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    ものみの塔 2008 | 8月15日
    • エホバは忠節な者たちを捨てたりはされない

      「[エホバは]その忠節な者たちを捨てられない……。彼らは定めのない時に至るまで必ず守られる」。―詩 37:28。

      1,2 (イ)西暦前10世紀のどんな事態の進展は,神の僕の忠節を試みるものとなりましたか。(ロ)エホバはどんな三つの状況において忠節な者たちを守られましたか。

      時は西暦前10世紀。民は決断を迫られていました。不安定な北のイスラエルの諸部族に,ある程度の独立が与えられることにより,内乱はかろうじて回避されていました。任命されたばかりの王ヤラベアムは直ちに権力を強化すべく,新しい国教を定め,臣民に全き忠誠を要求します。エホバの忠実な僕たちはどうするでしょうか。自分たちの崇拝する神への忠節を保つでしょうか。少なからぬ人たちがそうします。そしてエホバは,彼らが忠誠を保つのを見守られます。―王一 12:1-33。代二 11:13,14。

      2 神の僕の忠節は,今日でも試みられています。「冷静さを保ち,油断なく見張っていなさい。あなた方の敵対者である悪魔がほえるライオンのように歩き回って,だれかをむさぼり食おうとしています」と,聖書は警告しています。わたしたちは,『堅い信仰をもって彼に立ち向かう』ことができるでしょうか。(ペテ一 5:8,9)西暦前997年のヤラベアム王の即位をめぐる出来事を取り上げ,そこから何を学べるかを調べてみましょう。その重大な時期に,エホバの忠実な僕たちは虐げられていました。背教の影響にもさらされていました。また彼らには,果たすべき難しい割り当てがありました。そうした三つの状況のそれぞれにおいて,エホバは忠節な者たちを捨てられませんでした。それは,今日でも同じです。―詩 37:28。

      虐げのもとでも

      3 ダビデ王の統治が虐げとは無縁だったのはなぜですか。

      3 ではまず,ヤラベアムが王になった時の状況を調べてみましょう。箴言 29章2節は,「邪悪な者が支配を行なうと,民は嘆息する」と述べています。古代イスラエルの王ダビデの統治下では,民が嘆息することはありませんでした。ダビデは完全な人ではなかったものの,神に忠節であり,神を信頼していました。ダビデの支配は虐げとは無縁でした。エホバはダビデと契約を結び,こう言われました。「あなたの家とあなたの王国は確かにあなたの前に定めのない時までも動くことがない。あなたの王座は,定めのない時までも堅く立てられたものとなる」。―サム二 7:16。

      4 ソロモンの治世中に経験できた祝福は何に依存していましたか。

      4 ダビデの息子ソロモンの支配は当初,平和と繁栄をもたらしたので,来たるべきキリスト・イエスの千年統治を的確に予表するものとなりました。(詩 72:1,17)当時はイスラエルの十二部族のいずれにも,反逆する理由などありませんでした。とはいえ,ソロモンとその臣民が祝福を受けるには,条件がありました。エホバはソロモンにこう述べておられました。「もしあなたがわたしの法令にしたがって歩み,わたしの司法上の定めを実行し,わたしのおきてにしたがって歩んでそのすべてを実際に守るなら,わたしもまた,あなたの父ダビデに語った,あなたにかかわる言葉を必ず果たすであろう。わたしは実際,イスラエルの子らのただ中に住まい,わたしの民イスラエルを捨てることはしない」。―王一 6:11-13。

      5,6 ソロモンが神に不忠節になったため,どんなことが生じましたか。

      5 ソロモンは晩年,エホバに不忠実になって,偽りの崇拝に携わるようになりました。(王一 11:4-6)次第にエホバの律法に服さなくなってゆき,民をいよいよ虐げるようになりました。その虐げがあまりにひどかったので,民はソロモンの死後,その息子で後継者のレハベアムに不平を述べ,荷を軽くしてほしい,と求めたほどです。(王一 12:4)エホバはソロモンが不忠実になった時,どのような反応を示されましたか。

