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    ものみの塔 1999 | 4月15日
    • 永遠の命は本当に可能ですか

      「師よ,永遠の命を得るために,わたしはどんな善いことを行なわなければならないでしょうか」― マタイ 19:16。

      1 人間の寿命について,何と言えますか。

      聖書の中でアハシュエロスとして知られているペルシャの王クセルクセス1世は,西暦前480年,ある戦いに臨む前に自国の軍隊を検閲していました。(エステル 1:1,2)ギリシャの歴史家ヘロドトスによれば,王は閲兵しながら涙を流しました。なぜでしょうか。クセルクセスはこう語りました。「人の命のはかなさを思うと,悲しみを禁じ得ない。これらすべての兵士のうち一人として100年後まで生き長らえる者はいないのだ」。皆さんも,命が実にはかないものであること,また年老いて病気になって死にたいなどと思う人はいないことを認めておられるでしょう。若々しく健康なまま幸福な生活を楽しめれば,それに越したことはありません。―ヨブ 14:1,2。

      2 多くの人は,どんな希望を持っていますか。それはなぜですか。

      2 意義深いことに,1997年9月28日付のニューヨーク・タイムズ・マガジン(英語)は,「生きてゆきたい」という特集記事を載せました。その記事には,ある研究者の言葉が引用されていました。「私は,永遠に生きる最初の世代は我々かもしれない,と本気で考えている」というのです。あなたも,永遠の命は可能である,と信じておられるかもしれません。そう考えるのは,聖書が,人間はこの地上で永久に生きられると約束しているからでしょう。(詩編 37:29。啓示 21:3,4)しかし,ある人々は,聖書に見いだせる以外の理由で永遠の命は可能である,と考えています。そうした理由を幾つか考察するなら,永遠の命は本当に可能であるという認識を持てるでしょう。

      永久に生きるよう設計されている

      3,4 (イ)人間は永久に生きられるはずだと,ある人たちが信じているのはなぜですか。(ロ)ダビデは,自分の形成過程について何と述べましたか。

      3 多くの人が人間は永久に生きられるはずだと信じている一つの理由は,驚嘆すべき人体の造りと関係があります。例えば,母胎内での胎児の形成過程一つにしても,まさに奇跡的です。老化現象に関するある指導的な権威者は,こう書いています。「自然は,人間を受胎から誕生に,またその後,性的な成熟と成人期に至らせる奇跡を行なった後,そうした奇跡を永遠に維持するというだけの,もっと初歩的と思えるメカニズムを考案しないことにした」。そうです,人間の奇跡的な造りのことを考えると,人間が死ななければならないのはなぜか,という疑問が残るのです。

      4 今から幾千年も前に,聖書筆者ダビデは,まさにこの種の奇跡について熟考しました。とはいえ,今日の科学者が行なえるように,子宮内を実際に見ることができたわけではありません。ダビデは,自分自身の形成過程について思い巡らし,自分が「母の腹の中に,仕切られた状態にして保たれ(ていた)」と書いています。そのとき,『自分の腎臓が造り出された』と言っています。ダビデは,自分の「骨」が形成されたことについても語り,そのとき「わたし(は)ひそかに造られた」と述べています。次いでダビデは,「胎児のときのわたし」について語り,母親の子宮内のその胎児に関連して,「そのすべての部分が書き記されてい(た)」ことを認めています。―詩編 139:13-16。

      5 人間が胎内で形成されることには,どんな奇跡が関係していますか。

      5 ダビデが母親の胎内で形成されてゆくさまについて,文字どおりの手書きの青写真があったわけでないことは明らかです。しかしダビデは,自分の「腎臓」や「骨」,また体の他の部分が造られるさまについて黙想したとき,そうしたものが設計図にしたがって発達し,すべてがいわば「書き記されて」いたように思えたのです。母親の胎内の受精した細胞の中に大きな部屋があり,本がぎっしり詰まっていて,人間の赤ちゃんをどのように形作るかについての詳しい指示がそれらの本に掲載され,そうした複雑な指示が,出現する細胞一つ一つに伝えられたかのようでした。そのようなわけで,サイエンス・ワールド誌(英語)は,『発育過程にある胎児の細胞一つ一つが,青写真一式を収めたキャビネットを備えている』という比喩的な言い方をしています。

