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エホバへの忠節を示しなさいものみの塔(研究用)2016 | 2月
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エホバへの忠節を示しなさい
「エホバがわたしとあなたとの間,またわたしの子孫とあなたの子孫との間に定めのない時までもおられますように」。―サム一 20:42。
1,2. ヨナタンは友としてダビデに忠節を保つ点で,どのように優れた模範を示しましたか。
ヨナタンは,若いダビデが巨人ゴリアテに立ち向かう姿を見て驚嘆したに違いありません。ダビデは今,「手にフィリスティア人の首を持」ち,ヨナタンの父であるイスラエルの王サウルの前に立っています。(サム一 17:57)ヨナタンはダビデの勇気をたたえたことでしょう。神がダビデと共におられることは明らかでした。そして「ヨナタンの魂がダビデの魂と結び付き」,2人は固い友情で結ばれました。こう記されています。「ヨナタンとダビデは契約を結んだ。[ヨナタンはダビデ]を自分の魂のように愛していたためである」。(サム一 18:1-3)ヨナタンは生涯ずっとダビデに忠節でした。
2 神がイスラエルの次の王として選んだのはヨナタンではなくダビデでした。しかしヨナタンは,ダビデに忠節を示し続けました。サウルがダビデを殺そうとしていた時,ヨナタンはダビデの身を案じ,ユダの荒野のホレシャまで出かけてゆきました。ヨナタンは「神に関して彼の手を強め」,こう言います。「恐れてはなりません。……あなたはイスラエルの王となり,わたしはあなたに次ぐ者となるのです」。―サム一 23:16,17。
3. ヨナタンにとって,ダビデに対する忠節よりも大切だったのは何でしたか。なぜそう言えますか。(冒頭の挿絵を参照。)
3 忠節という特質は大抵の場合,人々から称賛されます。ダビデに対するヨナタンの忠節も注目に値します。しかし,ヨナタンが神に忠節であったことを忘れるべきではありません。ヨナタンがダビデをライバルではなく友と考えたのはなぜでしょうか。自分の地位より重要なものがあったからに違いありません。ヨナタンは「神に関して[ダビデ]の手を強め」ました。ですから,ヨナタンにとって最も大切だったのは,神への忠節でした。ダビデに対する忠節は,エホバへの忠節に基づいていたのです。2人は次の誓いを守り通しました。「エホバがわたしとあなたとの間,またわたしの子孫とあなたの子孫との間に定めのない時までもおられますように」。―サム一 20:42。
4. (イ)どうすれば真の幸福と満足が得られますか。(ロ)この記事ではどんな点を考えますか。
4 わたしたちクリスチャンは,他の人の忠節を称賛するだけではなく,自分自身も家族や友人や仲間の信者に忠節を示します。(テサ一 2:10,11)しかし,最も大切にすべきなのはだれに対する忠節でしょうか。命を与えてくださった方に対する忠節です。(啓 4:11)神への忠節を保つなら,真の喜びと満足が得られます。しかしそのためには,難しい状況のもとでも神に堅く付かなければなりません。この記事では,ヨナタンの模範に注目しながら,次のような場合にどのようにエホバに忠節を示せるかを考えましょう。(1)権威を持つ人を尊敬できない場合,(2)忠節に関して決定を迫られる場合,(3)誤解された場合,(4)忠節と自分の願いが相反する場合です。
権威を持つ人を尊敬できない場合
5. サウルが王だった間,イスラエル人が神に忠節を示すのが難しかったのはなぜですか。
5 神はヨナタンの父サウルに油をそそぎましたが,後にサウルは不従順になり,神から退けられました。(サム一 15:17-23)神はサウルの王位をすぐに剥奪したわけではないので,民やサウルの身近な人々は神への忠節を試みられました。「エホバの王座」に座す王が誤った歩みをする中で,神への忠節を保たなければならなかったのです。―代一 29:23。
6. ヨナタンがエホバに忠節を保ったことは,どんなことから分かりますか。
