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「平和の君」は新しい契約に入っていない人たちに注意を向ける「平和の君」のもとで得られる世界的な安全
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一つの群れに含められる「ほかの羊」
5 新しい契約はこの地上で何を必要としていますか。
5 その新しい契約は活発な奉仕者をこの地上で必要としており,油そそがれた残りの者の成員は古いモーセの律法契約に取って代わった「新しい契約」の十分に資格のある「奉仕者」として仕えてきました。(コリント第二 3:6)それらの奉仕者は,現代の大いなるバビロンの顕著な部分であるキリスト教世界の幾百もの宗派に属する僧職者ではありません。それら奉仕者は啓示 18章4節の命令に留意し,偽りの宗教のあの世界帝国から出て来ました。
6 (イ)新しい契約の奉仕者の人数は何人に限定されていますか。(ロ)りっぱな羊飼いが新しい契約に入っていない人たちに注意を向けられることは,どうして分かりますか。
6 その新しい契約の奉仕者の人数は,14万4,000人に限定されることになっていました。(啓示 7:1-8; 14:1-5)それで,りっぱな羊飼いが新しい契約の奉仕者以外のところに注意を向ける時が到来するのは必至でした。エホバの主要な奉仕者はこのことを予見し,ヨハネ 10章16節で,14万4,000人の「小さな群れ」の者ではない「ほかの羊」を持っていると言われた時,このことに言及されました。―ルカ 12:32。
7 (イ)「ほかの羊」級の成員はどうして新しい契約の奉仕者ではありませんか。(ロ)新しい契約に入っている人たちの残りの者は,どうして地の家族や国民にとってすでに祝福となっていますか。
7 「ほかの羊」は「小さな群れ」の者ではありませんが,やはり神の奉仕者となります。しかし,新しい契約の奉仕者とはなりません。また,それら「ほかの羊」が「新しい契約の奉仕者」の残りの者と共に「一つの群れ」になるということは,あるすばらしい事柄を示唆しています。何を示唆していますか。それはすなわち,残りの者は天の王国で栄光を受ける前に,地上で個人的に「ほかの羊」と交わるようになるということです。このようにして,アブラハムの霊的な胤の残りの者は,ハルマゲドンにおける「全能者なる神の大いなる日の戦争」が行なわれる前に,また千年統治が始まる前に,すべての家族や国民にとって祝福となるのです。―ガラテア 3:29。啓示 16:14,16。
8 りっぱな羊飼いは,新しい契約に入っていない人たちに,いつ注意を向けられましたか。それら「ほかの羊」はどんな予備的な処置を取ってきましたか。
8 これは特に1935年以来,実際その通りになってきました。その時以来,何百万ものそれら「ほかの羊」は,世界中のエホバの証人の何万もの会衆と交わり,最高の牧者であられるエホバ神に献身してきました。それらの人々はこうして,りっぱな羊飼いであられるイエス・キリストの「一つの群れ」に入れられてきました。
9 新しい契約の仲介者の注意力が広げられたことは,新しい契約の奉仕の務めが地上で終わったことを意味しましたか。
9 その時以来,新しい契約の仲介者が注意力を広げて「ほかの羊」をも含めてきたことは,新しい契約の奉仕の務めが1935年に終わったことを意味しますか。いいえ,そうではありません。というのは,新しい契約の奉仕者の残りの者がなお地上におり,これからその奉仕の務めを終えなければならないからです。
10 クリスチャン・ギリシャ語聖書の8人の筆者の行なった新しい契約のための奉仕の務めの恩恵を今日,だれが受けていますか。
10 今日,「小さな群れ」の残りの者と,りっぱな羊飼いの「ほかの羊」の増大する「大群衆」は共に,使徒パウロのような,自分たちよりも前の他の人々の奉仕の務めの恩恵を受けています。パウロは,西暦70年にエルサレムが滅ぼされる少し前,ローマで死ぬまで忠実に奉仕の務めを遂行しながら,クリスチャン・ギリシャ語聖書の27冊の書のうち14の書を霊感を受けて書き記しました。油そそがれた残りの者と「ほかの羊」の「大群衆」は,使徒パウロやクリスチャン・ギリシャ語聖書の他の7人の筆者のような1世紀の忠実な人たちが,新しい契約の奉仕の務めを自分たちの地上の生涯の終わりまで遂行したことを,何と感謝できるのでしょう。そして現代では,「ほかの羊」の何百万もの人々が,仲介者であられるイエス・キリストのもとで油そそがれた残りの者の行なってきた新しい契約の奉仕の務めの恩恵をすでに受けています。「平和の君」は今や,急速に増大するそれら愛する「ほかの羊」に注意を向けておられます。
11 (イ)新しい契約はどれほどの期間,効力を保ってきましたか。それは何を示唆していますか。(ロ)新しい契約の奉仕者の残りの者は今日,どんな資格で仕えていますか。
11 しかし,時は今や尽きようとしているに違いありません! 新しい契約はすでに,これに取って代わられたモーセの律法契約よりも407年も長い1,953年間も効力を保ってきましたが,新しい契約の奉仕者の成員が死んで地上の舞台を去るにつれ,その人数は減少しています。しかし,それらの奉仕者の今日の残りの者は,主人イエス・キリストがご自分の「すべての持ち物」をつかさどるよう任じた「忠実で思慮深い奴隷」として仕え続けています。―マタイ 24:45-47。
「来なさい!」という招待を差し伸べる
12 啓示 22章17節によれば,「花嫁」級はどんな招待を,だれに差し伸べていますか。