      6 ダビデが書いているように,わたしたちが「くすしく造られて」いるというどんな証拠がありますか。

      6 あなたは,人体の,奇跡的とも言える機能について考えたことがありますか。生物学者のジャレド・ダイヤモンドは,「腸の内壁を覆っている細胞は数日に一度,膀胱の内壁を覆っている細胞は2か月に一度,赤血球は4か月に一度新しくなる」と述べ,「自然は毎日のようにわれわれをばらばらにし,元通りにしているのである」と結論しています。これは実際には何を意味するでしょうか。それは,8年であれ80年であれ,さらには800年であれ,生きる年数にかかわりなく,人体は非常に若いままであるということです。ある科学者はかつてこう概算しました。「現在我々のからだの中にある原子の約98%は,1年以内に,我々が空気,食物,飲み物を通して摂取した他の原子に取って代わられる」。確かに,ダビデがたたえたとおり,わたしたちは「くすしく造られて」います。―詩編 139:14。

      7 人体の造りに基づいて,ある人たちはどんな結論に達していますか。

      7 老化現象に関するある権威者は,人体の造りに基づいて,「老化の生じる理由ははっきりしていない」と述べています。人間は実際のところ,永久に生きてもいいはずだと思えるのです。人間が科学技術によってこの目標を達成しようとしているのはそのためです。比較的に最近のことですが,アルビン・シルバースタイン博士は,「死を征服する」(英語)という著書に,確信をもってこう書いています。「生命の本質が解明されるだろう。われわれは……老化の実態を理解することになるだろう」。どんな結果になるでしょうか。博士はこう予言しています。「“年老いた”人はもはやいなくなる。死を征服することを可能にする知識は,永遠の若さをももたらすからである」。人間の造りについてのこうした現代科学の考察からしても,永遠の命という考えはそんなに不合理なものでしょうか。永遠の命は可能であると信じることのできる,さらに強力な別の理由があります。

      永久に生きたいという欲求

      8,9 歴史を通じて人々は,どんな自然の欲求を抱いてきましたか。

      8 永久に生きるのは,人間としての自然な欲求である,という点に留意されたことがありますか。ドイツの一雑誌の中で,ある医師は,「永遠の命の夢は,人類の誕生以来のものであろう」と書いています。新ブリタニカ百科事典(英語)は,古代のあるヨーロッパ人の信じていた事柄を描写し,「立派な人々は,金で屋根をふいた,まばゆい邸宅で永久に生きるだろう」と述べています。永遠の命という基本的な欲求を満たそうとして人々は何と大きな努力を払ってきたのでしょう。

      9 アメリカーナ百科事典(英語)によると,2,000年余り前,中国では,「皇帝も[一般の]人々も一様に,道教の僧の指導のもと,ろくに仕事もせずに不老不死の霊薬を探し」ました。いわゆる若返りの泉を見つけようとしたのです。実際,歴史を通じて人々は,さまざまな調合物を摂取すれば,あるいは特定の水を飲みさえすれば若さを保てる,と信じてきました。

      10 いつまでも持続する命を得ようとして,現代においてどんな試みがなされていますか。

      10 永遠の命に対する人間固有の欲求を満足させようとする現代の努力も,同様に注目に値します。顕著な例は,病気で死んだ人間を冷凍する慣行です。将来のいつかその病気の治療法が開発された時に蘇生させてもらうことを期待して,そうしたことがなされています。冷凍保存術と呼ばれるこうした慣行を支持するある人は,こう書いています。「もし我々の楽観的な見方の正しかったことが証明されたなら,そして老齢による衰弱も含め,あらゆる損傷を治療もしくは修復する方法が見いだされたなら,今“死んでいる”人たちは将来いつまでも持続する命を持つことになる」。

      11 人々が永久に生きたいという欲求を持っているのはなぜですか。

      11 永遠の命に対する欲求がこれほどまで思考の根底にあるのはなぜか,と尋ねる方もおられるでしょう。「[神]は人間の思いに永遠を置かれた」というのがその理由です。(伝道の書 3:11,改訂標準訳)これはまじめに熟考すべき事柄です。考えてください。もしもとこしえに,つまり永久に生きていたいという欲求の満たされることが創造者の目的ではないとしたら,わたしたちに生来その欲求があるのはなぜでしょうか。創造者が,永遠に生きたいという欲求を持つものとして人を創造しておきながら,その欲求の満たされないままにして人をがっかりさせるとしたら,それは愛のあることでしょうか。―詩編 145:16。

      だれを信頼すべきか

      12 ある人たちは,どんな確信を抱いていますか。あなたは,その種の確信に十分な根拠があると思いますか。

      12 では,永遠の命を得るため,どこに,あるいは何に信頼を置けるのでしょうか。20世紀,いや21世紀の人間の科学技術ですか。ニューヨーク・タイムズ・マガジンの「生きてゆきたい」という記事は,「神: 科学技術」と,「科学技術の潜在力に対する強い期待」に言及しました。ある研究者は,「やがて遺伝子操作技術が利用できるようになり,老化を止め,多分それを逆転させることによって[我々の]救いとなることを……楽観的に信じて」いるとさえ言ったとされています。しかし,実際のところ,老化を止め,あるいは死を征服する点で,人間の努力は全く効果を上げていません。

