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パラグアイ1998 エホバの証人の年鑑
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彼らは集会を,アスンシオンのアンテケラ通りとタクアリ通りの間の,現在ガスパル・ロドリゲス・デ・フランシア通り(以前はアマンバイ)と呼ばれている場所の個人の家で開きました。約4㍍四方の部屋で行なわれていたそうした集会には,わずか五,六人しか来ませんでした。この場所は1944年まで十分に使えました。
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パラグアイ1998 エホバの証人の年鑑
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まもなくロベルト・ゴラシクは,蓄音機と文書を持ち,馬の背にまたがって,証言をしにさまざまな入植地に出かけるようになっていました。最初は,そこでの集会は月に一回開かれていましたが,その後,月二回になり,次いで毎週一回になりました。時には五つの異なった言語グループの人が出席していることもありましたが,全員,聖書の真理という清い言語を少しずつ学んでゆきました。―ゼパ 3:9。
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