこう言われました。「[この世代に]預言者ヨナのしるし以外には何のしるしも与えられないでしょう。ヨナが巨大な魚の腹の中に三日三晩いたように,人の子もまた地の心に三日三晩いるのです。ニネベの人々は裁きの際にこの世代と共に立ち上がり,この世代を罪に定めるでしょう。彼らはヨナの宣べ伝えることを聞いて悔い改めたからですが,見よ,ヨナ以上のものがここにいるのです」。(マタ 12:39-41; 16:4)キリスト・イエスの復活は,ヨナが魚の腹から救出されたのと全く同様に現実となるはずでした。また,ヨナの宣べ伝える言葉を聞いた世代は,キリスト・イエスの語った事柄を聞いた世代と全く同様に文字通りの世代であったに違いありません。ニネベの人々が架空の人々であったなら,決して裁きの際に立ち上がって,こたえ応じなかったユダヤ人の世代を罪に定めることなどできないでしょう。
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