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  • エホバの言葉は行き渡る!
    ものみの塔 1990 | 6月15日
    • エホバの言葉はエフェソスで行き渡る

      17 アポロと他の幾人かの人たちは,バプテスマに関してどんな指示を必要としていましたか。

      17 程なくパウロは3回目の宣教旅行を開始します(西暦およそ52-56年)。(18:23-19:7)その間エフェソスでは,アポロがイエスについて教えていましたが,彼は律法契約に違反した罪の悔い改めを象徴するヨハネのバプテスマしか知りませんでした。プリスキラとアクラはアポロに「神の道をより正しく説き明かし」ました。きっと,イエスのようにバプテスマを受けることには,水の浸礼を受け,注ぎ出される聖霊を受けることが含まれることを説明したのでしょう。西暦33年のペンテコステの日に聖霊によるバプテスマが行なわれた後,ヨハネのバプテスマを受けていた人は皆,イエスの名によってもう一度バプテスマを受ける必要がありました。(マタイ 3:11,16。使徒 2:38)その後エフェソスでは,ヨハネのバプテスマを受けていた十二人ほどのユダヤ人が,「主イエスの名においてバプテスマを受け」ました。聖書に二度目のバプテスマについて記されているのは,ここだけです。パウロが彼らの上に手を置くと,彼らは聖霊を受け,それが天において受け入れられたことを示すものとして,二つの奇跡が起きました。彼らは異言を語り,預言したのです。

      18 パウロはエフェソス滞在中にどこで証言しましたか。どんな結果が生じましたか。

      18 人口30万人ほどの都市エフェソスで,パウロは確かに忙しい生活を送りました。(19:8-10)女神アルテミスの神殿は,古代世界の七不思議の一つであり,そこの劇場は2万5,000人を収容できました。パウロは会堂で納得させる論議を提出して「説得に努め」ますが,ある者たちがこの道,つまりキリストへの信仰を基盤とした生き方を悪く言った時,彼らから離れます。パウロは2年にわたりツラノの学校の講堂で毎日話をしたので,『み言葉』はアジア地区全体に広まりました。

      19 エフェソスで生じたどんな事柄のため,『エホバの言葉は力強く伸張し,また行き渡る』ことになりましたか。

      19 神はパウロが病気を治し,悪霊たちを追い出せるようにして,パウロの活動を是認していることを示されました。(19:11-20)ところが,祭司長スケワの七人の息子たちは,イエスの名を使っても悪霊を追い出せません。彼らは神とキリストを代表する者ではなかったからです。むしろ悪霊につかれた男の手にかかって傷を負うことにさえなりました。このことで人々は恐れを抱き,「主イエスの名は大いなるものとされて」ゆきました。信者になった人たちは,オカルトに関係した慣行を公然と非難し,呪文や魔術を行なう際の決まり文句などが書かれていたらしい本を公衆の面前で燃やしました。「このようにして,エホバの言葉は力強く伸張し,また行き渡っていった」とルカは書きました。今日でも同様に神の僕たちは,悪魔主義から解放されるよう人々を援助しています。―申命記 18:10-12。

      宗教上の偏狭は良い結果を生み出さない

      20 エフェソスの銀細工人が暴動を扇動したのはなぜですか。それはどのように終わりましたか。

      20 エホバの証人は怒り狂った暴徒にしばしば直面してきました。エフェソスのクリスチャンも同じです。(19:21-41)信者が増えるにつれ,デメテリオや他の銀細工人たちは収入の口を奪われます。彼らが造る,多くの乳を持つ多産の女神アルテミスの銀製の宮を買ってゆく人が減ったからです。暴徒はデメテリオにあおられ,パウロの仲間のガイオとアリスタルコを劇場の中に連れ込みますが,弟子たちはパウロが中に入るのを許しません。祝祭や競技会の幾人かの委員でさえ,身の危険を冒すようなことをしないようにと嘆願します。暴徒は約2時間にわたり,「偉大なのはエフェソス人のアルテミス!」と叫びつづけます。最後に市の記録官(市政の長)が,職人たちは,司法上の決定を下す権威を持つ執政官代理に告訴できる,また訴え事は市民たちの「正規の集会」で決定できる,と述べます。さもないと,この不法な集会に集まった人たちは,ローマから暴動のかどで告発される恐れがありました。それを考え,記録官は彼らを解散させます。

      21 神はどのような方法でパウロの業を祝福されましたか。また神は今日のエホバの証人の業をどのように祝福しておられますか。

      21 神はさまざまな試練に立ち向かうようパウロを助け,宗教上の誤りを退けて真理を擁護するよう人々を助けるパウロの努力を祝福されました。(エレミヤ 1:9,10と比較してください。)

