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聖書の48番目の書 ― ガラテア人への手紙『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』
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3 ガラテア人への書はいつ,またどこで書かれたと考えられますか。
3 パウロはガラテア人への手紙をいつまたどこで記したのでしょうか。それを書いたのは,ユダヤ教化を図る人々の活動に関する知らせが届いてすぐ後のことであるに違いありません。それは,コリントか,エフェソスか,シリアのアンティオキアであったであろうと考えられます。特にそれは,西暦50年から52年にわたる18か月間のコリント滞在中のことではないかと思われます。ガラテアからの情報が彼のいる所にまで達するには時間がかかったからです。そして,恐らくエフェソスではなかったであろうと考えられます。そこへは,旅の帰途ほんのわずかのあいだ滞在しただけだからです。しかし,その後に彼は,自分の本拠地であるシリアのアンティオキアで「しばらく過ごして」います。それは明らかに西暦52年の夏であり,この都市と小アジアとの間の交信は容易でしたから,パウロがユダヤ教化を図る人々に関する報告をここで受け,そこにいる間に,つまりシリアのアンティオキアからガラテア人への手紙を書いた,というのもありうることです。―使徒 18:23。
4 ガラテア人への書はパウロの使徒職についてどんなことを明らかにしていますか。
4 この手紙は,使徒パウロについて,「人々からではなく,人を通してでもなく,ただイエス・キリストと……父なる神とによって使徒とされたパウロ」と述べています。この手紙はまた,パウロの生涯とその使徒としての立場について多くの点を明らかにし,使徒の一人として彼がエルサレムにいる使徒たちと一致して働いたこと,また使徒の一人であるペテロを正す権威をさえ行使したことを示しています。―ガラテア 1:1,13-24; 2:1-14。
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聖書の48番目の書 ― ガラテア人への手紙『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』
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パウロは自分の書簡を秘書に書かせるのが習慣でしたが,ガラテア人への書は,自ら『自分の手をもって大きな文字で』書き記しました。(6:11)
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