6 サウルが初めて不従順な精神を表わした時,息子のヨナタンはエホバに忠節を示しました。(サム一 13:13,14)預言者サムエルはこう述べていました。「エホバはその偉大なみ名のためにご自分の民を捨て去ることはされないのです」。(サム一 12:22)戦車3万を装備したフィリスティアの大軍がイスラエルに攻めて来た時,ヨナタンはそのサムエルの言葉への確信を示しました。サウルと共にいたのは600人の男たちだけで,しかも武器を持っていたのはサウルとヨナタンだけでした。それでもヨナタンは,武具持ちの従者だけを連れてフィリスティア人の前哨部隊の方へ向かいました。ヨナタンは,「多数の者によるのであっても,少数の者によるのであっても,エホバにとっては救うのに何の妨げもないからです」と言います。2人は前哨部隊のおよそ20人を討ち倒しました。その時,「地は震い動きだし,それは神からのおののきと」なりました。フィリスティア人は混乱して同士討ちを始めました。神に対するヨナタンの信仰は勝利をもたらしたのです。―サム一 13:5,15,22; 14:1,2,6,14,15,20。
7. ヨナタンは父親にどのように接しましたか。
7 サウルと神との関係は悪化してゆきましたが,ヨナタンはできる限り父親に協力しました。神の民を守るため共に戦ったこともあります。―サム一 31:1,2。
8,9. 権威を持つ人に敬意を払うなら,エホバへの忠節を示すことになります。なぜそう言えますか。
8 ヨナタンのようにわたしたちも,神のご要求に従って上位の権威に相対的な服従を示すことにより,エホバへの忠節を保てます。権威を持つ人が尊敬できないように思える場合も,例外ではありません。例えば,不正を働く役人であっても,その人の立場に敬意を払います。政府の「上位の権威」に相対的な服従を示すべきだからです。(ローマ 13:1,2を読む。)エホバから権威を与えられている人たちに敬意を払うことにより,エホバへの忠節を示せるのです。―コリ一 11:3。ヘブ 13:17。
未信者の配偶者に敬意を払うことにより,エホバへの忠節を示せる(9節を参照)
9 南アメリカのオルガ[1] は,難しい状況でも夫に敬意を払うことによって,神への忠節を示しました。夫は,オルガがエホバの証人であることに何年も不快感をあらわにしていました。オルガを感情的に虐待し,侮辱し,口をきかなかったり,子どもたちを連れて出て行くと言って脅したりしました。それでもオルガは悪に悪を返したりしませんでした。良い妻であるために最善を尽くし,夫の食事や衣服に気を配り,家族を世話しました。(ロマ 12:17)夫が家族や職場の人たちとの集まりに出かける時には,できるだけ一緒に行きました。例えば,夫が自分の父親の葬式のため,別の町に行く時には,子どもたちに支度をさせ,旅行の準備を整えました。オルガは葬儀が終わるまで,教会の外で待ちました。何年もたってから,夫はオルガの辛抱強さや敬意に心を動かされ,態度を和らげるようになりました。今ではオルガを王国会館に送ってくれます。集会に行くようオルガに勧めたり,自分も一緒に集会に出席したりすることもあります。―ペテ一 3:1,2。
忠節に関して決定を迫られる場合
10. ヨナタンはだれに忠節を示すべきかをどのようにして決定しましたか。
10 サウルはダビデを殺すことに決めていたので,ヨナタンはサウルとダビデのどちらに忠節を示すべきか,決定を迫られました。ヨナタンはダビデと契約を結んでいましたが,父親にも服していました。しかしヨナタンは,神がサウルではなくダビデと共におられることを理解していたので,ダビデに対する忠節を優先しました。それで,ダビデに身を隠すよう忠告し,サウルにはダビデの良い点を述べました。―サムエル第一 19:1-6を読む。
11,12. 神に忠節を示すよう決意するうえで,神への愛はどのように助けになりますか。
11 オーストラリアのアリスという姉妹は,だれに忠節を示すかを決めなければなりませんでした。アリスは聖書を学び始めると,学んだ良い事柄を家族に話すようになりました。後に,自分はクリスマスを一緒に祝えない,ということを家族に伝え,その理由も説明しました。家族は最初のうち少し心配する程度でしたが,徐々に強い怒りを表わすようになりました。アリスに見放されたと思ったのです。アリスはこう言います。「母は親子の縁を切るとまで言いました。わたしはショックを受け,深く傷つきました。家族を本当に愛していたからです。それでも,エホバとみ子を第一にするよう決意し,次の大会でバプテスマを受けました」。―マタ 10:37。
