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    1995 エホバの証人の年鑑
    • 物事を組織するための最初の試み

      アベル・オルテガという若い男性が医学を勉強する目的で1917年に米国テキサス州サンアントニオに行きました。そこでアベルはモレイラ兄弟から人類に対する神の目的について学びました。それで計画を変更しました。メキシコに戻ったときには,もっと優れた計画,「世々に渉る神の経綸」を持っていたのです。アベルに医学を勉強させるよう手配した伯父はそのことを快く思わず,甥の新しい信仰に感銘を受けることもありませんでした。そのためアベルは家を出なければなりませんでした。彼はメキシコ・シティー郊外のサンタフリアとして知られる集落に引っ越しました。その集落で,アベルは葉がこんもりと茂った木の下で集会を開き始めました。2年もたたないうちにその群れは約30人になっていました。

      人数が増えるにつれ,ふさわしい集会場所が必要なことが明らかになりました。シティーの中心にふさわしい会館が見つかり,1919年には聖書研究者の小さな大会が4日にわたってメキシコで行なわれました。

  • メキシコ
    1995 エホバの証人の年鑑
    • メキシコ・シティーで以前アベル・オルテガと交わっていたグループによる問題があったにもかかわらず,真理に飢えている心の正しい人,ものみの塔の出版物の助けを借りて聖書を研究し続けるメキシコ人がいました。共和国の様々な場所から出版物を求める手紙が何通も届きました。そのため,1920年の末にロベルト・モンテーロはメキシコに旅行して関心を示す人たち幾人かを訪問しました。当時13人いたメキシコ・シティーの群れの人たちに加え,モンテレー,グアダラハラ,プエブラ,ベラクルスで成長しつつあった群れの人たちとも会いました。

      1925年までには,数か所でクラスつまり会衆が設立されました。次の数年の間にそうしたクラスの数は九つに増えました。しかし1929年にはわずか四つしか残っていませんでした。

      その後,1929年の末にラザフォード兄弟はメキシコに特別な注意を向け,メキシコ・シティーに支部事務所を開設しました。

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