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「誰かが救われないとしても私は潔白で[す]」神の王国について徹底的に教える
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21章
「誰かが救われないとしても私は潔白で[す]」
パウロは熱心に宣教を続け,長老たちにアドバイスした
1-3. (ア)ユテコはどんなことがあって亡くなりましたか。(イ)パウロはどうしましたか。この出来事からパウロについてどんなことが分かりますか。
パウロがいるトロアスの階上の部屋は,人でいっぱいです。兄弟たちと過ごす最後の晩なので,パウロの話は長くなり,もう真夜中になりました。かなりの数のランプがともされ,部屋は暖かくなっています。空気がよどんでいる感じもします。窓の所にユテコという若者が座っています。パウロの話の間にユテコは眠り込み,3階の窓から落ちてしまいました。
2 医者のルカは,真っ先に外に出て,ユテコのそばに駆け寄ったはずです。残念なことに,もう手の施しようがありません。「抱き起こしてみると,死んで」いました。(使徒 20:9)でも,奇跡が起きます。パウロがユテコの上にかがみ込んでから,みんなに向かって言います。「騒ぐのはやめなさい。生きています」。パウロはユテコを生き返らせました。(使徒 20:10)
3 神の聖なる力のすごさが分かる出来事でした。ユテコが死んだのはパウロのせいではありませんでした。でもパウロは,兄弟たちとの最後のひとときが悲しい思い出になってほしくありません。ユテコが死んだことでみんなの信仰が揺らぐことになってほしくもありません。それで,ユテコを生き返らせることで,宣教を続けられるようみんなを元気づけました。パウロは一人一人の命について責任を感じていました。「誰かが救われないとしても私は潔白で[す]」というパウロの言葉にも,そのことが表れています。(使徒 20:26)私たちも同じ見方ができるよう,パウロから学びましょう。
「マケドニアへ旅立った」(使徒 20:1,2)
4. パウロはエフェソスでどんな怖い思いをしましたか。
4 前の章で見たように,パウロはエフェソスで怖い思いをしました。パウロの宣教が人々の反感を買い,騒動になりました。アルテミスの像を作る銀細工人たちが暴動を起こしたのです。「騒動が収まった後,パウロは弟子たちを呼び寄せて励まし,別れを告げてから,マケドニアへ旅立」ちました。(使徒 20:1)
5,6. (ア)パウロはマケドニアにどれくらいいたと考えられますか。そこで何をしましたか。(イ)パウロはいつもどんな姿勢で兄弟たちに接しましたか。
5 マケドニア地方へ行く途中,パウロは港町トロアスに立ち寄ります。コリントに遣わしていたテトスが合流するのを,そこで待つことにしました。(コリ二 2:12,13)でも,テトスはやって来ないことが分かります。それで,マケドニア地方に行き,「人々にたくさんの励ましの言葉を掛け」ました。そこに半年ほどいたと思われます。a (使徒 20:2)マケドニアにいる間にテトスがついにやって来ます。そしてテトスから,コリントのクリスチャンについての良い報告を聞きます。彼らが最初の手紙を前向きに受け止めたことを話してくれたのです。(コリ二 7:5-7)報告を受けて,パウロは第二の手紙を書くことにしました。
6 ルカは,パウロがエフェソスの兄弟たちのこともマケドニアの兄弟たちのことも「励まし」たと書いています。兄弟たちへのパウロの思いが伝わってきます。パウロは兄弟たちを仲間だと思っていました。人を下に見るパリサイ派の人たちとは大違いです。(ヨハ 7:47-49)パウロははっきり助言しなければいけないときも,そういう姿勢で兄弟たちに接しました。(コリ二 2:4)
7. 現代の監督たちはどのようにパウロに倣えますか。