12 注意していないと,国,学校,スポーツチームへの愛着が強くなって,神への忠節がわきへ押しやられることがあります。ヘンリーの例を考えてみましょう。ヘンリーはチェスをするのが好きです。通っていた学校がチェス大会でいつも優勝していたので,自分もベストを尽くしたいと思っていました。こう述べています。「だんだんと,学校への忠節心が神への忠節心を上回るようになってゆきました。週末にチェスの試合があったので,奉仕を休みがちになりました。それで,チェスのチームから抜けることにしました」。―マタ 6:33。
13. 神への忠節は,家族の問題に対処するうえでどのように助けになりますか。
13 家族の中でだれに対する忠節を優先すべきか,難しく感じることもあるでしょう。ケンはこう言います。「わたしは高齢の母を定期的に訪問したいと思っていました。時おり我が家に泊まりに来てほしいとも思いました。でも,母と妻はあまり仲が良くありませんでした。どちらか一方を立てると,もう一方が不機嫌になるので,最初のうちは大変でした。でも,自分が堅く付くべきなのは妻だということに気づきました。それで,母に配慮しつつも,妻が納得できるような方法を考えました」。ケンは,神に忠節を示し聖書の言葉に従いたいと思ったので,妻には母親を大切にすべき理由を説明し,母親には妻の考えを尊重すべき理由を説明しました。―創世記 2:24; コリント第一 13:4,5を読む。
誤解された場合
14. サウルはヨナタンをどのように不当に扱いましたか。
14 責任ある立場の人から誤解されると,エホバへの忠節が試みられるかもしれません。ヨナタンはそのような状況に直面したものと思われます。神によって油そそがれたサウル王は,息子ヨナタンがダビデと友情を築いていることを知っていましたが,その理由を理解していませんでした。サウルは怒りに任せてヨナタンを辱めました。しかし,ヨナタンは仕返ししませんでした。神に対する忠節も,やがてイスラエルの王となるダビデに対する忠節も,揺らぎませんでした。―サム一 20:30-41。
15. だれかに不当に扱われたとしても,どうすべきですか。
15 今日,エホバの民の会衆で不当に扱われることは,ほとんどないでしょう。とはいえ,指導の任に当たっている兄弟たちも不完全なので,わたしたちの行動を誤解することがあります。(サム一 1:13-17)ですから,誤解されることがあるとしても,エホバへの忠節を保ちましょう。
忠節と自分の願いが相反する場合
16. 神への忠節を保って利己的な態度を避けるべき,どんな状況がありますか。
16 サウルはヨナタンに,自分の利益を求めるよう勧めました。(サム一 20:31)しかし,ヨナタンは神に忠節だったので,自分が王になろうとするのではなく,友としてダビデを助けました。わたしたちもヨナタンの利他的な精神に倣いたいと思うでしょう。聖書は,エホバに受け入れられる人について,「自分にとって悪いことを誓いましたが,それでも変えません」と述べています。(詩 15:4)ヨナタンはダビデとの「誓い」を変えず,約束を守りました。わたしたちも約束を守るべきです。例えば,仕事上の合意事項を守るのが予想以上に難しくなっても,神への忠節と聖書への敬意があれば,約束を守りたいと思うはずです。また,結婚生活が思っていた以上に大変になっても,神への愛があれば,配偶者への忠節を保ちたいと思うことでしょう。―マラキ 2:13-16を読む。
仕事の合意事項を守るのが難しいとき,神への忠節と聖書への敬意が試みられる(16節を参照)
17. この記事からどんな点を学びましたか。
17 ヨナタンの模範を熟考すると,神に対するヨナタンの忠節に倣いたいと思うのではありませんか。自分の利己的な関心事を求めないようにしましょう。また,兄弟姉妹のだれかにがっかりさせられることがあっても,神の民に忠節であることによって,エホバへの忠節を示しましょう。難しい状況のもとでもエホバ神に忠節であるなら,神の心を歓ばせることができます。そのことを知ると,わたしたちはこの上ない満足を覚えます。(箴 27:11)神への忠節を保つなら,エホバはわたしたちにとって最終的に最も良い結果になるよう,物事を導いてくださるでしょう。次の記事では,ダビデの時代の忠節な人たちと不忠節な人たちの行なった事柄から大切な教訓を学びます。
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エホバの忠節な僕から学ぶものみの塔(研究用)2016 | 2月
