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1世紀のユダヤ人社会にキリスト教が広がるものみの塔 2005 | 10月15日
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[14ページの図表]
ディアスポラのユダヤ人に対する使徒パウロの関心
西暦49年のエルサレムでの会合の前
使徒 9:19,20 ダマスカス ― 『諸会堂で宣べ伝えはじめた』
使徒 9:29 エルサレム ― 『ギリシャ語を話すユダヤ人たちと話した』
使徒 13:5 キプロスのサラミス ― 『ユダヤ人の諸会堂で神の言葉を広めた』
使徒 13:14 ピシデアのアンティオキア ― 『会堂に入った』
使徒 14:1 イコニオム ― 『ユダヤ人の会堂の中に入った』
西暦49年のエルサレムでの会合の後
使徒 16:14 フィリピ ― 『神の崇拝者であるルデア』
使徒 17:1 テサロニケ ― 「ユダヤ人の会堂」
使徒 17:10 ベレア ― 「ユダヤ人の会堂」
使徒 17:17 アテネ ― 『会堂でユダヤ人と論じた』
使徒 18:4 コリント ― 『会堂で話をした』
使徒 18:19 エフェソス ― 「会堂の中に入ってユダヤ人たちと論じた」
使徒 19:8 エフェソス ― 『会堂に入って三か月のあいだ大胆に語った』
使徒 28:17 ローマ ― 「ユダヤ人の主立った人々を呼び集めた」
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1世紀のユダヤ人社会にキリスト教が広がるものみの塔 2005 | 10月15日
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パウロの旅行とディアスポラのユダヤ人
使徒パウロが最初に受けた割り当ては,「[イエス・キリスト]の名を諸国民に,また王たちやイスラエルの子らに携えて行く」ことでした。b (使徒 9:15)エルサレムでの会合の後も,パウロは行く先々でディアスポラのユダヤ人に接する努力を続けました。(14ページの囲みをご覧ください。)このことは,区域に関するその合意が地理的な区分に関するものであったことを示唆しています。パウロとバルナバは宣教活動を西方に進め,他の弟子たちはユダヤ本国と東方世界の各地にある大きなユダヤ人社会で奉仕をしたのです。
パウロの一行は,2回目の宣教旅行のためにシリアのアンティオキアを出発した後,西方に向かい,小アジアを経てトロアスに着きました。そこからマケドニアに渡りましたが,それは,「[マケドニア人]に良いたよりを宣明するため神がわたしたちを呼び寄せてくださったのだ」と判断したためでした。後に,アテネやコリントを含めヨーロッパの他の都市にもクリスチャン会衆が発足してゆきました。―使徒 15:40,41; 16:6-10; 17:1–18:18。
西暦56年ごろ,3回目の宣教旅行の終わりに,パウロはさらに西方に進むことを計画し,エルサレムの会合で自分に割り当てられた区域をさらに広げようとしました。「わたしには,ローマにいるあなた方にも良いたよりを宣明したいという意欲がある」と書き,さらに「あなた方のところを通ってスペインに出発することになるでしょう」とも述べています。(ローマ 1:15; 15:23,24,28)
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