      13 人間の脳の構造は,人間が永久に生きるように意図されていることをどのように示していますか。

      13 では,永遠の命を得る道はないということでしょうか。そうではありません。道はあります。人間の脳の驚嘆すべき構造,その実質的に無限の学習能力を考えれば,そうした道のあることを確信できるはずです。分子生物学者のジェームズ・ワトソンは,人間の脳を「宇宙で今までに発見されたもののうち,最も複雑なもの」と呼びました。神経学者のリチャード・レスタクも,「既知の宇宙のどこにも,それにわずかでも類似したものは存在していない」と述べました。もし永遠の命を享受するように意図されたのでなければ,実質的に無限の情報を蓄積し,吸収する能力のある頭脳と,永久に機能する造りになっている体がわたしたちに備わっているのはなぜでしょうか。

      14 (イ)聖書筆者たちは,人間の命についてどんな結論を示していますか。(ロ)人にではなく,神に信頼を置くべきなのはなぜですか。

      14 では,唯一の,道理にかなった,事実に基づく結論は何でしょうか。人間は全能の理知ある造り主によって永久に生きられるように設計され,創造された,ということではないでしょうか。(ヨブ 10:8。詩編 36:9; 100:3。マラキ 2:10。使徒 17:24,25)したがって,わたしたちは賢明にも,聖書の詩編作者の,霊感による次の命令に留意すべきではないでしょうか。「高貴な者にも,地の人の子にも信頼を置いてはならない。彼らに救いはない」。なぜ人間を信頼しないのでしょうか。詩編作者が書いているとおり,「その霊は出て行き,彼は自分の地面に帰る。その日に彼の考えは滅びうせる」からです。事実,人間は永久に生きる見込みを持ってはいても,死を前にしては無力です。詩編作者は結論として,『望みを自分の神エホバに置く者は幸いだ』と述べています。―詩編 146:3-5。

      それは本当に神の目的か

      15 わたしたちが永久に生きるのが神の目的であることは,何に示されていますか。

      15 しかし,わたしたちが永遠の命を享受することは本当にエホバの目的なのですか,と尋ねる方もおられるでしょう。そのとおりです。その約束は,み言葉の中で何度も述べられています。「神の賜物は……永遠の命……です」と,聖書は確約しています。神の僕ヨハネも,「永遠の命,これが,[神]ご自身がわたしたちに約束してくださったその約束のものなのです」と書いています。ある青年がイエスに,「師よ,永遠の命を得るために,わたしはどんな善いことを行なわなければならないでしょうか」と尋ねたのも,うなずけます。(ローマ 6:23。ヨハネ第一 2:25。マタイ 19:16)実際,使徒パウロは,『偽ることのできない神が,久しく続いた時代の前に約束された永遠の命の希望』について書いています。―テトス 1:2。

      16 どういう意味で,神は「久しく続いた時代の前に」永遠の命を約束された,と考えられますか。

      16 神が「久しく続いた時代の前に」永遠の命を約束されたとは,どういう意味でしょうか。ある人たちは,使徒パウロのこの言葉を,最初の夫婦アダムとエバの創造以前から,神は人間が永久に生きることを目的としておられた,という意味に理解しています。しかし,たとえ人間が創造されたあと,エホバがご自分の目的を語られたときのことをパウロが述べていたとしても,人間に永遠の命を与えることが神のご意志に含まれているということに依然変わりはありません。

      17 アダムとエバがエデンの園から追い出されたのはなぜですか。園の入口にケルブたちが配置されたのはなぜですか。

      17 聖書には,エデンの園で,『エホバ神は,命の木を地面から生えさせた』とあります。アダムをエデンの園から追い出したのは,アダムが「手を出してまさに命の木からも実を取って食べ,……生きる」,そうです,永久に生きることのないようにするためでした。エホバは,アダムとエバをエデンの園から追放した後,「ケルブたちと自ら回転しつづける剣の燃える刃」とを配置して「命の木への道を守らせ」ました。―創世記 2:9; 3:22-24。

      18 (イ)アダムとエバは,命の木から食べていたら,どうなっていたでしょうか。(ロ)その木から食べることは何を表わしていましたか。

      18 もしアダムとエバが,その命の木から食べることを許されていたとしたら,二人はどうなっていたでしょうか。そうです,楽園で永久に生きる特権を得たことでしょう。ある聖書学者は,このように憶測しました。「命の木には何らかの力があったに違いない。その力によって人間の体は老衰から,つまり死に至る腐朽から自由にされることになっていたのである」。この学者は,「楽園には[老化]作用を相殺できる薬草の力があった」とも主張しました。しかし,聖書は,命の木そのものに命を与える特性があったとは述べていません。むしろ,その木は,その実を食べることを許される人に神が永遠の命を保証することを表わしていたにすぎません。―啓示 2:7。

