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人類は本当にメシアを必要としていますかものみの塔 1992 | 10月1日
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人類は本当にメシアを必要としていますか
「世界はメシアを必要としている,と会長は発言」
これは,1980年にカナダ,トロントのフィナンシャル・ポスト紙に掲載された見出しです。ここで引用されている言葉を語った会長とは,ローマ・クラブと呼ばれる有名なシンク・タンクの会長また創設者であるアウレリオ・ペッチェイでした。同紙によるとペッチェイは,「文明を破滅のふちに追いやる恐れのある社会的経済的大混乱から世界を救出するのは,科学,政治,宗教上のカリスマ的指導者以外にはない」と信じていました。あなたはどう思いますか。人類がメシアを必要とするほど,この世界は本当に難局に直面しているのでしょうか。この世界は数々の問題に直面していますが,その一つだけを取り上げて考えてみましょう。それは,飢えという問題です。
つぶらな,茶色い瞳が二つ,新聞や雑誌の写真の中からこちらを見つめています。それは子供の目です。小さな女の子で,まだ5歳にもなっていません。しかし,その目を見ても微笑む気にはなれません。その目に子供らしい輝きはありませんし,不思議なものを見る時のうれしそうな感じも,無邪気な信頼感もありません。それどころか,なすすべのない苦しみ,鈍痛,満たされる望みのない空腹感がひしひしと伝わってきます。この子供は餓死寸前です。彼女が知っているものといえば,痛みと空腹感だけです。
多くの人と同様に,多分あなたもそのような写真は長く見ていたくないので,すぐにページをめくってしまうことでしょう。それは関心がないからではなく,もうこの少女は手遅れだと思うので見るに忍びないからでしょう。やせ細った手足,膨れ上がったおなかは,彼女の体がすでに自分自身をむさぼり始めていることを示しています。あなたがこの写真を見るころには,恐らく彼女は死んでいることでしょう。さらに悪いことに,この女の子が決して珍しいケースでないことは周知の事実です。
問題はどこまで広がっているのでしょうか。では,1,400万人の子供を思い描くことができますか。ほとんどの人には無理でしょう。それはあまりにも数が多すぎます。では,4万人を収容できる野球場を想像してみてください。そしてそこが子供たちで満員になっています。座席の列という列が,また1階席も2階席も埋め尽くされて,黒山の人だかりです。この光景でさえ思い描くのは難しいことです。しかし,1,400万人の子供を集めると,350ものそうした野球場が満員になるのです。ユニセフ(国連児童基金)によると,発展途上国で栄養不良や簡単に防止できる病気のために死亡する5歳未満の子供は,毎年このような驚くべき数に上ります。一つの野球場分ほどの子供が毎日死んでゆくのです。飢えた成人の数をこれに加えると,全世界で合計約10億人が慢性的な栄養不良に悩まされていることになります。
飢えの原因は何か
現在この惑星は,人類が目下消費しているよりも多くの食糧を生産しており,その生産力にはまだ余裕があります。しかし,1分ごとに26人の子供が栄養不良や病気で死亡しています。同じ1分間で世界は戦争の準備のため約200万㌦(約2億6,000万円)を費やしています。そのお金全部を,あるいはそのほんの一部でも振り向ければ,これらの26人の子供たちのために何ができるか想像できるでしょうか。
世界の飢餓が,単純に食糧や資金の不足のせいとして片づけられるものでないことはだれの目にも明らかです。問題はずっと深いところにあります。アルゼンチンのホルヘ・E・ハルドイ教授が述べている通り,「世界には全体として,慰めや力,時間,資源,知識などをもっと多く必要としている人々に,それを分け与える能力が慢性的に不足している」のです。確かに,問題は人間のやり方にあるのではなく,人間自身にあります。人間の社会を動かす主要な力は貪欲と利己心のようです。地球人口のうち裕福なほうから5分の1の人々は,貧しいほうから5分の1の人々と比べて60倍の物やサービスを受けています。
もちろん,飢えた人々が食糧を得られるようにするため誠実に努力する人もいます。しかし,その努力のほとんどは,彼らには制御できない要素によって骨抜きにされています。飢きんが起こるのは,内戦や反乱が生じている国々である場合が多く,救援物資が必要な人々の手に渡るのを,対立する勢力が妨害することは珍しくありません。敵の地域に住む飢えた市民に食糧が届くのを許すなら,敵を養うことになると互いに考えているのです。政府自体も政治的な武器として飢餓を用います。
解決策はないのか
不幸にも,現代の人間を脅かしている危機的な状況は,何億もの人が飢えているというこの問題ただ一つではありません。むやみな環境破壊や公害,何百万人もの命をのみ込む戦争という執ような災厄,あらゆる場所で不安や不信感を生み出す暴力犯罪の流行,多くの場合これらの悪の根底にあると思われる,絶えず腐敗に向かう道徳風土など,地球的規模の危機的な状況がすべて手を握り合って,言わば一つの厳然たる真理,つまり人間は自らを首尾よく治めることができないということを証言しています。
世界の諸問題が解決されるという望みを多くの人が失っている理由は,疑いなくそこにあるのです。冒頭で述べたイタリア人の学者,アウレリオ・ペッチェイと同じように感じている人もいます。もし解決策があるとすれば,それは驚くべき源から,恐らく超人間的な源から来るはずだとその人々は推論します。ですから,メシアという概念には人の心に強く訴えかけるものがあります。しかし,メシアを待ち望むのは現実的なことでしょうか。それとも希望的観測にすぎないのでしょうか。
[2ページの図版のクレジット]
表紙の写真: 上: U.S. Naval Observatory; 下: NASA
[3ページの図版のクレジット]
写真提供: WHO, P. Almasy撮影
[4ページの図版のクレジット]
写真提供: WHO, P. Almasy撮影
写真提供: U.S. Navy
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メシア ― 真の希望?ものみの塔 1992 | 10月1日
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メシア ― 真の希望?
