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  • 記念式の時期に,『自分がどのような者であるかをわきまえる』
    ものみの塔 1990 | 2月15日
    • パンにあずかることは,人が自分のためのイエスの犠牲の益を信じ,受け入れることを意味しています。

  • 記念式の時期に,『自分がどのような者であるかをわきまえる』
    ものみの塔 1990 | 2月15日
    • 14 事実,イエスは,表象物であるパンとぶどう酒にあずかるよう使徒たちに指示を与えた後,使徒たちが『イエスの王国でイエスの食卓について食べたり飲んだりし,また座に着いてイスラエルの十二部族を裁く』ことになると彼らに言われました。(ルカ 22:28-30)したがって,記念式の表象物にあずかるということは,単にイエスの犠牲を信じる以上のことを意味しています。どこで得るにせよ永遠の命を得たいなら,クリスチャンは各々,贖いを受け入れ,信仰を働かせなければなりません。(マタイ 20:28。ヨハネ 6:51)しかし,表象物にあずかることは,人が新しい契約に入れられ,イエスの王国でイエスと共になるよう選ばれていることを意味するのです。

  • 記念式の時期に,『自分がどのような者であるかをわきまえる』
    ものみの塔 1990 | 2月15日
    • パウロは,表象物にあずかる義務のあったコリント会衆の人々の中に悪い習慣がはびこっている,と述べました。ある人々は事前に食事をし,その際に食べ過ぎたり飲み過ぎたりして眠くなり,感覚が鈍っていました。その結果彼らは,「体」つまりパンが表わしていたイエスの肉の体を『わきまえる』ことができませんでした。これはそれほど重大なことだったのでしょうか。その通りです。彼らはふさわしくない仕方であずかることにより,「主の体と血に関して罪を負う」ことになります。もし精神的にも霊的にも用心深くあるなら,『自分自身がどのような者であるかをわきまえることができ,彼らは裁きを受けることはないでしょう』。―コリント第一 1:2; 11:20-22,27-31。

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