      神の目的は変わっていない

      19 アダムはなぜ死にましたか。その子孫であるわたしたちも死ぬのはなぜですか。

      19 アダムは罪をおかしたとき,自分自身と,まだ生まれていなかった子孫すべてのための永遠の命の権利を失いました。(創世記 2:17)アダムは不従順の結果として罪人となったとき,欠陥のある不完全な者となりました。その時以降アダムの体は,事実上,死ぬようにプログラムされたものとなりました。聖書に,「罪の報いは死です」と述べられているとおりです。(ローマ 6:23)さらに,アダムの不完全な子孫も,永遠に生きるようにではなく,死ぬようにプログラムされました。聖書はこう説明しています。「一人の人[アダム]を通して罪が世に入り,罪を通して死が入り,こうして死が,すべての人が罪をおかしたがゆえにすべての人に広がった」― ローマ 5:12。

      20 人間が地上で永久に生きるよう意図されていたことは,どんな点に示されていますか。

      20 しかし,もしもアダムが罪をおかさなかったならどうでしょうか。神に不従順にならず,命の木から食べる許可を与えられたなら,どうなったでしょうか。アダムは永遠の命という神の賜物をどこで享受したでしょうか。天においてでしょうか。そうではありません。神はアダムが天へ連れて行かれることなど一言も述べてはおられません。アダムは地上での仕事を割り当てられました。聖書は,「エホバ神は,見て好ましく食物として良いあらゆる木を地面から生えさせ(た)」と説明し,さらに,「エホバ神は人を取ってエデンの園に住ませ,それを耕させ,またその世話をさせた」と述べています。(創世記 2:9,15)アダムの配偶者としてエバが創造された後,その二人はこの地上での付加的な仕事を割り当てられました。神はこうお告げになりました。「子を生んで多くなり,地に満ちて,それを従わせよ。そして,海の魚と天の飛ぶ生き物と地の上を動くあらゆる生き物を服従させよ」― 創世記 1:28。

      21 最初の人間夫婦には,どんな驚嘆すべき見込みがありましたか。

      21 神からのその指示によってアダムとエバが得た驚嘆すべき地上での見込みのことを考えてみてください。地上の楽園で全く健康な息子や娘を育てるのです。愛する子供たちは成長するにつれ,やはり子を生み,その楽園を維持する楽しい園芸の仕事に加わります。すべての動物は人間に服し,人間は大きな満足を得ることになります。やがて全地が楽園になるようエデンの園の境界を広げてゆくという喜びのことを考えてみてください。あなたはそのような美しい住まいとなる地上で,年老いて死ぬという心配もなく,完全な子供たちと共に生活を楽しみたいと思われませんか。心の自然な反応にしたがってその質問に答えてみてください。

      22 神が地に対するご自分の目的を変えておられないと確信できるのはなぜですか。

      22 さて,アダムとエバが不従順になってエデンの園から追い出された時,神は人間が地上の楽園で永久に生きるという目的を変更されたでしょうか。そのようなことはありません。神がそうされたとしたら,当初の目的を遂行するご自分の能力に関して敗北を認めることになったでしょう。神は約束する事柄を行なわれる,とわたしたちは確信できます。ご自身がこう布告しておられるからです。「わたしの口から出て行くわたしの言葉も,それと全く同じようになる。それは成果を収めずにわたしのもとに帰って来ることはない。それは必ずわたしの喜びとしたことを行ない,わたしがそれを送り出したことに関して確かな成功を収める」― イザヤ 55:11。

      23 (イ)心が義に向いている人々が地上で永久に生きられるようにするのが神の目的であることは,何によって改めて確認できますか。(ロ)次はどんな点を取り上げますか。

      23 地に対する神の目的が変わっていないことは,聖書に明示されています。その中で神は,「義なる者たちは地を所有し,そこに永久に住むであろう」と約束しておられます。イエス・キリストも山上の垂訓の中で,温和な気質の人たちは地を受け継ぐと述べています。(詩編 37:29。マタイ 5:5)とはいえ,わたしたちはどのようにして永遠の命を得ることができるのでしょうか。そうした命を享受するためには何をしなければならないでしょうか。この点は次の記事で取り上げられます。

