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エホバの日が近い今,人々をどう見るべきですかものみの塔 2003 | 7月15日
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人々に対するヨナの正反対の見方
6 ニネベの人々は,ヨナの布告にどのようにこたえましたか。
6 次に,二つ目の例としてヨナを取り上げましょう。このたび,滅びに定められた都市はニネベでした。預言者ヨナは,その都市の悪が『エホバの前に達した』ことをふれ告げるように,と言われていました。(ヨナ 1:2)ニネベは,郊外部を含めると大きな都市であり,「歩いて回ると三日かか(り)」ました。ヨナはついに指示どおりニネベに入り,「あとわずか四十日でニネベは覆される」と宣言し続けました。すると,「ニネベの人々は神に信仰を置くようになり,断食をふれ告げて粗布をまとい」ました。ニネベの王までが悔い改めました。―ヨナ 3:1-6。
7 エホバは,悔い改めたニネベの人々の態度をどうご覧になりましたか。
7 ソドムでの反応とは何と対照的なのでしょう。悔い改めたニネベの人々をエホバはどうご覧になりましたか。ヨナ 3章10節にこうあります。「まことの神は,彼らに加えると語られたその災いに関して悔やまれた。そして,それを加えなかった」。ニネベの人々が歩みを改めたので,その人々に対する扱い方を変化させた,という意味でエホバは「悔やまれ」ました。神の規準が変わったわけではありませんが,ニネベの人々が悔い改めたのをご覧になって,エホバは決定を変更されたのです。―マラキ 3:6。
8 ヨナが不機嫌になったのはなぜでしたか。
8 ヨナは,ニネベが滅ぼされないことを知って,エホバの観点で物事を見たでしょうか。そうではありません。「ヨナにとってそれは大いに不愉快な事であった。彼は怒りに燃えた」とあるとおりです。ヨナはさらにどうしたでしょうか。こう記されています。「彼はエホバに祈ってこう言った。『ああ今,エホバよ,わたしが自分の土地にいた時,この事がわたしの問題ではありませんでしたか。そのためにわたしは先にタルシシュに逃げたのです。あなたが,慈しみと憐れみに富み,怒ることに遅く,愛ある親切に満ちた神であり,災いについて悔やまれる方であることを知っていたからです』」。(ヨナ 4:1,2)ヨナはエホバの特質について知っていました。しかし,その時点では不機嫌になり,悔い改めたニネベの住民に対して神と同じ見方をしていませんでした。
9,10 (イ)エホバはヨナにどんな教訓を与えましたか。(ロ)ヨナが最終的には,ニネベの人々に対してエホバのような見方をしたと考えてよいのはなぜですか。
9 ヨナはニネベから出て行き,仮小屋を建ててその陰に座り,「その都市がどうなるかを見」ました。エホバは,一本のひょうたんが生長して,ヨナのために日陰を作るようにされました。しかし翌日,ひょうたんは枯れました。ヨナがそのことで怒りを覚えると,エホバはこう言われました。「あなたは,……ひょうたんを惜しんだ。……では,わたしとしても,大いなる都市ニネベを,右も左も全くわきまえない十二万以上の人々に加えて多くの家畜もいるこの所を惜しんだとしても当然ではないか」。(ヨナ 4:5-11)これは,人々に対するエホバの見方という点で,ヨナにとって貴重な教訓となったことでしょう。
10 ニネベの人々を惜しむという神の言葉にヨナがどう反応したかは記されていません。とはいえ,悔い改めたニネベの人々に対して,ヨナは自分の見方を調整したに違いありません。わたしたちがそう結論するのは,霊感によるこの記述を作成するのに,エホバがヨナを用いておられるからです。
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エホバの日が近い今,人々をどう見るべきですかものみの塔 2003 | 7月15日
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12 宣教奉仕で会う人々に対して,ヨナのような態度を取りがちなのはなぜですか。この点で何ができますか。
12 悪の終わりを切に望むのは当然です。(ハバクク 1:2,3)それでも,ヨナのような態度を取り,悔い改めるかもしれない人々の福祉に無頓着になるのは,ありがちなことです。王国の音信を携えて家々を訪ねるとき,無関心な人,敵対的な人,さらにはけんか腰の人に会うことが多いと,なおさらそうなりやすいでしょう。この邪悪な事物の体制からエホバがまだ集め出しておられない人々がいることを見落としてしまうかもしれません。(ローマ 2:4)真剣に自分を吟味して,ニネベの人々に対するヨナの最初の態度に少しでも似たところが認められるなら,自分の見方をエホバの見方に合わせるための助けを祈り求めることができます。
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