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彼らは私たちに模範を示してくれましたものみの塔 1994 | 6月1日
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私の父になったデス・ザンカーとビクトリーは,1950年代の初めにバプテスマを受け,デスは1958年にオーストラリアのベテル家族の一員になりました。そして特別開拓者として奉仕していたビクトリーと結婚した後,二人でしばらく開拓奉仕を行ない,次いで旅行する奉仕を行なうよう招かれました。それから,私が生まれたので,二人は私を育てるため旅行する奉仕をやめなければなりませんでしたが,27年後の今も父は依然開拓奉仕をしています。
1990年の初めにオーマーは家で,私の母が育てられたその同じ家で,安らかに亡くなりました。私も,弟や妹も,メルボルンのその同じ家で育てられました。家族が1軒の家に一緒に住めたのは本当にありがたいことでした。家を狭く感じた時もありましたが,そのことを気にしたことなど覚えていません。私たちは結婚した後でさえ最初の4年間は,妻のゲールもその家のどこかにうまく割り込み,その家を愛しました。私たちが新たな奉仕の割り当てを受けてついにそこを去ることになった時,私は泣きました。私はその家で大変大きな支えと愛を受けていたのです。
しかし今,ゲールと私には大いに喜ぶべき理由があります。というのは,私たちは私の両親が行なった事柄,また彼らよりも前にその両親が行なった事柄を行なうことができるからです。私たちは家を去る時,自分たちは全時間奉仕に携わってエホバのご意志を行なうために出かけて行くのだという理由を考えて慰められました。困難な奉仕の割り当てを受けて働いていた時,貧困のどん底に陥った時,日本軍の強制収容所で何年間も抑留されていた時などにも同様の慰めを得た私たちの忠実な父祖たちの立派な模範に,私たちは一生懸命従うよう努力しています。―コリント第二 1:3,4。
オーパーはダビデ王が霊感を受けてエホバに向かって語った,『あなたの愛ある親切は命にも勝るものです』という言葉にいつも慰めを見いだしました。(詩編 63:3)その愛ある親切をとこしえに享受することは,私の祖父の変わることのない熱烈な願いです。また,その愛ある親切に祖父と共にあずかることは,祖父の家族全員の願いなのです。
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彼らは私たちに模範を示してくれましたものみの塔 1994 | 6月1日
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[23ページの図版]
クレーグ・ザンカー(後方)とその妻,両親,および弟と妹
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