7 現代の会衆の長老や巡回監督は,パウロに倣おうと努力しています。戒めを与える時でも,相手の支えになることを心掛けます。厳しく責めるのではなく,相手の身になって考え,力づけようとします。経験豊かな巡回監督はこう言っています。「兄弟姉妹のほとんどは正しいことをしたいと思っています。でも,いろんなストレスや不安を抱えていたり,何をどうしたらよいかが分からなくなったりしています」。監督たちはそういう仲間に寄り添って,力になろうとします。(ヘブ 12:12,13)
「陰謀を巡らした」(使徒 20:3,4)
8,9. (ア)パウロが船でシリアに向かう計画を変更せざるを得なくなったのはどうしてですか。(イ)ユダヤ人たちがパウロのことを憎んでいたのは,どうしてだと考えられますか。
8 パウロはマケドニア地方を出て,コリントに行きます。b そこで3カ月過ごし,その後,ケンクレアに向かおうとします。シリア行きの船に乗るためです。シリア地方に着いたらエルサレムに行って,生活に困っている兄弟たちに寄付金を届けるつもりでした。c (使徒 24:17。ロマ 15:25,26)ところが,思わぬことが起き,計画を変更せざるを得なくなります。パウロに「対してユダヤ人が陰謀を巡らし」たのです。(使徒 20:3)
9 ユダヤ人たちは,パウロのことが憎くてたまりません。ユダヤ教を捨てた背教者だ,と考えています。すでに以前,コリントの会堂の役員クリスポが,パウロの話を聞いてクリスチャンになりました。(使徒 18:7,8。コリ一 1:14)別の時には,コリントのユダヤ人たちが,アカイアの執政官代理ガリオにパウロについて抗議すると,根拠がないとして訴えが却下されました。ユダヤ人たちは激怒しました。(使徒 18:12-17)コリントのユダヤ人たちは,パウロが間もなく近くのケンクレアから船に乗ると思ったようです。そういう情報を聞いたのかもしれません。パウロをそこで待ち伏せしようと考えます。パウロはどうするでしょうか。
10. パウロがケンクレアに行くのをやめたのは臆病だったからではありません。どうしてそういえますか。
10 パウロは,身の安全と託された寄付金のことを考えて,ケンクレアには行かないことにします。来た道を引き返してマケドニア地方を通ることにしました。陸路の旅にも危険はあります。当時の道には盗賊が出没し,宿屋も安全とは言えませんでした。それでもパウロは,ケンクレアに行くよりは危険が少ないと考えました。幸い,一人旅ではありません。この間,パウロの宣教旅行に同行した人たちに,アリスタルコ,ガイオ,セクンド,ソパテロ,テキコ,テモテ,トロフィモがいます。(使徒 20:3,4)
11. 私たちはどのように安全を意識した行動を取りますか。イエスはどのように身の安全を守りましたか。
11 現代のクリスチャンも,パウロのように安全を意識しながら伝道します。地域によっては,1人ではなくグループで,少なくとも2人で行動します。迫害されるときはどうでしょうか。迫害は避けて通れないことを私たちは知っています。(ヨハ 15:20。テモ二 3:12)でも,あえて危険な目に遭うようなことはしません。イエスもそうでした。エルサレムで石を投げ付けられそうになった時,「イエスは身を隠し,神殿から出て」いきました。(ヨハ 8:59)ユダヤ人たちがイエスを殺そうとたくらんでいた時も,「イエスはもうユダヤ人の間を表立って歩くことはせず,荒野に近い地方……に行き」ました。(ヨハ 11:54)イエスはいつも神の考えに合わせて行動しつつ,必要なときには身の安全を守りました。私たちもそうします。(マタ 10:16)
「大変慰められた」(使徒 20:5-12)
12,13. (ア)ユテコが生き返り,兄弟たちはどんな気持ちになりましたか。(イ)大切な人を亡くしても,どんな希望があるので慰められますか。