      6 聖書はこう述べています。「エホバはソロモンに対していきり立たれた。彼の心が,イスラエルの神……,二度も彼に現われてくださった方から傾いてそれたからである」。それでエホバはソロモンにこう言われます。「あなたはわたしが命じて課したわたしの契約と法令を守らなかったので,わたしは必ず王国をあなたから裂き取り,それを必ずあなたの僕に与える」。―王一 11:9-11。

      7 エホバはソロモンを退ける一方で,忠節な者たちをどのように顧みられましたか。

      7 それからエホバは,救出者を任命するために預言者アヒヤを遣わされます。その救出者とは,ソロモンの政府で働いていた有能な男子,ヤラベアムでした。エホバはダビデとの王国契約に対して引き続き忠節でしたが,十二部族が行政面で分裂することは許されます。十部族はヤラベアムに与えられ,二部族は,レハベアム王を代表者とするようになったダビデの家系にとどまります。(王一 11:29-37; 12:16,17,21)エホバはヤラベアムにこう言われました。「もし,わたしがあなたに命じるすべてのことに従い,わたしの僕ダビデが行なったように,わたしの法令とおきてを守って,確かにわたしの道に歩み,わたしの目に正しいことを実際に行なうなら,わたしもまた必ずあなたと共におり,わたしがダビデのために建てたように,永続する家をあなたに建て,イスラエルをあなたに与えよう」。(王一 11:38)エホバはご自分の民のために行動を起こし,虐げからの解放をもたらす手だてを講じられました。

      8 今日,どんな試練が神の民を虐げていますか。

      8 今日の世界にも虐げと不公正が満ちあふれています。伝道の書 8章9節は,「人が人を支配してこれに害を及ぼした」と述べています。貪欲な商業体制と支配者の腐敗によって,厳しい経済状況がもたらされるかもしれません。政界,実業界,宗教界の指導者たちは,道徳面ではたいてい,貧弱な手本しか示していません。それゆえ,今日の神の忠節な者たちは,義人ロトのように,「無法な人々の放縦でみだらな行ないに大いに苦しんで」います。(ペテ二 2:7)また,神の規準に従い,静かに生活しようと努力するときに,尊大な支配者たちによる迫害の標的になることも少なくありません。―テモ二 3:1-5,12。

      9 (イ)エホバはご自分の民を救出するため,すでに何をしてこられましたか。(ロ)わたしたちは,イエスがこれからもずっと神に忠節であることを,なぜ確信できますか。

      9 しかしわたしたちは,次の基本的な事実を確信することができます。つまり,エホバは忠節な者たちを捨てられない,ということです。少し考えてみてください。神は,世の腐敗した支配者たちを廃して別の支配者を立てるために,すでに措置を講じてこられました。キリスト・イエスの手中にある神のメシア王国は,すでに設立されています。イエス・キリストが天で支配を開始してから100年が経とうとしています。間もなくイエスは,神のみ名を恐れる者たちに,完全な解放をもたらされます。(啓示 11:15-18を読む。)イエスはすでに,神への忠節を死に至るまで実証されました。ソロモンとは異なり,イエスが臣民を失望させることは決してありません。―ヘブ 7:26。ペテ一 2:6。

      10 (イ)神の王国に対する認識を,どのように示せますか。(ロ)試練に遭っている時,わたしたちは何を確信できますか。

      10 神の王国は現実の政府であり,すべての虐げを終わらせます。わたしたちは,エホバ神と神の設けられた取り決めに忠誠を示します。王国に全き信頼を置いているので,世の不敬虔を振り捨て,りっぱな業を熱心に追い求めます。(テト 2:12-14)世から汚点のない状態を保つよう励みます。(ペテ二 3:14)現在どんな試練に直面しているとしても,エホバがわたしたちを霊的な害から守ってくださることを確信できます。(詩編 97:10を読む。)さらに,詩編 116編15節には,「エホバの目に貴重なもの,それはご自分の忠節な者たちの死です」との保証の言葉があります。エホバはご自分の僕たちを非常に貴重なものとご覧になるので,彼らが一つのグループとして滅んでしまうことは決して許されません。