その男はモーセと名乗っていました。しかし,実名は歴史から消え去ってしまいました。西暦5世紀に,その人物はクレタ島全体を巡り歩いて,自分が待望のメシアであるということをその地のユダヤ人に信じ込ませました。彼はユダヤ人たちに,抑圧,流刑,捕囚が間もなく終わると告げたのです。ユダヤ人たちは信じました。解放の日が来ると,ユダヤ人は“モーセ”の後について地中海を見下ろす岬に行きました。彼はユダヤ人に,海に身を投げさえすれば,彼らの前で海は分かれるであろうと言いました。多くの人がその言葉に従い,分かれもしない海に飛び込んでゆきました。非常に大勢の人がおぼれましたが,中には船乗りや漁師たちに助けられた人もいました。しかし,モーセはどこにも見つかりませんでした。そのメシアは死んでしまったのです。
メシアとは何ですか。その言葉を聞くと,「救い主」,「請け戻す方」,「指導者」などを思い浮かべるかもしれません。多くの人は,メシアとは希望と献身的な気持ちを追随者の心に吹き込み,彼らを抑圧から解放に導くことを約束する人物のことだと考えています。人類の歴史はほとんどが抑圧の歴史ですから,何世紀もの間にそうしたメシアが少なからず現われたのも不思議ではありません。(伝道の書 8:9と比較してください。)しかし,クレタの自称モーセのように,それらのメシアは追随者たちに解放をもたらすどころか,失望と災難をもたらしてきました。
「この人が王なるメシアだ!」これは,当時重んじられていた律法学者であるアキバ・ベン・ジョゼフが西暦132年にシメオン・バルコホバを迎えた時の言葉です。バルコホバは強力な軍隊を率いていた力ある人でした。多くのユダヤ人は,ローマ世界強国による長い抑圧を終わらせる人がついに登場したと考えました。しかしバルコホバは敗北し,その結果,何十万もの同国人が命を失いました。
12世紀にはユダヤ人の別のメシアが,この度はイエメンに登場しました。自分がメシアであるという証拠を示せ,とカリフつまり支配者から要求された時,このメシアは,私の首を落としてご覧になれば,すぐに復活いたしますので,それがしるしになるでありましょうとカリフに言いました。カリフはその計画に同意し,それがこのイエメンのメシアの最期となりました。同じ12世紀に,ダビデ・アルロイという名の男が中東のユダヤ人たちに向かって,自分と一緒にみ使いの翼に乗って聖なる地へ帰る準備をするよう命じました。多くの人は彼がメシアだと信じました。バグダッドのユダヤ人たちは屋根の上で辛抱強く待ち,泥棒が自分たちの持ち物を略奪していることを気にも留めませんでした。
17世紀にはスミルナからサバタイ・ツェビが現われました。彼はヨーロッパ全土のユダヤ人に自分がメシアであることを宣言しました。クリスチャンも彼の言うことに耳を傾けました。ツェビは追随者に解放を約束しましたが,それは追随者たちが何の制約もなく罪を習わしにするのを許すことだったようです。ツェビの側近たちは,ばか騒ぎ,ヌーディズム,淫行,近親相姦などを行ない,その後,むちで体を打ったり,雪の中を裸で転げ回ったり,冷たい地面に穴を掘って首まで体を埋めたりして,自分自身を懲らしめました。ツェビがトルコに行ったとき,彼は逮捕され,イスラム教への改宗か死刑かの二者択一を迫られました。ツェビは改宗し,信奉者たちはひどく落胆しました。しかし,その後の2世紀の間,ツェビは一部の人々からまだメシアと呼ばれていました。
キリスト教世界からもメシアが登場しました。12世紀にタンケルムという名の男が,支持者たちの軍隊を編制し,アントワープの町を支配しました。このメシアは自分を神と呼び,秘跡として追随者たちに飲ませるために自分のふろの湯を売ることさえしました。“クリスチャン”のもう一人のメシアは16世紀にドイツに現われたトマス・ミュンツァーです。彼は地元の国家権威に対する反乱を指揮し,追随者たちにこれはハルマゲドンの戦いであると教えました。ミュンツァーは,敵の砲弾を袖でとらえてみせると約束しました。しかし,彼に従った人たちは皆殺しにされ,ミュンツァーも首をはねられました。何世紀もの間に,ほかにもそのようなメシアがキリスト教世界の中に現われました。
他の宗教にも,メシアのような人物がいます。イスラム教徒は,公正な時代を招来するマフディー,つまり正しく導かれた者について語ります。ヒンズー教では,自らを神の権化,つまり化身と呼ぶ人がいます。また,新ブリタニカ百科事典が述べているように,「メシア的とは言えない仏教のような宗教においてさえ,大乗仏教のグループは,将来,弥勒菩薩が天の住居から下って来て,信者を浄土に連れて行くという信仰を生み出し」ました。
20世紀のメシアたち
この20世紀において,本物のメシアがかつてなかったほど緊急に必要とされるようになりました。ですから,その称号を自称する人が大勢いたとしても驚くことはありません。1920年代,30年代,40年代にアフリカのコンゴでは,シモン・キンバングとその後継者アンドレ・“イエス”・マツワが,メシアとしてたたえられました。彼らは死にましたが,追随者たちは,彼らが戻って来てアフリカの千年期を招来するといまだに信じています。
今世紀には,ニューギニアやメラネシアで,「カーゴ・カルト」という動きも興りました。そのメンバーは,メシアのような白人たちの乗った船か飛行機が到着して,自分たちが物質的に豊かになり,死んだ人さえよみがえる幸福な時代が来ると信じています。
工業化された国々にもメシアが現われました。その中には宗教指導者もおり,例えば文鮮明は,イエス・キリストの後継者であると自称し,自分の信者の一致した家族によって世界を清めることを目ざしています。政治指導者たちもメシアのような地位に就こうとしてきました。今世紀最大のその恐るべき実例は,千年帝国について豪語したアドルフ・ヒトラーです。
政治哲学や政治組織も同様にメシアの地位を手に入れてきました。例えばアメリカーナ百科事典は,マルクス-レーニン主義の政治理論にメシア的なニュアンスがあると述べています。また,多くの人から世界平和の唯一の希望と呼ばれている国際連合機構は,多くの人の心の中でメシアに代わる存在となっています。
真の希望?
このようにざっと見ただけでも,メシアの運動の歴史のほとんどが思い違い,失望,間違った夢の歴史であることは明白です。ですから,今日の多くの人がメシアの希望に冷笑的であっても不思議ではありません。
しかし,メシアに対する希望を完全に捨ててしまう前に,まずその希望の由来を調べてみなければなりません。実は「メシア」という言葉は聖書の言葉で,ヘブライ語ではマーシーアハ,つまり「油そそがれた者」です。聖書時代には時々,王や祭司たちがその地位に任命されるとき,油をそそぐ儀式が行なわれ,その頭に香油が注がれました。それゆえにマーシーアハという言葉が彼らに対して用いられたのは正しいことでした。油をそそぐ儀式なしで油そそがれた,つまり特別な地位に任命された人もいました。モーセはヘブライ 11章24節から26節で“キリスト”つまり“油そそがれた者”と呼ばれています。なぜならモーセは神の預言者また代表者として選ばれたからです。
メシアを「油そそがれた者」とするこの定義によって,先に取り上げた偽のメシアと聖書的なメシアははっきりと区別されます。聖書のメシアは自分で任命したのでもなければ,その人を崇める大勢の追随者たちによって選ばれたのでもありません。その任命は上から,エホバ神ご自身から来るのです。
聖書は多くのメシアについて語っているものの,確かに一人のメシアをほかの者と比べてはるかに高い位置に置いています。(詩編 45:7)このメシアは聖書預言の中心的人物であり,人を大いに奮い立たせる聖書の約束を成就する鍵となる方です。また,このメシアはわたしたちが今日直面している問題に実際に取り組みます。