12 パウロの一行は,マケドニア地方を一緒に旅した後,いったん別れたようです。それからトロアスで落ち合ったと思われます。d 「5日もしないうちにトロアスで彼らに合流した」と書かれています。e (使徒 20:6)この章の冒頭で見たように,パウロが若者ユテコを生き返らせたのは,この町でのことでした。ユテコが生き返ったのを見て,兄弟たちはどんなにか喜んだことでしょう。「大変慰められた」と記録されています。(使徒 20:12)
13 もちろん,今はそういう奇跡は起きません。でも,亡くなった大切な人たちが将来生き返ることを考えると,「大変慰められ」ます。(ヨハ 5:28,29)復活したユテコは,依然として完全ではなかったので,やがてまた死にました。(ロマ 6:23)でも,神の新しい世界で生き返る人たちは,いつまでもずっと生きられます。復活して天でイエスと一緒に王になる人たちは,不滅性も与えられます。(コリ一 15:51-53)天に行くクリスチャンも「ほかの羊」のクリスチャンも,復活の希望があるので「大変慰められ」ています。(ヨハ 10:16)
「人々の前で,また家から家へと」(使徒 20:13-24)
14. ミレトスで会ったエフェソスの長老たちに,パウロはどんなことを言いましたか。
14 パウロの一行はトロアスからアソスへ,それからミテレネ,キオス,サモス,ミレトスへと進みます。パウロは,ペンテコステの祭りの日までにエルサレムに着きたいと思っています。急いでいたので,エフェソスには寄らない船を選びました。でも,エフェソスの長老たちと話したいと思っていたので,ミレトスに会いに来てほしいと伝えます。(使徒 20:13-17)長老たちがやって来ると,パウロはこう言いました。「アジア州に足を踏み入れた最初の日から私が皆さんの間でどう行動したか,皆さんはよく知っています。涙を流し,ユダヤ人たちの陰謀による試練に遭いながら,ただただ謙遜に主のために一生懸命働きました。ためらうことなく,有益なことを何でも皆さんに話し,人々の前で,また家から家へと,皆さんを教えました。神に対する悔い改めと私たちの主イエスへの信仰について,ユダヤ人にもギリシャ人にも徹底的に知らせました」。(使徒 20:18-21)
15. 家を一軒一軒訪ねることには,どんな利点がありますか。
15 現在,良い知らせがいろいろな方法で伝えられています。私たちもパウロのように,人のいる所に出掛けていきます。駅でも,人通りが多い道でも,商店街でも伝道します。でも,エホバの証人が伝道するメインの方法は,家を一軒一軒訪ねることです。どうしてでしょうか。家を一軒一軒訪ねれば,人々に漏れなく,定期的に良い知らせを伝えられるからです。エホバは,全ての人に公平に神の王国について知らせたいと思っています。また,家を訪問すれば,一人一人に寄り添った教え方ができます。私たちとしても信仰が強まり,諦めずに続ける力が身に付きます。「人々の前で,また家から家へと」熱心に伝道するのが,本当のクリスチャンです。
16,17. パウロはどんな覚悟でいましたか。現代のクリスチャンはどのようにパウロに倣っていますか。
16 次にパウロはエフェソスの長老たちに,エルサレムでどんな危険が待っているか分からないと話します。そして,こう続けます。「そうだとしても,自分の走路を走り通し,主イエスから受けた奉仕をやり遂げることさえできれば,私は自分の命を少しも惜しいとは思いません。神の惜しみない親切に関する良い知らせを徹底的に伝えます」。(使徒 20:24)パウロは,たとえ病気や迫害のために命を失うことになっても,エホバから与えられた任務を最後までやり遂げるつもりでした。
17 現代のクリスチャンも,いろいろな逆境に立ち向かっています。政府によって活動を禁じられたり,迫害を受けたりしています。心や体の病気と闘っている人もいます。若い人たちは学校でのいじめや誘惑と闘っています。問題はいろいろでも,みんなパウロのように堂々としていて勇敢です。「良い知らせを徹底的に伝え」ることを決意しています。
