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ミクロネシア1997 エホバの証人の年鑑
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冒険好きなアメリカ人夫婦がグアム島の南東約3,200㌔のマーシャル諸島に良いたよりを携えて行ったのは,グアム島にエホバの証人が存在するようになって10年余りたってからのことです。パウエル・ミケルセンと妻のナイオマは,必要の大きな所で奉仕するためバハマ諸島へ行くつもりでした。そして,その目的で,全長10㍍のヨール型帆船を購入し,忠誠号と名づけました。しかし,その船旅に出る前,パウエルに,マーシャル諸島における大規模な発電所の建設を監督する仕事が舞い込んできました。ものみの塔協会はパウエルにその職をとらえるよう勧めました。その当時,外国人の立ち入りは法的に制限されていたため,マーシャル諸島にはエホバの証人が一人もいなかったのです。
ミケルセン兄弟は発電所建設に関連した責任を果たしながらも,妻と共に,与えられた機会を最大限に利用して,島の人々を霊的に援助しました。1960年に二人はクワジャリン環礁に着き,その後,マジュロ環礁で錨を下ろしました。二人はそこでマーシャル語を独学で学びました。二人が証言すると,気立てのよい島の人々が耳を傾けないということはめったにありませんでした。1964年までに,パウエルとナイオマは12件の聖書研究を司会していました。そのうちの1件は,マジュロのイロイジ・ラップ・ラップ(大王)との研究でした。
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ミクロネシア1997 エホバの証人の年鑑
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集会場所を備えるため,地面にタコノキの柱を数本立ててそこに忠誠号の主帆を張った,間に合わせの王国会館が建てられました。ミケルセン兄弟はこう語りました。「出席者が増えるにつれ,帆を付け足してゆきました。二番目に使ったのは後ろの縦帆,その後間もなく船首の三角帆を使いました。もう使う帆がなくなったとき,それは“ちゃんとした”王国会館を建てるべき時でした」。
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