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    1988 エホバの証人の年鑑
    • 組織された集会から兄弟たちは励みを得る

      宣教者が到着して初めて,組織された「ものみの塔」研究が始まりました。崔<チョイ>兄弟が研究の資料を翻訳すると,次に朴鍾一<パク ジョンイル>兄弟がその資料全部を9枚の薄い複写用紙とカーボン紙を使って書き写しました。しかし1949年8月14日に行なわれた最初の「ものみの塔」研究には47名も出席したため,各複写用紙の周りは集会から益を得ようとする人で一杯になりました。このあと韓国では奉仕会が初めて開かれるようになりました。

      このころ再び会衆と交わるようになった申浣<シン ワン>兄弟は小さな謄写版印刷店を経営していたため,その店は王国のために良い目的で用いられました。「ものみの塔」誌の資料の翻訳がなされると,原稿は蝋ステンシルに書き写され,次にハンド・ローラーで資料の印刷がなされて,集会の出席者全員の分の写しが作られました。もはや手で書き写す必要はないのです!

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    1988 エホバの証人の年鑑
    • 最初の神権宣教学校が組織された後,1950年の春には公開集会も開かれるようになりました。出席者は非常に多く,162名を数えるまでになったため,齋洞<チェドン>小学校の講堂で一連の公開講演を開く取り決めが設けられました。「わたしたちの地球の運命」と題する最初の講演は1950年6月25日に平和な雰囲気のもとで行なわれましたが,注目すべきことにその日は,朝鮮戦争が勃発した運命の日となりました。

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