-
ケニアにおいて『りっぱな業に対する熱心さ』を示すものみの塔 1987 | 4月15日
-
-
地歩を固めた初期の開拓者たち
1931年のこと,フランク・スミスとグレイ・スミスが40カートンの書籍を携えて南アフリカから船でモンバサにやって来ました。そして二人はナイロビへの,危険で心身の疲れる旅をしました。ナイロビで二人は,持ってきた出版物を1か月ほどですべて配布しましたが,二人ともマラリアにかかってしまいました。フランクは亡くなりましたが,最後まで忠実を全うしました。同年暮れに,ロバート・ニスベットとデービッド・ノーマンが同様のルートで奉仕の旅を行ない,東アフリカで200カートンの出版物を配布しました。このようにして,ケニアで最初の真理の種がまかれました。
その後1935年に,グレイ・スミスとその妻,およびロバート・ニスベットとその兄のジョージが,以前に関心を示した人々を援助する目的で再び出かけました。この度はロバートが腸チフスにかかりました。他の仲間たちは,マラリアと黒水熱に悩まされました。こうした困難な状況に加えて,植民地政府の反対と国外追放の命令に直面しました。しかし初期の熱心な開拓者たちはこうした逆境をものともせず,膨大な量の出版物を配布し,増加の基礎を据えました。例えば,それから30年ほど後にケニアの僻地の区域で奉仕をしていた一人の証人は,「和解」という本を持っていた男性に出会って,驚きました。その本は,その男性の実の兄弟が1935年に手に入れたものでした。この男性は進歩し,今ではエホバの証人です。
成長は続く
1949年になって,最初の証人であるメアリー・ウィッティングトンがケニアの首都ナイロビに住むようになりました。彼女はほんの1年前に英国でバプテスマを受けたばかりで,自分がこれから孤独や妨害や反対に直面することになるとは思ってもいませんでした。しかし彼女は,『小さな者が千となる』のを見る喜びにあずかりました。(イザヤ 60:22)現在73歳になる彼女は,今も正規開拓者として奉仕しています。
-
-
ケニアにおいて『りっぱな業に対する熱心さ』を示すものみの塔 1987 | 4月15日
-
-
開拓者精神
このような熱心さは,全時間の開拓宣教という際立った方法によっても示されてきました。さまざまな難しい状況に面しても,この奉仕に喜びを見いだした人は少なくありません。ある年若い正規開拓者は,蒸し暑い港湾都市モンバサで奉仕しています。彼は何年か前にトラックの事故で両足を失いました。病院にいる時に彼は自殺を考え,注射で自分を殺してほしいと看護婦に一生懸命頼みましたが,断わられました。退院後に彼は証人と出会い,証人たちと共に聖書を研究し始めました。その研究の結果,この若者はバプテスマを受け,全時間奉仕という新たな生活を始めるようになりました。この若者は熱心さと感謝に満ちあふれています。
家族の世話をする責任を持つ母親たちの中にも,正規開拓者になった人が大勢います。その中の一人の母親は,3人の子供を持っています。この母親は血圧が非常に高く,言語障害を抱えていました。また全時間の仕事をする必要があり,しかも夫はエホバの証人ではありませんが,幸福な開拓者です。言うまでもなく,正規開拓奉仕にあずかっているのは母親ばかりではありません。8人の子供を抱え,交替制の勤務のある仕事を持つある父親も最近,やはりこの奉仕の特権をとらえました。
正規開拓者にはなれなくても,開拓者精神に燃えている人は大勢います。そのような人たちは,補助開拓者として全時間の宣教に参加する機会を見いだし,宣べ伝える業を毎月60時間行なっています。
ケニアでは,1984年の4月と1985年の4月に,全伝道者の3分の1余りが何らかの全時間奉仕に参加しました。ある会衆ではその月に,73人の伝道者が補助開拓者となり,5人の正規開拓者と共に働きました。その会衆の他の28人の成員は,そのほとんどがバプテスマを受けていませんでしたが,平均64.6時間奉仕しました。結果として,233件の聖書研究が行なわれたのです!
年齢も障壁とはなりません。99歳のある老婦人は,補助開拓奉仕を始めました。身体的には限界があるものの,若い人や年配の人に対して勇敢に光を輝かせています。(マタイ 5:16)この婦人の努力により,他の多くの人が王国宣明者となるように助けられてきました。それらの人々にとって,このおばあちゃんの献身ぶりと開拓者精神は懐かしい思い出となっています。確かに,このような『りっぱな業に対する熱心さ』は,多くの人に開拓者精神を培わせるものとなりました。
-