「自分自身と群れ全体に注意を払ってください」(使徒 20:25-38)
18. パウロが自分は潔白だと言えたのはどうしてですか。エフェソスの長老たちも潔白でいるには,どうすることが大切でしたか。
18 パウロは続けて,自分がしてきたことについてエフェソスの長老たちに話します。そして,今後注意すべきことについてはっきり伝えます。皆さんに会うのはこれが最後になると言ってから,こう話します。「誰かが救われないとしても私は潔白で[す]。私はためらうことなく神の意志を全て皆さんに伝えたからです」。エフェソスの長老たちも潔白でいるためには,どうすることが大切でしょうか。パウロは言います。「自分自身と群れ全体に注意を払ってください。神が聖なる力によって皆さんを群れの監督に任命しました。神の会衆を牧者として世話するためであり,その会衆を神は自分の子の血によって買い取ったのです」。(使徒 20:26-28)パウロはそれから,「圧制的なオオカミ」が会衆に入り込み,「弟子たちを引き離して自分に付かせようとして曲がった事柄を言う」と警告します。パウロは長老たちに何とアドバイスするでしょうか。「目覚めていなさい。そして,私が3年間,昼も夜も,涙を流して皆さん一人一人を訓戒し続けたことを忘れないでください」と言いました。(使徒 20:29-31)
19. 1世紀の終わりにはどのような背教が見られましたか。その後の時代はどうでしたか。
19 1世紀の終わり頃には,すでに「圧制的なオオカミ」が現れていました。98年ごろ,使徒ヨハネはこう書いています。「今や多くの反キリストが現れました。……彼らは私たちから去っていきましたが,もともと仲間ではありませんでした。もし仲間だったなら,ずっと私たちと一緒にいたはずです」。(ヨハ一 2:18,19)3世紀までには,背教が進んで聖職者階級がつくられ,4世紀には,コンスタンティヌス帝が,腐敗した偽のキリスト教を公式に認可しました。聖職者たちが異教の儀式を次々と取り入れて,あたかもキリスト教のものであるかのように見せ掛けました。「曲がった事柄を言う」とパウロが言っていた通りです。今も一般のキリスト教には,正しくない教えや習慣が受け継がれています。
20,21. 見返りを求めないパウロの姿勢は,どんなところに表れていますか。現代の長老たちはどのようにパウロに倣っていますか。
20 聖職者たちは,信者たちを利用して私腹を肥やそうとしましたが,パウロは全く違っていました。自分で働いて生計を立て,会衆に負担を掛けないようにしました。兄弟姉妹のために何かをするときも,金品を要求したりはしませんでした。エフェソスの長老たちに,見返りを求めずに仲間を助けるよう勧めています。こう言いました。「弱い人たちを援助しなければならないこと,また,主イエス自身が述べた『受けるより与える方が幸福である』という言葉を覚えておかなければな[りません]」。(使徒 20:35)
21 現代の長老たちもパウロと同じようにしています。見返りを求めずに,「神の会衆を牧者として世話」しています。信者たちを都合よく利用する聖職者たちとは全く違います。本当のクリスチャンは,おごり高ぶったり野心を抱いたりしません。「自分の栄誉」を求める人はいずれうまくいかなくなり,「恥をか」きます。(格 11:2; 25:27)
「皆が多くの涙を流し[た]」。使徒 20:37
22. パウロが兄弟たちから愛されたのはどうしてですか。
22 パウロは兄弟たちを心から愛していたので,兄弟たちからとても愛されました。パウロが出発する時には,「皆が多くの涙を流し,パウロを抱いて優しく口づけし」ました。(使徒 20:37,38)私たちも,会衆のために見返りを求めずに働く兄弟たちのことを愛し,大切に思っています。パウロがどれほどのことをしたかを考えると,「誰かが救われないとしても私は潔白で[す]」という言葉は決して大げさではなかったことが分かります。(使徒 20:26)
a 「パウロがマケドニアで書いた手紙」という囲みを参照。