      背教の影響にさらされても

      11 ヤラベアムはどのようにして不忠節になりましたか。

      11 ヤラベアム王の支配は神の民に,ある程度の解放をもたらして然るべきでした。ところが,その王の行動は,神に対する民の忠節をさらに試みるものとなりました。ヤラベアムは与えられていた誉れや特権に満足することなく,自分の地位を強化する方法を探し求めるようになったのです。王はこう考えました。「もしこの民がエルサレムのエホバの家で犠牲をささげるために引き続き上って行くなら,この民の心もきっと彼らの主,ユダの王レハベアムに戻るだろう。そして彼らは必ずわたしを殺して,ユダの王レハベアムのもとに戻るだろう」。そこでヤラベアムは,二つの金の子牛を中心とする新しい宗教を作ります。こう記されています。「それで彼は一つをベテルに据え,もう一つをダンに置いた。そして,この事は罪の元となり,民はダンに,その一つの前にまで行くようになった。また,彼は高き所の家を造り,レビの子らの者ではない一般の民から祭司たちを任じるようになった」。ヤラベアムは自ら『イスラエルの子らのための祭り』を考え出し,「犠牲の煙を立ち上らせるため,祭壇の上に捧げ物を供え(る)」ようになります。―王一 12:26-33。

      12 北王国にいた,神の忠節な者たちは,ヤラベアムがイスラエルで子牛崇拝を始めた時,どんな行動を取りましたか。

      12 では,北王国にいる神の忠節な者たちはどうするでしょうか。北王国の領域にある,与えられた諸都市に住んでいたレビ人たちは,忠実な父祖たちのように,時を移さず行動を起こします。(出 32:26-28。民 35:6-8。申 33:8,9)自らの相続地を捨て,家族を連れて南のユダへ移り住み,そこで妨げられることなくエホバを崇拝しつづけられるようにしたのです。(代二 11:13,14)一時的にユダに住んでいたイスラエル人たちの中には,郷里に戻るのではなく,そこに恒久的にとどまることを選んだ人もいました。(代二 10:17)エホバは,真の崇拝に戻る道を開いておかれました。北王国の後の世代の人たちが子牛崇拝を捨ててユダに戻れるようにされたのです。―代二 15:9-15。

      13 現代において,背教的な影響力は,どのように神の民を試みるものとなってきましたか。

      13 今日でも背教者とその影響力は神の民を脅かしています。一部の支配者たちは独自の国教を作ることを企て,それを受け入れるよう国民に圧力をかけてきました。キリスト教世界の僧職者など,せん越な者たちは,霊的な祭司職に任じられているのは自分たちであると,ことあるごとに主張してきました。しかし,「王なる祭司」を構成する正真正銘の油そそがれた者たちは,真のクリスチャンの中にしかいません。―ペテ一 2:9。啓 14:1-5。

      14 背教的な考えに対して,どんな反応を示すべきですか。

      14 今日の神の忠節な者たちも,西暦前10世紀当時の忠実なレビ人と同じく,背教的な考えに欺かれることはありません。油そそがれた者たちとその仲間のクリスチャンは,背教的な考えをすぐさま避け,退けます。(ローマ 16:17を読む。)宗教に関係のない事柄に関しては政府の権威に喜んで服し,世の紛争に関しては中立を保ちますが,わたしたちの忠節は神の王国に対するものです。(ヨハ 18:36。ロマ 13:1-8)わたしたちは,神に仕えていると言いながらその行ないによって神を辱めている者たちの偽りの主張を退けます。―テト 1:16。

