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ミクロネシア1997 エホバの証人の年鑑
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ポーンペイの熱心な一家族は,1969年にハワイで開かれた「地に平和」国際大会に出席した後,神の王国だけがもたらすことのできる平和について美しいコスラエ島でふれ告げるのは,自分たちが最初かもしれないということを実感しました。大会で奮い立たされたフレディ・エドウィンは,家族を連れて,580㌔離れたこの海洋上の点のような孤立した小島へ移動しました。ここは,19世紀には捕鯨船の母港としてよく知られていた所です。エドウィン一家がここへ移ったのももっともなことでした。フレディの妻リリアンはコスラエ島の王の娘でしたし,コスラエ語はフレディが話すことのできる七つの言語のうちの一つだったからです。
エホバの証人になる前,フレディ・エドウィンは,聖書をポナペ語に翻訳したプロテスタントの委員会のメンバーでした。フレディがコスラエ島へ移ってからは,ものみの塔の出版物をコスラエ語で入手できるようにするため,彼の翻訳の技能が役立ちました。家族のほかの成員も,王国の音信をふれ告げる業にいそしんできました。娘のデシーナは大学の奨学金を辞退し,ミクロネシアで最初の特別開拓者になりました。もう一人の娘ミルドレッドは正規開拓者として奉仕しましたし,フレディの妻もしばしば補助開拓者として奉仕してきました。
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ミクロネシア1997 エホバの証人の年鑑
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[246ページの図版]
左側がフレディ・エドウィン。その右に妻,子供,そして孫たち
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