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地獄は責め苦の場所ですか目ざめよ! 1986 | 4月22日
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聖書は確かに,人々が火の中に投げ込まれることを述べています。しかし聖書では,物事を象徴的に表現することがしばしば行なわれています。では,その火は文字通りの火でしょうか,それとも象徴的な火でしょうか。象徴的なものとすれば,何を表わしているのでしょうか。
例えば,啓示 20章15節(日本聖書協会 文語聖書)には,「すべて生命の書に記されぬ者は,みな火の池に投げ入れられたり」とあります。しかし14節には,「斯て死も陰府[地獄,ジェームズ王欽定訳(英文)]も火の池に投げ入れられたり」とあります。不思議なことです! 地獄そのものが責め苦に遭うのですか。また,死は状態であるのに,どのようにして実際の火に投げ込めるのでしょうか。14節のあとの部分には,「此の火の池は第二の死なり」と記されています。啓示 21章8節でもこの点が繰り返し述べられています。この「第二の死」とは何でしょうか。カトリックのエルサレム聖書はこの「第二の死」に関して,「永遠の死。火は……象徴である」という脚注を付しています。全くそのとおりです。第二の死は完全な破滅,または滅亡を意味しているからです。
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地獄は責め苦の場所ですか目ざめよ! 1986 | 4月22日
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それでも,『啓示 20章10節に悪魔は火の池の中で苦しめられるとあるのはなぜか』,と尋ねる方もあるかもしれません。すでに見たように,火の池が象徴であるのであれば,必然的にその責め苦も象徴的なものです。
聖書時代の牢番は,囚人を残酷に扱うことが多かったので,「責め苦に遭わせる者たち」と呼ばれていました。イエスは一つの例えの中で,ある残酷な奴隷が『牢番たち(ギリシャ語ではバサニステースで,実際には「責め苦に遭わせる者たち」という意味があり,幾つかの翻訳ではそのように訳出されている)に引き渡される』ことについて語っておられます。(マタイ 18:34)ですから,啓示の書に,悪魔とそのほかの者たちが火の湖の中で「永遠に……苦しめられる」と述べられているのは,彼らが完全な破滅である第二の死に永久に「監禁」されるという意味です。悪魔,そしてアダムから受け継いだ死,および悔い改めない悪人はみな永久に滅ぼされるもの,つまり火の湖の中に「監禁」されるものとして語られています。―ヘブライ 2:14; コリント第一 15:26; 詩編 37:38と比較してください。
聖書が象徴を用いていることを認識すれば,イエスがどんな意味で,罪人は「地獄の火に投げ入れらる」とか,「そこにては,そのうじ死なず,火も消されぬなり」と言われたかを理解する助けになります。(マルコ 9:47,48,ジェームズ王欽定訳[英文])ここで用いられ,「地獄の火」と訳されているギリシャ語はゲエンナで,言い換えればゲヘナです。この名を持つ谷がエルサレム市のすぐ外にあり,塵芥投棄場として使用されていました。そこでは市から出るごみを焼くために昼夜を問わず火が燃やされていました。そのごみの中には時に,正式埋葬に値しない,あるいは復活に値しないと考えられた犯罪者の死体も入れられることがありました。その谷には滅ぼすものとしてうじもいましたが,それらのうじは確かに不滅ではありませんでした。イエスはただ写実的な例えを用い,ユダの人々によく分かる方法で,悔い改めない悪人は永遠に滅ぼされることをお示しになったにすぎません。したがって,ゲヘナは「火の湖」と同じ意味があり,永遠の滅びである第二の死を表わします。
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