人類の救い主
聖書のメシアは人類の諸問題をその根本にまで戻って扱います。わたしたちの最初の両親,アダムとエバが反抗的な霊の被造物サタンに唆されて創造者に反逆した時,彼らは実際には不当にも最高の統治権を自分のものにしようとしていたのです。彼らは何が正しくて何が間違っているのかを決定する者となることを望みました。こうして,彼らは愛のこもった保護となるエホバの統治下から出て行き,人間家族を自治と不完全と死という混乱と不幸に陥れたのです。―ローマ 5:12。
ですから,エホバ神が人類史のその暗い時期に一縷の望みを全人類に与えてくださったということは,エホバの深い愛の表われです。人間の反逆に対して判決を言い渡された時,神は人類の子孫を救出する者が現われることを予告なさいました。「胤」と呼ばれたこの救い主は,サタンがエデンで行なった恐ろしい業を無効にするために現われます。胤はその「蛇」つまりサタンの頭を砕き,押しつぶしてしまうのでサタンは存在しなくなります。―創世記 3:14,15。
昔からユダヤ人はこの預言をメシアに関するものとみていました。ユダヤ教による聖書の意訳で,1世紀当時一般に使われていたタルグムの幾つかは,この預言が「王なるメシアの日に」成就すると説明しています。
それで,信仰の人々がまさに最初から,来たるべき胤つまり救い主のこの約束に心を躍らせてきたのも,少しも不思議ではありません。その胤がアブラハムの家系を通して現われ,アブラハムの子孫だけでなく「地のすべての国の民」がその胤によって「自らを祝福する」とエホバから告げられた時のアブラハムの気持ちを想像してみてください。―創世記 22:17,18。
メシアと政府
その後の預言はこの希望を良い政府の展望と結びつけています。創世記 49章10節では,アブラハムのひ孫にあたるユダはこのように告げられました。「笏はユダから離れず,司令者の杖もその足の間から離れることなく,シロが来るときにまで及ぶ。そして,もろもろの民の従順は彼のものとなる」。明らかにこの「シロ」は,支配を行なうことになっていました。そして,ユダヤ人だけでなく,「もろもろの民」を支配するはずでした。(ダニエル 7:13,14と比較してください。)古代ユダヤ人はシロをメシアと同一視していました。実際,ユダヤ教のタルグムの中には「シロ」という言葉を,「メシア」とか「王なるメシア」という言葉に置き換えてしまっているものもあります。
霊感を受けた預言の光が明かるさを増すにつれ,このメシアの支配についてさらに多くのことが明らかにされました。(箴言 4:18)サムエル第二 7章12節から16節では,ユダの子孫であるダビデ王に,胤が彼の家系を通して来ることが告げられています。さらに,この胤は特異な王になるはずでした。その王座,つまり支配権はとこしえに続くのです。イザヤ 9章6節と7節は,この点を次のように裏づけています。「わたしたちのためにひとりの子供が生まれ,わたしたちにひとりの男子が与えられたからである。君としての支配がその肩に置かれる。……ダビデの王座とその王国の上にあって,君としてのその豊かな支配[「政府」,ジェームズ王欽定訳]と平和に終わりはない。それは,今より定めのない時に至るまで,公正と義とによってこれを堅く立て,支えるためである。実に万軍のエホバの熱心がこれを行なう」。
そのような政府を想像することができますか。平和を堅く立て,永遠に支配する公正で義にかなった支配者です。歴史に登場した哀れな偽メシアたちの系譜とは何という相違でしょう。人を惑わす自己推薦の指導者とは違って,聖書のメシアは世界の状況を変化させるのに必要な力と権威をすべて備えた世界支配者なのです。
この展望は,混乱したこの時代にあって深い意味を持っています。人類がそのような希望をこれほど切実に必要としたことはありません。しかし,偽りの希望をつかんでしまうのはいとも簡単なことなので,一人一人が次の質問の答えを注意深く調べるのはとても大切なことです。多くの人が信じているようにナザレのイエスは予告されていたメシアなのでしょうか。次の記事ではこの問題について説明されています。
[6ページの囲み記事]
ブルックリンにメシア?
イスラエルのポスター,看板,ネオンサインに最近,「メシアの到来に備えよ」という言葉が表示されました。この40万㌦(約5,200万円)の広告キャンペーンに乗り出したのは,ユダヤ教ハシディズム派の超正統派であるルバビチ派です。ニューヨーク市ブルックリンに住む大ラビ,メナヘム・メンデル・シュニールソンはメシアであるという考えが,25万人のメンバーから成るグループの間に広まっています。なぜでしょうか。シュニールソンは確かにこの世代のうちにメシアが到来すると教えています。またニューズウィーク誌(英文)によると,90歳になるこのラビはメシアの到来まで死なない,とルバビチ派の役員は主張しています。何世紀もの間この教派は,それぞれの世代に少なくとも一人はメシアの資格を備えた人が出ると教えてきました。シュニールソンの追随者にはシュニールソンがそのような人物に思えるようです。その上彼は後継者を任命していません。しかし,ほとんどのユダヤ人はシュニールソンをメシアとしては受け入れていない,とニューズウィーク誌は述べています。ニューズデー紙によると,ライバルにあたる96歳のラビ,エリエゼル・シャッヒは,彼のことを「偽メシア」と呼んでいます。
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クレタのモーセをメシアと信じたために多くの人は命を失った
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「わたしたちはメシアを見つけた」!ものみの塔 1992 | 10月1日
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「わたしたちはメシアを見つけた」!
「[アンデレ]はまず自分の兄弟シモンを見つけて,『わたしたちはメシアを見つけた』と言った(メシアとは,訳せば,キリストという意味である)」― ヨハネ 1:41。
1 バプテスマを施す人ヨハネはナザレのイエスについて,何を証ししましたか。また,アンデレはイエスについて,どんな結論を下しましたか。
アンデレはナザレのイエスと呼ばれるユダヤ人を長い間じっと眺めました。イエスの外見は王のようでも賢人のようでもラビのようでもありませんでした。王の美服も,白髪も,柔らかい手も,色白の肌もイエスにはありませんでした。イエスはおよそ30歳の若さであり,手には,たこができ,肌は肉体労働者らしく日に焼けていました。ですから,アンデレはイエスが大工だったと聞いても驚かなかったことでしょう。それでもバプテスマを施す人ヨハネはこの方について,「見なさい,神の子羊です!」と言いました。ヨハネはその前日,「この方こそ神の子である」というさらに驚くべき発言をしています。そのようなことがあり得るのでしょうか。アンデレはその日しばらくの間イエスの話に耳を傾けました。イエスが何を語られたのかは分かりませんが,イエスの言葉がアンデレの生活を変えたことは確かです。彼は急いで自分の兄弟シモンを見つけ,「わたしたちはメシアを見つけた」と叫びました。―ヨハネ 1:34-41。
2 イエスが約束のメシアであるかどうかに関する証拠を考慮することは,なぜ重要ですか。
2 アンデレとシモン(イエスが後にペテロと改名)は後日イエスの使徒となりました。イエスの弟子となって2年余りが過ぎたころ,ペテロはイエスに対して,「あなたはキリスト[メシア],生ける神の子です」と言いました。(マタイ 16:16)最終的に,忠実な使徒たちと弟子たちはその信念のため自分の命を進んで捨てることになりました。今日でも幾百万もの誠実な人々が同じような献身的な態度を示しています。しかし,どんな証拠に基づいてそうしているのでしょうか。結局,信仰と単なる盲信の相違を生じさせるのは証拠です。(ヘブライ 11:1をご覧ください。)では,イエスが実際にメシアであることを証明する3種類の一般的な証拠を考慮しましょう。
