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アクラとプリスキラ ― 模範的な夫婦ものみの塔 1996 | 12月15日
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したがって,使徒パウロがアクラとプリスキラの二人と出会ったのはギリシャの都市のコリントにおいてでした。パウロがコリントに到着すると,アクラとプリスキラは親切にもパウロをもてなし,仕事も提供しました。パウロとアクラたちは共通の仕事,すなわち天幕作りを一緒に行なったのです。―使徒 18:2,3。
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アクラとプリスキラ ― 模範的な夫婦ものみの塔 1996 | 12月15日
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パウロはコリントに滞在していた18か月間,アクラの家を宣教活動の拠点としていたと思われます。(使徒 18:3,11)ですから,アクラとプリスキラは,シラス(シルワノ)やテモテがマケドニアから到着した際,多分,彼らを客として迎え入れるという喜びも味わったことでしょう。(使徒 18:5)後に聖書の正典となったテサロニケ人へのパウロの2通の手紙は,この使徒がアクラとプリスキラの所に滞在していた時に書いたものかもしれません。
その当時,プリスキラとアクラの家が神権的な活動の真の中心地であったことは容易に想像できます。その家には,多くの愛する友が常に出入りしていたことでしょう。例えば,パウロ自身によってバプテスマを施され,アカイア州で最初にクリスチャンとなったステファナとその家族や,パウロが講話を行なえるようにと自分の家を開放したテテオ・ユスト,家の者たち全員と共に真理を受け入れた会堂の主宰役員クリスポがいました。(使徒 18:7,8。コリント第一 1:16)それから,フォルトナトやアカイコ,自宅で会衆の集会が開かれていたかもしれないガイオ,市の執事エラスト,パウロがローマ人への手紙を筆記させた書記官のテルテオ,おそらくコリントからローマに手紙を運んだ,近隣のケンクレアの会衆の忠実な姉妹フォイベもいました。―ローマ 16:1,22,23。コリント第一 16:17。
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