12 新しい契約のそれら奉仕者の行なう奉仕は,何と愛のあるものでしょう。例えば,啓示 22章17節にはこう記されています。「霊と花嫁は,『来なさい!』と言いつづける。そして,だれでも聞く者は,『来なさい!』と言いなさい。そして,だれでも渇いている者は来なさい。だれでも望む者は命の水を価なくして受けなさい」。「花嫁」級は,エホバの活動力,つまり霊と共に,新しい契約に入っていない人たちにその招待を差し伸べています。その招待は,いま墓の中で死んでいて死人の中から復活させられ,祝福されようとしている人たちに差し伸べられるのではなく,いま生きていてハルマゲドンでの滅びの危険にさらされながらも,聞く耳のある人たちに差し伸べられているのです。
13 (イ)「花嫁」級が招待を差し伸べてきたのは,むなしいことでしたか。説明してください。(ロ)その招待をすでに受け入れた人たちは,啓示 22章17節に従順に従って何をしていますか。(ハ)招待を差し伸べるのに残されている時間は,どうなっているに違いありませんか。
13 この招待が,特に1935年以来,全世界で差し伸べられてきたのは,むなしいことではありませんでした。300万人以上の人々が,来て飲みなさいという優しい招待に,すでにこたえ応じてきました。感謝の気持ちを抱いて聞いた人たちは,パラダイスとなる地上での終わりのない命を渇望している他のさらに多くの何百万もの人々に,「来なさい!」と従順に告げています。しかし,この優しい招待を「ほかの羊」に差し伸べる時間は限られています。その招待が半世紀余り差し伸べられてきた後,ハルマゲドンにおける神の戦いが人類の「この世代」に不気味に迫っている今,そのために残されている時は非常に短いに違いありません。―マタイ 24:34。
14 わたしたちは何に関してエホバに感謝と賛美をささげるべきでしょうか。
14 ですから今,エホバがご自分のみ名のために成員14万4,000人の民を生み出すという新しい契約の目的を首尾よく達成しておられる有能な仲介者を備えてくださったことに対して,エホバに感謝がささげられますように! 同時に,りっぱな羊飼いとしてのその仲介者が,増大する「ほかの羊」の何百万もの人々を「一つの群れ」にすでに導き入れておられるのですから,エホバがたたえられますように! それらの人々はその群れの中で,新しい契約が早くも人類にもたらしている恩恵にすでにあずかっているのです。
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新しい契約の終了後 ― 千年王国「平和の君」のもとで得られる世界的な安全
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1,2 (イ)今日,実施されている新しい契約の恩恵を受けている何百万もの人々を,だれになぞらえることができるでしょうか。(ロ)新しい契約の条項には何と述べられていますか。
世界中の何百万もの人々は,新しい契約に入っていませんが,施行されているその契約のすばらしい恩恵をすでに受けています。それらの人々は,モーセの律法契約が実施されていた時代にイスラエルで生活していた,イスラエル人以外の住民に似ています。(出エジプト記 20:10)現代の霊的なイスラエル人の残りの者と交わって恩恵を受けている,増大する,それら何百万もの人々は,どのようにしてそうなりましたか。
2 新しい契約の条項を定めた方は,エレミヤ 31章31節から34節の預言の中でこう言われました。「わたしは彼らの内にわたしの律法を置き,彼らの心の中にそれを書き記す。そして,わたしは彼らの神となり,彼らはわたしの民となるであろう」。
3 (イ)古いモーセの契約の律法はどんな形態でイスラエルに与えられましたか。(ロ)クリスチャン・ギリシャ語聖書が書き始められる以前に,神は新しい契約の律法をどこに書き記されましたか。
3 律法契約の場合,エホバ神は仲介者であるモーセを介して,『数々の定めから成っていた手書きの文書』を生来のイスラエルにお与えになりました。(コロサイ 2:14)では,新しい契約の律法についてはどうですか。その仲介者はその律法を石の上に刻んだり,写本に書いたりしようとはされませんでした。その仲介者はご自分の書いたものを何も残されませんでした。新しい契約の律法がどのようなものかは,霊感を受けて記されたクリスチャン・ギリシャ語聖書から確かめられます。(テモテ第二 3:16)しかし,クリスチャン・ギリシャ語聖書が西暦41年ごろに書き始められる以前でさえ,エホバ神は新しい契約の律法を書き始められました。それはいつでしたか。西暦33年のペンテコステの日のことでした。どこに書き始められましたか。それは,ずっと以前に,「わたしは,わたしの律法を彼らの思いの中に置き,それを彼らの心の中に書き記す」と約束された,まさにそのとおりの所に書き始められました。―ヘブライ 8:10。
4 神はその律法をご自分の僕たちの心に書き,その思いの中に置かれるので,どんな良い影響がもたらされるようになりましたか。
4 それらの律法は心に刻まれたのですから,それに従う人たちから愛されなくなるようなことは,まず考えられなかったでしょう。それらの律法が「彼らの思いの中に」置かれたのなら,それを忘れるようなことはまずなかったでしょう。ですから,それらの律法を守る人たちは,詩編 119編97節の言葉のとおり,「わたしはどんなにあなたの律法を愛していることでしょう。それは一日じゅうわたしの思いとなっています」と語ります。そのような人々は,エホバの仲介者イエス・キリストを通して与えられたその律法に,自分自身の最も深いところから発する愛情を注ぎます。ですから,正しい動機を抱いて,それらの貴重な律法を守ることを決意しています。このことは,新しい契約に入っている「小さな群れ」と,新しい契約に入ってはいませんが,そのもとにある「ほかの羊」の「大群衆」の双方に当てはまります。―ヨハネ第一 5:3; ヨハネ 14:15と比較してください。
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