イエスの家系
3 マタイとルカの福音書は,イエスの家系についてどんな詳細な事柄を述べていますか。
3 イエスがメシアであることを裏づけるクリスチャン・ギリシャ語聖書中の第一の証拠は,イエスの家系です。聖書の予告によると,メシアはダビデ王の家系から出ることになっていました。(詩編 132:11,12。イザヤ 11:1,10)マタイによる福音書の書き出しは,「アブラハムの子,ダビデの子,イエス・キリストについての歴史の書」となっています。マタイはこの大胆な主張を裏づけるため,イエスの養父ヨセフの家系を通してイエスの先祖をたどっています。(マタイ 1:1-16)ルカの福音書は,イエスの産みの母マリアを通し,ダビデとアブラハムを経由してアダムに至るイエスの家系をたどっています。(ルカ 3:23-38)a このように福音書の筆者たちは,イエスが法的な意味でも生得的な意味でもダビデの相続人であるという自分たちの主張を,十分な証拠を挙げて実証しています。
4,5 (イ)イエスと同時代の人たちはイエスがダビデの子孫であることに異議を唱えましたか。また,そのことが重要なのはなぜですか。(ロ)聖書以外の参考文献は,どのようにイエスの家系の裏づけとなっていますか。
4 イエスがメシアであることを最も執拗に疑った敵たちでさえ,ダビデの子であるというイエスの主張を否定できません。なぜでしょうか。理由は二つあります。一つは,エルサレム市の滅びる西暦70年に先立つ数十年間,その主張が同市内の広い範囲で繰り返されていたからです。(マタイ 21:9; 使徒 4:27; 5:27,28と比較してください。)もしその主張が偽りであれば,イエスの大勢の敵たちは,だれでも公共の文書保管所にある家系図のイエスの家系を調べるだけで,イエスの欺まんを証明できたことでしょう。b しかし歴史の記録には,イエスがダビデ王の子孫であることに異議を唱えた人が一人でもいたとは書かれていません。明らかに,その主張は論駁できないものでした。マタイとルカは福音書に記述するため,公の記録から際立った名前を直接写し取ったに違いありません。
5 第二に,聖書以外の情報源も,イエスの系図が一般に受け入れられていたことを確証しています。例えば,タルムードの記録によると,4世紀のあるラビは,『大工たちに身を売っていた』としてイエスの母マリアを口汚くののしっています。しかし同じ節は,「彼女が君たちと支配者たちの子孫であった」ことを認めています。もっと古い例は2世紀の歴史家ヘゲシップスです。同歴史家の言葉によると,ローマのドミティアヌス帝がダビデの子孫を一人残らず滅ぼし去ることを願った時,初期クリスチャンのある敵たちは,イエスの異父兄弟であるユダの孫たちを「ダビデの家に属する」者として告発しました。ユダがダビデの子孫として知られていたのであれば,イエスも同じように見られていたのではないでしょうか。確かにそのとおりです。―ガラテア 1:19。ユダ 1。
メシアに関する預言
6 ヘブライ語聖書には,メシアに関する預言がどれほど多く含まれていますか。
6 イエスがメシアであったことを示す別の証拠は,成就した預言です。メシアに当てはまる預言はヘブライ語聖書中に数多くあります。アルフレッド・エダーシェイムは自著「メシア・イエスの生涯と時代」の中で,メシアに関する預言として古代のラビが考えていたヘブライ語聖書中の聖句を456挙げています。しかし,ラビたちは多くの点でメシアについて誤った考え方をしていました。彼らが指摘した聖句の中には,メシアとは全く関連のないものが多く含まれています。それでも,イエスがメシアであることを証明する預言は,ごく少なく見積もっても幾十かあります。―啓示 19:10と比較してください。
7 地上にとどまっておられた時のイエスに成就した預言にはどんなものがありますか。
7 次に挙げるのはその一部です。メシアが誕生する町(ミカ 5:2。ルカ 2:4-11),メシアの誕生後に起こる幼児大量虐殺の悲劇(エレミヤ 31:15。マタイ 2:16-18),メシアがエジプトから呼び出されること(ホセア 11:1。マタイ 2:15),諸国民の支配者たちがメシアを滅ぼすために結束すること(詩編 2:1,2。使徒 4:25-28),銀30枚で裏切られること(ゼカリヤ 11:12。マタイ 26:15)。その死に方までも預言されていました。―詩編 22:16,脚注。ヨハネ 19:18,23; 20:25,27。c
預言されていた,メシアの到来
8 (イ)メシアの到来する時を指し示しているのはどの預言ですか。(ロ)この預言を理解するため,どんな二つの要素について知っておかなければなりませんか。
8 一つの預言だけに焦点を合わせましょう。ユダヤ人はダニエル 9章25節により,メシアが到来する時を知らされていました。その聖句はこう述べています。「あなたが知り,また洞察するべきことであるが,エルサレムを修復して建て直せという言葉が発せられてから指導者であるメシアまでに,七週,そしてさらに六十二週があるであろう」。一見するとこの預言は謎めいているかもしれません。しかし広い意味で言えば,この預言は二つの情報だけを探し出すようわたしたちに求めています。その二つとは,起点となる時と,関係する期間です。例を挙げましょう。宝が埋められているのは「町の公園の井戸の東50町の場所」であると地図に書かれているとしたら,また特にこの井戸の場所や「町」の長さが分からないとしたら,皆さんはこの指示に戸惑いを覚えられるかもしれません。宝のありかが突き止められるよう,皆さんはそれら二つの事実を探し求めるのではないでしょうか。それで,ダニエルの預言もそれとよく似ています。ただし,わたしたちは起点となる年を見定め,その後に続く期間の長さを算定するので,その点は異なっています。
9,10 (イ)69週を数え始める起点となる年はいつですか。(ロ)69週はどれほどの長さになりますか。そのことはどうして分かりますか。
9 第一に,起点となる年,つまり『エルサレムを修復して建て直せという言葉が発せられた』年が必要になります。次に,その時点から始まる期間,つまりそれらの69(7足す62)週がどれほどの長さになるのかを知る必要があります。どちらの情報も入手するのは難しくありません。ネヘミヤは,「王アルタクセルクセスの第二十年」に,エルサレムの周囲の城壁を建て直して最終的には都市を回復させるようにとの言葉が発せられたことを極めて明白に述べています。(ネヘミヤ 2:1,5,7,8)このことから,わたしたちが考えている起点は西暦前455年になります。d
10 次にその69週に関してですが,それは文字通りの七日からなる週のことを言っているのでしょうか。そうではありません。西暦前455年から1年余りが経過したその時点では,メシアは登場していないからです。そのため,大半の聖書学者と多くの翻訳(ユダヤ人のタナック訳のこの節の脚注を含む)は,それが週「年」であることに同意しています。この「週年」という概念,つまり7年の周期は,古代ユダヤ人にとってなじみ深いものでした。彼らは七日ごとに安息日を守ったように,七年ごとに安息年を守りました。(出エジプト記 20:8-11; 23:10,11)それで,69週年は69掛ける7年,つまり483年に相当します。あとは計算すればよいのです。西暦前455年から483年を数えると,西暦29年になります。それはまさにイエスがバプテスマを受け,マーシーアハ,つまりメシアになった年です。―「聖書に対する洞察」(英文),第2巻,899ページ,「七十週」をご覧ください。
