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世の光に従いなさいものみの塔 1993 | 4月1日
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世の光に従いなさい
「わたしに従う者は……命の光を持つようになります」― ヨハネ 8:12。
1 光はどれほど大切ですか。
もし光がなかったら,わたしたちはどうするでしょうか。1年中毎日,24時間ずっと闇に包まれた世界に目を覚ますところを想像してみてください。また,色彩のない世界も想像してみてください。光がなければ,色も存在しないからです。実際,もし光が存在しなかったなら,わたしたちも存在していないはずです。なぜですか。緑色植物は光合成という過程で光を使い,穀物や野菜や果物など,わたしたちが口にする食物を作るからです。もちろん,わたしたちは動物の肉を食べることもあります。しかし,その動物は植物や草食動物を食べています。ですから,わたしたちの肉体を支える命は光に全く依存しているのです。
2 どんな強力な光源がありますか。そのことから,エホバについてどんなことが分かりますか。
2 わたしたちにとって,光は太陽という一つの星から来ます。太陽は途方もない量の光を放射していますが,それでも中型の星にすぎません。もっと大きな星はたくさんあります。わたしたちが住んでいる星の集団,つまり銀河系には1,000億以上の星が含まれています。そればかりではありません。宇宙には莫大な数の銀河が存在しています。まさに,途方もない数の星です。それらの星から放たれる光は膨大な量に上ります。そのすべてを創造されたエホバは非常に強力な光の源です。イザヤ 40章26節はこう述べています。「あなた方の目を高く上げて見よ。だれがこれらのものを創造したのか。それは,その軍勢を数によって引き出しておられる方であり,その方はそれらすべてを名によって呼ばれる。満ちあふれる活動力のゆえに,その方はまた力が強く,それらの一つとして欠けてはいない」。
別の種類の光
3 エホバからの霊的な光はどれほど重要ですか。
3 エホバは別の種類の光の源でもあられます。この光によって,わたしたちは霊的な視力,霊的な啓発を得ることができます。「啓発する」という言葉は,ある辞書によると,「知識を供給する; 教え諭す; 霊的な洞察力を与える」と定義されています。またその辞書は,「啓発されている」という言葉を,「無知や誤った情報から解放されている」と定義しています。エホバからの霊的な啓発は,み言葉である聖書の正確な知識によって与えられます。それによってわたしたちは,神がどのような方であり,どんな目的を持っておられるかを知ることができます。「神は,『光が闇の中から輝き出よ』と言われた方であり,キリストの顔により,神の栄光ある知識をもって明るくするため,わたしたちの心を照らしてくださったのです」。(コリント第二 4:6)ですから,神の言葉の中の真理はわたしたちを無知や誤った情報から解放します。イエスは,「[あなた方は]真理を知り,真理はあなた方を自由にするでしょう」と言われました。―ヨハネ 8:32。
4,5 エホバからの知識は,わたしたちの生活の中でどのように光としての役割を果たしますか。
4 真の霊的な啓発の源であられるエホバは,「知識の全き方」です。(ヨブ 37:16)また,詩編 119編105節は神について,「あなたのみ言葉はわたしの足のともしび,わたしの通り道の光です」と述べています。ですから,エホバはわたしたちの生活における次の一歩だけでなく,前途にある道をずっと霊的に照らし出すことがおできになるのです。それがなければ,生活はまるで,闇夜に明かりの全くない曲がりくねった山道をヘッドライトのない車で走るような状態になってしまいます。神からの霊的な光は,車のヘッドライトの光に例えることができます。その光は前方がはっきり見えるよう通り道を明るく照らすのです。
5 イザヤ 2章2節から5節の預言によると,神はわたしたちの時代に霊的な啓発を求める人々をあらゆる国民からお集めになります。それは,そのような人々が真の崇拝を学んで実践できるようにするためです。3節には,「神はご自分の道についてわたしたちに教え諭してくださる。わたしたちはその道筋を歩もう」とあります。5節は,真理を探究する人々に,「来なさい。エホバの光のうちを歩もう」と勧めています。
6 エホバからの光は,最終的にわたしたちをどこに導きますか。
