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過ぎ越し聖書に対する洞察,第1巻
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イスラエル人が約束の地に定住した後,過ぎ越しの祭りは各々の家や様々な都市で行なわれる代わりに,「エホバが選んでそのみ名をとどまらせる場所で」執り行なわれました。やがてエルサレムが,その選ばれた場所になりました。―申 16:1-8。
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過ぎ越し聖書に対する洞察,第1巻
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過ぎ越しの時の風習 イスラエル人のすべての男子と,割礼を受けた外人居留者のすべての男子が過ぎ越しを執り行なうのが律法の要求だったので,この祭りが行なわれるときになると,エルサレムでは大々的な準備が行なわれました。(民 9:9-14)これは,膨大な数の人々が前もって幾日かをかけてエルサレムに旅行することを意味していました。彼らは儀式的に自分たちを清めるため,過ぎ越しの前に到着しました。(ヨハ 11:55)ほぼ1か月前には,巡礼者たちの便宜を図って橋を準備したり道路を整えたりする目的で,男子が派遣されたと言われています。死体に触れると人は汚れた者となるので,旅行者を守るために特別な予防措置が講じられました。人が野原で死んだ場合,死体はそこに葬るのが習慣でしたから,1か月前にはそのような墓を白く塗って目立ちやすいようにしました。(「神殿」,A・エダーシェイム著,1874年,184,185ページ)書士とパリサイ人は「白く塗った墓」に似ているというイエスの言葉には,そのような背景があります。―マタ 23:27。
過ぎ越しの祝いのためにエルサレムに来る人々の便宜を図って,いろいろな家で宿舎が提供されました。ある東洋人の家では,どの部屋でも寝ることができ,一部屋に数人が泊まれました。また,その家の平屋根も用いることができました。それに加えて,祝いにあずかる人の中には,市の城壁の外,特にオリーブ山の山腹にあるベテパゲとベタニヤの二つの村で宿舎を得ることができた人たちも大勢いました。―マル 11:1; 14:3。
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