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二人の王の抗争ダニエルの預言に注意を払いなさい
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むしろプトレマイオス4世は放とうの生活を送るようになり,そのため5歳の息子プトレマイオス5世が,アンティオコス3世の死ぬ何年か前に,次の南の王となりました。
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二人の王の抗争ダニエルの預言に注意を払いなさい
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28 若い南の王は,どんな厄介な問題を抱えていましたか。
28 南の王は自分の王国の内紛にも悩まされていました。「その時,南の王に立ち向かう者が多くいる」と,み使いは述べています。(ダニエル 11:14前半)実際に多くの者が「南の王に立ち向か(い)」ました。この若い南の王は,アンティオコス3世およびその同盟者のマケドニアの軍勢だけでなく,エジプトの様々な国内問題にも遭遇していました。王の後見役であり,王の名において支配したアガトクレスがエジプト人たちを尊大に扱ったため,多くの者が反乱を起こしました。
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二人の王の抗争ダニエルの預言に注意を払いなさい
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そして,南の腕は立ち向かうことができない。彼のより抜きの民も同様である。こらえて立つ力はないであろう。
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二人の王の抗争ダニエルの預言に注意を払いなさい
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30 プトレマイオス5世の率いる軍勢,つまり「南の腕」は,北からの襲撃に屈しました。アンティオコス3世はパニアス(カエサレア・フィリピ)で,エジプトの将軍スコパスと,選ばれた兵士つまり「より抜きの民」1万人を撃退して,「城塞のある都市」であるシドンに追いやります。そこでアンティオコス3世は「攻囲の塁壁を盛り上げ」,西暦前198年にフェニキア人のその海港を攻め取ります。
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二人の王の抗争ダニエルの預言に注意を払いなさい
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32 北の王アンティオコス3世は,「自分の王国全体の勢いをもって」エジプトを統治すべく「顔を向け」ますが,結果的には,南の王プトレマイオス5世と,平和のための,「平衡を図る協約」を結びます。アンティオコス3世はローマの要求により,計画を変更したのです。エジプトの領土を占拠するため,アンティオコス3世とマケドニア王フィリッポス5世が若年のエジプト王に対抗して手を結んだ時,プトレマイオス5世の後見役たちはローマに保護を求めました。ローマは勢力範囲を拡大できるその機会を利用し,力をもって威嚇しました。
33 (イ)アンティオコス3世とプトレマイオス5世との間で結ばれた,平和のための協約とは何でしたか。(ロ)クレオパトラ1世とプトレマイオス5世の結婚にはどんな目的がありましたか。そのもくろみが失敗したのはなぜですか。
33 アンティオコス3世はローマに強要され,平和のための協約を南の王に提出します。しかし,征服した領土をローマの要求どおりに引き渡すのではなく,娘のクレオパトラ1世 ―「女たちの娘」― をプトレマイオス5世と結婚させることにより,名目上それらの領土を譲渡する計画を立てました。持参金に相当するものとして,「飾りの地」であるユダを含む諸州が与えられることになりました。ところが,西暦前193年のその結婚に際して,シリアの王はそれら約束の諸州をプトレマイオス5世に与えませんでした。これはエジプトをシリアに従属させるために仕組まれた政略結婚だったのです。しかし,このもくろみは失敗しました。というのも,クレオパトラ1世は後に夫の側に立ったため,「ずっと彼のものとしてとどまることはな(かった)」からです。アンティオコス3世とローマ人の戦争が勃発した時,エジプトはローマの側に付きました。
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二人の王の抗争ダニエルの預言に注意を払いなさい
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36 (イ)南の王はどのように戦いを続けようとしましたか。しかし,結局どうなりましたか。(ロ)セレウコス4世はどのように倒れ,だれがその後を継ぎましたか。
36 南の王プトレマイオス5世は,クレオパトラの持参金に相当するものとして手に入るはずだった諸州を獲得しようとしますが,毒殺されてその野望は潰え,
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