6 ですからエホバは,生きてゆくためにどうしても必要な2種類の光,つまり物理的な光と霊的な光の源です。物理的な光のおかげで,わたしたちの肉体は現在,恐らく70年か80年ぐらい生き続けることができます。しかし霊的な光は,地上の楽園でのとこしえの命につながります。イエスが神への祈りの中で言われたとおりです。「彼らが,唯一まことの神であるあなたと,あなたがお遣わしになったイエス・キリストについての知識を取り入れること,これが永遠の命を意味しています」― ヨハネ 17:3。
霊的な闇の中にある世界
7 わたしたちが現在,これまでにないほど霊的な啓発を必要としているのはなぜですか。
7 現在のわたしたちは,これまでにないほど霊的な光を必要としています。マタイ 24章やテモテ第二 3章などの預言は,この事物の体制の終わりが近いことを示しています。その預言や他の預言は,この時代に生じてきた恐ろしい出来事を予告し,わたしたちが「終わりの日」にいることを教えています。そうした預言のとおり,今世紀には相次いで災難が起こりました。犯罪や暴力が恐ろしいほど増加しています。戦争は1億人以上の人の命を奪ってきました。恐ろしいエイズのような病気が幾百万人もの人々に忍び寄っており,米国だけでもすでに約16万人がエイズで命を落としました。家庭生活は崩壊し,性道徳は時代後れとみなされています。
8 現在,人類はどんな事態に直面していますか。なぜですか。
8 ハビエル・ペレス・デクエヤル前国連事務総長は,「世界情勢は,貧困が社会の団結を[弱めている]という圧倒的な証拠を提出している」と言いました。さらに,「現在,極度の貧困状態にある人は10億人以上」おり,「これが引き金となって暴力闘争が始まって」いるとも述べています。デクエヤル氏によれば,こうした「容易ならぬ苦難に対して……諸政府が講じる方策は効を奏してい(ません)」。さらに,ある有力団体の会長は,「社会が直面している主要な問題は,この社会が統治不能になっているということだ」と断言しました。「高貴な者にも,地の人の子にも信頼を置いてはならない。彼らに救いはない」という,詩編 146編3節の言葉はまさしく真実です。
9 人類を包み込む闇に関して最も責任があるのはだれですか。その影響力を取り除くことができるのはだれですか。
9 現在は,「見よ,闇が地を,濃い暗闇が国たみを覆う(の)である」という,イザヤ 60章2節の予告どおりの事態になっています。地上の住民の大多数を覆っているこの闇は,彼らがエホバからの光を吸収しないために生じています。そして,この霊的な闇の元凶は悪魔サタンと配下の悪霊たち,つまり光の神の主要な敵であり,これらの者は「この闇の世の支配者たち」です。(エフェソス 6:12)コリント第二 4章4節にあるとおり,悪魔は「この事物の体制の神」であり,「不信者の思いをくらまし,神の像であるキリストについての栄光ある良いたよりの光明が輝きわたらないようにして」います。人間の支配はどれも,世界からサタンの影響力を取り除くことができません。それができるのは神だけです。
「大いなる光」
10 イザヤは,わたしたちの時代に光が人類の上に差し込むことをどのように予告していましたか。
10 しかし,人類の大半がひどい闇に覆われていても,神の言葉はイザヤ 60章2節と3節でこのようにも預言していました。「あなたの上にはエホバが輝き出て,あなたの上にその栄光が見られるようになる。そして,諸国民は必ずあなたの光のもとに……行くであろう」。これはイザヤ 2章と調和しています。その章は,エホバの啓発された真の崇拝がこの終わりの日に確立されることを約束していました。2節と3節にあるとおり,『すべての国の民は必ず流れのようにそこに向かい,多くの民は必ず行って,「来なさい,エホバの山[つまり,エホバの高められた真の崇拝]に上ろう」と言います』。ですから,世界がサタンの支配下にあっても,神からの光は確かに差し込んでおり,多くの人々を闇から解放しています。
11 エホバの光を反射させる点で最も際立っているのはだれですか。シメオンはその方についてどんなことを述べましたか。
11 イザヤ 9章2節の預言は,神がご自分の光を反射させるためにだれかをお遣わしになることを予告し,「闇の中を歩んでいた民は大いなる光を見た。深い陰の地に住んでいた者たちには,光がその上に照り輝いた」と述べています。この「大いなる光」とは,エホバの代弁者であるイエス・キリストです。イエスは,「わたしは世の光です。わたしに従う者は決して闇の中を歩むことがなく,命の光を持つようになります」と言われました。(ヨハネ 8:12)イエスが幼子だった時でさえ,ある人々はこのことを理解していました。ルカ 2章25節によると,シメオンという男性は「義にかなった敬虔な」人であり,「聖霊がその上にあった」と言われています。このシメオンは幼子イエスを見た時に,神への祈りの中でこう言いました。『わたしの目はあなたの救いの手だてを見ました。それはあらゆる民の見るところであなたが用意されたものであり,諸国民からベールを取り除くための光です』― ルカ 2:30-32。
