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世界地図を作った人目ざめよ! 2009 | 4月
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地図製作者になる
1537年,メルカトルは初めて単独で地図を作りました。聖地(パレスチナ)の地図で,人々が「旧約および新約聖書をよりよく理解できる」ようにすることを目指したものです。16世紀当時,聖地の地図はひどく不正確でした。記載されていた地名は30にも満たず,しかもその多くは場所が間違っていました。しかし,メルカトルの地図には400以上の地名がはっきり示されていました。その上,エジプトを出たイスラエル人がたどった砂漠のルートも描かれていました。この地図は正確だったため,当時の人々から高い評価を得ました。
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世界地図を作った人目ざめよ! 2009 | 4月
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1544年2月,メルカトルはルーバンの住民42人と共に逮捕されました。容疑は,「疑わしい手紙」を書いていたというものです。しかし,別の要因として考えられるのは,聖地の地図を出版したことかもしれません。そのため,ルーバン大学の二人の神学者タッペルとラトムスがメルカトルを疑ったようです。この二人は,1536年にベルギーで処刑された聖書翻訳者ウィリアム・ティンダルの審問に携わっていました。タッペルとラトムスは,人々がティンダルの翻訳聖書と同様,メルカトルの聖地の地図に触発されて聖書を読むようになると危惧したのかもしれません。いずれにしても,メルカトルは郷里ルペルモンドの城に幽閉されました。
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世界地図を作った人目ざめよ! 2009 | 4月
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[20ページの図版]
1537年にメルカトルが作った聖地の地図には400以上の地名がはっきり示されている
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