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神が復しゅうをされる時 救いは可能ものみの塔 1989 | 5月15日
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聖書からの教訓: ナホム 1:1-3:19
神が復しゅうをされる時 救いは可能
「ほんのもう少しすれば,邪悪な者はいなくなる」。(詩編 37:10)この言葉が成就することは,ナホムとハバククによって記された聖書の二つの書の中で強力に示されています。これら勇気ある人々は,西暦前7世紀の後半,ユダ王国において自分たちの預言の記録を完成しました。
まず,ナホムによって宣明された神の預言を考慮しましょう。どんな教訓が含まれているでしょうか。
神からの復しゅうは確実
エホバは全き専心を要求される。(出エジプト記 20:5)ナホムはアッシリアの首都ニネベに対する宣告の中で,神に対してそのような専心を示さない敵たちに,神からの復しゅうが臨むことを明らかにします。神の前に山々は激動し,もろもろの丘は溶け,地は隆起するのです。その燃えるみ怒りに,だれが耐えられるでしょうか。―1:1-6。
わたしたちは,避け所としてのエホバに頼ることができる。神は,ご自分のもとに避け所を求めて来る人々を守ってくださいます。神の敵が滅ぼし絶やされるので,苦難は二度と生じません。ユダにとっては平和の良いたよりがあります。真の崇拝は妨げられないからです。―1:7-2:2。
不義の者たちは成功しない。ニネベに生じたことから,このことは明白です。ニネベは捕らわれ人を残酷に扱ったために,「流血の都市」となりました。ライオンのねぐらのように,強固に防備の施されたこの都市は,厚い城壁内にあって安全であるかに思えました。しかし神の布告により,ニネベは,ナイル川沿いにあった古代のノ・アモン,つまりテーベにもたらしたのと同様の破滅を被るでしょう。アッシリアの首都は,その罪のゆえに荒れ果てた所となるのです。この預言は,西暦前632年,バビロニアの王ナボポラッサルとメディア人キャクサレスの連合軍がニネベを攻略した時に成就しました。―2:3-3:19。
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神が復しゅうをされる時 救いは可能ものみの塔 1989 | 5月15日
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聖句を考察する
◯ 1:4 ― バシャン,カルメル,レバノンは,美しく,肥沃で,産出的な地域でした。それらが枯れることは,それらに依存していた人々に悲惨な結果をもたらすでしょう。これは,エホバが表明される憤りの激しさを強調するものです。
◯ 1:10 ― ニネベは,絡み合ったいばらのように踏み込み難いところであると自負し,野望に酔いしれていましたが,乾いた刈り株を火がなめつくすように,簡単にむさぼり食われてしまうでしょう。同様に,現代の神の民の敵たちは,エホバの火のような裁きに耐えることができません。
◯ 2:6 ― ニネベ襲撃時の大雨により,チグリス川は氾濫しました。こうして都市の一部は水浸しになり,城壁の一角は崩されました。それで,征服者たちは容易にアッシリアの首都を攻略できました。
◯ 2:11-13 ― アッシリア人は,野獣のように諸国民を威嚇し,えじきにします。ライオンは国家の象徴であったようです。ニネベの遺跡で,ライオンの像がたくさん発見されました。
◯ 3:3,4 ― ニネベは売春婦のように,慰めとなる友情を差し伸べ,援助の約束をすることによって諸国民を欺きました。しかし,ユダの王アハズの場合が示すように,そうしたわなに掛かった人々は,ニネベの圧制的なくびきのもとで苦しみを経験しました。―歴代第二 28:16,20,21。
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