12 イエスはいつ,またどのように,人々を覆う闇のベールを取り除き始められましたか。
12 イエスはバプテスマを受けてからしばらくして,人類から闇のベールを取り除き始められました。マタイ 4章12節から16節によれば,これは,「大いなる光」が霊的な闇の中を歩む民の上に照り輝き始めると述べたイザヤ 9章1節と2節の成就だったことが分かります。マタイ 4章17節には,「その時からイエスは伝道を開始して,『あなた方は悔い改めなさい。天の王国は近づいたからです』と言いはじめられた」とあります。イエスは神の王国の良いたよりを宣べ伝えることによって,神の目的について人々を啓発されました。またイエスは,「良いたよりによって命と不朽とに光を当ててくださいました」。―テモテ第二 1:10。
13 イエスはご自分について何と言われましたか。イエスがそれほど確信を込めてそのように言うことができたのはなぜですか。
13 イエスは神の光を忠実に反射させました。こう述べておられます。「わたしは光として世に来ました。それは,わたしに信仰を持つ者が,だれも闇の中にとどまることがないためです。……わたしは自分の衝動で話したのではなく,わたしを遣わした父ご自身が,何を告げ何を話すべきかについて,わたしにおきてをお与えにな(りました)。またわたしは,父のおきてが永遠の命を意味していることを知っています」― ヨハネ 12:44-50。
『彼によって命があった』
14 ヨハネ 1章1,2節は,イエスがどんな方であると述べていますか。
14 そうです,エホバはみ子を地上に遣わし,永遠の命に至る道を人々に示す光とされました。この点がヨハネ 1章1節から16節の中でどのように取り上げられているかに注目しましょう。1節と2節には,「初めに言葉がおり,言葉は神と共におり,言葉は神であった。この方は初めに神と共にいた」とあります。ここでヨハネは,人間となる前のイエスを「言葉」という称号で呼んでいます。このことから,イエスがエホバ神の代弁者を務めておられたことが分かります。また,「初めに言葉がおり」というヨハネの表現には,言葉がエホバの創造の業の初め,「神による創造の初め」だったという意味があります。(啓示 3:14)言葉は神の創造物の中で卓越した立場を占めているため,「神」つまり力ある者と呼ばれていることには確かな根拠があります。イザヤ 9章6節は,言葉を「力ある神」と呼んでいます。しかし,全能の神とは呼んでいません。
15 ヨハネ 1章3-5節は,イエスについてさらにどんな情報を与えていますか。
15 ヨハネ 1章3節には,「すべてのものは彼を通して存在するようになり,彼を離れて存在するようになったものは一つもない」とあります。コロサイ 1章16節も,「他のすべてのものは,天においても地においても……彼によって創造された」と述べています。また,ヨハネ 1章4節には,『彼によって命があり,命は人の光であった』とあります。ですから,言葉によって,他のあらゆる形の命が創造されました。また,神はみ子によって,死にゆく罪深い人類が永遠の命を得ることができるようにされました。確かにイエスは,イザヤ 9章2節で「大いなる光」と呼ばれている力ある方です。また,ヨハネ 1章5節には,「光は闇の中で輝いているが,闇はこれに打ち勝ってはいない」とあります。光は真理と義を表わしており,誤りと不義を表わしている闇とは対照的です。それでヨハネは,闇が光を征服することはないと述べています。
16 バプテスマを施す人ヨハネは,イエスの活動の範囲をどのように示しましたか。
16 ヨハネは次に6節から9節の中でこう論じます。「神の代理者として遣わされた人が現われた。その名は[バプテスマを施す人]ヨハネといった。この人は証しのために,つまり光について証しをするために来た。それは,あらゆる人が彼を通して信じるためであった。彼[ヨハネ]はその光ではなく,その光[イエス]について証しをすることになっていた。どんな人にも光を与える真の光が世に入ろうとしていた」。ヨハネは来たるべきメシアを指し示し,追随者たちの注意をイエスに向けました。やがて,光を受け入れる機会があらゆる種類の人々に与えられました。ですから,イエスは単にユダヤ人のために来られたのではなく,人種や貧富の差に関係なく全人類のために来られたのです。