      15 「忠実で思慮深い奴隷」に忠節を示すべきなのは,なぜですか。

      15 考えてみてください。エホバは,心の正直な人たちが比ゆ的な意味で,邪悪な世から出て,ご自分の作られた霊的パラダイスに入ることを可能にされたのです。(コリ二 12:1-4)わたしたちは感謝にあふれた心をもって,「主人が,時に応じてその召使いたちに食物を与えさせるため,彼らの上に任命した,忠実で思慮深い奴隷」のもとにとどまります。キリストはこの奴隷を任命して,「自分のすべての持ち物をつかさどらせ(て)」おられます。(マタ 24:45-47)ですから,個人的には奴隷級の見解が十分に理解できないとしても,その見解を退けたり,サタンの世に戻ったりするのは正しいことではありません。むしろわたしたちは,忠節であるがゆえに,謙遜な態度を示し,エホバが物事を明らかにされるのを待ちます。

      神から与えられた割り当てを果たす時も

      16 ユダから来た預言者はどんな割り当てを受けていましたか。

      16 エホバは,ヤラベアムをその背教的な行動ゆえに糾弾されます。そのために,一人の預言者をユダから北のベテルに遣わし,ヤラベアムに会わせます。折りしもヤラベアムは祭壇で儀式を執り行なおうとしています。預言者はヤラベアムに痛烈な裁きの音信を伝えることになっていました。確かにそれは試みとなる割り当てでした。―王一 13:1-3。

      17 エホバはご自分の使者をどのように守られましたか。

      17 エホバの糾弾の言葉を聞いたヤラベアムは激怒して,神の代表者に向かって手を突き出し,近くにいた家来たちに,「お前たち,彼を捕らえよ」と叫びます。しかし,家来たちが行動するよりも早く,「その人に向かって突き出した手は干からび,それを引っ込めることができなく」なります。「そして,祭壇も……引き裂かれたので,脂灰は祭壇からまき散らされ」ます。ヤラベアムは仕方なく預言者に懇願し,エホバの顔を和め,自分の干からびた手が元通りになるよう祈って欲しい,と言います。預言者がそのようにしたので,ヤラベアムの手はいやされます。このようにしてエホバは,ご自分の使者を危害から守られました。―王一 13:4-6。

      18 恐れることなく神聖な奉仕をささげる時,エホバはどのように守ってくださいますか。

      18 忠節な態度で,王国を宣べ伝えて弟子を作る業に携わっていると,冷たい反応が返ってくることがあります。敵意を示されることさえあります。(マタ 24:14; 28:19,20)しかし,拒絶されるのを恐れて,宣教に対する熱意を弱めてはなりません。ヤラベアムの時代の無名の預言者のように,わたしたちにも『忠節をもって恐れなくエホバに神聖な奉仕をささげる特権』があります。a (ルカ 1:74,75)今日,奇跡的な介入を期待することはできませんが,それでもエホバは,聖霊とみ使いたちによって,ご自分の証人であるわたしたちを守り,支援してくださっています。(ヨハネ 14:15-17; 啓示 14:6を読む。)神は,み言葉を恐れることなく語りつづける者たちを決してお見捨てになりません。―フィリ 1:14,28。

      エホバは忠節な者たちを守られる

      19,20 (イ)エホバは決してわたしたちを捨てられない,ということを,どうして確信できますか。(ロ)次の記事ではどんなことを取り上げますか。

      19 エホバは忠節な神であられます。(啓 15:4; 16:5)「そのすべてのみ業において忠節です」。(詩 145:17)「ご自分の忠節な者たちの道を守ってくださる」とも保証されています。(箴 2:8)エホバの忠節な者たちは,試練や背教的な考えに直面する時,また難しい割り当てを果たす時に,エホバの導きや支えがあることを確信できます。