11 これはダニエルの預言の現代的な解釈に過ぎないと言う人たちに,どのように答えることができますか。
11 中には,これは歴史に合わせた,預言の現代的な解釈に過ぎないと反論する人がいるかもしれません。もしそうなら,イエスの時代の人々が,メシアはその時代に登場すると期待していたのはなぜですか。クリスチャンの歴史家ルカ,ローマの歴史家タキツスとスエトニウス,ユダヤ人の歴史家ヨセフス,ユダヤ人の哲学者フィロン ― それらの人たちは皆イエスに近い時代に生き,そのような期待があったことを証ししました。(ルカ 3:15)今日の学者たちの中にも,ユダヤ人がその時代にメシアが登場することを切望し,期待したのは,ローマの圧政のなせる業だと主張する向きがあります。しかしユダヤ人が,その数世紀前のギリシャ人による残忍な迫害の時よりも,その時代にメシアを期待したのはなぜですか。ユダヤ人は「謎めいた預言」のゆえに,強力な支配者たちがユダヤから来て「普遍的な帝国を獲得する」という期待を抱いた,とタキツスは述べています。彼がそう述べたのはなぜですか。アバ・ヒレル・シルバーは自著「イスラエルにおける,メシアに関する考察の歴史」の中で,「メシアが西暦1世紀の第2四半期ごろに登場すると期待されたのは」,ローマによる迫害のためではなく,一部ダニエル書に源を発する「その当時,一般に流布していた年代計算」のためであったことを認めています。
上から,メシアであることが証明される
12 エホバはどのようにイエスが実際にメシアであることを証明されましたか。
12 イエスがメシアであることを示す第三の証拠は,神ご自身の証言です。ルカ 3章21節と22節によると,イエスはバプテスマをお受けになった後,宇宙で最も神聖かつ強力な力である,エホバ神ご自身の聖霊で油そそがれました。さらに,エホバはご自分の声を用い,ご自身のみ子イエスを是認なさったことを認められました。それ以外にも2回,エホバは天から直接イエスに話され,ご自身の是認を表明されました。1回はイエスの3人の使徒たちの前で,他の1回は見ていた大勢の人たちの前でそうなさったのです。(マタイ 17:1-5。ヨハネ 12:28,29)さらにみ使いたちも,キリストつまりメシアとしてのイエスの立場を確証するために上から遣わされました。―ルカ 2:10,11。
13,14 エホバはイエスをメシアとして是認されたことを,どのように実証されましたか。
13 エホバは,偉大な業を成し遂げるための力を付与することによって,ご自分の油そそがれた者に対する是認を示されました。例えば,イエスの語った預言は,事前に記された詳細な歴史であり,その中にはわたしたち自身の時代にまで及ぶものがあります。e イエスはそのほかにも,飢えた群衆に食物を与えたり,病人をいやしたりする奇跡を行なわれました。死者の復活さえ行なわれました。イエスの追随者たちは,事後にそれら強力な業に関する話を考え出したに過ぎないのでしょうか。イエスの奇跡は多くの場合,目撃証人の前で,時には幾千人もの人が集まっている所で行なわれました。イエスがそうした業を実際に行なったことは,イエスの敵でさえ否定できませんでした。(マルコ 6:2。ヨハネ 11:47)そのうえ,もしイエスの追随者たちにそのような記述を創作する傾向があるとしたら,彼らが全く包み隠さずに自分の失敗を認めたのはなぜですか。実際のところ,自分たちが個人的に創作した単なる神話に基づく信仰のために死をも辞さないということがあるでしょうか。そのようなことはありません。イエスの奇跡は歴史の事実なのです。
14 イエスがメシアであることを示す神からの証拠はさらに続きます。神は聖霊を通して,イエスがメシアであることを示す証拠が書き記され,全歴史を通じて最も広く翻訳され配布される本の一部となるよう取り計らわれました。
ユダヤ人はなぜイエスを受け入れなかったのか
15 (イ)イエスがメシアであることを見分けるイエスの信任状はどれほど広範にわたるものですか。(ロ)ユダヤ人の多くは,どんな期待を抱いていたためにメシアであるイエスを退けましたか。
15 ですから,結局これら3種類の証拠には,イエスをメシアとして見分けるための文字通り幾百もの事実が含まれています。これでは不十分でしょうか。では,運転免許証やクレジットカードの申し込みをした時に,身分証明が三つだけでは不十分だ,数百種類の身分証明を持参すべきだと言われたと考えてください。何と不合理なことでしょう! ですから,間違いなく,イエスの実体は聖書の中で十分に証明されているのです。しかし,なぜイエスご自身の民の多くは,イエスがメシアであることを示すこれらすべての証拠を否定したのでしょうか。それは,証拠は真の信仰にとって重要なものですが,信仰の保証とはならないからです。残念ながら多くの人は,圧倒的な証拠を目の前にしても,自分の信じたい事柄を信じます。メシアについて言えば,大半のユダヤ人は自分たちの願いに関して極めて明確な考えを持っていました。政治的なメシア,つまりローマの圧政を終わらせ,再びイスラエルにソロモンの時代のような物質面での栄華を取り戻す人物を望んでいたのです。では,この卑しい大工の息子,政治や富に全く関心を示さないこのナザレ人をどうして受け入れることができるでしょう。特に,苦痛を味わい,苦しみの杭の上で屈辱的な死を遂げたその人が,どうしてメシアであり得るでしょう。
16 イエスの追随者たちが,メシアに関する自分自身の期待を調整する必要があったのはなぜですか。
16 イエスご自身の弟子たちはイエスの死によって混乱に陥れられました。明らかに,彼らの望みは,イエスが栄光ある復活を遂げた後,ただちに『イスラエルに王国を回復する』ことでした。(使徒 1:6)しかし弟子たちは,この個人的な望みが実現しなかったというだけの理由で,メシアとしてのイエスを退けることはありませんでした。彼らは手元にある豊富な証拠に基づいてイエスに信仰を働かせました。また,彼らの理解は徐々に増し加わり,謎は解かれました。彼らは,メシアがこの地上で人間として過ごした短い期間には,ご自分に関するすべての預言を成就できなかったことを理解するようになりました。何と,ある預言はメシアが謙遜にろばの子に乗ってやって来ると述べているのに対し,別の預言には,メシアは栄光に包まれ,雲に乗って来るとあるのです。これが両方とも実現することなど,どうしてあり得るでしょうか。言うまでもなく,メシアの二度目の到来がどうしても必要です。―ダニエル 7:13。ゼカリヤ 9:9。
メシアが死ななければならなかった理由
17 ダニエルの預言は,メシアが死ななければならないことを,どのように明らかにしましたか。メシアはどんな理由で死ぬことになりますか。
17 さらに,メシアに関する預言から,メシアは死ななければならないことも明らかにされました。例えば,メシアが到来する時を予告していた預言自体が,その次の節では,「[七週に続く]その六十二週の後にメシアは断たれる」と予告しています。(ダニエル 9:26)この「断たれる」に相当するヘブライ語カーラトは,モーセの律法下で死刑を表わすのに用いられている語です。確かにメシアは死ななければなりませんでした。なぜでしょうか。24節にその答えがあります。『これは,罪を終わらせ,とがの贖いをし,定めのない時に至る義を携え入れるためである』。ユダヤ人は,とがの贖いができるのは,犠牲つまり死のみであることをよく知っていました。―レビ記 17:11。ヘブライ 9:22と比較してください。
18 (イ)イザヤ 53章は,メシアが苦しみ,死ななければならないことを,どのように示していますか。(ロ)この預言には,自己矛盾と思えるどんな点が含まれていますか。
