ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • パプアニューギニア
    2011 エホバの証人の年鑑
    • 困難に面しても業を続ける

      パプアニューギニアで活動するさまざまな教会は,各伝道団の活動範囲を紳士協定によって定めていました。教会にはそれぞれの会派ごとの区域があり,他の会派はそこに入り込まないことになっていました。エホバの証人は言うまでもなく,人がどこに住んでいるかにかかわらず,聞こうとする人すべてに良いたよりを伝えます。この立場と,真理に耳を傾ける人々の好意的な反応が僧職者の怒りを買いました。

      ノーム・シャレーンはこう語ります。「ウェスト・ニューブリテン州の小さな島,クルマラク島に引っ越した時,真っ先に訪ねてきた人の一人が英国国教会の牧師でした。『君にはわたしの教区で伝道する権利はない。住民はすでにクリスチャンになっているんだ』と言われました。

      「後日のことです。大雨で海が荒れる中,わたしの聖書研究生が丸木舟を岸まで必死にこいで来るのが見えました。実際,そのような天候で海に出ることには命の危険があります。彼は舟を浜辺に引き上げ,息を切らしながら,教会の教師の率いるカトリック信者たちがわたしを襲いに舟で向かっていることを知らせてくれました。走って逃げられる場所などなかったので,エホバに知恵と力を祈り求めました。

      「舟が着き,15人ほどの男たちが降りてきました。赤い顔料を顔に塗りつけており,わたしに危害を加えるつもりであることは明らかでした。彼らがやって来るのを待つ代わりに,こちらから出向くことにしました。その時点では,怖いという気持ちはもう消えていました。近づいて行くと,男たちはわたしを口汚くののしりました。こちらが挑発に乗れば自分たちも手を出せるともくろんでいたようですが,あくまでも平静を保ちました。

      「その場には別の聖書研究生もいました。この島を実質的に所有する年配の男性です。その人はよかれと思って男たちに,『エホバの証人は戦わないぞ。この人を殴ってみれば分かる!』と言ったのです。

      「『いったいどっちの味方なんだ?』と内心つぶやき,黙っていてほしいと思いました。

      「しばらく冷静に話し合った後,男たちに帰ってもらえないだろうかと頼み,友好のしるしとしてリーダーに右手を差し伸べました。リーダーは戸惑いながら仲間を見回し,仲間もリーダーに視線を向けました。すると彼はわたしの手を取って握手してくれたのです。こうして緊張がほぐれ,全員と握手を交わしました。その後,男たちは立ち去り,わたしは胸をなで下ろしました。パウロがテモテに語った言葉を思い出しました。『主の奴隷は争う必要はありません。むしろ,すべての人に対して穏やかで,苦境のもとでも自分を制することが必要です』という言葉です」。―テモ二 2:24,25。

      ベルント・アンデルソンは,ハイランドのある村で起きたことについて述懐します。ある時,ルター派の牧師と70人ほどの男たちから成る暴徒がほかの村からやって来て,エホバの証人を追い出して王国会館を破壊しようとしました。ベルントは暴徒に会うため村の外れに行き,相手の出はなをくじきます。そして牧師に近づき,ルター派の伝道団が神の名をアヌトゥと呼ぶのはなぜか尋ねました。それはキリスト教世界の宣教師たちがその土地で用いている名です。牧師が,聖書に出ていると答えたので,ベルントは,どこにあるかと尋ねました。牧師は自分の聖書を開きましたが,いくら探してもそのような聖句は見つかりません。それでベルントは詩編 83編18節を読むよう勧めました。牧師はベルントに手を貸してもらって「詩編」を開き,その聖句を声に出して読み始めます。そしてエホバという名前に差しかかると,聖書を閉じて,「これはうそだ!」と声を上げました。もうあとの祭りです。不覚にも自分の聖書にけちをつけてしまったのです。この出来事の後,牧師の支持者の中でエホバの証人に対する態度を変えた人は少なくありませんでした。

      時には,宗教上の反対者たちが,ブッシュの材料で建てた王国会館を焼いてしまうこともありました。これはミルネ・ベイ州のアギ村でも起きました。この事件にかかわった放火犯の一人は,犯行時に泥酔していて,あとになって自分のしたことを深く悔やみました。実際,この人は後に兄弟たちに近づいて聖書研究を始め,その後,開拓者になりました。さらに,建て直された王国会館の隣にある,開拓者のための家に住むようになりました。今では,自分がまさに放火したその場所で,新しい建物を管理しているのです。

      現在では宗教上の迫害はおおむね収まっています。クレーグ・スピーグルは,「平和な時期に入っています」と言い,こうも続けます。

  • パプアニューギニア
    2011 エホバの証人の年鑑
    • やがてわたしはバガバグ島で12の家族と聖書研究を始めました。また,マダンで見た,グループで行なう聖書研究の仕方に倣って,おじの家で集会を定期的に開きました。この行動は父の怒りを買いました。父はルター派教会の主立った成員でした。「ヤハウェなら分かるがエホバなど知らん」と怒鳴りつけました。わたしはトク・ピシン語の聖書を開き,出エジプト記 3章15節の脚注を見せました。そこには神の名について説明されています。父は,返す言葉がありませんでした。

      父から3度,教会の指導者たちの前に出て自分の信仰について弁明するよう求められました。その審問の一つは,島で一番大きな教会で行なわれ,100人以上が詰めかけました。その場の雰囲気は張りつめたものでした。司会者は,「あなたの立場を説明しなさい」と迫りました。わたしは聖書をしっかり持って,「マタイ 6章33節に従って神の王国を第一にしたいだけです」と答えました。父はやにわに立ち上がって,「わたしたちを教えるつもりなのか」と声を荒げました。おじの一人がわたしを打とうと立ち上がりましたが,すかさず別の親族が止めに入りました。その場は収拾がつかなくなり,わたしは家に帰されました。

日本語出版物(1954-2026)
ログアウト
ログイン
  • 日本語
  • シェアする
  • 設定
  • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
  • 利用規約
  • プライバシーに関する方針
  • プライバシー設定
  • JW.ORG
  • ログイン
シェアする