      20 それで一人一人が次のことを考えなければなりません。今後どんな試練や誘惑に直面するとしても,エホバへの忠節を保つうえで,何が助けになるでしょうか。言い換えれば,どうすれば神への忠節心を強めることができるでしょうか。

      [脚注]

      a この預言者がエホバに従いつづけたかどうか,その後どうなったかについては,次の記事で取り上げます。

  • 心を一つにして忠節を保ちなさい
    ものみの塔 2008 | 8月15日
    • 心を一つにして忠節を保ちなさい

      「わたしはあなたの真理によって歩みます。あなたのみ名を恐れるようわたしの心を一つにしてください」。―詩 86:11。

      1,2 (イ)詩編 86編2,11節によれば,試練や誘惑に直面した時,エホバへの忠実を保つうえで,何が助けになりますか。(ロ)心からの忠節を,いつ培っておくべきですか。

      投獄や迫害に遭いながら,長く忠実を保ってきたクリスチャンでも,後に物質主義に屈してしまうことがあるのはなぜでしょうか。その答えはわたしたちの心,つまり内面の本当の自分と関係があります。詩編 86編は忠節を,一つにされた心,すなわち分かたれることのない全き心と結び付けています。詩編作者ダビデはこう祈っています。「わたしの魂を守ってください。わたしは忠節な者だからです。あなたの僕を救ってください ― あなたはわたしの神なのです ― あなたに依り頼んでいるこの僕を」。また,こうも祈っています。「エホバよ,あなたの道をわたしに教え諭してください。わたしはあなたの真理によって歩みます。あなたのみ名を恐れるようわたしの心を一つにしてください」。―詩 86:2,11。

      2 心をこめてエホバに依り頼んでいないなら,まことの神に対する忠節心は,他の事柄に対する関心や愛情によって弱められてしまいます。利己的な欲望はわたしたちの足元に隠されている地雷のようです。試みとなる状況のもとでエホバへの忠実を保ってきたとしても,サタンのわなにかかるおそれがあります。ですから,試練や誘惑に直面する前に,エホバへの心からの忠節を培っておくことは何と大切なのでしょう。「守るべき他のすべてのものに勝ってあなたの心を守れ」と,聖書は述べています。(箴 4:23)この点に関して,エホバがユダからイスラエルのヤラベアム王のもとに遣わしたある預言者の経験を通して,貴重な教訓を得ることができます。

      「あなたに贈り物を差し上げたいのです」

      3 ヤラベアムは,神の預言者から伝えられた裁きの音信に,どんな反応を示しましたか。

      3 次のような場面を思い浮かべてみてください。その神の人は,北のイスラエルの十部族王国で子牛崇拝を始めたヤラベアム王に,痛烈な音信を伝えたところです。王は激怒し,その使者を捕らえるよう家来に命じます。しかしエホバはご自分の僕と共におられます。王が怒って突き出した手は突然,超自然的な力によって干からび,偽りの崇拝に用いられていた祭壇は引き裂かれます。ヤラベアムは態度を一変させ,神の人に懇願してこう言います。「どうか,あなたの神エホバの顔を和め,わたしの手がわたしのもとに元通りになるよう,わたしのために祈ってください」。そこで預言者が祈ると,王の手はいやされます。―王一 13:1-6。