17 ヨハネ 1章10,11節は,イエスの時代のユダヤ人の霊的な状態について何と述べていますか。
17 10節と11節はこう続いています。「彼は世にいたのであり,世は彼を通して存在するようになったのに,世は彼を知らなかった。彼は自分のところに来たのに,その民は彼を迎え入れなかった」。人類の世界は,人間となる前に存在しておられたイエスを通して創造されました。それなのに,イエスは地上におられた時,ご自身の民であるユダヤ人の大半から退けられました。そのような人々は自分たちの悪と偽善が暴露されることを望まず,光よりも闇を好んだのです。
18 ヨハネ 1章12,13節は,ある人々が神の子供になって特別な相続財産を持てることをどのように示していますか。
18 ヨハネは12節と13節でこう述べています。「しかし,彼を迎えた者,そうした者たちすべてに対しては,神の子供となる権限を与えたのである。その者たちが,彼の名に信仰を働かせていたからである。彼らは,血から,肉的な意志から,また人の意志から生まれたのではなく,神から生まれたのである」。この二つの節は,イエスの追随者たちが最初から神の子たちだったわけではないことを示しています。キリストが地上に来られる前は,そうした子としての立場や天に行く希望の扉は人類には開かれていませんでした。しかし,キリストの贖いの犠牲の恩恵によって,ある人々はそれに信仰を働かせて養子にされ,神の天の王国でキリストと共に王として受ける命の希望を持つことができました。
19 ヨハネ 1章14節から分かるように,イエスはなぜ神の光を反射させる最も良い立場におられますか。
19 14節はこう論じています。「こうして,言葉は肉体となってわたしたちの間に宿り,わたしたちはその栄光,父の独り子が持つような栄光を目にしたのである」。イエスは地上で,神の初子にしかできないような仕方で神の栄光を反映されました。ですから,イエスは独特の意味で,神と神の目的を人々に明らかにする最も資格にかなった方でした。
20 ヨハネ 1章15節に記されているとおり,バプテスマを施す人ヨハネはイエスについて何と述べていますか。
20 次に使徒ヨハネは15節でこう書いています。「[バプテスマを施す人]ヨハネは彼について証しをし,実に ― この人こそそれを言った人であった ― こう叫んだのである。『わたしの後に来る方は,わたしの前を進まれた。わたしより先に存在されたからである』」。バプテスマを施す人ヨハネは,イエスが人間としてお生まれになる6か月ほど前に誕生しました。しかし,イエスはヨハネよりはるかに多くの業を行なわれたので,あらゆる面でヨハネの前を進まれました。ヨハネはイエスが自分より先に存在されたことを認めています。イエスは人間となる前から存在しておられたからです。
エホバからの賜物
21 ヨハネ 1章16節が,わたしたちは『過分の親切の上に過分の親切』を受けたと述べているのはなぜですか。
21 ヨハネ 1章16節はこう論じています。「わたしたちはみな彼に満ち満ちたものの中から,しかも過分の親切の上にさらに過分の親切を受けた」。人類はアダムから罪を受け継いだために罪のうちに生まれていますが,エホバは,この邪悪な体制が滅び,幾百万人もの人々が新しい世に生き残り,死者が復活し,罪と死が取り除かれることを意図しておられます。その結果は,地上の楽園でのとこしえの命です。こうした祝福はすべて,罪深い人類にとっては過分のもの,分不相応のものです。まさに,キリストを通してエホバから来る賜物なのです。
22 (イ)神の最大の賜物は何を可能にしますか。(ロ)聖書の巻末の書の中で,どんな招待がわたしたちに差し伸べられていますか。
22 これをすべて可能にする最大の賜物とは何でしょうか。「神は[人類の]世を深く愛してご自分の独り子を与え,だれでも彼に信仰を働かせる者が滅ぼされないで,永遠の命を持てるようにされ(ました)」。(ヨハネ 3:16)ですから,霊的な光と永遠の命を望む人々にとっては,神と,「命の主要な代理者」であるみ子についての正確な知識が不可欠です。(使徒 3:15)だからこそ,聖書の巻末の書は,真理を愛し,命を望む人々すべてに次の招待を差し伸べているのです。「『来なさい!』……そして,だれでも聞く者は,『来なさい!』と言いなさい。そして,だれでも渇いている者は来なさい。だれでも望む者は命の水を価なくして受けなさい」― 啓示 22:17。
23 羊のような人々は光のもとに来る時に何をしますか。