  • 永遠の命に至る唯一の道
    ものみの塔 1999 | 4月15日
    • 永遠の命に至る唯一の道

      「わたしは道であり,真理であり,命です」― ヨハネ 14:6。

      1,2 イエスは永遠の命に至る道を何になぞらえましたか。その例えの主旨は何ですか。

      イエスは有名な山上の垂訓の中で,永遠の命に至る道を,人が一つの門を通って入る道になぞらえておられます。注目したいのは,命に至るこの道が歩みやすいものではないことをイエスが強調しておられる点です。こう言っています。「狭い門を通って入りなさい。滅びに至る道は広くて大きく,それを通って入って行く人は多いからです。一方,[永遠の]命に至る門は狭く,その道は狭められており,それを見いだす人は少ないのです」― マタイ 7:13,14。

      2 この例えの主旨がお分かりでしょうか。命に至る道は一つだけであり,命に至るその道から足を踏み外さないようにするには細心の注意を払わなければならない,ということを明らかにしているのではないでしょうか。では,永遠の命に至る,この唯一の道とは何ですか。

      イエス・キリストの役割

      3,4 (イ)聖書は,わたしたちの救いにおいてイエスが果たす肝要な役割をどのように示していますか。(ロ)人類が永遠の命を得られることを神が最初に明らかにされたのはいつでしたか。

      3 その道に関連して重要な役割を担うのがイエスであることは明らかです。イエスの使徒であるペテロがこう言明しています。「ほかのだれにも救いはありません。人々の間に与えられ,わたしたちがそれによって救いを得るべき名は,天の下に[イエスの名をおいて]ほかにないからです」。(使徒 4:12)同様に使徒パウロも,「神の賜物は,わたしたちの主キリスト・イエスによる永遠の命」であると明言しています。(ローマ 6:23)イエスご自身も,永遠の命に至る唯一の道は,イエスを通しての道であることを明らかにされました。「わたしは道であり,真理であり,命です」と明言しているからです。―ヨハネ 14:6。

      4 ですから,永遠の命を可能にする点でのイエスの役割を認めることは極めて重要です。それで,もう少し詳しく,イエスの役割について調べてみましょう。あなたは,アダムが罪をおかした後,人類が永遠の命を享受できることをエホバ神が示されたのはいつだったか,ご存じですか。それは,アダムが堕落した直後です。人類の救い主としてのイエス・キリストという備えのことが,最初にどのように予告されたかを調べてみましょう。

      約束の胤

      5 エバをたぶらかした蛇の正体をどのように見分けることができますか。

      5 エホバ神は象徴的な言葉を用いて,だれがその約束の救い主であるかを明らかにされました。エホバはそのことを,エバに話しかけて禁じられた実を食べて神に背くよう誘惑した者である「蛇」に判決を下す際に行なわれました。(創世記 3:1-5)もちろん,その蛇は文字どおりのへびではありませんでした。それは強力な霊の被造物であり,聖書の中で『初めからの蛇で,悪魔またサタンと呼ばれている者』として正体が明らかにされています。(啓示 12:9)サタンは,エバをたぶらかすのに,この下等動物を自分の口として用いていました。ですから,神はサタンに判決を下してこう言っておられます。「わたしは,お前と女との間,またお前の胤と女の胤との間に敵意を置く。彼[女の胤]はお前の頭を砕き,お前は彼のかかとを砕くであろう」― 創世記 3:15。

      6,7 (イ)「胤」を生み出す女とはだれのことですか。(ロ)約束の胤はだれですか。その胤は何を成し遂げますか。

      6 サタンが敵意つまり憎しみを抱くこの「女」とはだれでしょうか。「初めからの蛇」の場合と同じく,サタンが憎むこの女の実体も啓示 12章で明らかにされています。その1節でこの女は,「太陽で身を飾り,月の上に立ち,頭には十二の星がある」と言われていることに注目してください。この女は,忠実なみ使いたちから成る神の天的な組織を表わしています。その女が産む「男の子」は,支配する王としてイエス・キリストを戴く,神の王国を表わしています。―啓示 12:1-5,エルサレム聖書。

      7 では,創世記 3章15節に述べられている,サタンの「頭を」砕くことにより,これに致命的な一撃を加える,女の「胤」つまり子孫はだれでしょうか。それは神が天から遣わして一人の処女から奇跡的に生まれるようにされた方,そうです,人間イエスです。(マタイ 1:18-23。ヨハネ 6:38)啓示 12章は,復活した天的な支配者であるこの胤イエス・キリストが先頭に立ってサタンを征服し,啓示 12章10節にあるとおり,「わたしたちの神の王国とそのキリストの権威」を確立することを明らかにしています。

