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  • マラウイ
    1999 エホバの証人の年鑑
    • 禁令が課された結果,外国から来た宣教者たちがすべて国外に追放されましたが,南アフリカ人のデニースと結婚していたビル・マクラッキーはその後もブランタイアに住んでいました。兄弟はそこで,家族を養うためにささやかな事業を営んでいました。マクラッキー家は,ブランタイア英語会衆の新しい集会場所になりました。

  • マラウイ
    1999 エホバの証人の年鑑
    • ブランタイアでの裁判

      1971年,マクラッキー家に警察の手入れがあり,協会の出版物数冊が見つかってしまいました。マクラッキー兄弟は訴えられ,リンベとブランタイアの治安判事の前に出るよう求められました。地元の証人たちはこれを聞きつけ,マクラッキー家を支えようと,自由を失う危険を冒して大勢集まりました。治安判事から「無罪」の判決が言い渡されると,兄弟たちの間で大きな拍手が沸き起こりました。しかし検察当局は上訴しました。その事件は高等法院に持ち込まれました。ビル・マクラッキーは今度は有罪となり,懲役7年の刑を言い渡されました。しかし当局は実のところマクラッキー兄弟を刑務所に入れることを望んでいなかったので,代わりに国外退去を命じました。

      こうして1972年10月,ビル・マクラッキーのマラウイにおける37年に及ぶ忠節な奉仕は終わりを告げました。出発に先だって,マクラッキー兄弟は兄弟たちを組織し,自宅の秘密の地下室から全部の文書を静かに運び出してもらいました。兄弟たちは本を車に満載して持って行きました。路上バリケードの検問で呼び止められた兄弟たちもいましたが,警察はダンボール箱に一つも気がつきませんでした。マクラッキー家の人々がマラウイをたつ前に,秘密の地下室の入口はコンクリートで封じられました。ビル・マクラッキーの長年にわたる忠実かつ自己犠牲的な奉仕は,マラウイにおけるエホバの証人の歴史の中で長く記憶されることでしょう。

  • マラウイ
    1999 エホバの証人の年鑑
    • [186ページの写真]

      ビル・マクラッキーと妻のデニース

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