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    1992 エホバの証人の年鑑
    • 衝撃 ― 1973年の禁令

      エホバの証人は正しい政治を脅かす存在であると考えられるためケニアにおいて禁止されたという1973年4月18日のラジオ放送は,非常に大きなショックでした。以前にもちょっとした騒ぎや少しの反対宣伝はあちこちでありましたが,正式に告発されたり,警察が行動に出たりすることは全くありませんでした。真の聖書教育が突然違法とされたのです。

      高位の役人に会って物事をはっきりさせる努力が払われました。正式な上訴が5月8日に提出されましたが,6日後に棄却されました。その間に,登録局長官はエホバの証人協会の登録を取り消しました。続いて大統領との会見も拒否されました。5月30日に登録取り消しに対する訴えが提出されました。ニューヨーク,ブルックリンにあるエホバの証人の世界本部は,これに続いてものみの塔協会会長の個人的な手紙を送りました。

      7月5日,ケニアの国会での討論の中心となったのはエホバの証人に関する事柄でした。エホバの証人はいまだに小さな政治的派閥と混同されており,世俗の政府を軽視し,病院での治療を拒否する者として描写されていました。悪魔の証人とさえ呼ばれました。もちろん,この出来事は人々がいかに間違った情報を信じやすいかを明らかに示すものでした。彼らは神のみ子イエス・キリストに非難を浴びせた人々によく似ていました。―マルコ 3:22。ルカ 23:2。

      次に政府は36人の宣教者を追放するという迅速な処置をとりました。宣教者は1973年7月11日に国を去らなければなりませんでした。それはケニアの神権的歴史にとって実に悲しい時でした。国じゅうにあった10の宣教者の家の備品を急いで処分しなければなりませんでした。身の回り品は木箱に詰めて残しておき,様々な任命地に送らなければなりませんでした。

      しかし,支部事務所は閉鎖されませんでした。崇拝の自由を保障したケニアの憲法に違反しているとして,禁令に異議を申し立てる訴訟を起こす準備が進められました。

      禁令が解除される!

      間もなく道理にかなった役人たちは次のことに気づきました。つまり,ケニアを穏健で道理にかない,民主的で自由に旅行ができ,人権を固守する国とみなしてほしいという願いと,すべての物事の進展とがうまくかみ合っていないということです。こうして1973年8月,政府は禁令を解除するという勇敢な行動をとりました。禁令はもともと存在していなかったという趣旨の政府からの告示が出されました。兄弟たちは歓喜しました。

  • ケニアとその近隣諸国
    1992 エホバの証人の年鑑
    • 証人たちにとって今回の突然の禁令は衝撃的な経験であり,信仰の試みとなりました。しかしこの出来事は,愛情深い創造者との親密な関係を持っていなかった人や,わたしたちの模範であるイエス・キリストという真の土台の上に信仰を築いていなかった人をふるい分けるという健全な影響を及ぼしました。(コリント第一 3:11)ケニアの兄弟たちが,宣教者たちや必要の大きな所で奉仕するために他の国から来た兄弟たちに頼ってばかりいるのではなく,自分たちでより多くの仕事と責任を担うことを学ばなければならない,ということが明らかになりました。聖書を一層個人的に研究し,熱烈に祈ることも必要でした。

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