      8 (イ)神はご自分の当初の目的に関連して,どんな新しい事柄を設けられましたか。(ロ)だれが神の新しい政府を構成しますか。

      8 ですから,イエス・キリストの手中にあるこの王国は,人間が地上で永遠の命を享受するという神の当初の目的に関連して神が設けられた一つの新しい事柄です。サタンが反逆した後,エホバは直ちに,この新たな王国政府によって邪悪な行為の悪い結果すべてを解消させるための行動を取られました。イエスは地上におられた時,この政府で治めるのが自分一人ではないことを明らかにされました。(ルカ 22:28-30)人類の中から他の人々が選ばれ,天のイエスに加わって支配の一端を担い,こうして女の胤の副次的な部分を成すことになっていました。(ガラテア 3:16,29)イエスのこれら共同支配者の数は,聖書の中で,14万4,000人であることが示されています。すべて地上の罪ある人類の中から取られる人々です。―啓示 14:1-3。

      9 (イ)イエスが人間として地上に現われる必要があったのはなぜでしたか。(ロ)イエスはどのように悪魔の業を解消させましたか。

      9 しかし,その王国が支配するようになる前に,胤の主要な部分であるイエス・キリストが地上に現われることがどうしても必要でした。なぜでしょうか。イエスはエホバ神から,「悪魔の業を打ち壊す[あるいは,解消させる]」者として任命されていたからです。(ヨハネ第一 3:8)サタンの業にはアダムを唆して罪をおかさせたことも含まれます。それによってアダムの子孫すべてに罪と死の定めがもたらされたのです。(ローマ 5:12)イエスは自分の命を贖いとして与えることにより悪魔のこの業を解消させました。それによってイエスは,人類を罪と死の定めから解放するための基礎を据え,永遠の命に至る道を開いたのです。―マタイ 20:28。ローマ 3:24。エフェソス 1:7。

      贖いは何を成し遂げるか

      10 イエスとアダムにはどんな共通点がありましたか。

      10 イエスの命は天から一人の女性の子宮に移されました。それでイエスは,アダムに由来する罪によって汚されることなく,完全な人間として生まれました。イエスは地上で永久に生きる可能性を持っていました。同様にアダムも,地上で永遠の命を享受する見込みを持つ完全な人間として創造されました。使徒パウロはそれら二人の男子のその共通点を念頭に置いて,こう書きました。「『最初の人アダムは生きた魂になった』。最後のアダム[イエス・キリスト]は命を与える霊になったのです。最初の人は地から出て塵で造られており,第二の人は天から出ています」― コリント第一 15:45,47。

      11 (イ)アダムとイエスは人類にどんな影響を及ぼしましたか。(ロ)イエスの犠牲をどう見るべきですか。

      11 この二人の共通点 ― これまでに地上で生活した,ただ二人の完全な男子であるということ ― は,イエスが「すべての人のための対応する贖いとしてご自身を与え(た)」という聖書の宣言によって裏書きされています。(テモテ第一 2:6)イエスはだれに対応したのでしょうか。まだ完全な人であった時のアダムです。最初のアダムの罪は,人間家族全体を死の定めの下に置く結果となりました。「最後のアダム」の犠牲が罪と死から救い出すための基礎となっているので,わたしたちは永久に生きられるのです。イエスの犠牲はなんと貴いのでしょう。使徒ペテロはこう記しています。「あなた方が……救い出されたのは,朽ちるもの,つまり銀や金によるのでは(ありません)」。むしろ,「それは,きずも汚点もない子羊の血のような貴重な血,すなわちキリストの血によるのです」とペテロは説明しました。―ペテロ第一 1:18,19。

      12 聖書は,人間に対する死の定めが解消されることをどのように描いていますか。

      12 聖書は,人間家族に対する死の定めの解消される仕方を美しく描き,こう述べています。「[アダムの]一つの罪過を通してあらゆる人に及んだ結果が有罪宣告であったのと同じように,正しさを立証する一つの行為[死によって完結したイエスの忠誠の歩み全体]を通してあらゆる人に及ぶ結果もまた,命のために彼らを義と宣することなのです。一人の人[アダム]の不従順を通して多くの者が罪人とされたのと同じように,一人の方[イエス]の従順を通して多くの者が義とされるのです」― ローマ 5:18,19。

      輝かしい見込み

      13 永久に生きることについて多くの人が抱く考えには,どんな理由がありますか。

      13 神の設けてくださったこの備えを知ると,本当にうれしくなります。あなたは救い主が備えられたことに感動を覚えるのではないでしょうか。かつて米国のある大都市の新聞社が実施した調査で,「永久に生きるという見込みに魅力を感じますか」という問いかけがなされました。驚いたことに,回答者の67.4%は「いいえ」と答えました。それらの人が,永久に生きることを望まないと言ったのはなぜでしょうか。おそらく,地上での生活には今,あまりにも多くの問題が伴っているからでしょう。ある人は,「自分が200歳に見えるようになるなんて,考えるのも嫌です」と言いました。

