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ナイジェリアで神の業を神の方法で行なうものみの塔 1990 | 8月15日
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急速な拡大
現在のベテルはこれまでにナイジェリアに設けられた最大の支部施設ですが,最初のものというわけではありません。最初の支部は,1930年に妻と娘を伴ってラゴスに移ったウィリアム・R・ブラウン兄弟によって設立されました。ブラウン一家が借りて住んでいた幾つかの部屋は協会の西アフリカ支部の本拠地となり,その支部は,ナイジェリア,ガーナ,およびシエラレオネにおける王国の業を指導しました。そのころナイジェリアにいた良いたよりの活発な宣明者はわずか7人でした。
当時その名を広く知られていたバイブル・ブラウンは,精力的かつ勇敢に良いたよりを宣べ伝えました。事務所のいすにじっと座っていることに満足せず,自動車や列車で国内を旅行して公開講演を行ない,非常に沢山の文書を配布しました。
王国の強力な音信が好意的な人々の思いと心に根を下ろすにつれ,熱心な王国宣明者がどんどん増えてゆきました。続く10年間は,1世紀当時のエルサレムと同様,『神の言葉は盛んになり,弟子の数は大いに殖えつづけました』。(使徒 6:7)1940年までに,ナイジェリアにおけるエホバの活発な賛美者の数は7人から1,051人へと急増したのです。
『小さな者が千となりました』が,これは始まりにすぎませんでした。(イザヤ 60:22)1947年に協会はギレアデ学校で訓練された3人の宣教者をラゴスに派遣しました。その一人,アンソニー・アットウッドはいまも任命地で活発に奉仕しています。アンソニーは当時のベテルを振り返って,こう述べています。「ベテルは靴屋の上にあり,三つの寝室と,居間兼事務所の部屋と,食堂がありました。ブラウン兄弟姉妹と子供たちが二つの寝室を使い,私たち3人の宣教者は三つ目の寝室に入り込みました。そこには三つのシングル・ベッドがどうにか収まるスペースと,作り付けのタンスが一つありました」。
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ナイジェリアで神の業を神の方法で行なうものみの塔 1990 | 8月15日
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[26ページの図版]
ブラウン兄弟とブラウン姉妹。1940年代の支部事務所の前で
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