      4 (イ)王の申し出が,まさに預言者の忠節を試みるものとなったのはなぜですか。(ロ)預言者はどのように答えましたか。

      4 それでヤラベアムはまことの神の人にこう言います。「是非わたしと共に家に来て,食事を取ってください。あなたに贈り物を差し上げたいのです」。(王一 13:7)では預言者はどうすべきでしょうか。ヤラベアムに糾弾の音信を伝えた後なので,王から差し伸べられたもてなしを退けるべきでしょうか。(詩 119:113)それとも,王が悔い改めているように見えるので,その招きを受け入れるべきでしょうか。確かにヤラベアムには,友人に気前よく高価な贈り物をするだけの資力があります。もし神の預言者の心のどこかに物欲があったなら,王のこの申し出は大きな誘惑になったことでしょう。しかしエホバはその預言者に,「あなたはパンを食べてはならず,水を飲んでもならない。また,自分の来た道を通って帰ってはならない」と命じておられました。それで預言者はきっぱりとこう答えます。「たとえ,あなたの家の半分をわたしに下さっても,わたしはあなたと共にまいりませんし,この場所ではパンも食べませんし,水も飲みません」。こうして預言者は,ほかの道を通ってベテルから帰って行きます。(王一 13:8-10)この預言者の決定を通して,心からの忠節に関するどんな教訓が得られるでしょうか。―ロマ 15:4。

      「満足する」

      5 物質主義は忠節とどのように関係していますか。

      5 物質主義と忠節は無関係に思えるかもしれませんが,実際はそうではありません。わたしたちは,本当に必要なものを備えてくださるというエホバの約束を信じているでしょうか。(マタ 6:33。ヘブ 13:5)生活を“より豊かにする”物であっても今のところ買う余裕がなければ,何としても手に入れようとするのではなく,それなしで済ませることができるでしょうか。(フィリピ 4:11-13を読む。)いま欲しいものを手に入れるために,神権的な特権を手離すことを考えてしまいますか。エホバへの忠節な奉仕を生活の中で最優先していますか。それらの質問にどう答えるかは,神への奉仕に心をこめているかどうかで,大きく異なってくるでしょう。使徒パウロはこう書いています。「自ら足りて敬虔な専心を守ること,これは大きな利得の手段です。わたしたちは世に何かを携えて来たわけではなく,また何かを運び出すこともできないからです。ですから,命を支える物と身を覆う物とがあれば,わたしたちはそれで満足するのです」。―テモ一 6:6-8。

      6 わたしたちにどんな「贈り物」が差し出されることがありますか。それを受けるかどうかを決定するうえで,何が役立ちますか。

      6 例えば,雇い主から,今よりも収入や条件のよい昇進の話を持ちかけられることがあります。あるいは,他の国や地域に移動するなら,もっと高収入の仕事が得られることが分かるかもしれません。最初,そうした機会はエホバからの祝福と思えることでしょう。しかし,実際に行動を起こす前に,自分の動機を吟味してみるべきではないでしょうか。第一に考える必要があるのは,「自分の決定は自分とエホバとの関係にどのような影響を及ぼすだろうか」ということです。

      7 物欲を除き去ることはなぜ大切ですか。

      7 サタンの体制は容赦なく物質主義をあおります。(ヨハネ第一 2:15,16を読む。)悪魔の目的は,わたしたちの心を腐敗させることです。ですから,心の中の物欲を見極め,それを除き去ることに目ざとくあるべきです。(啓 3:15-17)イエスは,世のすべての王国を与えるというサタンの申し出をきっぱりと退けました。(マタ 4:8-10)そしてこう警告しておられます。「じっと見張っていて,あらゆる強欲に警戒しなさい。満ちあふれるほどに豊かであっても,人の命はその所有している物からは生じないからです」。(ルカ 12:15)忠節であるなら,自分自身ではなく,エホバに依り頼むようになります。

      年老いた預言者は「その人を欺いた」

      8 神の預言者の忠節はどのように試みられましたか。

      8 もし神の預言者がそのまま帰っていたなら,物事は順調に運んだことでしょう。しかし間もなく,この預言者は別の試みに直面します。聖書によれば,「ある年老いた預言者がベテルに住んでい(まし)たが,その息子たちがそのときやって来て」,その日の早いうちに起きた事柄を「父に述べ」ます。その知らせを聞いて,この年老いた預言者は,神の預言者に追いつけるようロバに鞍を置いて欲しい,と息子たちに頼みます。そして,それほど行かないうちに,預言者が大きな木の下で休んでいるのを見つけ,「わたしと共に家に来て,パンを食べてください」と言います。まことの神の人が辞退すると,年老いた預言者はこう言います。「わたしもまたあなたと同様預言者ですが,み使いがエホバの言葉によってわたしに話し,『その人を一緒にあなたの家に戻らせ,パンを食べさせ,水を飲ませなさい』と言いました」。しかし聖書によれば,「彼はその人を欺いた」のです。―王一 13:11-18。