  • エホバの王国を大胆にふれ告げなさい!
    ものみの塔 1990 | 6月15日
    • 仲間の信者は築き上げられる

      3 トロアスではどんなことがありましたか。現代においても,それと類似したどんなことが生じると言えますか。

      3 エフェソスでの騒動が収まってから,パウロは3回目の宣教旅行を続けます。(20:1-12)ところが,シリアに向けて出帆しようとしていたやさき,ユダヤ人たちが彼に対する陰謀を巡らしていることが分かりました。彼らは同じ船に乗ってパウロを殺す計画を立てたかもしれないので,パウロはマケドニアを通って行きます。トロアスでは,現代のエホバの証人の間でも旅行する監督たちが行なうように,1週間を費やして仲間の信者を築き上げます。パウロが出発する前夜のこと,彼の話は長くなり,真夜中にまで及びます。窓のところに座っていたユテコはその日の激しい活動のために疲れていたようです。それで深く眠ってしまい,三階から落ちて死にますが,パウロは彼を生き返らせます。そのために大きな喜びが生じたに違いありません。では,来たるべき新しい世で無数の人たちが復活させられる時に生じる喜びについて考えてください。―ヨハネ 5:28,29。

      4 宣教に関して,パウロはエフェソスの長老たちに何を教えましたか。

      4 エルサレムに向かう途中,ミレトスでパウロはエフェソスの長老たちと会います。(20:13-21)パウロは自分が「家から家に」彼らを教え,「神に対する悔い改めとわたしたちの主イエスへの信仰について,ユダヤ人にもギリシャ人にも徹底的に証しをした」ことを彼らに思い起こさせます。最終的に長老になった人たちはすでに悔い改め,信仰を持っていました。同使徒はまた,今日のエホバの証人が行なっているような家から家の宣教において未信者に王国を大胆にふれ告げるよう,長老たちを訓練していました。

      5 (イ)聖霊の指示に関して,パウロはどのように模範的でしたか。(ロ)『群れのすべてに注意を払う』ようにとの諭しが長老たちに必要だったのはなぜですか。

      5 パウロは神の聖霊による指示を受け入れる点で模範的でした。(20:22-30)同使徒は「霊に縛られて」,つまり霊の導きに従わざるを得ない気持ちになって,なわめと患難とが待っていたにもかかわらず,エルサレムへ赴きます。パウロは命を尊んでいましたが,彼にとって最も重要な事柄は神への忠誠でした。わたしたちの場合もそうあるべきです。パウロは長老たちに,『群れのすべてに注意を払いなさい。聖霊があなた方をその群れの中に監督として任命したのです』と勧めます。パウロが(恐らく死んで)「去った」後,「圧制的なおおかみ」が『群れを優しく扱わなく』なります。長老たち自身の中からそのような者たちが起こり,識別力のあまりない弟子たちは彼らの曲がった教えを受け入れるでしょう。―テサロニケ第二 2:6。

      6 (イ)パウロが確信をもって長老たちを神にゆだねることができたのはなぜですか。(ロ)パウロはどのように使徒 20章35節の原則に従いましたか。

      6 長老たちは霊的な面にいつも気を配って背教を警戒する必要がありました。(20:31-38)同使徒は彼らにヘブライ語聖書とイエスの教えを教えていました。それらには神聖にする力があります。すなわち,天の王国,「神聖にされた者たちすべての間の相続財産」を受けるよう彼らを助ける力です。パウロはまた,自分自身と仲間の必要をまかなうために働くことによって,熱心な働き人であるよう長老たちを励ましました。(使徒 18:1-3。テサロニケ第一 2:9)もしわたしたちが同じ道を追い求め,とこしえの命を得るよう他の人を助けるなら,「受けるより与えるほうが幸福である」というイエスの言葉の価値を認識できるでしょう。福音書の中にそうした意味の言葉はありますが,これを引用しているのはパウロだけです。パウロはこの言葉を口頭で,あるいは霊感によって与えられたようです。わたしたちもパウロのように自己犠牲を示すなら,大きな幸福を味わうことができます。パウロは骨身を惜しまず自分自身を与えたので,彼が出発する時,エフェソスの長老たちは非常な悲しみを覚えました。

      エホバのご意志がなされるように

      7 パウロは神のご意志に従う点でどのような模範を示しましたか。

      7 3回目の宣教旅行も終わりに近づいたころ(西暦56年ごろ),パウロは神のご意志に従う点で優れた模範を示しました。(21:1-14)パウロと仲間たちはカエサレアのフィリポの家に泊まりますが,フィリポの四人の処女の娘たちは「預言をし」,聖霊によって出来事を予告していました。ここで,クリスチャンの預言者アガボはパウロの腰帯で自分の両手足を縛り,ユダヤ人はエルサレムでこの腰帯の所有者を縛り,異邦人の手に引き渡す,と霊に動かされて語ります。パウロは,「わたしは,縛られることばかりか,主イエスの名のためにエルサレムで死ぬ覚悟さえできているのです」と言います。弟子たちは「エホバのご意志がなされるように」と言って黙諾します。

      8 良い助言を受け入れにくく思えるときがあれば,何を思い出すことができますか。

      8 パウロはエルサレムの長老たちに,神が自分の宣教を通して異邦人の間で行なわれた事柄を告げます。(21:15-26)もしわたしたちが良い助言を受け入れにくく思えるときがあるなら,パウロがどのように助言を受け入れたかを思い起こすことができます。彼は自分が異邦人の土地にいるユダヤ人に「モーセからの背教」を説いているのではないことを証明するため,長老たちの諭し,つまり儀式上の清めをし,自分と他の四人の費用をまかなうようにという諭しに注意を払います。イエスの死によって律法は除かれていましたが,誓約に関して律法が定めた事柄を果たしたパウロは,別に悪いことをしていたのではありません。―ローマ 7:12-14。

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