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像に対するクリスチャンの見方ものみの塔 1988 | 8月1日
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例えば,16世紀のトレント公会議は,キリストやマリアや“聖人たち”の像に関して,「それらの像には然るべき誉れと崇敬の念が示されるべきであるが,崇敬の念が示されるべきであるからといって,それらの像に何らかの神性や徳が備わっていると考えられているわけではない」と宣言しました。では,なぜ崇敬の念を示すのでしょうか。「それらの像に示される誉れは,それらの像が表わしている原型に帰されるので,我々が口づける像,その前でかぶり物を取ってひれ伏す像により,我々はキリストを礼拝し,聖人たちに崇敬の念を示すのである。それらの像はキリストや聖人たちに似せて造られている」と,同会議は説明しました。
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像に対するクリスチャンの見方ものみの塔 1988 | 8月1日
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スペインのセビリャでは,処女ラ・マカレナの信奉者たちと,処女デ・ラ・エスペランサの信奉者たちとの間に気違いじみた対立が存在しています。フランスのシャルトル聖堂には,柱の聖母マリア,聖堂地下室の聖母マリア,“美しいステンドグラス”の聖母マリアという三つのマリア像があり,それぞれ信者を有しています。三つの像がみな同一人物を表わしているにもかかわらず,崇拝者たちは,自分たちの聖母マリア像のほうが他の像よりもどこか優れていると確信しているようです。ですから明らかに,像が表わしているものではなく,像そのものに敬意が払われています。
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