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ミャンマー(ビルマ)2013 エホバの証人の年鑑
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ギレアデの宣教者の第一陣が来る
上: ギレアデの宣教者の第一陣,ヒューバート・スメッドスタッド,ロバート・カーク,ノーマン・バーバー,ロバート・リチャーズ 下: (後列)ナンシー・デスーザ,ミルトン・ヘンシェル,ネイサン・ノア,ロバート・カーク,テレンス・デスーザ,(前列)ラッセル・モブリー,ペネロープ・ジャービスバッグ,フィリス・ツァトス,デージー・デスーザ,バシル・ツァトス
1947年の初めに,喜びつつヤンゴンの波止場に集まった兄弟たちは,ロバート・カークを出迎えます。ギレアデで訓練を受けてビルマに入った最初の宣教者です。それから程なくして,さらに3人がやって来ます。ノーマン・バーバー,ロバート・リチャーズ,ヒューバート・スメッドスタッドです。また,戦時中にインドで開拓奉仕をしていたフランク・デュワーも加わります。
宣教者たちが入った都市には,至るところに戦争の爪痕が残されていました。焼け焦げた建物が随所に見られ,大勢の人が道端に竹で掘っ立て小屋を作って住んでいました。煮炊きも洗濯も寝起きも屋外で行なわれていました。宣教者たちは聖書の真理を教えるためにやって来たので,そうした状況に順応して宣教奉仕に励みました。
1947年9月1日,ものみの塔協会の支部事務所が,市の中心に近いシグナル・パゴダ・ロードの宣教者ホームに開設されました。支部の監督に任命されたのはロバート・カークです。それから間もなく,ヤンゴン会衆はアーロン地区にある竹でできた会館から,ボガレイ・ゼイ通りのアパートの2階に移りました。そこから徒歩で数分の場所に,イギリスの植民地政府の庁舎である堂々たる建物がありました。そのころ,植民地政府の統治は終わりを迎えようとしていたのです。
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