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従順聖書に対する洞察,第1巻
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神のみ子は,命じられたことと同じような事柄を行なっても,その方法や動機が明らかに間違っている人々は,神の王国に入ることが決してなく,完全に退けられることをはっきりお示しになりました。―マタ 7:15-23。
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従順聖書に対する洞察,第1巻
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この点と調和して,神と人間との間の意思の伝達は,無情な独裁者の命令にも似た単なる手短な命令の連続ではありません。神は,人が手綱や,くつわや,はみによって獣から得るような従順を望まれません。(ヤコ 3:3; 詩 32:8,9と比較。)求められているのは,悪霊たちでさえキリストとその弟子たちに示したような形だけの従順や,いやいやながらの従順ではなく(マル 1:27; ルカ 10:17,20),感謝にあふれた心を動機とする従順です。(詩 112:1; 119:11,112; ロマ 6:17-19)ですからエホバは,ご自分の意志や目的を表明される時,それと共に,公正と義に関する人の感覚,愛や善良,知性や理性や知恵などに訴える有用な情報を付け加えられます。(申 10:12,13; ルカ 1:17; ロマ 12:1,2)心の態度の正しい人々は愛の気持ちから従います。(ヨハ一 5:2,3; ヨハ二 6)また,神の僕たちを通して与えられる音信の真実さや正しさは,それに従うよう聞く人々を説得します。それで使徒ペテロは,「真理に対する従順」について語り,「その結果偽善のない兄弟の愛情」が得られると述べました。―ペテ一 1:22。ロマ 2:8,9; ガラ 5:7,8と比較。
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従順聖書に対する洞察,第1巻
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従順には,神に対する健全な恐れもかかわっています。そのような恐れを持つ人は,神が全能者であられること,また,見くびられるような方でも侮られるような方でもないことを認めるからです。神は各人に対し,その行ないにしたがって報いる方です。(フィリ 2:12,13; ガラ 6:7,8; ヘブ 5:7と比較。)
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