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  • ミャンマー(ビルマ)
    2013 エホバの証人の年鑑
    • タン・トゥムがハカを去った時,20歳の特別開拓者ドナルド・デュワーが後任となりました。両親のフランク・デュワーとリリー・デュワー(結婚前はリリー・メイ)は少し前に国外に退去させられ,18歳の弟サミュエルと共に奉仕することになりました。ドナルドは語ります。「トタン屋根の掘っ立て小屋に住んでいたため,夏はひどい暑さで,冬は凍えるような寒さでした。もっとつらかったのは孤独感に襲われたことです。いつも一人で奉仕し,地元の言語であるハカ・チン語をほとんど話せませんでした。集会はわたしとサミュエルと他の一人か二人の伝道者だけで開いていました。だんだん憂うつになり,割り当てられた場所を去ることも考えました。

      「そのころ,『年鑑』を読んでマラウイの兄弟たちが残忍な迫害のもとで忠実を保っていることを知り,とても励まされました。e 『孤独感に打ち負かされるようでは迫害に耐えられるわけがない』と考えました。不安な胸の内を祈りの中でエホバに注ぎ出すと,気持ちが安らぐようになりました。さらに,聖書や『ものみの塔』の記事を読んで思い巡らすことから力を得ました。思いがけずモリス・ラジとダンスタン・オニールが訪問してくれた時は,二人のみ使いを見ているような気持ちでした。少しずつ,でも着実に喜びを取り戻してゆきました」。

      ドナルドは後に旅行する監督として奉仕した時,孤立した土地に住む証人たちを励ますために自分の経験を用いました。

  • ミャンマー(ビルマ)
    2013 エホバの証人の年鑑
    • チン州で夫と共に巡回奉仕をしたエイ・エイ・ティは,こう語っています。「平地のエーヤワディー・デルタで育ったわたしは,美しいチン丘陵の景色に魅了されました。最初の丘をいそいそと登りはじめましたが,丘の上まで来ると,ひどい息切れで座り込んでしまいました。幾つか丘が続いて疲労困ぱいし,このまま死んでしまうのではないかと思ったほどです。そのうち,山を登るこつが分かりました。時間をかけ,体力の消耗を防ぎながら登るのです。やがて,一日30㌔ほどのペースで,六日かそれ以上に及ぶ旅をこなせるようになりました」。

  • ミャンマー(ビルマ)
    2013 エホバの証人の年鑑
    • このような移動は体力を大きく消耗させます。兄弟たちは山の厳しい天気にさらされ,蚊の大群や,気持ちの悪いさまざまな虫にも対処しなければなりません。とりわけ雨季には虫がよく出ます。巡回監督のミン・ルウィンはこう述べています。「森を歩いていた時,足にヒルが何匹か食いついているのに気づきました。払いのけると,もう2匹が這い上がってきました。倒木の上に飛び乗りましたが,ヒルが一斉に木に上がってきました。恐怖に襲われ,森を全速で駆け抜けました。開けた道にやっと出て,見ると,ヒルがたくさん食いついていました」。

      地域監督のグムジャ・ノと妻のナン・ルはチン州で会衆間を歩いて移動した

      チン州を移動する人が立ち向かわなければならない相手は,ヒルだけではありません。ミャンマーにはイノシシ,クマ,ヒョウ,トラも生息しています。毒ヘビの種類が世界のどの国よりも多いとも言われています。地域監督のグムジャ・ノと妻のナン・ルは,チン州で会衆間を歩いて移動し,夜は周りに焚き火をして野生動物を寄せつけないようにしました。

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