23 謙遜で羊のような人々は,世の光のもとに来るだけでなく,その光に従います。「羊はあとに付いて行きます。彼の声[にある真理の響き]を知っているからです」。(ヨハネ 10:4)まさに彼らは,喜んで「その歩みにしっかり付いて」行きます。そうすることが,自分たちにとってとこしえの命を意味することを知っているからです。―ペテロ第一 2:21。
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世の光に従っているのはだれですかものみの塔 1993 | 4月1日
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世の光に従っているのはだれですか
「あなた方は世を照らす者として輝(いています)」― フィリピ 2:15。
1 聖書は宗教上のまがいものの光について何と述べていますか。
聖書は,イエスが「大いなる光」,「世の光」であるとはっきり述べています。(イザヤ 9:2。ヨハネ 8:12)しかし,地上におられた時のイエスに従った人は比較的少数でした。大多数の人々は,実際には闇を掲げる者であるまがいものの光に従う道を選びました。そうしたまがいものの光に関し,神の言葉はこう述べています。「そのような人たちは偽使徒,欺まんに満ちた働き人で,自分をキリストの使徒に変様させているのです。それも不思議ではありません。サタン自身が自分をいつも光の使いに変様させているからです。したがって,彼の奉仕者たちが自分を義の奉仕者に変様させているとしても,別に大したことではありません。しかし,彼らの終わりはその業に応じたものとなります」― コリント第二 11:13-15。
2 イエスは,何が人々を裁く根拠になると言われましたか。
2 ですから,光がどれほどすばらしいものであっても,すべての人がそれを望むわけではありません。イエスはこう言われました。「裁きの根拠はこれです。すなわち,光が世に来ているのに,人々が光よりむしろ闇を愛したことです。その業が邪悪であったからです。いとうべき事柄を習わしにする者は,光を憎んで,光に来ません。自分の業が戒められないようにするためです」― ヨハネ 3:19,20。
闇を愛する人々
3,4 イエスの時代の宗教指導者たちは,光に従いたいと思っていないことをどのように示しましたか。
3 イエスが地上におられた時,まさにそのとおりの状態が見られたということについて考えてみましょう。神は,イエスがメシアであることを証明する手段として,胸の躍るような奇跡を行なう力をイエスに授けておられました。例えば,ある安息日に,イエスは生まれつき盲目だった人の目が見えるようにされました。何とすばらしい憐れみの行為でしょう。その人は深く感謝しました。生まれて初めて物を見ることができたのです。ところが,宗教指導者たちの反応はどうだったでしょうか。ヨハネ 9章16節には,「パリサイ人のある者たちが[イエスについて]言いはじめた,『これは神からの人ではない。安息日を守っていないからだ』」とあります。彼らの心はひどくゆがんでいました。実際に驚くべきいやしが行なわれたにもかかわらず,彼らは以前盲人だったその人に喜びを表わすことも,いやしを行なった人物に感謝を表わすこともしませんでした。それどころか,イエスを非難したのです。そのようにして,彼らは神の聖霊の顕現に対する罪,つまり許されない罪を犯したに違いありません。―マタイ 12:31,32。
4 後に,盲人だったその人は,そうした偽善者たちからイエスについて質問された時にこう言いました。「これはいかにも驚いたことです,あの人[イエス]がどこからの者かをご存じないとは。わたしの目を開けた人ですのに。神は罪人たちにはお聴きになりませんが,だれでも神を恐れてそのご意志を行なうなら,その者にはお聴きになることを,わたしたちは知っております。昔から,盲人として生まれた者の目を開けたというようなことは聞いたためしがありません。神からの人でないなら,この人[イエス]は全く何もできないはずです」。宗教指導者たちはどう答えたでしょうか。「それに答えて彼らは言った,『お前は全く罪のうちに生まれながら,我々を教えるというのか』。こうして彼らは,その人を追い出してしまった」。ここには同情心のかけらも見られません。彼らの心は石のように硬くなっていました。そのためイエスは,彼らは文字通りの目で見ることはできても,霊的には盲目であると言われました。―ヨハネ 9:30-41。
5,6 1世紀の宗教指導者たちは,どんなことをして闇を愛していることを示しましたか。