      14 永久に生きることが全くの喜びとなるのはなぜですか。

      14 しかし聖書は,人々が病気や老齢その他の災難に苦しむ世界で永久に生きることを言っているのではありません。なぜなら,神の王国の支配者であるイエスが,サタンの引き起こしたそのような問題すべてを解消させるからです。聖書によれば,神の王国はこの世界の圧制的な諸政府「すべて……を打ち砕いて終わらせ」ます。(ダニエル 2:44)その時,イエスが追随者たちに教えた祈りに対する答えとして,神の「ご意志」は「天におけるように地上でも行なわれる」ことになります。(マタイ 6:9,10,「今日の英語訳」)地上からすべての悪が一掃されたあと,神の新しい世で,イエスの贖いの益が余すところなく適用されます。そうです,そのための必要な条件にかなう人はみな,完全な健康を取り戻すのです。

      15,16 神の新しい世ではどんな状況が見られるようになりますか。

      15 神の新しい世で生活する人々には,聖書のこの言葉が当てはまるようになります。「彼の肉は若いころよりもみずみずしくなり,その若い時の精力の日に返るように」。(ヨブ 33:25)聖書の別の約束も成就します。「盲人の目は開かれ,耳の聞こえない者の耳も開けられる。その時,足のなえた者は雄鹿のように登って行き,口のきけない者の舌はうれしさの余り叫びを上げる」― イザヤ 35:5,6。

      16 考えてみてください。その時の身体的な年齢が80歳であれ,800歳であれ,あるいはさらに上であれ,わたしたちの体は輝くばかりの健康な状態を保つのです。聖書で約束されているとおりになり,「『わたしは病気だ』と言う居住者はいない」のです。その時,この約束も成就します。「神は彼らの目からすべての涙をぬぐい去ってくださり,もはや死はなく,嘆きも叫びも苦痛ももはやない。以前のものは過ぎ去ったのである」。―イザヤ 33:24。啓示 21:3,4。

      17 神の新しい世では,人々がどんな事柄を成し遂げるものと期待できますか。

      17 その新しい世でわたしたちは,自分の驚嘆すべき頭脳を,創造者が無限の学習能力を持つものとして設計した時に意図されたとおりに用いることができます。わたしたちが成し遂げることのできるすばらしい事柄を想像してみてください。人間は不完全であっても,地球に埋蔵されている諸元素で身の回りにあるあらゆる物を造り出してきました。携帯電話,マイクロホン,時計,ポケットベル,コンピューター,飛行機,その他何もかもそうです。どれ一つとして,宇宙のどこか遠い所から人間が持って来た物質でできているものはありません。来たるべき地上の楽園では終わりのない命を享受できるのですから,創造的な仕事を成し遂げる可能性は限りなく大きいでしょう。―イザヤ 65:21-25。

      18 神の新しい世での生活が決して退屈にならないのはなぜですか。

      18 生活が退屈になることもありません。今でもわたしたちは,これまで何万回食事をしたにしても,次の食事を楽しみにします。人間として完全になれば,楽園の地の美味な産物をさらに十分に楽しめます。(イザヤ 25:6)また,地球上の多種多様な動物を世話したり,壮大な夕日や山や川や渓谷を楽しんだりする喜びにも,とこしえにわたってあずかれます。確かに,神の新しい世での生活は決して単調なものにはなりません。―詩編 145:16。

      神のご要求を満たす

      19 命という神の贈り物を受けるには要求があるはずです。そう考えるのは,なぜもっともなことですか。

      19 あなたは楽園での永遠の命という神のすばらしい贈り物を,自分からは何の努力もしないで受けることができると思いますか。神が何かを要求されるとしても,おかしくないのではないでしょうか。確かにそうです。神は実際,その贈り物をわたしたちに投げ与えたりはされません。神はそれを差し伸べてくださっています。わたしたちは手を伸ばして受け取らなければなりません。そうです,努力が必要です。あなたは富んだ若い支配者がイエスに尋ねたように,「永遠の命を得るために,わたしはどんな善いことを行なわなければならないでしょうか」とお尋ねになるかもしれません。あるいは,フィリピ人の牢番が使徒パウロに尋ねたように,「救われるためにわたしは何をしなければなりませんか」と尋ねる方がおられるかもしれません。―マタイ 19:16。使徒 16:30。