18 イザヤ 53章は,他の人の罪を覆うために苦しみ,死ななければならない,エホバの特別な僕としてメシアのことを述べています。その5節には,「彼はわたしたちの違犯のために刺し通され,わたしたちのとがのために打ち砕かれるのであった」と記されています。その同じ預言は,このメシアが「罪科の捧げ物」として死ななければならないことを述べた後で,この同じ人物が『その日を長くし,その手にあって,エホバの喜ばれることは成功を収める』ことを明らかにしています。(10節)これは自己矛盾ではないでしょうか。メシアが死んでから「その日を長くする」ことなど,どうしてあり得るでしょうか。メシアが犠牲としてささげられてから,その後に『エホバの喜ばれることを成功』させることなど,はたして可能でしょうか。死を遂げた後,メシアに関する最も重要な預言,つまり王として永久に統治し,全世界に平和と幸福をもたらすという預言を成就せずに死んだままでいることが,どうしてできるでしょうか。―イザヤ 9:6,7。
19 メシアに関する一見矛盾した預言は,イエスの復活により,どのように筋道の通ったものになりますか。
19 この自己矛盾と思える事柄は,一つの目ざましい奇跡によって解決されました。イエスは復活させられたのです。誠実な幾百人ものユダヤ人は,この輝かしい現実の目撃証人となりました。(コリント第一 15:6)後に使徒パウロはこう書きました。「この方[イエス・キリスト]は,罪のために一つの犠牲を永久にささげて神の右に座し,それ以来,自分の敵たちが自分の足の台として置かれるまで待っておられます」。(ヘブライ 10:10,12,13)そうです,イエスがついに王として即位させられ,み父エホバの敵に対する行動を起こされるのは,イエスが天の命に復活させられ,『待つ』期間を経た後のことなのです。メシアなるイエスは天の王としての役割を担い,いま生きているあらゆる人の生活に影響を与えています。どのような面で影響を与えているのでしょうか。それは次の記事で考慮します。
[脚注]
a ルカ 3章23節には「ヨセフはヘリの子」とありますが,これは明らかに,ヘリはマリアの実父なので,ヨセフは「義理の息子」という意味で「子」に相当するということです。―「聖書に対する洞察」(英文),第1巻,913-917ページ。
b ユダヤ人の歴史家ヨセフスは自分の家系を提示するに当たり,そのような記録が西暦70年以前に備えられていたことを明らかにしています。それらの記録はエルサレム市と共に滅びうせたようです。そのため,その後に自分はメシアであると主張した人たちの意見は,すべて証明不能となりました。
c 「聖書に対する洞察」(英文),第2巻,387ページをご覧ください。
d 古代ギリシャ,バビロニア,ペルシャの情報源から,アルタクセルクセスの治世の第1年が西暦前474年であることを示す確かな証拠が得られます。「聖書に対する洞察」(英文),第2巻,614-616,900ページをご覧ください。
e その種のある預言の中で,イエスは偽メシアがイエスの時代以降に現われることを予言されました。(マタイ 24:23-26)前の記事をご覧ください。
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メシアの臨在とメシアの支配ものみの塔 1992 | 10月1日
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メシアの臨在とメシアの支配
「あなた方のもとから空へ迎え上げられたこのイエスは,こうして,空に入って行くのをあなた方が見たのと同じ様で来られるでしょう」― 使徒 1:11。
1,2 (イ)イエスが昇天なさった時,ふたりのみ使いはどのようにイエスの使徒たちを慰めましたか。(ロ)キリストの再来の見込みによって,どんな質問が生じますか。
オリーブ山の東の山腹で,11人の男子が空を見上げて立っています。つい今しがたイエス・キリストは彼らの間から昇天され,その姿は次第に見えなくなって,最後には雲に隠れてしまいました。それらの男子はイエスと共に幾年かを過ごし,イエスが提出された,ご自身がメシアであることの豊富な証拠を見てきました。彼らは深い悲しみをもたらしたイエスの死と,最高の感動を与えたイエスの復活さえ経験してきたのです。しかし,イエスは行ってしまわれました。
2 そこへ突然ふたりのみ使いが現われ,慰めとなる次の言葉を語ります。「ガリラヤの人たちよ,なぜ空を眺めて立っているのですか。あなた方のもとから空へ迎え上げられたこのイエスは,こうして,空に入って行くのをあなた方が見たのと同じ様で来られるでしょう」。(使徒 1:11)何とすばらしい慰めでしょう。イエスの昇天は,イエスがこの地と人間にはもうかかわりを持たないという意味ではないのです。それどころか,イエスは戻って来られます。この言葉によって使徒たちは希望に満たされたに違いありません。今日でも幾百万という人々が,キリストの再来の約束をひときわ重要なものとみなしています。それを“二度目の到来”,もしくは“再臨”と言う人もいます。しかし,大半の人々はキリストの再来の本当の意味について混乱をきたしているようです。キリストはどのように再来されるのでしょうか。再来はいつでしょうか。それは今日のわたしたちの生活にどんな影響を及ぼしますか。
キリストが戻られる様
3 多くの人はキリストの再来について,何を信じていますか。
3 「福音主義的キリスト論」という本によれば,「キリストの二度目の到来,あるいは再来(パルーシア)は,神の王国を最終的かつ公に,また,とこしえにわたって確立する」ものです。キリストの再来は目に見える公のもの,地球上のどんな人にも文字通り見えるものという考えは広く行き渡っています。この見解の裏づけとして,啓示 1章7節を指摘する人は少なくありません。そこにはこう記されています。「見よ,彼は雲と共に来る。そして,すべての目は彼を見るであろう。彼を刺し通した者たちも見る」。しかし,この節は文字通りに理解すべきものでしょうか。
4,5 (イ)啓示 1章7節を文字通りの意味に取ってはならないことは,どうして分かりますか。(ロ)イエスご自身の言葉は,この理解をどのように確証していますか。
4 啓示の書が「しるしにより」示されていることを忘れてはなりません。(啓示 1:1)ですから上記の聖句は象徴的なものであるに違いありません。結局のところ,「彼を刺し通した者たち」はどうしてキリストの再来を見ることができるでしょう。彼らが死んでから20世紀近くが経っているのです。さらにみ使いたちも,キリストは去って行った時と「同じ様で」戻られると述べました。ではキリストはどのように去って行かれましたか。幾百万もの人々が注視する中を去って行かれましたか。いいえ,その出来事を目撃したのは少数の忠実な人々だけでした。また,み使いたちが彼らに語った時,使徒たちはキリストが天に移動する行程全体を実際に眺めていたのでしょうか。そうではありません。雲の覆いがイエスを視界から隠しました。その後のある時,イエスは人間の目に見えない霊者として,霊の被造物の住む天に入ったに違いありません。(コリント第一 15:50)したがって,使徒たちが見たのは,イエスの移動のせいぜい始まりにすぎませんでした。使徒たちはその移動の終わり,つまりイエスがみ父エホバのおられる天に戻るのを眺めることはできませんでした。自分の信仰の目で識別する以外に方法はなかったのです。―ヨハネ 20:17。
5 聖書の教えによると,イエスはそれと非常によく似た様で戻られます。イエスご自身,死の直前に,「あとしばらくすれば,世はもはやわたしを見ないでしょう」と言われました。(ヨハネ 14:19)また,「神の王国は際立って目につくさまで来るのではな(い)」とも述べておられます。(ルカ 17:20)では,どんな意味で「すべての目は彼を見る」のでしょうか。その答えを出すには,まず第一に,イエスと追随者たちがイエスの再来に関連して用いた言葉を明確に理解することが必要です。