5 この宗教上の偽善者たちが神の霊に対して罪を犯していたことは,別の出来事,つまりイエスが死んだラザロを復活させた時の出来事からも容易に理解できます。一般の人々の多くはその奇跡のためにイエスに信仰を持ちました。しかし,宗教指導者たちのしたことに注目してください。「祭司長とパリサイ人たちはサンヘドリンを召集して,こう言いはじめた。『この人が多くのしるしを行なうのだが,我々はどうすべきだろうか。彼をこのままほっておけば,みんなが彼に信仰を持つだろう。そして,ローマ人たちがやって来て,我々の場所も国民も奪い去ってしまうだろう』」。(ヨハネ 11:47,48)彼らは自分たちの地位や名声を気にしていました。どんな犠牲を払っても,神ではなくローマ人を喜ばせようとしていました。彼らはそこで何をしたでしょうか。「その日以来,イエスを殺そうとして相談した」と記されています。―ヨハネ 11:53。
6 それだけではありません。彼らが次に取った行動からすると,彼らがいかに闇を愛していたかが分かります。「祭司長たちは今やラザロをも殺そうと相談した。彼のために,大勢のユダヤ人がそこへ行き,イエスに信仰を持つようになったからである」。(ヨハネ 12:10,11)信じられないような邪悪さです。彼らは自分たちの地位を守るためにこうしたことをすべて行ないました。しかし,何が起きたでしょうか。彼らはまさにその世代のうちにローマ人に反抗し,西暦70年のローマ人の侵攻を招きました。ローマ人は彼らの場所と国民だけでなく,命まで奪い去ってゆきました。―イザヤ 5:20。ルカ 19:41-44。
イエスの同情心
7 真理を愛する人々がイエスのもとに群がって来たのはなぜですか。
7 それでわたしたちの時代も,すべての人が霊的な啓発を望むわけではありません。しかし,真理を愛する人々は光のもとに来ることを確かに願っています。そのような人々は神を主権者とすることを望みます。そして,神が光について説明するためにお遣わしになったイエスを熱烈に仰ぎ見て,イエスに従います。イエスが地上におられた時,謙遜な人々はまさにそのようにしました。彼らはイエスのもとに群がって来ました。パリサイ人でさえ,それを認めざるを得ませんでした。「世は彼に付いて行ってしまった」と,パリサイ人もこぼしたほどです。(ヨハネ 12:19)羊のような人々はイエスを愛していました。イエスは,権力に飢えた利己的でごう慢な宗教指導者たちとは対照的だったからです。イエスはその宗教指導者たちについてこう言われました。「[彼らは]重い荷をくくって人の肩に載せますが,自分ではそれを指で動かそうともしません。すべてその行なう業は人に見せようとしてするのです」― マタイ 23:4,5。
8 宗教上の偽善者たちとは対照的に,イエスはどんな態度を取られましたか。
8 それとは対照的に,イエスの同情心にあふれた態度に注目してください。「[イエスは]群衆を見て哀れみをお感じになった。彼らが,羊飼いのいない羊のように痛めつけられ,ほうり出されていたからである」。(マタイ 9:36)そこでイエスは何をされたでしょうか。サタンの体制によって搾取されていた人々にこう言われました。「すべて,労苦し,荷を負っている人よ,わたしのところに来なさい。そうすれば,わたしがあなた方をさわやかにしてあげましょう。わたしのくびきを負って,わたしから学びなさい。わたしは気質が温和で,心のへりくだった者だからです。あなた方は自分の魂にとってさわやかなものを見いだすでしょう。わたしのくびきは心地よく,わたしの荷は軽いのです」。(マタイ 11:28-30)イエスは,イザヤ 61章1節と2節でご自分について予告されていた事柄を行なわれました。そこにはこうあります。「エホバ(は)わたしに油をそそぎ,柔和な者たちに良いたよりを告げるようにされた……。神はわたしを遣わして,心の打ち砕かれた者を包帯で包み,とりこにされた者たちに自由を,捕らわれ人たちには目が大きく開かれることをふれ告げ,エホバの側の善意の年とわたしたちの神の側の復しゅうの日とをふれ告げ,嘆き悲しむすべての者を慰め(るようにされた)」。
光を掲げる人々を集める
9 どんな重大な出来事が1914年に起きましたか。
9 イエスは昇天の後,神から王国の権限を与えられる時が来るまで待たなければなりませんでした。それからイエスは,「羊」と「やぎ」を分けることになりました。(マタイ 25:31-33。詩編 110:1,2)その時は,「終わりの日」が始まった1914年に来ました。(テモテ第二 3:1-5)神の天の王国の王として権限を授けられたイエスは,光に従うことを望む人々をご自分の右に,つまり恵みの側に集め始められました。第一次世界大戦後もその集める業は続き,次第に勢いを増してゆきました。
10 イエスが集める業で用いている人々について,どんな質問ができるかもしれませんか。