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エホバの忠節な僕から学ぶ
「忠節な者には,あなたは忠節をもって行動……されます」。―詩 18:25。
1,2. ダビデは神への忠節をどのように示しましたか。(冒頭の挿絵を参照。)
真夜中のことです。ダビデとアビシャイは,3000人の兵士が眠る陣営の中を忍び足で進んで行きます。2人は,陣営の真ん中でぐっすり眠るサウル王を見つけます。サウルはダビデを捜し出して殺すため,ユダの荒野にやって来たのです。アビシャイはダビデにこうささやきます。「どうかわたしに,[サウル]をその槍でただ一度地に刺し通させてください。わたしは彼に二度そうは致しません」。それに対し,ダビデは思いがけないことを言います。「彼を滅びに陥れてはならない。エホバの油そそがれた者に向かって手を出して,罪のないままでいられた者がだれかいるだろうか。……エホバの油そそがれた者に向かって手を出すなど,わたしには,エホバの見地からして考えられないことだ!」―サム一 26:8-12。
2 ダビデは,神に忠節であるとはどういうことかを理解していました。サウルに危害を加えようとしなかったのは,サウルがイスラエルの油そそがれた王だったからです。エホバの忠節な僕は,エホバから任命された人を敬います。エホバはご自分の僕すべてに,忠節であることを求めておられるのです。―詩編 18:25を読む。
3. アビシャイはダビデへの忠節をどのように示しましたか。
3 アビシャイはダビデを敬った人です。幾つかの事例を考えましょう。ダビデはバテ・シバとの姦淫の罪を隠ぺいするため,アビシャイの兄弟ヨアブに命じて,バテ・シバの夫ウリヤが戦いで死ぬよう事を運びました。(サム二 11:2-4,14,15。代一 2:16)アビシャイはそのことを知っていたかもしれませんが,神から任命された王であるダビデに敬意を示し続けました。また,軍の指導者としての権力を用いてイスラエルの王権を奪おうとすることもありませんでした。むしろ,ダビデを反逆者や他の敵たちから守りました。―サム二 10:10; 20:6; 21:15-17。
4. (イ)ダビデはどのように神への忠節を示しましたか。(ロ)この記事では,どんな記述を調べますか。
4 ダビデは生涯エホバに忠節でした。少年のころ,フィリスティアの巨人ゴリアテが不遜にも「生ける神の戦列を嘲弄」した時,ゴリアテに立ち向かいました。(サム一 17:23,26,48-51)王になった後,姦淫と殺人という重大な罪を犯した時も,預言者ナタンからの戒めを受け入れ,悔い改めました。(サム二 12:1-5,13)老齢になっても,エホバの神殿の建設のため寛大に寄進するなどして,神への忠節を示し続けました。(代一 29:1-5)重大な過ちを犯したとはいえ,神に忠節な人だったのです。(詩 51:4,10; 86:2)この記事では,ダビデ,およびダビデと同じ時代の人たちに関する記述をさらに調べ,だれに対する忠節を優先すべきか,忠節であるにはどんな特質が必要かを考えましょう。
だれに対する忠節を第一にすべきか
5. アビシャイの誤った考えから,どんな教訓を学べますか。
5 アビシャイはサウルの陣営に忍び込んだ時,忠節に関する正しい優先順位を理解していませんでした。ダビデに対する忠節心から,何としてもサウル王を殺したいと思いましたが,ダビデはそれをとどめました。ダビデは「エホバの油そそがれた者に向かって」手を上げるべきではないことを理解していたからです。(サム一 26:8-11)この出来事から大切な教訓を学べます。忠節心を示すべき対象が幾つかある場合,聖書の原則を適用して優先順位を決定しなければならない,ということです。
6. 家族や友人に忠節心を抱くのは自然なことですが,どんなことに注意しなければなりませんか。
6 忠節は心と深い関係があります。しかし,人の心は不実です。(エレ 17:9)ですから,神に忠節な人であっても判断を誤ることがあります。例えば,親しい友人や身近な親族が悪いことを行なっていても,強い絆を断ち切りがたく感じるかもしれません。友人や親族が真理を捨てることもあります。しかし,エホバへの忠節を第一にすべきであることを忘れてはなりません。―マタイ 22:37を読む。
7. ある姉妹は難しい状況のもとで,どのように神への忠節を保ちましたか。