6 (イ)ギリシャ語のパルーシアの訳語として,“再来”,“到着”,“来臨”,“到来”などの語が適切でないのはなぜですか。(ロ)パルーシアつまり「臨在」が,単なる短時間の出来事よりもずっと長く続くことを,何が示していますか。
6 事実を言えば,キリストは「戻る」,つまり「再来」するだけでなく,それよりずっと多くのことを行なわれます。“再来”という語は“到来”,“到着”,“来臨”といった語と同じく,短い期間における単一の出来事を意味しますが,イエスと追随者たちが用いたギリシャ語は,はるかに多くのことを意味しています。パルーシアという語は字義的には「傍らにいること」,または「臨在」を意味します。大抵の学者は,この語が王室の名士の公式訪問と同じように,到着に限らず,その後そこにいることをも含むという点で意見の一致を見ています。この臨在は短時間だけの出来事ではありません。それは特別な時期であり,一定の期間続きます。マタイ 24章37節から39節でイエスは,「人の子の臨在[パルーシア]」は,大洪水で頂点に達した「ノアの日」のようであろう,と言われました。ノアは,大洪水が来て腐敗したその世界の体制を拭い去る前の数十年間,箱船を建造し,邪悪な者たちに警告を与えました。ですから,それと同じように,キリストの目に見えない臨在も幾十年か続き,それからやはり,大規模な滅びで頂点を迎えます。
7 (イ)パルーシアが人間の目に見えないことを,何が示していますか。(ロ)キリストの再来が「すべての目」に見えると述べる聖句は,どのように,またいつ成就しますか。
7 パルーシアが人間の目に実際に見えるものでないことは確かです。もし見えるとすれば,これから調べるように,イエスが非常に長い時間をかけて,この臨在を識別する助けとなるしるしを追随者たちにお与えになったのはなぜでしょうか。a とはいえ,キリストがサタンの世の体制を滅ぼすために来る時,キリストが臨在しておられる事実は,疑問の余地が全くないまでに,すべての人に明らかにされるでしょう。その時にこそ,「すべての目は彼を見る」のです。イエスの敵たちでさえキリストが現実に統治していることを識別でき,狼狽することになります。―マタイ 24:30; テサロニケ第二 2:8; 啓示 1:5,6をご覧ください。
それはいつ始まるか
8 キリストの臨在の始まりをしるし付けるのは,どんな出来事ですか。それはどこで生じましたか。
8 メシアの臨在は,メシアに関する預言という繰り返し現われる主題を成就する出来事と共に始まります。メシアは天の王として位に就けられます。(サムエル第二 7:12-16。イザヤ 9:6,7。エゼキエル 21:26,27)イエスご自身,その臨在がご自分の王権と関連していることを示されました。イエスは幾つかの例えの中で,ご自分を一人の主人になぞらえておられます。その主人は,自分の家の者と奴隷を後にして「遠くの土地」へ長い旅行をし,旅行先の土地で「王権」を受けるのです。イエスのパルーシアがいつ始まるかという使徒たちの質問に対する答えの一部として,イエスはそうした例えの一つを話されました。もう一つの例えは,『彼らが神の王国は今やたちどころに出現するものと想像していた』ために語られました。(ルカ 19:11,12,15。マタイ 24:3; 25:14,19)したがって,イエスの即位はイエスが地上に人間としておられた時からすると,まだずっと将来に,「遠くの土地」である天で生じる事柄でした。そのようなことは,いつ生じるのでしょうか。
9,10 キリストが現在天で支配しておられることを示すどんな証拠がありますか。また,キリストはご自分の支配をいつ開始されましたか。
9 イエスの弟子たちが,「あなたの臨在と事物の体制の終結のしるしには何がありますか」とイエスに尋ねた時,イエスはそれに答え,その将来の時に関する詳しい説明をなさいました。(マタイ 24章。マルコ 13章。ルカ 21章。テモテ第二 3:1-5; 啓示 6章もご覧ください。)このしるしは困難な時期に関する詳しい描写となっています。その時の特色となるのは,国際的な戦争,犯罪の増加,家族生活の崩壊,疫病,飢きん,地震などが局地的な問題ではなく,世界全体を包含する危機的な問題になることです。これらはよく耳にする事柄でしょうか。20世紀がイエスの描写に完全に適合することは,日を追うごとに確証されています。
10 歴史家は1914年が人類史の転換点であったことを一様に認めています。その要となる年の後,それらの問題の多くは制御不能となり,世界的な規模にエスカレートしました。そうです,聖書預言の成就となる目に見える世界の出来事すべては,イエスが天で王として支配を開始した年が1914年であることを示しています。さらに,ダニエル 4章の預言は,その同じ年1914年が,エホバによって任命された王の支配が始まる時であることを示す,年代学的な証拠となっています。b
なぜ苦難の時となるのか
11,12 (イ)まさに今キリストが天で支配していることについて,ある人々が信じ難く思うのはなぜですか。(ロ)イエスが王として即位した後に生じた事柄を,どのように例えで説明できますか。
11 しかし,中には,『メシアが天で支配しているなら,世界がこれほど苦難に満ちているのはなぜか。イエスの支配には力がないのか』と考える人もいます。一つの例えが助けになるかもしれません。ある国は悪い大統領によって治められています。大統領は腐敗した体制を作り上げ,国の四隅にまで支配の手を伸ばしています。しかし選挙が行なわれ,良い人が勝ちます。ではそれからどうなるでしょうか。一部の民主主義国家で見られるように,新しい大統領が就任する前の数か月は,過渡期となります。そのような時期に二人はどんな行動を取るでしょうか。良い人は,前任者が国中で行なったすべての悪事をただちに攻撃し,拭い去るでしょうか。いえむしろ,新しい内閣を設けたり,前の大統領の不正直な仲間や腹心の部下との関係を断ち切ったりして,まずは首都に注意を集中するのではないでしょうか。そのようにして,十分な権威を帯びるようになった時,大統領は清く有効な権力の座から活動を開始することができます。不正な大統領のほうは,一切の権力を失う前に,残されている短い時を活用し,国から不正な利得をできるだけ搾り取ろうとするのではないでしょうか。
12 キリストのパルーシアも,実質的にそのようなものです。啓示 12章7節から12節が示すところによると,キリストはご自分が天の王とされた時,最初にサタンと悪霊たちを天から投げ落とし,そのようにしてご自分の政府の所在地を清められたのです。長く待ち望まれたこの敗北を喫した後,サタンはキリストがこの地にご自分の十分な権威を行使される前の『短い時』に,どのような行動を取るでしょうか。あの不正な大統領のように,この古い体制から得られるものは何でも得ようとします。サタンはお金を狙っているのではありません。人間の命を狙っているのです。エホバとエホバに任命された統治する王からできるだけ多くの人を引き離したいのです。
13 キリストの支配の始まりがこの地の苦難の時となることを,聖書はどのように示していますか。
13 ですから,メシアの支配の始まりが『地にとっては災い』の時を意味するのも不思議ではありません。(啓示 12:12)同様に,詩編 110編1節,2節,6節は,メシアが「敵のただ中で」支配を開始されることを教えています。そのことがあってはじめて,メシアは,サタンの不正な体制のあらゆる面を,「諸国民」共々完全に粉砕し,二度と再び思い出されないようにします。
メシアが地を支配する時