b パウロはコリントにいたこの期間中に,「ローマのクリスチャンへの手紙」を書いたと思われます。
c 「パウロは寄付金を届けた」という囲みを参照。
d 使徒 20章5,6節でルカは,「私たち」という語を使っています。それで,ルカはこの時フィリピから再びパウロの旅に加わったようです。ルカは以前フィリピでパウロと別れ,その後もそこにとどまっていたと思われます。(使徒 16:10-17,40)
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「エホバの望まれることが行われますように」神の王国について徹底的に教える
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22章
「エホバの望まれることが行われますように」
神からの使命を果たす決意で,パウロはエルサレムに行く
1-4. パウロがエルサレムに行くのはどうしてですか。そこでどんなことが待っていますか。
パウロとルカはミレトスから旅立とうとしています。親しくなったエフェソスの長老たちと別れなければいけません。とてもつらく,後ろ髪を引かれる思いです。船の甲板に立った2人のそばには,旅の荷物が置かれています。生活に困っているユダヤの兄弟たちのために集めたお金も入っています。その寄付金をエルサレムまで確実に届けたいと思っています。
2 そよ風が吹く中,船は帆を膨らませ,にぎやかな港を離れます。パウロとルカ,同行する7人の兄弟たちは,埠頭で悲しそうな顔をしている兄弟たちを見つめます。(使徒 20:4,14,15)かすんで見えなくなるまで,手を振り続けます。
3 この3年ほどの間,パウロはエフェソスの長老たちと一緒に働いてきました。でも,聖なる力に導かれて,これからエルサレムに行きます。そこでどんなことが待っているか,ある程度は分かっています。長老たちにこう言っていました。「私は聖なる力に促されて(直訳,「縛られて」)エルサレムに旅をしています。もっとも,そこで自分に起きることを知りません。ただ,どの町でも,聖なる力が繰り返し私に,拘禁と苦難が待っていることを告げるのです」。(使徒 20:22,23,脚注)危険が待っているとはいえ,パウロは「聖なる力に縛られて」いると感じています。「エルサレムに行くようにという聖なる力の導きは絶対だ。それに従いたい」と思っています。命を軽く見てはいませんが,神が望んでいる通りに行動したいと思っています。
4 私たちも同じように考えています。エホバに祈って献身した時,これからはあなたが望んでいることをするために生きていきます,と約束しました。では,その約束を守れるよう,パウロの生き方から学びましょう。
「キプロス島」を通り過ぎる(使徒 21:1-3)
5. パウロたちはどんなルートでティルスに向かいましたか。
5 パウロたちが乗った船はコスに「直行し」ます。追い風を受けて,タッキングをせずに順調に進み,その日のうちに着きました。(使徒 21:1)船はコスで1晩停泊したようです。その後ロードス,そしてパタラに行きます。小アジアの南岸のパタラで,一行は大型貨物船に乗り換え,直接フェニキアのティルスに向かいます。その途中,「キプロス島……を左にして」通り過ぎました。(使徒 21:3)通り過ぎたキプロス島について,ルカがわざわざ書いたのはどうしてでしょうか。
6. (ア)パウロはキプロス島を見て元気が出たかもしれません。どうしてですか。(イ)エホバがうれしい経験をさせてくれたことや支えてくれたことを思い返すと,どんな気持ちになりますか。
