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    聖書に対する洞察,第1巻
    • 『わたしたちを別にして完全にされることはない』 使徒は,アベル以降キリスト教時代以前の忠実な人々の記録を回顧した後,それらの人々はだれ一人「約束の成就にあずかりませんでした。神はわたしたちのためにさらに勝ったものを予見し,わたしたちを別にして彼らが完全にされることのないようにされたからです」と述べています。(ヘブ 11:39,40)この箇所で「わたしたち」と言われているのは明らかに,油そそがれたクリスチャン(ヘブ 1:2; 2:1-4),つまり「天の召しにあずかる人たち」(ヘブ 3:1)のことです。キリストはそれらの人々のために,神のおられる天の聖なる場所に入る『新しい生きた道を開かれた』のです。(ヘブ 10:19,20)その天的な召しには,キリストの千年統治の期間中に行なう,神とキリストの天的な祭司としての奉仕が含まれています。それらの祭司たちには「裁きをする力」も授けられます。(啓 20:4-6)ですから,論理的に言って,神がそれら油そそがれたクリスチャンのために予見しておられた「さらに勝ったもの」とは,召された人たちが受ける天的な命や特権のことです。(ヘブ 11:40)しかし,それらのクリスチャンが邪悪な体制を滅ぼすためにキリストと共に天から行動を起こす時に表わし示されることは,「神の子供の栄光ある自由」を得ようと努める創造物である人たちにとっては腐朽への奴隷状態から解放される道を開くものとなります。(ロマ 8:19-22)ヘブライ 11章35節によれば,キリスト教時代以前の忠実な人々は苦しみに遭っても,『さらに勝った復活を得ようとして』忠誠を保ちました。その復活はこの節の冒頭で言及されている「死者」,つまり復活させられても結局また死んでしまった人たちの復活よりも勝っているという意味のようです。(王一 17:17-23; 王二 4:17-20,32-37と比較。)したがって,キリスト教時代以前のそれら忠実な人たちにとって,自分たちが「完全にされる」ということは,彼らが復活させられ,つまり生き返らされ,その後,千年統治の期間中,キリスト・イエスとその従属の祭司たちの祭司職の奉仕によって『腐朽への奴隷状態から自由にされる』ことと関係があるに違いありません。

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    聖書に対する洞察,第1巻
    • これに地上の状態の完全さや被造物である人間の完全さが含まれることは,啓示 5章9,10節から見て明らかです。その箇所では,『神のために買い取られた』人たちが(啓 14:1,3と比較),「わたしたちの神に対して王国また祭司と(なり)地に対し王として支配する」と述べられています。律法契約のもとでは,祭司たちには神のみ前で人々を代表して犠牲をささげる務めがあっただけでなく,国民の身体的な健康を守ったり,汚れた人たちを清める儀式を執り行なったり,らい病の場合,いやされたかどうかを判断したりする責務も課せられていました。(レビ 13-15章)それだけでなく,祭司職には民を精神的に,また霊的に高揚させたり,健康を保たせたりするのを助ける責任もありました。(申 17:8-13; マラ 2:7)律法には「来たるべき良い事柄の影」としての役割がありましたから,キリスト・イエスのもとでその千年統治の期間中(啓 20:4-6)機能する天の祭司職も同様の業を行なうことが期待されます。―ヘブ 10:1。

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