10 キリスト・イエスの指導のもとで,集め入れる業は輝かしい大成功を見てきました。あらゆる国から来たこれほど大勢の人々が,啓発された真の崇拝のもとに集合したことは,これまでの歴史上例がありませんでした。では現在,神とキリストのもとから来る光に従っているのはだれでしょうか。フィリピ 2章15節にあるとおり,「世を照らす者として輝き」,『来なさい,命の水を価なくして受けなさい』と他の人々を招いているのはだれでしょうか。―啓示 22:17。
11 霊的な光について言えば,キリスト教世界はどんな状態にありますか。
11 キリスト教世界はそのことを行なっていますか。分裂した諸宗派を抱えるキリスト教世界は,決して世を照らす者として輝いてはいません。事実,僧職者たちはイエスの時代の宗教指導者たちとよく似ています。彼らは神とキリストから来る真の光を反射させていません。33年前に,「今日の神学」誌はこう述べていました。「この光が教会の中でこうこうと輝いてはいないことを,残念ながら認めざるを得ない。……教会は周りの地域社会にますます似たものとなる傾向を示してきた。教会は世の光になっているというよりも,むしろ世そのものの中で輝いている光を反射させている」。キリスト教世界の状態は現在さらに悪化しています。同世界が世から反射させているいわゆる光は,実際には闇にほかなりません。サタンとその世は,闇以外のものを何も提供できないからです。キリスト教世界の相対する極めて世俗的な諸宗派からは,真理の光は決して出てきません。
12 現在,光を掲げる真の組織を構成しているのはだれですか。
12 現在,光を掲げる真の組織は,エホバの証人の新しい世の社会である,と確信を込めて言うことができます。その社会の構成員は全員一致して ― 男性も女性も若者たちも一様に ― エホバとキリストから来る光を全人類の前で輝かせています。昨年は,全世界のエホバの証人の7万近くの会衆で,400万人を優に超える光を掲げる人々が,神とその目的について活発に他の人々に語っていました。今では毎年,霊的に啓発されることを願う大勢の人々が続々と集まって来ており,聖書を学んで真理の正確な知識に至った後にバプテスマを受ける人々は数十万人に上っています。確かに,「神のご意志は,あらゆる人が救われて,真理の正確な知識に至ることなのです」。―テモテ第一 2:4。
13 エホバから来る光は何と比較できますか。
13 現在エホバから来る啓発は,古代の神の民がエジプトを出た時に起きた次の出来事と比較できるかもしれません。「エホバは彼らの前方を行かれ,昼は雲の柱のうちにあってその道を導き,夜は火の柱のうちにあって彼らに光を与え,こうして昼も夜も進めるようにされた」。(出エジプト記 13:21,22)神から与えられた昼の雲と夜の火は,信頼できる道しるべでした。それらは,神が日光のあたる時間を与えるために創造された太陽と同じほど信頼できるものでした。ですからわたしたちも,この邪悪な終わりの日に,エホバが真理を求める人々の道をこれからも霊的に照らしてくださることを確信できます。わたしたちには箴言 4章18節の保証の言葉があります。「義なる者たちの道筋は,日が堅く立てられるまでいよいよ明るさを増してゆく輝く光のようだ」。
王国の光を反射させる
14 光を掲げる人々の主要な目的は何でなければなりませんか。
14 エホバは啓発の源であり,キリストはその光を反射させる主要な方ですが,イエスの追随者たちもその光を反射させなければなりません。イエスは追随者たちについて,「あなた方は世の光です。……あなた方の光を人々の前に輝かせ,人々があなた方のりっぱな業を見て,天におられるあなた方の父に栄光を帰するようにしなさい」と言われました。(マタイ 5:14,16)イエスの追随者たちが人類の前で輝かせることになっていたこの光の主要なテーマは何でしたか。世界の歴史が最高潮を迎えるこの時に,イエスの追随者たちは何を教えることになっていたのでしょうか。イエスは,ご自分の追随者たちが,民主主義や独裁主義や政教一致,あるいは他の世俗的なイデオロギーを宣べ伝えることになるとは言われませんでした。むしろイエスはマタイ 24章14節で,「王国のこの良いたより」が,世界的な反対のさなかで「あらゆる国民に対する証しのために,人の住む全地で宣べ伝えられるでしょう。それから終わりが来るのです」と予告されました。ですから現在,光を掲げる人々は神の王国について人々に語ります。その王国はサタンの世を終わらせ,義の行き渡る新しい世をもたらします。―ペテロ第一 2:9。
15 光を望む人々はどこに注意を向けますか。