7 身近な親族が排斥される場合,忠節に関して難しい判断を迫られます。例えば,アン[1] という姉妹のところに排斥された母親から電話がありました。会えなくてつらいので顔を見に行きたい,ということでした。アンはその切実な願いを聞いて悲しくなり,手紙で返事をすると約束しました。しかし,手紙を書く前に聖書の原則を改めて考えました。(コリ一 5:11。ヨハ二 9-11)アンは手紙の中で,悪行を犯して悔い改めず,家族との絆を断ち切ったのは母親自身である,ということを親切に思い起こさせました。そして,「つらい気持ちを和らげるには,エホバのもとに帰るしかないのよ」と書きました。―ヤコ 4:8。
8. 神への忠節を示すうえで,どんな特質が役立ちますか。
8 ダビデと同じ時代の人たちの忠節について調べると,神への忠節を示すのに役立つ3つの特質を学べます。謙遜さ,親切,勇気です。1つずつ考えましょう。
神に忠節であるには謙遜さが必要
9. アブネルがダビデを殺そうとしたのはなぜですか。
9 ダビデがゴリアテの首を手にしてサウル王と話した時,少なくとも2人の人がその様子を見ていました。1人はサウルの息子ヨナタンです。ヨナタンはダビデと友情の契約を結びました。もう1人は軍の長アブネルです。(サム一 17:57–18:3)後にアブネルはサウルと共に,ダビデを殺そうとしました。ダビデも,「わたしの魂を求める圧制者たちがいる」と書いています。(詩 54:3。サム一 26:1-5)ヨナタンとアブネルの態度が大きく異なっていたのはなぜでしょうか。アブネルもヨナタンと同様,ダビデがイスラエルの王として神から選ばれたことを知っていました。ですから,もし謙遜であれば,サウルの死後,サウルの息子イシ・ボセテではなくダビデを支持して,神への忠節を示すことができたでしょう。後に,アブネルはサウル王のそばめと関係を持ちました。王座をねらっていたのかもしれません。―サム二 2:8-10; 3:6-11。
10. アブサロムが神に忠節でなかったのはなぜですか。
10 ダビデの息子アブサロムも,謙遜ではなかったので,神に忠節を示せませんでした。「自分のために兵車を作らせ,馬と彼の前を走る者五十人を備えさせ」ることまでしました。(サム二 15:1)また,民の忠節心を自分に向けさせようとしました。アブネルと同じようにアブサロムも,イスラエルの王としてエホバから任命されたのはダビデであることを知っていながら,ダビデを殺そうとしました。―サム二 15:13,14; 17:1-4。
11. アブネル,アブサロム,バルクに関する聖書の記述から,どんなことを学べますか。
11 アブネルとアブサロムの例から分かるとおり,人は野心を抱くと,神に不忠節になってしまうことがあります。エホバの忠実な僕が,そのような利己的で邪悪な歩みをすることはまずないでしょう。とはいえ,この世の富や一流の仕事に対する願望が,クリスチャンに霊的に有害な影響を及ぼすことはあります。預言者エレミヤの書記官バルクは,何かの理由で,正しい見方を一時的に失ってしまいました。エホバはバルクにこう助言しました。「見よ,わたしは自分の築き上げたものを打ち壊し,自分の植えたものを根こぎにしている。実にこの全地をである。しかしあなたは,自分のために大いなることを求めつづけている。求めつづけてはならない」。(エレ 45:4,5)バルクは矯正を受け入れました。邪悪な世の終わりが近い今,わたしたちがこの警告に留意するのは本当に賢明なことです。
12. 利己的であると神に忠節を示すことができません。そのことを示すどんな例がありますか。
12 メキシコのダニエルという兄弟は,神への忠節を示すか,自分の利己的な関心事を追い求めるかを選ばなければなりませんでした。結婚したいと思っていた女性が未信者だったのです。こう言います。「わたしは開拓奉仕を始めた後も,その女性に手紙を書いていました。でも,やっと謙遜になり,経験ある長老に自分の葛藤を打ち明けました。その長老は,神に忠節であるには手紙を書くのをやめる必要がある,ということを分からせてくださいました。何度も祈り多くの涙を流し,手紙を書くのをやめました。すると宣教が楽しくなっていきました」。その後ダニエルは立派な姉妹と結婚し,今では巡回監督として奉仕しています。
神への忠節は親切を示す助けになる
仲間の重大な悪行を知ったなら,霊的な援助を求めるよう勧めますか(14節を参照)
