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名聖書に対する洞察,第2巻
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神の指示に従って付けられた名前には特に,預言的な意義のある場合が少なくありませんでした。イザヤの息子のマヘル・シャラル・ハシュ・バズ(「急げ,分捕り物よ! 彼は急いで強奪物のところに来た」または「分捕り物に急げ,彼は急いで強奪物のところに来た」の意)という名は,アッシリアの王がダマスカスとサマリアを服従させることを示していました。(イザ 8:3,4)ホセアの息子のエズレル(神は種をまくであろう)という名は,エヒウの家に対して言い開きを求めることになる将来を指し示しました。(ホセ 1:4)ホセアの妻が生んだ他の二人の子供,ロ・ルハマ([彼女は]憐れみを示されなかった)とロ・アミ(わたしの民ではない)という名は,エホバがイスラエルを退けられることを示唆するものでした。(ホセ 1:6-10)神のみ子の場合,イエス(エホバは救い)という名は,エホバの任命された救い主,すなわち救いの手だてとしてのイエスの役割を預言的に表わしていました。―マタ 1:21; ルカ 2:30。
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名聖書に対する洞察,第2巻
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エホバはアブラムの名をアブラハム(群衆(多数のもの)の父)に,サライ(恐らく,「争いを好む」)の名をサラ(王妃)に改めさせましたが,それらの新しい名はどちらも預言的な意味を持つ名でした。(創 17:5,6,15,16)ヤコブはひとりのみ使いと組み打ちしてねばり強さを示したため,「あなたの名はもはやヤコブではなく,イスラエル[「神と闘う(神に対してねばり強い)者」または「神は闘う」]と呼ばれる。あなたは神また人と闘って,ついに優勢になったからだ」と言われました。(創 32:28)名前のこの変更は神の祝福の印であり,後日,そのことが確証されました。(創 35:10)それで,聖書が預言的に「新しい名」のことを述べている場合,それはその名を持つ者をふさわしく表わす名のことを指しているものと思われます。―イザ 62:2; 65:15; 啓 3:12。
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