14 メシアはサタンの邪悪な事物の体制を滅ぼした後,何を行なうことができますか。
14 メシアなる王イエス・キリストは,サタンの体制とその体制を支持するすべての人を滅ぼした後,ついに,メシアの千年統治を描写する驚嘆すべき聖書預言を成就する立場に就かれます。イザヤ 11章1節から10節は,メシアがどんな支配者であるかを理解するための助けになります。2節によれば,その方は「エホバの霊……知恵と理解の霊,計り事と力強さの霊」をお持ちになります。
15 メシアの支配における「力強さの霊」は何を意味することになりますか。
15 イエスの支配における「力強さの霊」が意味する事柄について考えてみてください。イエスは地上におられた時,エホバからの力強さをある程度備えていたので,奇跡を行なうことができました。それに,「わたしはそう望みます」と述べて,人々を助けたいという心からの願いを示されました。(マタイ 8:3)しかし当時の奇跡は,イエスが天から支配する時に行なわれる事柄の前触れにすぎませんでした。イエスは世界的な規模で奇跡を行なわれます。病気の人,盲人,耳の聞こえない人,不具の人,足のなえた人などは永続的にいやされます。(イザヤ 35:5,6)豊かな食物が公平に分配され,飢えは永久になくなります。(詩編 72:16)神が喜びをもって記憶しておられる墓の中の無数の人々についてはどうですか。イエスの「力強さ」には,彼らを復活させ,各人に楽園で永遠に生きる機会を与える力も含まれることでしょう。(ヨハネ 5:28,29)しかし,こうしたすべての力強さを備えておられても,メシアなる王は常に大いに謙遜であられます。その方は『エホバへの恐れを楽しみ』とされます。―イザヤ 11:3。
16 メシアなる王はどのような審判者となられますか。それはどのように,人間の裁判官に関する記録とは対照的ですか。
16 この王は完全な審判者ともなられます。「彼は目で見る単なる外見によって裁くのでも,ただ耳で聞くことにしたがって戒めるのでもない」のです。古今を問わず,人間の裁判官で,そのような描写の当てはまる人がいるでしょうか。どんなに思慮分別のある人であっても,自分にある知恵や識別力を用い,自分の見聞きする事柄によって判断する以外に方法はありません。それで,この古い世の裁判官や陪審員は,巧妙な詭弁,法廷でのふざけた行為,相反する証拠などによって動揺し混乱させられるかもしれません。効果的な弁護を取りつけることができるのは,裕福で有力な人々だけということも少なくありません。彼らは実際に公正さをお金で買っているのです。メシアなる審判者のもとではそうではありません。その方は心を読まれます。メシアの注目を免れるものはありません。愛と憐れみによって和らげられる公正は,買収されません。それはいつでも勝利を収めます。―イザヤ 11:3-5。
メシアの支配はあなたにどのような影響を及ぼすか
17,18 (イ)イザヤ 11章6-9節には,人類の将来に関するどんな輝かしい状況が描かれていますか。(ロ)この預言はおもにだれに当てはまりますか。なぜそう言えますか。(ハ)この預言はどのように文字通り成就しますか。
17 当然ながら,メシアの支配は臣民に大きな影響を及ぼします。その支配は人々を変化させます。イザヤ 11章6節から9節は,その変化がどれほど広範に及ぶものかを教えています。この預言に描かれているのは,熊,おおかみ,ひょう,ライオン,コブラなどの危険な捕食動物が,無害な家畜と,さらには子供たちとさえ一緒になっている感動的な場面です。しかし,捕食動物は危険ではありません。なぜですか。9節に答えがあります。「それらはわたしの聖なる山のどこにおいても,害することも損なうこともしない。水が海を覆っているように,地は必ずエホバについての知識で満ちるからである」。
18 もちろん,「エホバについての知識」が実際の動物に影響を与えることはあり得ません。ですから,これらの節はおもに人々に当てはまるに違いありません。メシアの支配は世界的な教育計画を保証しており,その支配はエホバとエホバの方法を人々に教え,愛と敬意と品位をもって仲間の人間を扱うようすべての人に教えます。来たるべき楽園において,メシアは身体的にも道徳的にも完全になるよう,奇跡的な方法で人類を引き上げられます。不完全な人間の性質を損なう,捕食動物のような特性は,跡形もなくなります。また人類は,文字通りの意味において,ついに動物たちとの平和な関係に入ります。―創世記 1:28と比較してください。
19 メシアの支配は,どのようにこの終わりの日の人々の生活に影響を及ぼしますか。
19 しかし,メシアは現在支配しておられるということを忘れてはなりません。今でさえメシアの王国の臣民は平和のうちに共に生活することを学んでおり,ある意味でイザヤ 11章6節から9節を成就しています。さらに,イエスはほとんど80年間,次のイザヤ 11章10節を成就してこられました。「その日には,もろもろの民のための旗じるしとして立ち上がるエッサイの根がある。諸国の民は物を問い尋ねようとして彼のもとに向かい,その休み場は必ず栄光に満ちる」。すべての国の民はメシアに心を向けています。なぜでしょうか。メシアが支配を開始して以来,メシアは「旗じるしとして立ち上が(って)」こられたからです。上記の大規模な教育計画により,ご自分の臨在を世界中に知らせてこられたのです。事実,イエスは,世界的な伝道活動が,この古い体制の終わる前の,ご自分の臨在の顕著なしるしになることを予告されました。―マタイ 24:14。
20 メシアの支配を受けるすべての臣民は,どんな態度を避けるべきですか。なぜですか。
20 ですから,キリストが王としての力をもって臨在しておられることは,わたしたちとは関係のない机上の空論ではありません。単なる神学者たちの知的な論議の主題ではないのです。メシアの支配は,イザヤの予告にあったように,ここ地上の生活に影響を与え,その生活を変化させます。イエスはこの腐敗した世界の体制から,ご自分の王国のために幾百万という臣民を引き寄せてこられました。あなたはそのような臣民の一人ですか。では,わたしたちの支配者にふさわしく,あらん限りの熱意と喜びをもって奉仕してください。当然のことながら,疲れ果て,「この約束された彼の臨在はどうなっているのか」というこの世界の冷笑的な言葉に和することには何の苦労もいりません。(ペテロ第二 3:4)しかしイエスご自身が言われたように,「終わりまで耐え忍んだ人が救われる者です」。―マタイ 24:13。
21 わたしたちは皆,メシアに関する希望に対する認識をどのように強めることができますか。
21 み子の臨在を全世界に明らかにするよう,エホバがご自身のみ子に指示を与える大いなる日は,日を追うごとに近づいています。その日に対する望みを決して弱めてはなりません。メシアなるイエスの立場と,統治する王としてのメシアの特質について黙想してください。聖書に略述されている,メシアに関する壮大な希望の源であり立案者であられるエホバ神についても,深く考えてください。そうするときあなたは,「ああ,神の富と知恵と知識の深さよ」と書いた使徒パウロと同じように,いよいよ認識を深めてゆくに違いありません。―ローマ 11:33。
[脚注]
a 1864年当時,神学者のR・ゴベットはその点についてこう述べました。「これは私にとって大きな決め手のように思える。臨在のしるしが与えられたことは,臨在が秘事であることを意味している。我々は,我々が見るものの臨在を我々に知らせるためのしるしなど,必要としない」。
b 詳しくは,「あなたの王国が来ますように」という本の132-138ページをご覧ください。
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