13. ダビデが罪を犯した時,ナタンはどのように,神への忠節を保ちつつダビデへの忠節を示しましたか。
13 エホバに忠節であれば,他の人に忠節を示すこともできます。預言者ナタンは,神への忠節を保ちつつ,ダビデにも忠節でした。ナタンは,ダビデが姦淫を犯し,戦いでウリヤが死ぬよう画策したことを知ります。ダビデを叱責するようエホバから指示されたナタンは,それに従って勇敢に行動しました。しかし,ダビデにも忠節でした。ナタンは知恵と親切を示しつつ戒めを与えます。ダビデに罪の重大さを悟らせるため,貧しい人の羊を奪った富んだ人の例えを用いました。ダビデが富んだ人のしたことに怒りを表わした時,ナタンは「あなたがその人です!」と述べました。ダビデは自分の罪を悟りました。―サム二 12:1-7,13。
14. どうすれば,エホバへの忠節を保ちつつ,友人や親族への忠節を示すことができますか。
14 親切であることは,忠節に関する難しい状況に対処する助けになります。例えば,仲間の兄弟姉妹の重大な悪行について知ったとします。親しい友人や身近な親族の悪行の場合は特に,その人をかばいたいと思うかもしれません。しかし,その人の悪行を隠すとしたら,神に不忠節になってしまいます。エホバへの忠節を第一にすべきなのは明らかです。ですから,ナタンのように,親切で毅然とした態度を取りましょう。長老たちの援助を求めるよう強く勧めてください。当人が道理にかなった期間内にそうしない場合,どうすべきですか。神に忠節でありたいなら,その問題について長老たちに報告するはずです。そうすれば,神に忠節を示すと共に,当人に親切を示すことになります。長老たちはその人を温和に再調整するよう努めるからです。―レビ記 5:1; ガラテア 6:1を読む。
神に忠節であるには勇気が必要
15,16. フシャイが神に忠節であるために勇気を必要としたのはなぜですか。
15 フシャイという人は,神に忠節であるために勇気を必要としました。フシャイはダビデ王の忠節な友でした。しかし,ダビデの息子アブサロムが多くの人の心を勝ち得て,エルサレムと王位を手中に収めようとした時,フシャイの忠節は試みられました。(サム二 15:13; 16:15)ダビデはエルサレムから逃げました。フシャイはどうするでしょうか。命からがら逃げる高齢の王ダビデに付いて行くでしょうか。それともアブサロムの側に寝返るでしょうか。フシャイの忠節心は揺らぎませんでした。ダビデは神から任命された王だったからです。それで,フシャイはオリーブ山に行ってダビデに会います。―サム二 15:30,32。
16 ダビデはフシャイに対し,エルサレムに戻ってアブサロムの友のふりをし,アヒトフェルの助言を覆すよう求めます。フシャイは命の危険を覚悟の上で,ダビデの指示に従い,エホバへの忠節を示しました。ダビデが祈ったとおり,アヒトフェルの助言は,勇気あるフシャイの助言によって確かに覆されました。―サム二 15:31; 17:14。
17. 忠節であるために勇気が必要なのはなぜですか。
17 わたしたちも,エホバに忠節であるために勇気を必要とします。多くのクリスチャンは,家族や職場の人や世俗の権威から圧力を受けても勇敢で確固とした態度を取り,神への忠節を示しています。1つの例を挙げましょう。太郎は幼いころから親に忠節で従順な生き方をしていました。単なる義務感からではありません。親を喜ばせたいと心から思っていたのです。しかし,親は太郎がエホバの証人と聖書を学ぶことに反対しました。集会に行くことを決意した,と親に言うのは,太郎にとって大変つらいことでした。太郎はこう言います。「両親は激しく怒り,実家に帰ることを何年も許してくれませんでした。それで,自分の決定を貫けるよう勇気を祈り求めました。今では両親の態度も幾らか和らぎ,年に何度か帰ることができます」。―箴言 29:25を読む。
18. この記事からどんなことを学びましたか。
18 わたしたちも,ダビデ,ヨナタン,ナタン,フシャイのようにエホバに忠節を示すことにより,深い満足感を味わいたいものです。不忠節だったアブネルやアブサロムの例から教訓を学びましょう。たとえ不完全で間違いをすることがあるとしても,ダビデのようにエホバに堅く付きましょう。そうすれば,エホバへの忠節が自分にとって最も大切であることを示せるのです。
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