      20 永遠の命に欠かせない要求の一つは何ですか。

      20 イエスは死を遂げる前の夜,み父への祈りの中で,基本的な要求の一つに言及されました。「彼らが,唯一まことの神であるあなたと,あなたがお遣わしになったイエス・キリストについての知識を取り入れること,これが永遠の命を意味しています」。(ヨハネ 17:3)永遠の命を可能にしてくださったエホバと,わたしたちのために死んでくださった方イエス・キリストについての知識を取り入れるように,というのはもっともな要求ではないでしょうか。とはいえ,必要なのは,ただ知識を取り入れることだけではありません。

      21 信仰を働かせるという要求を満たしていることをどのように示すことができますか。

      21 聖書には,「み子に信仰を働かせる者は永遠の命を持っている」ともあります。さらに,「み子に従わない者は命を見ず,神の憤りがその上にとどまっている」と記されています。(ヨハネ 3:36)自分の生活を変え,それを神のご意志と合わせることによって,み子に対する信仰を働かせていることを示せます。間違った歩み方をしてきたならそれをやめて,神に喜ばれることをするための行動を起こさなければなりません。使徒ペテロが命じたとおりにする必要があります。「あなた方の罪を塗り消していただくために,悔い改めて身を転じなさい。さわやかにする時期がエホバのみもとから到来……するためです」― 使徒 3:19,20。

      22 イエスの歩みに付いてゆくことには,どんな行動を取ることが含まれますか。

      22 イエスに信仰を働かせなければ永遠の命を楽しむことはできない,という点を決して忘れないようにしたいものです。(ヨハネ 6:40; 14:6)わたしたちは,イエスに信仰を働かせていることを,「その歩みにしっかり付いて」ゆくことによって示します。(ペテロ第一 2:21)そうすることには何が含まれるでしょうか。イエスは神への祈りの中で,「ご覧ください,わたしは参りました……,神よ,あなたのご意志を行なうために」と声を上げました。(ヘブライ 10:7)イエスに倣って,神のご意志を行なうことに同意し,自分の命をエホバに献げるのは肝要なことです。そのあと,その献身の象徴として水のバプテスマを受ける必要があります。イエスもバプテスマのためにご自身を差し出しました。(ルカ 3:21,22)そうした段階を踏むのは,全く当を得たことです。使徒パウロは,「キリストの持たれる愛がわたしたちに迫る」と述べています。(コリント第二 5:14,15)どのようにでしょうか。イエスは愛に促されて,わたしたちのためにご自身の命を与えてくださいました。そのことは,ぜひともイエスに信仰を働かせてその愛にこたえたいという願いを抱かせるのではないでしょうか。そうです,他の人を助けるために自分を与えるというイエスの愛の手本にぜひとも従いたいという気持ちになるはずです。キリストは,神のご意志を行なうために生きました。わたしたちも,もはや自分のために生きるのではなく,キリストと同じようにしなければなりません。

      23 (イ)命を受ける人々は,何に加えられなければなりませんか。(ロ)クリスチャン会衆の中にいる人々には,何が求められていますか。

      23 それで終わりというわけではありません。聖書は,西暦33年のペンテコステの日に3,000人がバプテスマを受けたとき,その者たちが「加えられた」と伝えています。何に加えられたのでしょうか。「彼らは使徒たちの教えと,互いに分かち合うこと……にその後も専念した」とルカは説明しています。(使徒 2:41,42)そうです,聖書研究や交わりのために一緒に集まることにより,クリスチャン会衆に加えられた,つまりその一部となったのです。初期のクリスチャンは,霊的な教えを受けるためにいつも集会に出席しました。(ヘブライ 10:25)今日のエホバの証人もそのようにしています。そして,あなたに,それらの集会に共に出席することを勧めたいと思っています。

      24 「真の命」とは何ですか。その命は,いつ,どのように現実のものとなりますか。

      24 いま幾百万もの人々が,命に至る狭められた道を歩んでいます。この狭められた道にとどまるには,真剣な努力が必要です。(マタイ 7:13,14)パウロはそのことを訴えかけ,温かくこう述べました。「信仰の戦いをりっぱに戦い,永遠の命をしっかりとらえなさい。あなたはそのために召され……たのです」。「真の命をしっかりとらえる」には,この戦いをする必要があります。(テモテ第一 6:12,19)その命とは,アダムの罪に由来する痛みや苦しみの伴う今の命のことではありません。むしろそれは,神の新しい世での命のことです。間もなく,この事物の体制が除かれたあと,エホバ神とみ子を愛する人すべてのためにキリストの贖いの犠牲が適用される時に現実のものとなる命です。わたしたちは皆,命を ―「真の命」,すなわち神の栄光ある新しい世での永遠の命を選ぶことができますように。

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