      9 聖書は,欺く者たちについて何と述べていますか。彼らはだれに害をもたらしますか。

      9 動機がどうあれ,年老いた預言者はうそをつきました。この人はかつてエホバの忠実な預言者だったのかもしれません。しかしこの時点では,人を欺いていました。聖書はそのような行動を強く非難しています。(箴言 3:32を読む。)欺く者たちは,自らに霊的な害をもたらすだけでなく,往々にして他の人にも有害な影響を及ぼします。

      『その人は老人と共に戻った』

      10 神の預言者は,老人の招きにどのように応じましたか。どんな結果になりましたか。

      10 ユダから来たその預言者は,年老いた預言者の策略を見抜けたはずです。『なぜエホバは,わたしに対する新たな指示を与えるために,ほかの人のところにみ使いを遣わしたのだろう』と考えることもできたでしょう。その指示が正しいものかどうかをエホバに尋ねることもできたはずですが,聖書はこの預言者がそうしたとは述べていません。むしろ,「その人は[老人]と共に戻り,彼の家でパンを食べ,水を飲むことにした」のです。エホバはそのことを喜ばれませんでした。やがてその欺かれた預言者は,ユダへ戻るために立ち去りますが,その途中,ライオンがその人に会い,その人を殺します。預言者にしては何と悲惨な結末でしょう。―王一 13:19-25。a

      11 アヒヤはどんな模範を残しましたか。

      11 一方,預言者アヒヤは,ヤラベアムに油をそそいで王とするために遣わされた人ですが,老齢に至るまで忠実を保ちました。ヤラベアムは自分の妻を,年老いて視力を失っていたアヒヤのもとに行かせ,病気の子どものことを尋ねさせます。アヒヤは臆することなく,ヤラベアムの息子が死ぬことを予告します。(王一 14:1-18)アヒヤには多くの祝福が与えられましたが,その一つは,霊感によって記された神の言葉に貢献したことです。どのようにでしょうか。後に祭司エズラは,アヒヤの記した事柄を資料として用いたのです。―代二 9:29。

      12-14 (イ)若い預言者に生じた出来事から,どんな教訓が得られますか。(ロ)長老から与えられる聖書に基づく助言は,注意深く祈りのうちに考慮する必要があります。その点について,例を挙げて説明してください。

      12 その若い預言者は,指示に反して老人と共に食べたり飲んだりする前に,なぜエホバに問い尋ねなかったのでしょうか。聖書には何も述べられていません。もしかしたら自分が聞きたいと思っていたことを老人から言われたのでしょうか。では,そこからどんな教訓が得られるでしょうか。わたしたちは,エホバのご要求が正しいという絶対的な確信を持つ必要があります。そして,どんなことが起きようとも,そのご要求に従う決意を抱いていなければならないのです。

      13 助言に関して言えば,自分の聞きたいことしか聞かない人もいます。例えば,ある兄弟に仕事の話が舞い込むかもしれません。それは,家族と過ごしたり神権的な活動に費やしたりする時間を奪いかねない仕事です。そこで,その兄弟は長老に助言を求めます。長老は,家族を養う方法について自分は指図する立場にいないということを認めてから,アドバイスするかもしれません。そして,舞い込んできたその仕事を受け入れることに伴う霊的な危険について兄弟と話し合うでしょう。その兄弟が思いに留めるのは,長老が最初に述べた言葉だけでしょうか。それとも,その後に話されたことにもよく注意を払うでしょうか。言うまでもなくこの兄弟は,自分にとって霊的に何が最善かを見極めなければなりません。

