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    1991 エホバの証人の年鑑
    • フィリピンからの助け

      1963年12月,マニラのフィリピン支部からデントン・ホプキンソンが地帯監督としてタイを訪問した際,同兄弟は経験を積んだ奉仕者が野外宣教で地元の兄弟たちを励ます必要があることを指摘しました。当時のギレアデ学校は監督たちの訓練に力を入れ,タイを去った宣教者たちに代わる人材の補充はほとんどありませんでした。そこでホプキンソン兄弟は,フィリピンの特別開拓者をタイに派遣して業の援助に当たらせることを提案しました。「もっとも,フィリピンから派遣できるのは姉妹だけです。フィリピン自体が兄弟全員を必要としています」と,ホプキンソン兄弟は支部の監督に言いました。その後派遣されたフィリピン人の中には,何人かの兄弟たちも含まれていました。

      協会はその提案を承認し,1964年の中ごろには最初の二人の姉妹 ― ロサウラ・カグンガオ(愛称ローズ)とクララ・デラ・クルス ― が到着しました。二人は特別開拓者として任命され,チャオプラヤ川を隔ててバンコクの反対側にあるトンブリー県の広大な区域で奉仕しました。ギレアデ学校には行きませんでしたが,1年後には宣教者として奉仕することになりました。その後,事は喜ばしい方向に運び,カグンガオ姉妹は支部の監督パウル・エングラーと結婚し,デラ・クルス姉妹はタイでやはり宣教者として奉仕していたフィリピン人,ディエゴ・エローリアの妻となりました。

      結果として,フィリピンから来た宣教者たちは東南アジアのこの区域に非常にうまく溶け込み,外見も地元の人々と大変よく似ていたので,ヨーロッパ人やアメリカ人の宣教者よりも目立たずに区域で奉仕することができました。そのようなわけで,長年にわたり,タイばかりでなく,南ベトナムやラオスその他のアジア諸国にも,フィリピンからさらに多くの宣教者が遣わされました。タイでは現在,10人のフィリピン人が宣教者として奉仕しています。

  • タイ
    1991 エホバの証人の年鑑
    • エングラー兄弟がCIDとの会見を終えてほんの一,二日後に,フィリピンから5人の新しい宣教者が到着しました。彼らが移民の立場を得るには,その申請を行なってCIDの認可を得る必要があります。その回答は丸1年の間得られませんでした。その後,1968年4月に宣教者たちは申請が認められたという知らせを受けました。

  • タイ
    1991 エホバの証人の年鑑
    • [237ページの図版]

      宣教者として奉仕するためにタイに初めて遣わされた二人のフィリピン人,ロサウラ・エングラー(カグンガオ)とクララ・エローリア(デラ・クルス)。

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