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フィリピン2003 エホバの証人の年鑑
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反対を受けたものの,1938年にはフィリピンに121人の伝道者がおり,そのうちの47人は開拓者として奉仕していました。
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フィリピン2003 エホバの証人の年鑑
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世界大戦のさなかでの急成長
第二次世界大戦のために,フィリピン諸島各地のエホバの僕たちは,新たな難題に直面しました。開戦当時,フィリピンの伝道者は373人でした。人数はわずかでしたが,兄弟たちは清い崇拝を推し進めるために並々ならぬ熱意と柔軟性を発揮しました。
兄弟たちの中には,マニラから郊外の小さな町に引っ越して,宣べ伝える業をそこで続ける人もいました。戦争のために聖書文書の輸入は不可能になりましたが,戦争が始まる前から自宅にあった書籍を配布することができました。その在庫が底を突くと,人々に書籍を貸す方法に切り替えました。
サルバドル・リワグは,戦争が勃発した時ミンダナオ島にいました。もとは学校の教師でしたが,辞職して,良いたよりを全時間ふれ告げていました。サルバドルと他の何人かの兄弟たちはジャングルや山地に避難し,そこで神権的な活動を続行しました。移動の際には,駐屯地の作業員として日本軍に徴用されないよう細心の注意が必要でした。その一方で,しばしば抗日ゲリラから日本のスパイだと疑われました。
意外にも,日本の占領下で,小さな大会を何度か開くことができました。ある巡回大会はマニラで開かれ,大勢の人が出席しました。別の巡回大会はリンガエンで開かれました。住民は,見知らぬ人たちがトラックでやって来るのを見て驚きましたが,妨害する人は一人もおらず,大会は成功裏に行なわれました。
エホバはこうした活動すべてを祝福され,証人たちの数は増加しました。開戦当時373人だったエホバの賛美者は,わずか4年後には2,000人以上になっていました。
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