      14 生じ得る別の状況も考慮してください。ある姉妹が長老に,未信者である夫と別居してよいかどうかを尋ねます。長老は,別居するかどうかはあなたの決定すべきことである,と説明するに違いありません。それから,その問題に関する聖書の助言を考慮することでしょう。(コリ一 7:10-16)姉妹は長老の言葉に十分な考慮を払うでしょうか。あるいは,夫との別居をすでに決めているでしょうか。決定に際して,聖書に基づいた助言を祈りのうちに考慮するのは賢明なことです。

      慎み深くありなさい

      15 神の預言者が犯した誤りから何を学べますか。

      15 ユダから来た預言者の犯した誤りから,ほかにもどんなことを学べますか。箴言 3章5節はこう述べています。「心をつくしてエホバに依り頼め。自分の理解に頼ってはならない」。預言者は,それまでしていたようにエホバに頼るのではなく,今回は自分の判断に頼ってしまいました。その間違いによって,自らの命と神のみ前における良い名を失う結果になりました。この経験は,エホバに慎みをもって忠節に仕えることの大切さを,何と強力に物語っているのでしょう。

      16,17 エホバへの忠節を保つために何が助けになりますか。

      16 わたしたちの心には利己的な傾向があり,それはわたしたちを誤った方向に導きます。「心はほかの何物にも勝って不実であり,必死になる」のです。(エレ 17:9)それで,エホバへの忠節を保つには,せん越さや自己過信に陥る傾向を含む,古い人格を脱ぎ捨てる努力を続けなければなりません。また,「神のご意志にそいつつ真の義と忠節のうちに創造された」新しい人格を身に着ける必要もあります。―エフェソス 4:22-24を読む。

      17 箴言 11章2節には,「知恵は,慎みある者たちと共にある」と記されています。慎みをもってエホバに頼るなら,間違いをおかして大きな代償を払うようなことをせずに済みます。例えば,失望はわたしたちの判断を容易にゆがめてしまいます。(箴 24:10)神聖な奉仕の何かの面で疲れを覚え,自分は長年,十分に奉仕してきたのだから,もうそろそろ別の人に荷を負ってもらおう,と考えるようになるかもしれません。あるいは,もっと“普通の”生活をしたいと望むかもしれません。しかし,「精力的に励み」,「主の業においてなすべき事を常にいっぱいに持(つ)」なら,心を守ることができます。―ルカ 13:24。コリ一 15:58。

      18 どんな決定をすればよいのか分からない場合,どうすることができますか。

      18 難しい決定を下す必要があるのに,取るべき正しい道が容易には分からないこともあるでしょう。そのような時,自分の力で何とかしたくなってしまうでしょうか。そうした状況に置かれた場合はいつでも,エホバに助けを求めるのは,賢明なことです。ヤコブ 1章5節はこう述べています。「あなた方の中に知恵の欠けた人がいるなら,その人は神に求めつづけなさい。神はすべての人に寛大に……与えてくださるのです」。天の父は,正しい決定をするのに必要な聖霊を与えてくださるでしょう。―ルカ 11:9,13を読む。

      忠節を保つ決意を抱く

      19,20 わたしたちは,どんな決意を抱いているべきですか。

      19 ソロモンが真の崇拝からそれた後の動乱の時代に,神の僕たちの忠節は厳しく試みられました。多くの人々が何らかの点で妥協したことは事実です。しかしながら,エホバに忠節を保った人もいました。

      20 忠節を試みるような選択や決定を行なう必要は,毎日のように生じます。わたしたちも,忠実であることを証明できます。心を一つにし,エホバが忠節な者を常に祝福してくださることに全き確信を抱きつつ,エホバへの忠節を保ち続けましょう。―サム二 22:26。

      [脚注]

      a エホバがこの年老いた預言者に死をもたらしたかどうかについて,聖書は何も述べていません。

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