6 パウロがキプロス島を指さして,そこで経験したことを話したのかもしれません。9年ほど前,パウロはバルナバやヨハネ・マルコと一緒に1度目の宣教旅行をした時,キプロス島で伝道しました。そこで,呪術師エルマからの妨害に遭いました。(使徒 13:4-12)キプロス島を見たパウロは,エホバがその時に助けてくれたことを思い出し,これからも何があっても大丈夫だと思ったかもしれません。私たちも,エホバがうれしい経験をさせてくれたことや,試練の時に支えてくれたことを思い返すと,元気が出てきます。ダビデが言った通りだと思うはずです。「正しい人は多くの苦難に遭う。しかし,エホバがその全てから助け出してくださる」。(詩 34:19)
「私たちは弟子たちを捜し当て[た]」(使徒 21:4-9)
7. ティルスに着いたパウロたちは何をしましたか。
7 パウロは仲間の大切さを知っていて,一緒にいたいと思っていました。ティルスに着くと「私たちは弟子たちを捜し当て[た]」と,ルカは書いています。(使徒 21:4)一行は,ティルスにもクリスチャンがいることを知っていたので,捜すことにしたわけです。見つけた仲間の家に泊まったと思われます。うれしいことに,私たちクリスチャンには,どこに行っても歓迎してくれる仲間がいます。エホバを愛し,エホバに仕える人には,世界中に友達がいます。
8. 使徒 21章4節の記録はどういうことですか。
8 ティルスにいた7日の間にあったことについて,ルカはこう書いています。「弟子たちは聖なる力によって知らせを受け,パウロに,エルサレムに足を踏み入れないようにと繰り返し告げた」。(使徒 21:4)これはいったいどういうことでしょう。エホバは考えを変えたのでしょうか。エルサレムに行くのはやめるように,と指示しているのでしょうか。そうではありません。この時より前に聖なる力は,エルサレムでひどい仕打ちを受けるとパウロに告げていましたが,そこに行ってはいけないとは言っていませんでした。ティルスの兄弟たちも,パウロがエルサレムで危険な目に遭うことを,この時聖なる力によって知ったようです。それで,心配するあまり,行かないように勧めました。パウロに苦しい思いをさせたくなかった兄弟たちの気持ちも分かります。それでもパウロは,エホバの望んでいる通りに行動すると決めていたので,エルサレムへの旅を続けました。(使徒 21:12)
9,10. (ア)エルサレムに行かないようにと兄弟たちから言われて,パウロはどんなことを思い浮かべたかもしれませんか。(イ)今の世の中でも,どんな考えがよく聞かれますか。それはイエスが言っていることとどのように違いますか。
9 エルサレムに行かないようにと兄弟たちから言われて,パウロはイエスのことを思い浮かべたかもしれません。イエスも同じようなことを言われました。自分がエルサレムに行き,いろいろな苦しみを味わい,殺されるということを弟子たちに話した時,ペテロが思わずこう言いました。「主よ,自分を大切にしてください。決してそのような目には遭いません」。イエスはこう答えました。「私の後ろに下がれ,サタン! あなたは私の邪魔をしています。神の考えではなく,人間の考えを抱いているからです」。(マタ 16:21-23)イエスは,神からの使命を果たすために命を犠牲にする覚悟でいました。パウロも同じ気持ちでいます。ティルスの兄弟たちはペテロと同じく,相手のことを思っていましたが,神の考えをきちんと理解できていませんでした。
イエスの後に従うには,自分のしたいことを後回しにしなければいけないときがある。
10 今の世の中でも,自分を大切にしようとか,楽に生きようといった考えがよく聞かれます。何かを信仰するとしても,あまり多くのことが求められない楽な宗教が選ばれがちです。でも,そういう考え方はイエスが教えていることとは違います。「誰でも私に付いてきたいと思うなら,自分を捨て,苦しみの杭を持ち上げ,絶えず私の後に従いなさい」。(マタ 16:24)イエスの後に従うのは正しい生き方で,賢い選択ですが,決して楽な道ではありません。
11. ティルスの弟子たちがパウロを愛していたことは,どんなことから分かりますか。
