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パラグアイ1998 エホバの証人の年鑑
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1939年に,パラグアイに最初の会衆,あるいは,当時知られていた呼び方で言う会が,組織されました。伝道者はわずか二人でしたが,二人とも熱心な福音宣明者でした。その奉仕年度の間に,野外奉仕に合計847時間を報告し,1,740冊の書籍や小冊子を配布しました。彼らは集会を,アスンシオンのアンテケラ通りとタクアリ通りの間の,現在ガスパル・ロドリゲス・デ・フランシア通り(以前はアマンバイ)と呼ばれている場所の個人の家で開きました。約4㍍四方の部屋で行なわれていたそうした集会には,わずか五,六人しか来ませんでした。この場所は1944年まで十分に使えました。
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パラグアイ1998 エホバの証人の年鑑
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アスンシオンにあった協会の文書集配所の監督が個人的な見解を唱道し始めました。その人がエホバの組織から離れると,他の人たちもエホバへの奉仕をやめました。王国宣明者の数は,1943年の33人から1944年には8人に減りました。その後どうなったでしょうか。エホバは,忠実な証人であることを示した人たちを祝福してくださり,組織は再び増加し始めました。―詩 37:28。
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