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    2003 エホバの証人の年鑑
    • 1981年9月,アンドルー・リードとミリアム・リードは中央高原地帯で巡回奉仕に携わっていた時に逮捕されました。二人は10日間,この上ない不快な状態の下で,様々な拘置所に勾留されました。最後に,公安警察の司令部に連れて行かれました。二人はほとんどいつも別々の監房に入れられました。頻繁に尋問され,尋問はしばしば何時間にも及びました。責任ある兄弟たちの名前を聞き出すためでした。二人共,配偶者がCIAの手先であることを白状したと告げられました。しかし,リード夫妻は米国市民ですらなかったのです。最後には,全部間違いだったと告げられました。二人は正式な罪状を一度も知らされることなく,コスタリカに追放されました。しかし追放される前,エホバの証人が武器を取ることを拒否するのが受け入れられないことや,ニカラグア人は皆,祖国のために戦う覚悟がなければならないと告げられました。

      賢明にも,支部委員会は支部事務所が閉鎖された場合に備え,業を監督できるよう地元の兄弟たちの訓練にいっそう力を入れました。その一方で,巡回監督や代理の巡回監督のための課程,長老たちと一部の奉仕の僕たちのための一連の王国宣教学校,そして開拓奉仕学校が開かれました。

  • ニカラグア
    2003 エホバの証人の年鑑
    • 支部が閉鎖される

      1982年3月20日,土曜日の午前6時40分,イアン・ハンターは仲間の宣教者たちの朝食を準備していました。外に,出入国管理官や自動小銃で武装した兵士を乗せたバスが到着しました。兵士たちが支部事務所と宣教者ホームを包囲しました。イアンはこう言います。「管理官から,各自スーツケース1個と小型の手提げかばんに荷物をまとめるようにと言われました。理由は告げられず,ある取り調べをする間しばらく滞在する家に連れて行くとだけ言われました。支部委員会の調整者ライナー・トンプソンが,事務所に忍び込んで他の宣教者ホームに電話をかけ,起きている事柄を伝えました」。

      ルビー・ブロックはその時のことを振り返ってこう言います。「その日わたしは,『何事も思い煩ってはなりません。ただ,事ごとに祈りと祈願をし,……あなた方の請願を神に知っていただくようにしなさい。そうすれば,一切の考えに勝る神の平和が,あなた方の心と知力を,キリスト・イエスによって守ってくださるのです』というパウロの言葉の本当の意味を学びました。(フィリ 4:6,7)武装した兵士が厨房から監視する中で,ライナー・トンプソンがわたしたちのために祈りをささげました。わたしたちは皆,心から『アーメン』と言いました。祈りの後,心がすっかり平静になりました。その日がどんな日になるか分からなかったのにそうでした。どんなことが起きようと,エホバが対処するための力を与えてくださると確信しました。わたしは,その教訓を決して忘れないでしょう」。

      ハンター兄弟は,その後のいきさつをこう語っています。「わたしたちはバスに乗せられ,田舎の古いコーヒー農園に連れて行かれました。わたしは管理官たちに,わたしたち外国人は,自国の大使館に相談する権利があることを伝えました。管理官たちは,週の初めに出された非常事態宣言でその種の権利は無効になったし,国外に出ればだれとでも好きな人と話せると言いました。それは,ニカラグアから追放されることをにおわせる初めての言葉でした」。その日,支部に住んでいた9人の宣教者は,幾つかのグループに分けられて,コスタリカ国境へ連れて行かれました。

      一方,ほかの二つのホームにいた宣教者たちは,トンプソン兄弟の電話にしたがって素早く行動しました。地元の兄弟たちの助けを借りて,オフセット印刷機をはじめ多くの設備機器を移動し,身の回り品をたくさん処分しました。出入国管理官は到着した時,家の中がほとんど空っぽで,宣教者たちがスーツケースに荷物をまとめているのを見て驚きました。その晩,二つの宣教者ホームの10人の宣教者は空港に連れて行かれました。フィリス・ポーターは,その時のことを思い出してこう言います。「管理官たちは,わたしたちを反革命主義者だと言いました。それなのに,だれもわたしたちやわたしたちの手荷物を検査しませんでした。わたしたちは航空券を持っていませんでしたが,手荷物引き換え券でパナマに追放されることが分かりました」。国内に残ることができた宣教者は二人 ― 巡回奉仕に携わっていた英国人夫婦 ― だけでしたが,数か月後に国外追放になりました。

      幾日もしないうちに,宣教者たちはコスタリカ支部で再会しました。宣教者たちは統治体から,近隣のベリーズ,エクアドル,エルサルバドル,ホンジュラスで奉仕を続けるよう任命されました。ただ,ライナー・トンプソンとジーン・トンプソン,イアン・ハンターは,ニカラグアの業を監督している兄弟たちと連絡を保つために,しばらくの間コスタリカにとどまりました。

      ニカラグアの兄弟たちはどうしたでしょうか。ハンター兄弟は当時,次のように述べました。「愛する兄弟たちは,わたしたちが国外追放になるという知らせを聞いて少し涙を流したあとは,まっすぐに前進しています。新たに国内委員会に任命された兄弟たちは,しっかりと指導しています。兄弟たちが立派な働きをすることを,わたしたちは確信しています」。巡回監督として長年奉仕してきたニカラグア人のフェリクス・ペドロ・パイスは,宣教者たちが国外追放になったことを兄弟たちがどう感じたかについてこう述懐しています。「とても残念に思いました。宣教者たちは本当に自分たちを惜しみなくささげ,忠節を保っていました。宣教者たちが残した模範は,兄弟たちを力づけ,この国における業の強固な土台を据えました」。

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