11 パウロとルカたちが出発する時間がやって来ました。心温まる別れの場面が記録されています。ティルスの兄弟たちはパウロのことを心から愛し,応援しています。兄弟姉妹や子供たちがパウロとルカたちに浜辺まで付いていきます。そこでみんなでひざまずいて祈り,別れを告げます。それから,一行は船に乗ってプトレマイスに向かいます。プトレマイスに着くと兄弟たちに会い,1日一緒に過ごしました。(使徒 21:5-7)
12,13. (ア)フィリポはどんな奉仕をしてきましたか。(イ)クリスチャンの父親はフィリポのどんなところに倣えますか。
12 ルカの記録によると,パウロたちは次にカエサレアに向かいます。そこに着いてから,「福音伝道者フィリポの家に入」りました。a (使徒 21:8)パウロたちはフィリポとの再会を喜んだはずです。20年ほど前,エルサレムでクリスチャン会衆が発足して間もない頃,フィリポは使徒たちから,食料を配る仕事を任されました。フィリポはその頃からずっと熱心に奉仕してきました。迫害によって弟子たちが散り散りになった時には,サマリアに行って伝道しました。その後,エチオピアの宦官に伝道し,バプテスマを施しました。(使徒 6:2-6; 8:4-13,26-38)フィリポは本当によくやってきていました。
13 今もフィリポは宣教への情熱を持っています。ルカは彼のことを「福音伝道者」と呼んでいます。カエサレアに落ち着いてからも熱心に伝道していたことが分かります。フィリポにはこの時,娘が4人いて,どの娘も預言していました。父親の生き方に倣っていたのです。b (使徒 21:9)フィリポはエホバについて家族によく教えていたことでしょう。現代でも,クリスチャンの父親たちがフィリポに倣っています。進んで伝道に出掛け,宣教を好きになれるよう子供たちを助けています。
14. パウロたちと各地の兄弟たちは,どんなひとときを過ごしましたか。現代でもどんな機会がありますか。
14 パウロは行く先々で仲間のクリスチャンを捜し,一緒に時を過ごしました。クリスチャンたちは喜んでパウロたちを迎え,もてなしたことでしょう。そうやってみんなで「励まし合う」ことができました。(ロマ 1:11,12)現代でも,巡回監督と妻が来る時,簡素な家でも泊まれる場所を提供するなら,思い出になるひとときを過ごせます。(ロマ 12:13)
「死ぬ覚悟もできています」(使徒 21:10-14)
15,16. アガボはどんなことを伝えましたか。みんなはそれを聞いてどうしましたか。
15 パウロがフィリポの家に泊まっている間に,アガボという人が訪ねてきます。フィリポの家に集まっていた人たちは,アガボが預言者だと知っています。アガボは以前,クラウディウスの治世中の大飢饉を予告しました。(使徒 11:27,28)「アガボはどうして来たのだろう。何を話すのだろう」とみんな思ったはずです。みんながじっと見ていると,アガボはパウロの帯を取ります。それは腰に巻いて使う布の帯で,お金などを入れることができました。アガボは帯で自分の両手足を縛り,不穏なことを伝えます。「神が聖なる力によってこう言っています。『ユダヤ人はこの帯の持ち主をエルサレムでこのように縛り,異国の人々に引き渡す』」。(使徒 21:11)
16 この預言から,パウロがエルサレムに行くことが分かります。そこでユダヤ人たちによって「異国の人々に引き渡」されることも分かります。かなりショッキングな預言です。みんなどうするでしょうか。ルカはこう書いています。「これを聞いて,私たちもそこの人たちも,エルサレムに上らないようにとパウロに頼み始めた。パウロはこう答えた。『どうして泣いたり私の決意を弱めようとしたりするのですか。大丈夫です。私は,縛られることはもちろん,主イエスの名のためにエルサレムで死ぬ覚悟もできています』」。(使徒 21:12,13)
17,18. パウロの決意はどれほど固いものでしたか。兄弟たちはどうしましたか。