15 光を愛する人々は,この世が提唱する主張や目標によってわき道にそれたりはしません。この世界は終局に近づいているのですから,そのような主張や目標は間もなくすべて消えうせてしまいます。むしろ,義を愛する人々は,神の王国の光を地上の隅々にまで輝かせている人々が告げ知らせている良いたよりに注意を向けたいと思うはずです。そのようにしている彼らこそ,啓示 7章9節と10節で予告されていた人々です。そこにはこうあります。「わたしが見ると,見よ,すべての国民と部族と民と国語の中から来た,だれも数えつくすことのできない大群衆が,白くて長い衣を着て,[神の]み座の前と子羊[キリスト]の前に立っていた。……そして大声でこう叫びつづける。『救いは,み座に座っておられるわたしたちの神と,子羊とによります』」。さらに14節は,「これは大患難から出て来る者たちで(ある)」と述べています。そうです,彼らはこの世界の終わりを生き残り,神の王国のもとに置かれる終わりのない新しい世に入るのです。
啓発を受ける新しい世
16 大患難の時に,サタンの世にはどんなことが起きますか。
16 新しい世には真理の明るい光がさんさんと降り注ぎます。そうです,神がこの事物の体制を終わらせた次の日の状態について考えてみてください。サタンと悪霊たち,サタンの政治,商業,宗教の体制は跡形もなくなっています。サタンの宣伝機構全体ももはや存在しません。ですから大患難の後,この邪悪な世を支持する新聞,雑誌,書籍,小冊子,ちらしなどが印刷されることは二度とありません。堕落させる影響力を持つものが,世俗的なテレビ局やラジオ局から放送されることもありません。サタンの世の有害な環境全体が,強力な一撃によって取り除かれるのです。―マタイ 24:21。啓示 7:14; 16:14-16; 19:11-21。
17,18 あなたなら,サタンの世が終わった後の霊的な環境をどのように説明しますか。
17 何と心が安まるのでしょう。その日以降,人類に影響を与えるのは,エホバとその王国から来る健全で人を向上させる霊的な光だけになります。イザヤ 54章13節は,「あなたの子らは皆エホバに教えられる者となり,あなたの子らの平安は豊かであろう」と予告しています。地球全体が神の支配下に置かれる時,イザヤ 26章9節にあるとおり,「産出的な地に住む者たちは必ず義を学ぶ」と,神は約束しておられます。
18 直ちに,精神的,霊的環境全体が改善に向かいます。現在広く見られる憂うつな事柄や不道徳な事柄に代わって,建設的な事柄が時代のすう勢になります。その時生きている人は皆,神とその目的に関する真理を教えられます。「水が海を覆っているように,地は必ずエホバについての知識で満ちる」というイザヤ 11章9節の預言が余すところなく成就します。
光に従うことは急務
19,20 光に従うことを望む人々は,なぜ警戒を強めている必要がありますか。
19 この邪悪な体制が終わりを迎えようとしている今,世の光に従うことは急務です。また,わたしたちには警戒が必要です。光の中を歩むのを妨害しようとする熾烈な闘いが行なわれているからです。この反対を引き起こしているのは闇の勢力,つまりサタンと配下の悪霊たちとサタンの地上の組織です。そのため,使徒ペテロは次のように警告しています。「冷静さを保ち,油断なく見張っていなさい。あなた方の敵対者である悪魔がほえるライオンのように歩き回って,だれかをむさぼり食おうとしています」― ペテロ第一 5:8。
20 サタンは光に接する人々を闇の中にとどまらせることを願っているため,そのような人々の行く手にあらゆる障害物を置きます。その障害物は,真理に反対する親族や以前の友人からの圧力かもしれません。あるいは,偽りの宗教の教えや信仰心のない無神論者や不可知論者の宣伝に惑わされるために,聖書に対する疑いが生じることもあり得ます。さらには,神のご要求に沿うことを難しくする自分自身の罪深い傾向が障害になることもあります。
21 神の新しい世で生きることを願う人は皆,どんな行動を取るべきですか。
21 どんな障害物があるにしても,あなたは,貧困や犯罪,不公正や戦争のない新しい世での生活を楽しむことを願っておられますか。地上の楽園で完全な健康ととこしえの命を得ることを願っておられますか。もしそうであれば,イエスを世の光として受け入れ,そのイエスに従ってください。「命の言葉」をしっかりと守りながら『世を照らす者として輝いている』人々のメッセージに耳を傾けてください。―フィリピ 2:15,16。
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