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パラグアイ1998 エホバの証人の年鑑
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宣教者の宿舎として,また会衆が集会を開く場所を備えるためにも,一軒の家を借りました。
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パラグアイ1998 エホバの証人の年鑑
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1946年が終わる前に,神権的な活動の中心地として使うための,もっと大きな施設が必要になりました。宣教者としてウィリアム・シリンガーとファーン・シリンガー,それに他の4人が到着し,宣教者が6人増えたのです。マリスカル・ロペス通りに面する大きな中庭付きの家が賃借されました。その建物は国防省の真向かいにありました。「王国会館」という大きな看板が目立つように正面の門に掲げてあったので,政府の軍の部局に関係する人たちはだれでもいや応無しにその看板を見ることになりました。
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パラグアイ1998 エホバの証人の年鑑
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軍の総本部にも攻撃が及ぶことを恐れた将軍は,軍事目的のために宣教者の家を徴発し,3日間で家から立ち退くよう兄弟たちに求めました。上訴を受けて期間は10日に延長されました。革命のさなかにあって,極端な住宅不足のおり,兄弟たちは自分たちも作戦を展開していると思いました。“家探し作戦”です。エホバは,パラグアイの政府高官たちにご自分の証人たちの存在をずっと意識させておくことを望まれたようです。借りることのできた唯一のふさわしい家は,幾つもの大使館が並ぶ通りの大統領官邸のすぐ隣でした。
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