17 この時の様子を思い浮かべてみてください。兄弟たちがパウロに,どうか行かないでほしいとお願いしています。ルカもそうしています。泣いている人もいます。パウロは,みんなが自分の「決意を弱めようとし」ている(ほかの訳では「心をひどく悲しませ」ている)と言います。もちろん,自分のことを思って言ってくれているのが分かるので,口調は優しかったはずです。それでも,ティルスの時と同じように,パウロの決意は変わりません。どんなに泣いてお願いされても,心は揺らぎません。「主イエスの名のために」どうしても行かなければいけないと言います。何という勇気でしょう。かつてのイエスと同じように,エルサレムに行くと固く心に決めています。(ヘブ 12:2)パウロは死にたかったわけではありませんが,たとえそうなっても,キリスト・イエスの後に従って死ぬのであれば,それは本望でした。
18 兄弟たちはどうしたでしょうか。パウロの考えを尊重しました。こうあります。「パウロが聞き入れようとしないので,私たちは反対するのをやめ,『エホバの望まれることが行われますように』と言った」。(使徒 21:14)兄弟たちは,それ以上パウロを説得しようとはしませんでした。行ってほしくはありませんでしたが,これはエホバが望んでいることだと認め,止めないことにしました。パウロはすでに,命を懸けて使命を果たすつもりでやってきていました。みんな愛してくれているとはいえ,パウロにとっては止めずにいてくれた方がよかったでしょう。
19. パウロが経験したことから,どんなことを学べますか。
19 この出来事から大切なことを学べます。エホバや仲間のために力を尽くそうとする人を思いとどまらせたくはありません。パウロのように命が関わるとき以外でも気を付けたいと思います。例えば,子供が家を離れて,遠い所で奉仕するようなとき,親はさみしいと感じるかもしれません。でも,子供の意気をくじくようなことはしません。イギリスのフィリスは,一人娘がアフリカで宣教者として奉仕することになった時のことをこう話しています。「複雑な気持ちでした。娘がそんなに遠くに行くのは,つらいことでした。誇らしく思うとともに,さみしいと感じました。何度も祈りました。それでも,本人が決めたことなので,帰ってくるようにと言ったことはありません。娘が子供の頃から,神の王国のためにベストを尽くして働くよう教えてきました。娘はこれまで30年,外国で奉仕してきました。そうやって奉仕し続けていることを毎日エホバに感謝しています」。エホバのために何でもしようとする仲間を応援したいと思います。
エホバのために力を尽くす人たちを応援しましょう。
「兄弟たちが喜んで迎えてくれた」(使徒 21:15-17)
20,21. パウロが仲間との時間を大切にしていたことは,どんなことから分かりますか。そういう時間を大切にしていたのはどうしてですか。
20 パウロは支度を整え,旅を続けます。パウロをサポートするため,カエサレアの兄弟たちも付いていきます。エルサレムへの旅の間,パウロたちはいつも兄弟姉妹に会って,同じ時間を過ごそうとしました。ティルスでは,弟子たちを捜し出し,7日間一緒にいました。プトレマイスでは,兄弟姉妹に会いに行き,1日一緒に過ごしました。カエサレアでは,フィリポの家に何日か滞在しました。その後,カエサレアの兄弟たちに,エルサレムにいる初期の弟子ムナソンの家に連れていってもらい,歓迎されます。「エルサレムに着くと,兄弟たちが喜んで迎えてくれた」と,ルカは書いています。(使徒 21:17)
21 パウロは仲間と一緒にいたいと思っていました。私たちと同じように,兄弟姉妹から元気をもらいました。そういう仲間の支えのおかげで,パウロは命を狙う敵たちに立ち向かうことができました。
a 「カエサレア ローマの属州ユダヤの州都」という囲みを参照。
b 「女性は会衆の中で教える立場に就けたか」という囲みを参照。
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