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ライトベアラー号が東南アジアに真理の光を届けるアーカイブから
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船長だったエリック・ユーインスは「あそこで引き返しても悔いが残るだけでした」と当時を振り返ります。ライトベアラー号は航行を続け,1935年4月28日,無事ポートモレスビーに到着しました。
ライトベアラー号の乗組員。左から: ウィリアム・ハンター,チャールズ・ハリス,アラン・バックネル(最前列),アルフレッド・ロー,フランク・デュワー,エリック・ユーインス,リチャード・ナットリー
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ライトベアラー号が東南アジアに真理の光を届けるアーカイブから
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ライトベアラー号が再び出発する時にエリック・ユーインスが言ったことにびっくりしました。『フランク,君はシャム(現在のタイ)で奉仕したいって言っていたね。僕たちが一緒に行けるのはここまでだ。さあ,下りて行くんだ!』私は『ええっ,でもどうやってシャムに行けばいいのか分からない』と思いました」。エリックは,現在のマレーシアのクアラルンプールから列車で行けると言いました。
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ライトベアラー号が東南アジアに真理の光を届けるアーカイブから
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エリック・ユーインスはこう振り返ります。「メダンでの滞在はとても楽しく,大勢の人が良い知らせに耳を傾けました」。
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ライトベアラー号が東南アジアに真理の光を届けるアーカイブから
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1936年11月,船はシンガポールに戻り,兄弟たちはそこでエリック・ユーインスと別れます。数週間後,エリックはシンガポールに住んでいたエホバの証人アイリーン・ストラウスと結婚し,2人はスマトラ島で開拓奉仕を続けました。ライトベアラー号には新たな船長が必要でした。
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ライトベアラー号が東南アジアに真理の光を届けるアーカイブから
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1940年代初頭に,この船は売却されました。オーストラリアでエホバの証人の活動が禁止された直後のことです。ユーインス兄弟は「あの船は間違いなく役目を果たしました」と述べています。兄弟にとってライトベアラー号での奉仕は「人生で一番楽しかった日々」でした。
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